第20回 前編 高橋征義氏 日本Rubyの会会長

  • 第20回 前編 高橋征義氏 日本Rubyの会会長
  • 今回は、日本Rubyの会会長であり、株式会社ツインスパークでシニアプログラマを務める高橋征義氏にお話をお聞きいたしました。高橋さんとお話していると、意外なことにその興味の源泉はコンピュータやプログラムというよりは「言語」「言葉」というものにあるように思えました。そんな高橋さんのこれまでの足跡を2回に分けてお届けします。PC片手に、いろいろ調べながら2時間半にわたる長時間おつきあいいただきました。取材は、渋谷のダイニング「風」で行い、株式会社ウェブキャリアの前田道昂氏にも同席いただきました。

    ※取材日は、2008年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。
  • PCとの出会いは?

    川井 高橋さん、こんばんは。先日はセミナーのご講演ありがとうございました。本日は、「Webエンジニアの武勇伝」のインタビューということでよろしくお願いします。

    高橋 よろしくお願いします。

    川井 まずは、パソコン・・・というかコンピュータとの出会いみたいなところからお聞きしていきたいんですが、何歳ごろから初めたんでしょうか。

    高橋 (持参のノートPCで検索しながら)NHK教育で「マイコン入門」っていう番組があったんですよ。googleによれば、1982年放映ですね。父にその番組のテキストを渡されました。自分で買った記憶はないので、多分父が買ってきたと思うんですけど、もしかしたら父も勉強したかったのかもしれないですね。それでテレビを見ながら、本を読みながら、っていうのがコンピュータに触れた最初です。

    川井 これは12歳、13歳ですか?

    高橋 小学5年生だったはずですね。1982年だから、10歳。

    川井 世代的にはマイコンとかオフコンですよね。これは教育番組の題材ということなので、ゲームとかではなくて、純粋なマイコンだったんですか?

    高橋 ええ、でもやっぱり確か最後に簡単なゲームも作ります、っていう感じではあったはずです。

    川井 これはこれで面白かったんですか?

    高橋 あんまり覚えてないですねえ。そういうものなんだ、ふーんって感じでした。

    川井 これが原体験ってことですね。それで継続的に学習するようになるんですかね?

    高橋 この企画は1年なのか半年なのか覚えてないんですけど、基本的に単発なもので、それに続く番組はなかったんですよ。それで、本屋でパソコン雑誌を立ち読みしたりっていう形に移行したはずです。とにかく家にマシンがなくて、小学校の間も、中学校の間もなかったんじゃないのかな。なので、近所の町の電気屋さんとかでパソコンを触らせてもらったりするのが精一杯で、あとは雑誌読んでみたりというくらいでしたね。

    川井 そういう中学生だったりしたんですね。

    高橋 ええ、あとは友達の家で触らせてもらったりとかですね。いずれにしても、たいしたことはできませんでした。

    川井 それってどこかのタイミングで面白くなったってことなんですよね?

    高橋 なんなんでしょうね。あんまり覚えてないんですけど(笑)

    川井 趣味がそうなったんですか?

    高橋 まあ、でも興味はあったっていう感じですね。

    川井 僕らがゲーセンにゲームしに行くっていうのと同じ感じですかね。それでやっていたのはやっぱりゲームなんですか?

    高橋 なんかプログラムを入力して動いたっていうくらいですね。何を作るっていうのではなかったんですけど。

    川井 雑誌に載っているのをそのまま打ち込んでみたりとか?

    高橋 店先とかに雑誌を持ち込んで打ち込むわけにもいかないので、何やってたんでしょうね(笑)あとはやっぱり雑誌は継続して読んだりしてました。

    川井 立ち読みですか?

