- 第19回 前編 白井孝史 氏 株式会社Hanoi Advanced Lab(HAL)

- 今回は、リクルート出身の白井孝史さんにお話を伺いました。白井さんは、リクルート退職後、ベトナムでオフショアを行う会社の立ち上げに参加し、ベトナムの経済発展を支援するというライフワークをこなしつつ、リクルートメディアテクノロジーラボで新しいWebサービスの開発プロデュースを担当されています。今回は、第15回の武勇伝に登場いただいたカヤックの貝畑政徳さんからの紹介でこの場が実現いたしました。取材場所は、汐留の株式会社ケイビーエムジェイ会議室です。※取材日は、2008年1月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。
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PCとの出会いは?
川井 白井さん、カヤックの貝畑さんのご紹介ということでインタビューをお願いいたしました。本日は、よろしくお願いいたします。白井 こちらこそよろしくお願いいたします。
川井 貝畑さんとはどういうお知り合いなんでしょうか?白井 現在、リクルートメディアテクノロジーラボというところの仕事をしているのですが、そちらでカヤックさんと一緒にWebサイトの企画をしていまして、そこでご一緒しています。
川井 なるほど。それじゃあ、面白いサイトを作られているんでしょうね。後ほど、そのあたりのお話もじっくりお聞かせください。白井 はい。よろしくお願いします。
川井 では、まず最初にお聞きしているのが、パソコンとの出会いはみたいなことなんですが、白井さんの場合、どういうバックボーンなのかちょっと分からなかったんですが、そのあたりも含めて教えていただけませんでしょうか白井 学校が電気通信大学という理系の単科大学を卒業して、ほとんどメーカーに行く人間が多い中で、平成元年にリクルートに入社しました。
川井 もともとは完全に理系なんですね。白井 理系ですね。
川井 子供のころはコンピュータに触れる機会とかは?白井 ありましたね。年が年なんで、今年42歳ですけど、コンピュータが出だしたのが多分高校のときですね。一番最初に、学校のパソコンクラブみたいなところにあったのが、BASICマスターとPC‐8001みたいな感じでした。
川井 すごい時代ですね(笑)そこで初めてですか?白井 そこで初めてですね。
川井 まだ、そういえば、テレビゲームとかも、家庭向けのが出始めた頃ですかね?白井 そうですね。出たか出ないかくらいですね。簡単なブロックゲームとかですね。そこで、ちょっとプログラミングみたいなものをかじったくらいだったんですけど。
川井 パソコンクラブに入っていたんですか?白井 いや、入ってなかったんです。たまたま知り合いがいて、パソコンクラブの時間とは別に、使えるときとかに遊びに行ってやっていたみたいな形ですね。
川井 やっぱり好きだったんでしょうね?白井 何か好きだったんでしょうね。
川井 きっかけとかがあったんですか?もうちょっと原体験みたいなもので。白井 いや、あんまりないと思いますね。単純に新しいもの好きだったっていう感じです。新しいパソコンっていうのがあって、そこには自分ですでにプログラムを組んで、ゲームを作っている人がいて、そのゲームをやってみたら意外と面白かったんです。それが自分で作れるっていうことを知って、一生懸命自分で簡単なプログラムから作っていたという感じです。
川井 当時だとBasicですね?白井 はい、Basicです。
川井 本を見たりとか?真似たりとか?白井 真似たりとかですかね。
川井 やっぱりゲームなんですね白井 そうですね。スタートはゲームでしたね。
川井 大学行くまでに、これを仕事にしようとか本格的に勉強しようみたいなそんな感じになられたんですか?白井 いや、全然そんなことないんです。でも正確に言うと、大学に入ったときは、コンピュータがこれから生きていくには必要なんだろうなとは思ってはいました。それが仕事になるとかしようとかっていうのはあんまり思っていなかったかもしれないですね。どちらかというと、大学の研究室もコンピュータ情報処理系だったんですけど、すごいプログラムを書こうっていうよりは、そのときは、コンピュータはあくまでも道具だって位置付けだったので、コンピュータを自由に操れるようにはなっておきたい。それで研究をしようとか、どうのこうのしようという感じでもないし、あんまりそれで出来たプロダクトで商売をしようとかっていうことも考えてなかったですね。
