第21回 仙石浩明氏 KLab株式会社 取締役CTO

  • 第21回 仙石浩明氏 KLab株式会社 取締役CTO
  • 今回は、第13回の武勇伝に登場いただいた株式会社ドリコムの新井元基さんのご紹介で KLab株式会社のCTOを務める仙石浩明さんにお話を伺いました。仙石さんのお話は、終始一貫しており、お聞きしていて、流石と唸る場面が何度もありました。そのこだわりと成功哲学を存分にお楽しみいただければと思います。取材は、六本木ヒルズにあるKLab株式会社の会議室をお借りして行い、株式会社ウェブキャリアのインターン、森亮介さんにもご同席いただきました。

    ※取材日は、2008年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。
  • PCとの出会い

    川井 本日は、Webエンジニアの武勇伝ということでお願いいたします。趣旨については、メールでも触れましたが、弊社の行っているエンジニアのキャリア支援事業の一環として、「エンジニアのためのロールモデル」を提示したいと思っておりまして、トップエンジニアの方々のインタビューを通じて、そのヒントを提供できればと思っております。

    仙石 なるほど。こちらこそよろしくお願いします。

    川井 仙石さんのようなすごい方になると、若いエンジニアからすると雲の上の存在でもあるので、親近感を与えるためにも子供の頃のお話などもお聞きしています。

    仙石 どういうところが「雲の上の存在」と感じるんですかね?

    川井 ポジションもありますし、ネット上でお名前がいっぱい出ているというのが大きいんじゃないでしょうか。

    仙石 ポジションといってもたかがベンチャーですし、どうということはないと思いますよ。名前が出ているのも昔から長いことやっているだけですから。まあ、そう思う人が多いっていうのも私なりには分かっているんですけども、ある程度、技術が好きな人であればほとんどの人が、私と同程度のことはできるんじゃないかなって気がします。 もしも、自分にはそんなことができないって思うんであれば、できないと思うことこそが出来ない理由なのかなって思います。自分で自分をけなしてもしょうがないんですけど、私がやってきたことなんて誰にでもできることなんじゃないかなっていうのが正直な感覚なんですよ。ある意味、やる気があればできる世界じゃないでしょうか。

    川井 なるほど。ブログで拝見した「向き不向き」という話もありますし、のちほどその辺りも詳しくお聞きしたいと思います。それでは、まずはコンピュータとの出会いからお聞きしたいと思います。コンピュータとの出会いは中学1年くらいだとおっしゃっていましたけど、学校でという感じですか?

    仙石 そうですね、学校です。世の中にはこんなものがあるんだっていう感じでした。

    川井 それ以前にお父さんが買われたとかはないですか?

    仙石 ないです。うちの親は音楽家でコンピュータに全く縁がない人たちでした。

    川井 そういう家庭で育った仙石さんが学校でコンピュータに興味を持ったきっかけってあるんですか?

    仙石 たまたま通っていた中学校にマイコン部 (当時のパソコンは「マイコン」と呼ばれていました) があって、そこでコンピュータに触れることができたからです。もしマイコン部がなければ興味を持ってなかったと思います。

    川井 マイコン部では多くの方が短時間でコンピュータに群がってらっしゃったって拝見したんですけど、そういう競争率を掻い潜っても触りたいというのは、何に魅力を感じていたんでしょうか? 好奇心ですか?

    仙石 コンピュータを使う順番待ちをしていましたね。それはもう公平に人数で割って、コンピュータが使える時間を部員数で割ったら、 2週間に1度、20分程度しか使える時間が割当てられなかったということです。好奇心というか、触ったことがないから触ってみたい、それだけですね。ただ本当に興味が湧いたのは、初めてコンピュータの入門書を読んだあとだったと思います。

    川井 それはいつぐらいですか?

    仙石 そのマイコン部のオリエンテーションで、 BASICっていう言語を使ってプログラミングをするという話を聞いて、すぐさま本屋に行って、当時一冊しかなかった BASIC の入門書「BASICで広がる世界」(CQ出版社, 1979年発行) を買って、あっという間に読んでっていう感じです。

    川井 それで感動されたと聞きましたが。

    仙石 感動っていうか、すごくやりたいと思いました。

    川井 どのあたりが興味をそそったとか記憶はありますか?

    仙石 プログラムを作ること自体に興味を感じたんで、それ以上でもないしそれ以下でもないし、ただ単にそれをやりたいって思ったっていう感じです。 そういうものってそれまでは世の中になかったんですよ。今でこそプログラミングっていうのは誰しも理解しているし、多分今だとコンピュータにほとんど関係ない人でも、ソフトウェアが何をするものかって分かっているじゃないですか。当時ソフトウェアって言葉は、ほとんど知られていなかったと思います。そういうものが世の中に存在するってことすら分かってなかったんで、専門用語で言うとストアドプログラム、要はコンピュータに手順書みたいなのを入れておくっていうその概念がすごく目新しかったですね。 だから今とは全然状況が違いますね。今では、プログラマーになろうと思わない人ですら、プログラムの概念は分かりますよね。当時中学生だった私にとって、プログラムってのは全く新しい概念だったんです。

    川井 相当早くに、これを仕事でやりたいという風に思ったんですか?