    高橋 立ち読みも多かったんですが、「テクノポリス」っていう雑誌があって、この雑誌は80年代後半には買っていたはずなんですよ。創刊は1982年で、創刊号はあとで古本屋で買った記憶がありますね。雑誌で買っていたのは、これくらい。初期はホビーユースなんだけどいろいろやりたがってるマイコンマニア向けの雑誌だったんですよね。

    川井 当時はBasicですよね。

    高橋 (またノートPCで調べながら)そうですね。あ、1983年には買っていましたね。そうなんだ、へー、我ながらびっくりだ。

    川井 1983年ってまだ小学生じゃないですか?

    高橋 そうですね。

    川井 小学生でテクノポリスを買っていたんですね。僕がコロコロコミックを買っているときですよ。

    高橋 その頃は著作権についても今ほどはうるさくなくて、アニメのCGとか歌謡曲とかの曲データを雑誌に掲載しても何もお咎めがなかったんですよね。ある意味、幸せな時代でしたね。今ではぜったい許されないでしょう。「テクノポリス」は後期は同人誌から美少女系の雑誌になってしまって、いろいろ大変だったようです。判型が変わるまでは買ってたかなあ。

    川井 そうなんですね。

    高橋 あと、「プログラムポシェット」、通称プロポシェっていう雑誌が、テクノポリスの増刊でありまして。私ぐらいの年代ですと、ソースコードが載っているパソコン雑誌というと、だいたいみんな「マイコンBASICマガジン」、通称ベーマガを挙げる人が多いみたいですよね。プロポシェは、ベーマガに比べるとマイナーなんだけどいろいろ頑張っていた雑誌で、私はベーマガよりもプロポシェ派でした。

    川井 その当時、コンピュータ雑誌を買っているような友達がいっぱいいたんですか?

    高橋 そんなにはいないですが、いない訳でもなくて。パソコンを持っている人も結構いましたよ。パソコンはPC6001、MSXとかそんな時代ですよ。8801ですら割りと高嶺の花でした。MZ-2000を持っている友人がいて、「おー、すごい」って言っていました。

    川井 すごいですよね。小学生とか中学生の前半でこんなことしているんだから。

    高橋 テクポリ・プロポシェ派の人はあまりいないので寂しいんですけどね。

    川井 これ、出版社はどこなんですか?

    高橋 徳間です。ここからMSX・FANに移って、あるいはファミマガがあって、というのが徳間の系列なんですが、私は全然追っていなくて、プロポシェで終わってしまったん感じです。でも、プロポシェは今でも全冊実家にありますね。

    川井 えー。そうなんですか。すごい! 他にパソコン以外のことはされてなかったんですか?

    高橋 普通に野球で遊びましょうみたいなことはやりましたけど、積極的にはやっていないですね。というか元々運動には興味もなく、適性もなくって感じですね。

    川井 じゃあ、本当に興味の対象はコンピュータに向かって一直線だったんですか?

    高橋 いえいえ、そんなにコンピュータに向かっていたわけでもないです。

    川井 じゃあ、何をされていたんですか?

    高橋 中学校くらいから割と本を読んでいましたかねえ。

    川井 SF好きって噂を聞きましたけど。

    高橋 それほどでもないですけど。SFを読み始めたのは中学校からですね。

    川井 中学校でSFってことは眉村卓とか小松左京とかですか?

    高橋 一応、星新一から入りまして、新井素子に行きました。世代的に新井素子の時代なんですよ。女の子でもコバルト文庫で新井素子を読んでましたっていう子が多かったと思います。

    川井 星新一といえば、「全ショートショート」を持ってますよ。

    高橋 えー! 持っているんですか。あれはどうしようか悩みましたね。

    川井 知人が日販にいて、7掛けで買ってもらいました(笑)

    高橋 それはずるい。あれは買おうかと迷いました。今でも迷ってます。

    川井 なるほど、新井素子だったんですか。

    高橋 今でも一番好きな作家は新井素子です。彼女の作品には本当に大きな影響を受けておりまして、新井素子の話をし出したら、多分このインタビューがそれだけ終わってしまうと思います(笑)

    川井 分かりました。このくらいにしておいた方がいいかもしれないですね。(笑)

    高橋 中学の頃に海外SFを薦めてくれた女の子がいて、その人に借りたのがストルガツキ―の「ストーカー」。これは映画にもなっています。「ストーカー」といっても、元々のタイトルが「路傍のピクニック」で、映画版のシナリオも「願望機」というタイトルだったりとか、今言われている「ストーカー」とは違うんですけどね。

    川井 SFなんですか?