川井 あくまで、鉛筆で物を書くとか、ボールペンで書くとか、筆記具とか箸とかそれに近いような感じですかね?白井 そういう風になるんじゃないかと思っていましたね。
川井 それで理系の大学に入られたと。白井 そうですね。
川井 実際、大学の頃の授業とか施設とか含めて教育体制、コンピュータはどうだったんですか?白井 そういう意味で行くと、僕のときは、先進的でした。うちの研究室はありがたいことにJUNETが繋がっていて、普通に研究室に行けば毎日ニュースが読めて、繋がっている人間とちょっとしたメールが出来るくらいの環境があったんです。
川井 この武勇伝の第2回に出ている歌代和正さんのインタビューの中で結構、彼がこの辺やられてたっていうのが出てくるんですけど。本当にネットの初期の頃ですよね?白井 そうですね。初期の頃でした。見事に、1日何回か、それこそモデムで繋いで、センターの情報取りに行って、みたいな形で。
川井 JUNETがあるからこの大学を選んだんですか?白井 いえ、たまたまですね。
川井 たまたま入ったらこういう環境だった?白井 ええ、たまたま自分の行った研究室が、Sunのワークステーションが何台かあって、ターミナルが個人で使えるように置いてあって、そいつがちゃんとJUNETに繋がっていたんです。
川井 本当に限られていた感じですよね。大学で使っているところは?白井 その当時はまだ、他のところの研究室では、やらなきゃならない処理があると、計算機センターに行って、自分のプログラムをかけて結果を出して、また研究室に戻るという感じで、僕のところは自分のところで、好きなだけCPUを回した処理ができたっていうのがありましたね。
川井 やっぱりそういう、ネットの世界にどんどんのめり込んで行っちゃうんですか?白井 いや、全然、のめり込まなかったですね。ただ、ありがたいことに会社に入ってからもやっぱり、プログラミングのところで、文字コードとか、どうやって変換してたっけみたいなのは、昔の研究室の先輩とかにメールで問い合わせて、ソースをボーンと送ってもらったりしていました。「書いてましたよね」って(笑)
川井 (笑)そういう環境があっても、技術的な方には進まなかったっていうのは、何か理由があるんですか?白井 何でしょうね。リクルートの方が面白そうだったからじゃないですか。コンピュータも面白いけど、人と付き合っている方がもっと面白いと思ったからだと思うんですけどね。
川井 なるほど。あくまでコンピュータは道具で、人と人を繋ぐ道具だっていう認識だったんですよね。白井 自分がやりたい別の仕事を効率よくやるとか、人の手だけでは出来ないことをコンピュータが手伝ってくれるみたいな認識でした。
川井 大学に入られて、少なくとも4年あるじゃないですか。いきなりリクルートって考えは出て来ないと思うんですけど、悩んだりとかはなかったんですか?白井 大学時代は体育会の弓道部をずっと4年やっていまして、それとは別にインターサークルな学生起業の走りみたいなところにも所属していて、テレビ局とかの仕事をアルバイトでしていたんですけど、そこの先輩が何人かリクルートに行ってて、面白いよと言われたんです。給料もいいらしいし、メーカー行くよりいいかなと、あんまり悩まずに決めてしまいました。
川井 あんまり学校では勉強したっていうよりは、違う活動が盛んだったという感じですね。白井 そうですね。
川井 家でパソコンやっていたわけでもないってことですね?白井 やってないですね。多分、あったけどやってないんじゃないかなあ。
川井 面白いですね。私も当時、塾でアルバイトしてるとき、先輩が東京リクルート企画(TRK)に行ってまして、話を聞くと、かなりアグレッシブな会社で楽しそうだったので、リクルートグループしか就職活動をしなかったですね。確かに先輩の影響ってあると思います。白井 ありますね。やっぱり。本当に一緒に面白いことやっていたっていう思い出があればあるほど。
川井 そうなんですよね。「あの人が行って楽しんでいるなら」って思いますよね。リクルートに入ってからは?