    仙石 早くというか、読んだ瞬間にですね。当時もコンピュータ関連の仕事をしていた人はもちろんいたでしょうけど、私の周囲にはいなくて、概念として全く存在しなかったので、コンピュータ関連の仕事っていうのは想像がつかなかったんです。 なので、中学生だった私にとって、コンピュータを仕事にするっていうのは想像を超えていて、単にそういうことが出来たらいいなと漠然と感じただけです。当時は、それが仕事になるってことすらよく分かってなかったですからね。

    川井 その後、機械語の方に興味を持って、更にハードの方にもって書いてありましたけど。その辺の流れを少し教えていただいてもよろしいでしょうか。

    仙石 中学2年の4月からそのマイコン部に入って、 2週間で20分くらいの時間を使って簡単なゲームプログラムを作りました。何とかその1年間くらいで、正確に言うと文化祭の前くらいだったと思うんですけど、ゲームが一応動くようになって、まあまあこんなもんかって、 BASICについてはだいたい見当がついて、それと同時にBASICの限界というのも当時なりに理解出来たんで、次になにをやるかなぁって思ったときに、「機械語っていうのがすごく速いよ」って言われて、すごい興味を持って、実際になんとかかんとかプログラムを組んでみたんですけど、むちゃくちゃ速くて感動したというか、当時のBASICに比べると雲泥の差だったんですよ。これはすごいって思いましたね。

    川井 なるほど、「速い」と。そのあとハードウェアに興味を持ったのはどういうきっかけだったんですか?

    仙石 当時なんとかかんとか買ったコンピュータが非常に改造しやすかったのが大きかったですね。マニュアルにいきなり蓋の開け方が書いてあったんですよ。それ以前に電子工作はしたことがあって、ラジオを作ったりそういう経験はあったんで、手が出せそうだなっていう感覚はありました。 コンピュータの周辺機器も当時からいろいろ発売されていたんですけど、あまりにも値段が高くて、当時高校生だった私には手が出せなない価格帯だったんで、これはもう自分で作るしかないっていう、そんな思いでした。

    川井 当時は、運動とか趣味とかはそっちのけでコンピュータばかりに没頭していた感じですか?

    仙石 小学生のころから野球をやったり、中学では当然部活に入ってましたから、普通の人と同じくらいスポーツもやっていたと思うんですけど、それで時間が全部使われるわけでもないですね。

    川井 帰ってから夜の時間でコンピュータをいじっていた感じですか。

    仙石 そうですね。あと休日ですか。でもそんなに朝から晩までっていう感じではないですよ。

    川井 大学はその方向に行こうとかなり早めに決めていたんですか。

    仙石 でもないですね。いろんなことに興味がありましたしね。

    川井 学部というか方向的には、どんなところで迷われたんですか?

    仙石 これはちょっと順番が前後するような気もするんですけど、浪人したときに哲学に興味をもって、入門書レベルですが、かなりいろんな本を読み漁ったこともあって、そういう道もあるのかなあと思ったこともあります。

    川井 最終的に情報系に決められたのはどんな理由ですか?

    仙石 多分人気があったからじゃないですかね(笑)

    川井 (笑) そうなんですか!

    仙石 今となっては信じられないと思いますけど、当時情報系は医学部に次いで入試が難しかったんですよ。もちろん医学部の方が難しいんですけど、少なくとも工学部の中ではどの学科よりも合格ラインが高かったですし、なんかよく分からないけどコンピュータ系を目指そうっていう人が多かったですね。なので私も目指した、と。まあ、ミーハーなんでしょうね(笑)

    川井 そんな中で入られると、おそらく子供の頃からやられていると、かなりずば抜けているというか周りの人は触ったことないっていう人ばっかりじゃなかったですか?

    仙石 すごい差が激しかったですね。分かっていない人はとことん分かってないし、分かっている人はかなり分かっているという感じでした。当時は、そこそこコンピュータ関係って人気がありましたから、私以外にも詳しい人も結構いましたよ。

    川井 そんな中で、どんな勉強されたんですか?

    仙石 大学に入ってからは、人文系の授業に興味をもってしまって、 1、2年生の間はずっとそういうことばっかりやっていました。社会学とか哲学とか、そっち方向にすごい興味をもって、ほとんどの人は出席しないところを1人でずっと出席していたので、単位をとるのは非常に楽でしたね。

    川井 哲学とか社会学とかをやられた根底にはなにかあるんですか?