    高橋 ソ連のSFです。一種のファーストコンタクトものなんですけど。宇宙人が来て、その痕跡をごろごろ置いていったんだけど、わけの分からないものばっかりで、触るとやばいことになったりもする。なんだけど、主人公はそこに行ってしまって、いろんな変な物に出会うっていう話なんですよ。

    川井 本格SFが好きな感じなんですかね。

    高橋 それはたまたま薦められただけなんですけど。本格というか濃い話。思弁的なところもあってよく分からなかったんですが、原体験でいうとそれですね。比較的マニアックなSFなので、分かる人とこの話をすると、そんなものから入ったんですかって笑われます。

    川井 本には興味があったんですね。

    高橋 そこそこ読んでいましたね。中学校のときは、他に特に趣味っていうものが、そんなになかった感じですね。

    前田 勉強は出来たんですか?

    高橋 そこそこできた子でした。でも、言うほどではなかったんですけど。高校に入った時には、多分下から数えたほうが早かっただろうって思います。一応、北海道ではトップレベルの学校だったんです。それでも、出るときは上から数えたほうが早かったんで、それは頑張ったんでしょう(笑)周りにかしこい人がいると影響は受けますね。

    川井 高校の頃はどんな生活をされていたんですか?

    高橋 高校の頃はですね、地球科学研究部っていうところに入りまして、地学っていうか。星を見に行くとか化石掘りをしていました。

    川井 北海道は星が綺麗でしょうね。こっちと全然違いますよね。

    高橋 こっちで星の綺麗なところに行ったことがあまりないので、よく分かんないんですけど。少なくとも東京とは比べ物にならないでしょうね(笑)

    川井 そりゃ、そうですよね。

    高橋 でも、北海道でも札幌の回りは明るいのである程度、離れないと駄目ですね。札幌を背にしてみるといいんですけど、まあ行けるか行かないかは別の問題ですからね。今にして思えば、高校生の男女が夜中に暗いところにいくのはいろいろ問題がある気もしますね(笑)

    川井 ですね(笑)

    高橋 あとは生徒会で会長をやってました。その時のニックネームが会長だったんですけど、最近も会長って呼ばれることが多くて、すごく懐かしい感じがします。

    川井 「日本Rubyの会」会長ですもんね。
    前田 人前で話すことも多かったんじゃないですか?

    高橋 あんまりなかったですね。挨拶などのスピーチがあまりに短くて笑われたこともありました。もちろん短いスピーチは高校生には受けるんですけど。

    川井 笹田さんも生徒会って言っていましたね。生徒会活動で出会ったMacがきっかけになったっていってました。高橋さんのときって、学校にデスクトップのワープロ専用機とかがあったんじゃないですか?

    高橋 OASYSはありました。そこで親指シフトを試してたはずなんですけど全然覚えられなかったんですよね。結局、カナ入力は苦手でしたね。

    川井 その他のコンピュータとは接していたんですか?

    高橋 高校の頃にはFM-NEW7を入手したはずなんですよ。高校に入った頃か、中学の終わり頃かな、それくらいですね。

    川井 ご自宅でですか?

    高橋 そうです。そこからはまともにプログラムが書ける環境はとりあえずあったことになりました。でも、あっただけでちゃんと書いていたかどうかは別の話ですけど。

    前田 言語は何なんでしょう?