川井 リクルートは入られてどんな仕事されてたんですか?白井 理系だったので、普通に開発の仕事をしていました。
川井 やっぱり開発に(笑)白井 そのまま行ってしまいました。営業希望だったんですけどね。
川井 営業を希望されていたんですか?あまり知られてないですけど。リクルートは意外にスパコン時代あたりから理工学部出身が一番多いんですよね。白井 あの時代はそうですね。
川井 どの事業部だったんですか?白井 RCS(リクルートコンピューティングサービス)事業部っていうスパコンとかコンピュータの時間貸しをやっていたところです。
川井 なかなか、しんどそうですね。白井 そうですね(笑)
川井 どんな開発をされていたんですか?白井 リクルートの中に役員の情報共有をするためのシステムがあったんですよ。要は上の人たちの外部とのリレーションとか、下で起こったこととかを上がフォローするための色んな情報とか、そういうのを役員間で共有しましょうみたいなのと、全体的な数字を役員で共有しましょうっていうのがあって、一番最初は、それを作っていましたね。で、それを作ってある程度落ち着いたところで、RCP(リクルートコンピュータプリント)、今で言うRMC(リクルートメディアコミュニケーションズ)に出向になりまして、そこでAB-ROADの本を作る制作システムをガリガリ書いていましたね。リクルート本体では社員は絶対にプログラムは書かないんですが、RCPでは全員が書いていました。
川井 自動的に原稿とかを割り振るシステムですか?白井 入稿して台割りを作って組み版するあたりの全部のトータルシステムを作っていました。
川井 RCSの方では上流工程とか設計とかテストとかっていうことをやられていたんですよね?白井 そうですね、新人ながら開発会社の課長さんに、やってもらわなきゃ困りますって、えらそうに言っていました。
川井 (笑)いい経験ですよね。白井 そうですね。
川井 下流からがベースだと思うんですけど、一説には、上流から入ったほうがいいっていうような人もいれば、一度に両方全部やった方がいいっていう人もいて、いろいろ諸説があるんで悪くはないかなと思うんですけど。上流から入ってみていかがでしたか?白井 そういう意味では、良かったと思いますよ。すごい短期間に仕事で行われているやられてるシステム開発っていうものを全部みることができましたからね。
川井 そうですよね。白井 最初「何から始めればシステムって出来るんですか?」って聞いていました。そうしたら「画面をお絵かきしなさい」って、ただそれだけ言われましたね。当たり前なんですけど、ただお絵かきしていました。ここに何を入れるとかっていうのは、逆にシステム側の人から大体こう埋めてくれて、これはどうするんですか?とか。そういう風にやってシステムって出来ていくんだって思っているうちに設計書が出来上がったり。そうして、お願いしたやつが物になって出てきて、動かしてみると、「ちょっとイメージしてたのと違うぞ」みたいなことになったり。
川井 1年目ですぐ全体が見れると。面白いですよね、その上で開発の実際の現場にいると、観点とか視点が全然変わってきますよね。白井 そうだと思いますね。
川井 RCSには、どれくらいいらっしゃったんですか?白井 結構長いですね。一番最初の半年は研修で、そこから1年です。
川井 コーディングをやられたときは、当初のシステムは何で組まれてたんですか?白井 RCPでは、PL/1で組んでました。
川井 すごいですね。歴史を感じますね。白井 ええ。本当に(笑)リクルートに入った中で、数少ない本当にプログラムを書かされて、書いてた人間になって、結局たまたまタイミングが良くて、RCPに1年半いたんですけど、そのときにAB-ROADの制作系のシステムを全部作り直しを経験しましたね。
川井 作り直しの期間っていうのはどれくらいかかったんですか?白井 ほぼ1年ちょっとかかりましたね。何も分からない新人プログラマーから入って、ありがたいことに出てくるときは、AB-ROADの担当プロジェクトリーダーになっていましたね。
川井 その間の勉強はどんな感じでされたんですか? 教えてくれる方もあんまりいなさそうな環境ではありますよね?白井 3人のプロジェクトがありまして、最初に入ったときはリーダーがやっぱり上についてくれました。学生時代にプログラムは書いたことあったので、ポッて投げられてひたすら書いて、書いてみて、ソースコードをレビューして、テストの仕方とかを教えてもらいながらやりましたね。
川井 PL/1も経験はあったんですか?白井 ないですね。どうしたんでしょうね。きっと何か読んだんでしょうけど、あんまり覚えがないですね。だいたい書き方は同じなので、元となるサンプルとか前のソースとか古いバージョンのソースとかは読まされていたし、そんな中でなんとなく書いていたような気がします。
川井 人と人とのインターフェースに非常に興味があって、営業志望で、開発にまわされて、「自分にとっては道具である」っていうレベルの認識のものを作ることに1年半、心身捧げるっていうのは、耐え難いって人もいますけど、いかがでしたか?白井 逆に面白かったですね。この頃までは、分からなかったことや知らなかったことをいっぱい吸収できましたからね。