    高橋 Basicですね。

    川井 中高の頃にマシンを手に入れてましたっていうことですね。プログラミングはまだそんなにはしてなかったんですよね。

    高橋 そうですね。ちゃんとするようになったのは就職してからじゃないのっていう気もしないでもないですけど。一応大学の時もやってはいましたが。あと、FM-7のCPUはZ80じゃなくて6809だったんですよ。その辺のアーキテクチャの違いはまったく分からなかったのですが、アセンブラを使って、無理矢理なんかやっていたような記憶もあります。基本的にはBasicとマシン語がちょっと使えますよっていうくらいでした。特にハードは興味がなかったのでバラしてなんとかとか、カードを繋いでなんとかっていうのは一切なかったですね。

    川井 あくまで興味はソフトの世界ってことですね。

    高橋 そうですね。そっちだけでした。

    大学生活は?

    川井 大学はどういう学部に行かれたんですか?

    高橋 北海道大学なんですけど、入ったときは学部が決まってなかったんですよ。理Ⅰ・理Ⅱ・理Ⅲという理系のまとまったコースだけが決まっていて、理Ⅰが物理か数学、理Ⅱが化学、理Ⅲが生物。私は 理Ⅰ でした。でも関係ない学部に進むことも、ある程度はできたんです。私も、最初は文学部行動科学科っていう文系の学科を狙ってました。ところが 理Ⅰ からは2人しか入れなかったんです。普通はわざわざ文系に行きたがるひともそんなにいないので、すんなり入れるはずだったんですけど、その時だけやたらめったら競争率が高くて。700人くらいの中の100番以内には入ってたはずなんですけど、20位くらいまでのなかで行動科学志望が2人もいたとかで駄目だったんです。それで文転に失敗して、しょうがないから情報工学科に入って、って感じですね。あの時、私の成績がもう少し良ければ文系に行ってましたね。

    川井 違う人生を送ってらしたってことですね。

    高橋 ええ。

    川井 でもまた、コンピュータの世界にどっぷり浸かりそうな学部にいきましたね。

    高橋 ただ、そのころの北大の情報は電気と一緒だったんですよ。実験とかで発電機回したりとか、絶縁体に高電圧をかけて破壊させたりとかしていました。

    川井 すごいですね。勉強以外では?

    高橋 大学の頃はですね、これが推理小説研究会とSF研究会と天文同好会と教養部新入生歓迎実行委員会っていうところに所属しておりまして。月曜日が推理研の定例、火曜日が天文の定例、土曜日がSF研で、土日にかけて天文の観望会があったりとか、合間を縫うように水曜日とか金曜日に新歓みたいな感じでした。新歓は時期が決まっていて、基本的には1年生と2年生の間の、大学の後期10月から新入生が入って4月までの活動でしたけど。

    川井 まさに暇なしですね。

    高橋 何を考えていたんでしょうね(笑) 天文に関しては、大手のサークルでは大学生協のソファを勝手に占拠するっていうひどい風習があって、そこのソファでうだうだしていたような記憶がありますね。

    川井 勉強する時間とかコンピュータをいじる時間はないですね(笑)

    高橋 そうですねえ。特に数学はぜんぜん理解できてなかったのですが、院試の勉強でようやく教養と学部の数学に追いつけたくらいでした。

    川井 イベント好きとかそういう感じなんですか?

    高橋 そういうのもありましたね。お祭りというかイベント好きでしたね。高校の頃は生徒会とかでそれなりにイベントがあって、大学では新歓とかですね。特に新歓はイベント好きで、まだ新入生にもなってない、受験しに来ただけの受験生を相手にイベントしましょうって言って、甘酒配ったりとかしてました。それはそうとして、やっぱりサークルは役に立ったというか、影響を受けた感じですね。

    川井 なるほど。

    高橋 他の大学のミス研・推理研とかの話を聞くと、みんなそんなに読書会ってやってないようなんですが、北大の推理研は毎週例会で読書会をやってて。とはいえ、みんなそんなに読めないんですが、読んでなかったらそれでいいよっていうゆるい感じの例会でした。読んだ人が好き勝手言うのをみんなで聞くというスタイルで、毎週ミステリーとSFを1冊ずつで2冊取り上げてました。SFと言っても、要するに現実的ではないフィクションはなんでもSFって言ってしまいましょうっていうスタンスで、今でいうライトノベルも当然のようにSFって言っていましたね。SF界には「あれもこれもSF派」っていうのと「こんなのSFじゃない派」っていうのがあるんですが、前者の雰囲気ですね。広く捉えたSFの中に、ちょっとでも掠っていればOKみたいな定義で。

    川井 かなり文系入っていますよね?

    高橋 文系っていうか、文科系ですね。中高の頃はともかく、この頃になると趣味は読書です、と言ってもおかしくない感じでしたね。でも、読書系の人の「本をたくさん読んでいる」というのは、やっぱり月に15冊くらいは当然とかっていう話をされるわけですよ。さすがにそこまで読んでないです(笑) だいたい多くても月10冊程度だったので、そのくらいだと「それは多いって言わないよね」とか平気で言う人が周囲にごろごろいたので、「本はよく読まれますか?」と聞かれても「すいません、全然読んでないです」って答えたくなります。

    川井 分かる気がしますね。それでも4年間、そんな感じで過ごされていたんですよね?

    高橋 マスターに行ったので、6年間ですか。

    川井 失礼しました。マスターに行ったんですね。マスターの専攻は学部と一緒ですか?

    高橋 一緒です。

    川井 具体的な研究は何を?

    高橋 言語情報工学講座というところでした。言語情報の言語って計算機言語と自然言語という二つの意味があって、それぞれをやりましょうって講座だったんですが、私はどっちかというと自然言語をやっていましたね。

    川井 具体的にはどんな研究なんですか?

    高橋 本当にやりたかったのは、まともに小説が読み書き出来るようなコンピュータを目指すことだったんですが、流石にそれは無理で、それどころか「てにをは」がわかるのが精一杯な世界でした。研究っていうほど真面目に研究はやっていなかったんで、参考書とか論文を読みましたっていうぐらいで終わってしまいました。

    川井 人工無脳とか人工知能とかも興味が勉強した範囲ですか?

    高橋 人工知能の方には興味があって、人工無脳にはあまり興味がありませんでした。本当は意味解析をやりたかったんです。なので人工無脳のようなやり方や、大規模なコーパスを作って統計的にやる方法はちょっと嫌いというか、そっちの方じゃないのをやりたかったんですよ。

    川井 きちんと意味合いを捉えてって感じですよね。

    高橋 なんだけれど、それはちょっと無理っていうか、そもそも意味って何ですか?くらいの感じだったんです。やっぱり文法解析が精一杯で。文法と言えば、その頃に日本語学の先生が言語文化部というところにいて、日本語文法の講座に潜り込んで1年くらい受講してました。周りにいるのが留学生と日本語教師しかいないっていう中で、一人だけ情報系から来ていて、微妙に浮いている状態でしたね(笑)

    川井 学生時代だと、情報系で自然言語処理とかっていうのがあるっていうこと自体、文系の人は分からないですもんね。

    高橋 分からないですね。面白がられていたと思います。

    川井 そりゃ、周りからみたら珍しいですよね。

    高橋 あと、数学科にも潜りこんで授業受けたりとか。数学科では授業でもホワイトボードとか黒板が中心で、プロジェクターは全然使わないっていうのがすごく新鮮でしたね。さすが数学科と思いました。

    川井 数学にはどんな興味があったんですか?