川井 それは技術的なところですか?白井 システムって、画面をお絵かきするところから入っていけばいいんだってことですかね。コンピュータというより、色んな仕事の仕方とか、世の中でやられていることを知ることが出来たりもしましたからね。
川井 印刷ってこうなっているんだってとかっていうことも含めてですね。白井 本を作るにはこんな工程があって、どういう納期でどんな人が動いていて、だからその間にあるシステムはどんなに大事なのかっていうことを学べましたね。
川井 業務が垣間見れて面白かったってことですね?白井 ええ。システムを作っていく中から業務が見えるというか世の中が見えるってことが、全然何も知らない「ひよっこ」だったので、どんどん見えてきていたときは、本当に面白かったですね。出向しているっていうのも僕にとっては良くて、同じグループとはいえ、ぜんぜん知らない人とまた、一緒に仕事ができるっていうのもとても楽しかったですね。
川井 やっぱり基本的に人がお好きなんですね。白井 意外と好きですね。
川井 これで本体に戻られるわけですか?白井 はい。そうですね。これで戻りました。
川井 もとのところに戻るわけですか?白井 そのあとは、全社の勘定系システムを作り変える大きなプロジェクトがシステム部門で動いていて、そこに戻されました。
川井 ありましたよね。(笑)これでプロマネみたいなポジションになってくるわけですか?白井 1個1個のプロジェクトが巨大なので、PMはマネージャークラスが全部やっていて、僕はそこでテクニカルエンジニアという位置づけで配属されました。私の担当した部門は、サブシステムみたいなものを組んでいたんです。全体は大きな汎用機でやっているんですけど、ここだけ切り出して別のオフコンシステムで構築しようっていうことだったんですが、まだオフコンのノウハウがほとんどなかったりとか、オフコン単品で作るノウハウもないですし、オフコンと全社の会計の汎用機との連動をきちっととるみたいなところもなかなかノウハウがない中で、その辺のテクニカルな部分をある程度みるようなミッションでした。
川井 MC部門だけ、オフコンで作ろうという発想は、全社的にはその方が効率がいいというところから生まれたんですか?白井 だと思いますけどね。やっぱり規模からすると、オフコンくらいでいいんじゃないのっていうところだったとは思います。
川井 各部門がそんな動きをしていたってことなんですかね?白井 そういう意味でいくと、HR(人材系)とかJJ(住宅情報系)のように大きな事業は、汎用機で作りました。もう少し小さいところは、カスタマイズが効かないパッケージとの丁度真ん中なので、ほどほどの規模でそれなりの独自性も出したいよっていう意味で、結局オフコンっていう選択肢がとられたんですね。
川井 じゃあ、フルスクラッチでやるものと、本当にパッケージ的に用意していくものとその中間のオフコンでちょっとした若干のカスタマイズをした3通りを同時併行していく動きだったということですね。白井 そうですね。
川井 すごいですね。当時、そんなことをやっていたんですね。白井 そうなんですよ。実はそんなことをやってたんです。
川井 あのシステムがそんな感じで動いているなんて知りませんでした。これはどれくらい開発期間かかったんですか?白井 ここは結構いましたね。3年くらいいたのかな。多分、開発入ってから2年ちょっとは開発期間で取られていたと思いますね。
川井 ここでは、えらい苦労されたとか相当大変だった話しがあるんじゃないかなと思うんですけど。白井 そうですね。逆にここのくらいになるとつまらなくなっちゃったんですよ。あんまり新しいことがなかったんですよ。
川井 まあ、社内の話ですし、勘定系ですとあんまり外部とは関係ないですしね。これでトータルでいうと1年で、2年半の6年くらいですかね?白井 ええ、そうですね。でも、ここでは開発的なところはがっちりやって、いろんなことを身に着けることができたのは事実ですね。
川井 具体的にはどんなことを?白井 全社勘定系システムは、ウォーターフォールの開発手法の「メソッドワン」っていう開発技法を独自にリクルートでカスタマイズした「スペードワン」っていう開発技法に乗っ取って全プロジェクトが動いていたので、大きなウォーターフォールの開発手法に乗っ取って頭からお尻まで全部通すっていう意味では、滅多にできない経験をさせてもらいました。無駄だろうが何だろうが逃げずにやってみようっていう気持ちでドキュメントも作りましたし、工数もかけてやってみました。
川井 なるほど。確かにこれはなかなか出来ない経験ですね。白井 いいも悪いも含めて、システム開発に関しては、お腹いっぱいっていう感じしたね。 後編へ続く
- プロフィール白井孝史 氏
平成元年3月 電気通信大学応用電子工学科 卒業
平成元年4月 (株)リクルート入社
平成15年4月 (株)メンバーズ入社
平成15年11月 (株)あの街ドットコム 設立 代表取締役に就任
平成18年2月 (株)Hanoi Advanced Lab 執行役員に就任
平成19年4月 RUNSYSTEM CORPORATION 顧問に就任