    高橋 そこでは圏論とか並列オートマトンに関する研究をやられていて。その辺に興味があったんですけど、さっぱり分からないっていうときにその講義があって潜りこんで。それでもやっぱりよく分からずじまいでしたが。

    川井 興味が多岐に渡る感じがしますね。

    高橋 そうかもしれません。あと、文学部の授業も受けたことがあります。文学部には集中講義でMITの日本語の先生が来ていたんです。福井直樹さんという方で「生成文法の企て」というチョムスキーの本を訳されています。こてこての生成文法の人で、生成文法をエレガントに拡張するXバー理論というのを提唱されてました。

    川井 どういう発想で興味がいろんな方向にいくんですか?

    高橋 うーん、「言葉」が好きだったってことが大きいんじゃないですかね。

    川井 言語に基づいたものに興味があるっていうことですね。

    高橋 言葉って言うか小説ですかね。要するに新井素子が好きだったですからね。

    川井 なるほどやはり小説なんですね。ちなみに自分で書いたりはしないんですか?

    高橋 大学の頃は書いていたりしたんですが、最近は書いていないというか、ちょっと違う方の文章書きが忙しいんで、なかなか小説を書く暇ができないです。言葉といえば、実はスクリプト言語を初めて触ったのは大学のときで、国語学演習でAWK(オーク)を使って国語学をするっていう授業だったんです。

    川井 国語学の授業でですか?

    高橋 ええ。豊島正之先生っていう本当にすごい国語学の先生がいて、国語学の先生なのにドイツ語とかフランス語とかも平気で読めるんですよ。一番難しかったのはヘブライ語、とおっしゃっていたとか。専門はキリシタン文献の研究のはずですが、研究の世界でもやっぱりデジタルデータが流行ってきて、それを処理するべく「sortf(ソートエフ)」っていうコマンドのプログラムを書いちゃうんですよ。 これがメモリ管理をまじめにやってて巨大なファイルでもちゃんとソートできる、という本格的なもので。研究目的なので、日本語を順番に並べるにも、濁点の有無や続き文字とかの順番を厳密に決めて並べなければならないんですけど、その辺に転がっているソートコマンドは適当に文字コード順に並べているだけだから駄目だってことになって、正しく辞書順にソートするプログラムを自分でCで書いちゃったんです。

    川井 それはすごい人ですね。

    高橋 それだけじゃなくて、辞書順の順番そのものも自分用に定義しただけではだめで、一般化してちゃんと規格にしないと、とやってるうちにJISの文字列照合順番の規格のエディタになられたり。さらに日本語の文献をやるには文字コードもちゃんと扱えなければならないということで、問題だらけだった文字コードの世界に果敢に参入して、挙句にJISの漢字のJIS X0208のエディタになったというめちゃめちゃすごい人なんです。

    川井 その先生がAWKを使って演習をするんですか。

    高橋 そうなんですよ。DOSでjgawkを使ったりしてました。

    川井 でも、文系の生徒にとってはわけが分からないでしょうね。

    高橋 大変だったでしょうね(笑)

    川井 しかし、遊んでるだけじゃなくていろいろ勉強もしてますね。

    高橋 何なんでしょうね。専門領域をちゃんと勉強してれば良かったんですけど、わりと周辺領域ばっかり勉強していたんですよね。

    川井 なるほど、興味のおもむくままにですね。

    高橋 まさにそんな感じだったんですよ。もう少しまともに勉強していればねって思います。

    北大卒業後は?

    川井 それで6年間過ごされたあと、いきなりプログラマーになっちゃったりするわけですか?

    高橋 高校の知り合いで東京にいたやつがいて、そいつが会社を作ったんで一緒に仕事しない?ってことになってですね、じゃあ、しますかって話になっちゃったんです。

    川井 そういうノリで、北大のマスターまで出た方が仕事を決めちゃったんですね(笑)

    高橋 まあ、そうですね(笑) 当時ではまだめずらしい、インターネット中心の会社でした。今やっていることと内容的には変わらくて、今で言ったらWeb系なんですけど、その頃はWeb以外にもいろいろありましたね。まだWebが流行っていなかった1995年に設立したんです。

    川井 Windowsが95の頃ですもんね。当時はまだ普通のシステム会社って感じですよね?

    高橋 いや、Webっぽいベンチャーですかね。

    川井 なるほど。今でも残っているんですか?

    高橋 いや、もうありません。儲からなくなって今の会社に合併する形になりましたね。

    川井 何年位やってからそういう形になったんですか?

    高橋 96年に入って、2002年に業務提携なので、6年間ですかね。

    川井 この6年の間はどんなことを?

    高橋 入ったはいいんですけど、プログラムが得意ではなくて大変でしたね。でもまだこの頃は暇だったので、Rubyを勉強する時間はありました。

    川井 当時は仕事ではどんな言語を使っていたんですか?

    高橋 Perlか、ASPかですね。まあ、だいたいその頃はそんな感じですよね。

    川井 Rubyを勉強するきっかけはどんなことだったんですか?

    高橋 なにやらPerlみたいで面白い言語があって、Perlよりいいって言われているらしいっていう記事を発見したくらいのころでした。

    川井 当時は何を見ていたんですか?

    高橋 MLのアーカイブのページをひたすら読んでました。あとマニュアルですね。ダウンロードしたり、サイトをみてみたり。その当時のスキルだとマニュアルを上から下まで読んでも理解できてませんでした。ちゃんと分かるようになったのは雑誌の連載をはじめてからという感じがします(笑)。

    川井 雑誌の連載のきっかけは何だったんですか?

    高橋 はじめは、まつもとゆきひろさんがMLに「本のオファーがあるんだけど書く暇がないので、書く人いませんか?」っていう感じで募集していたんです。

    川井 で、手を挙げたと。

    高橋 そうですね。何人かいたので何人かいれば大丈夫だろう、困ったときには誰かがなんとかしてくれるよって思ってました(笑) それで、本にするのに、このグループで雑誌の連載から始めましょうかってことでスタートしました。

    川井 オファーがあったときって、まだ自信がなかったときなんですよね?

    高橋 少し分かってきたのかしらぐらいな感じですよね。

    川井 そういう状態で手を挙げるっていうのは普通の感覚では難しいですよね。

    高橋 それでも文章を書くのには興味はありました。

    川井 何年くらいの話ですか?

    高橋 2000年ですね。CQ出版のオープンデザインという雑誌の「Rubyではじめるインターネットプログラミング」という連載です。最初は隔月刊だったんですけど、途中から月刊になって泣きそうでした(笑)   http://www.notwork.org/ipr/

    川井 どれくらい連載期間があって本になったんですか?

    高橋 これは本にできませんでした。執筆陣の事情なので、編集の方々には本当に申し訳ない感じなんですけど。

    川井 このあたりでRubyの知識が大分深まったという感じですよね。

    高橋 ええ。さらに「たのしいRuby」を書き終えた頃には、まあ一通り分りましたっていう感じでしたね。

    川井 「たのしいRuby」は書き下ろしなんですか?

    高橋 そうですね。

    前田 誰かに説明すると覚えるっていいますもんね。
    川井 そう。きちんと覚えてないと書けないですからね。

    高橋 まず、何を説明しましょうかっていうのを考える必要があるわけですよ。普通の入門書では全ては書けませんから。文法要素やクラス構成とかは全部調べないといけないですし。そして文字列なら文字列のメソッドは何を書けばいいのかなって思ったら、文字列のリファレンスを上から下まで全部読むわけですよ。それは非常に力になりましたね。

    川井 Rubyで仕事はしてないですよね?

    高橋 当時はまったくしていませんでした。今でもあんまりしてないですけど、してなくはないです。

    川井 会社でも、仕事が来れば受けるけどっていう感じですか。

    高橋 まあ、そうですね。向いている案件があれば。

    川井 本格的にRubyで仕事をっていうのではないんですよね。

    高橋 どうしても仕事で使いたいっていうのもないし、逆に趣味に徹したいということもないですね。

    川井 なるほど、フラットな感じなんですね。とするとRubyに対する興味っていうのは、どの辺でどう強まっていったんですか?

    高橋 たまたまRubyだったっていう感じですよね。でもやっぱり相性もあったと思いますけど。

    川井 タイミングと相性っていうことですか?

    高橋 あとはコミュニティというか、人ですかね。開発者が日本人で日本語が使えるコミュニティというのは大きいです。いや、コミュニティというと語弊があるかもしれないんですけど。当時のRubyのコミュニティの場合、世間一般に言う「コミュニティ」とはちょっと違うんですよ。コミュニティって言うと、仲良くしましょうとか一体感って感じが強いと思うんですけど、もっと希薄な感じなんです。この辺は「るびま」にも書きましたけども、つかず離れずのメールを送りあう仲で、あるいはいつの間にかいなくなっても気にしない。そういうコミュニティって世間一般で言うとあまりいいコミュニティはないのかもしれなくて、「もっと仲良くした方が、積極的に関わった方がいいんじゃないの」とか「コミュニケーションとった方がいいんじゃないの」って言われるかもしれないんですけどね。

    川井 確かにそう言われるかもしれませんね。

    高橋 でも、そっけなく、人がふらっと来て、ふらっと何かやって、またふらっとどこか行くということができるコミュニティっていうのも、いいコミュニティだと思うんですよね。Rubyのコミュニティはまさにそういう感じでした。そもそも20世紀にRubyをやっていた人っていうのは、他の言語も二つか三つか四つは知っているのが当たり前というか、Rubyだけしか知らないって人はあんまりいないんですよ。

    川井 そうですよね。

    高橋 まつもとさんが最近ブログで「一つの言語しか知らない人は......」って言ってましたけど、以前だったらそんな人は誰もRubyには来ないんじゃないかと思ってましたが、最近はそうでもないのかもしれませんね。

    川井 確かに最近は、変わってきているかもしれませんね。

    高橋 いい時代になったものですね(笑)

    前田 僕の同期では、Rubyしか知らない人もいますからね。

    高橋 当時の感覚では「何それ?」って感じがしますね。困ったときにコンパイルもできないじゃんって感じじゃないですか。

    川井 車の運転をするのに以前はマニュアルだったのが、今はオートマが普通となっていたりするのと似ているのかもしれませんね。それより前は、エンジンの仕組みとかまで理解していたとも思いますが、段々、とにかくアクセルを踏めば走りますみたいになっているのかもしれませんね。

    高橋 イメージ的には運転するならまず車を作るところから始めるべきという論法はありますけどね。

    川井 そうですね。

    高橋 まつもとさんは、まだエンジンをいじれる人がRubyを使っているというイメージがあるんじゃないですかね(笑) もちろん、実際には違うというのが頭では分かっていても、そういう感覚があるんじゃないかと思いますよ。

    川井 そうかもしれませんね(笑)

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  • プロフィール高橋征義 氏

    1972年生まれ。北海道札幌市出身、北海道大学大学院工学研究科修了(情報工学)

    現在は株式会社ツインスパークに勤務し、Webアプリケーションの開発に携わっているかたわら、 2004年8月に「日本Rubyの会」を設立、会長を務める。また、プレゼンテーションの手法である「高橋メソッド」でも知られている。

    Rubyに関する著作(共著)として「たのしいRuby―Rubyではじめる気軽なプログラミング」「Rubyレシピブック 268の技」、単独の著作としては「でかいプレゼン 高橋メソッドの本」がある。

    たのしいRuby 第2版サポートページ http://www.notwork.org/sbcr-ruby/
    Rubyレシピブック サポートページ http://www.notwork.org/rubyrecipebook/
    高橋メソッドについて紹介するページ http://www.rubycolor.org/takahashi/

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