    仙石 私の場合は論理的なことに興味があって、哲学とか社会学の特に理屈っぽいところにすごい惹かれました。

    川井 そうすると数学とかもやっぱりお好きですよね。

    仙石 もちろん、もちろん。 2回生のときに、隣の理学部まで行って数学の授業を受けていました。なんかそういうのが好きなんですよね。だから中学生のときにプログラミングっていう概念を始めて知ったときにすごく惹かれたのも、そういうところに関係があるのかなと思いますね。理屈っぽいことがすごく好きでした。

    川井 大学時代から新しく始めたことってありますか?

    仙石 2回生のときにアルバイト先を見つけました。コンピュータのパッケージソフトを作っている会社で、友人のつてで知ったんですけど、そこにのめりこんで、ひたすらプログラミングをしていました。

    川井 たしかベンチャーで、ソフトウェアのSIですよね。どんなプログラムを書いていたんですか?

    仙石 PC98上の日本語フロントエンドプロセッサ「VJE-β」ってソフトウェアが当時すごく普及していたんですけど、それをMachintoshに移植したいっていう要望があったんです。当時まだまだMachintoshは普及してなかったんで、面白そうだなってことでやってみました。

    川井 ほとんど学校には行かずアルバイトをされていたんですか?

    仙石 3回生以降になるとそうなりますね。かなりサボっていてもなんとかなるっていう気はありましたね。一応独学とはいえそれなりに勉強していたことなんで、要所要所さえ押さえれば楽勝でした。

    川井 いい成績をとるのも易しいっていう感じですか?

    仙石 そうですね。

    川井 すごいですね。ぎりぎり卒業はなんとかなるとは思いますが、いい成績を取るっていうのはなかなか難しいと思いますよ。

    仙石 自慢するとですね、大学入試のときは1番で、院試 (大学院の入試) のときは2番でした。大学入試の点っていうのは問い合わせると教えてもらえるんですが、予備校から発表されるデータと照らし合わせて、私が1番だったことが分ったんです。院試のときは、ずばり順位を教えてもらいました。 1番だったのが2番に落ちてますが、まあさすがにアルバイトし過ぎたかな、みたいな。

    川井 マスターまで出られて、そのあとはすぐに日立に入社されて、研究職に就かれたんですよね?

    仙石 ええ。そうですね。

    川井 川崎の王禅寺でしたよね。いいところですよね。

    仙石 はい。王禅寺には山があって、山の中に寮があるんですよ。なので、その寮から山道を歩いて会社に通勤していました。

    川井 日立で何かやりたい仕事があったんですか?

    仙石 いや、全然(笑)

    川井 (笑)

    仙石 何で日立に行ったかっていうと結構いろいろあるんですが、インターンでNECの中央研究所に行って、全国大会のレベルですけど学会発表までさせてもらい、そこそこ面白い体験が出来て、ある意味だいたい分かったかなって思ったんですよ。今、考えると高々2週間程度のインターンで一体何が分かるかって思いますけどね。インターンを受け入れてくれた会社からすればいい迷惑だと思うんですけど、それで他の会社に行こうと思ったんです。 大学院の研究室の中では、研究所の規模では最大級という理由からNTTの研究所が一番人気でした。だから研究やるならNTTっていう感じだったんですけど、当時、教授推薦っていうのがあって、就職活動をしなくても就職できるんですけど、 1社1人という制限があったったんですよ。 だから同じ会社を希望する人が何人もいると、院試の順位が高い人が優先されるんです。院試2番だった私は、 1番の人が希望した会社以外ならばどこでも好きなところへ行けたんですけど、 NTTを志望する人が多すぎたので、違うところにしようと思ったんです。

    川井 そうなんですか。

    仙石 普通すぎて面白くないなと思いまして。

    川井 なるほど。

    仙石 だいたいやっていることも想像がついちゃったんですよね。それまでもそういうのが多かったので。 Machintoshも、誰もやってないからやってみようみたいな感じでしたし、そんなのばっかりやっていますね。 だからこそみんなに人気があって、大学の研究室と同じことをやっているイメージがあったNTTでなく、インターンでいろいろ状況が分かったNECでもなく、どこにしようかなと考えました。

    川井 で、日立に行ったということですね。

    仙石 そうですね。あと自然環境が良かったという理由もありましたね。

    川井 自然環境は大きいですよね。研究所とか自然の中にあることが多いですよね。

    仙石 私の場合は、そういうのとはまた違うかもしれませんね。研究は室内でするので外はどうでもいいっちゃいいんですよ。ただ、そういうところに住んだことがなかったから、みたいなことはあったかもしれません。会社に入ってからテニスを始めたんですよ。寮のすぐ隣にテニスコートがあったので。 7月~10月とかは定時に速攻で寮に帰って、テニスを日没までやり続ける、そんな毎日でした。

    川井 やったことがないことにトライしていこうって、そういうお気持ちが強いですね。

    仙石 でもだいたい、やり方が分かっちゃうと、もういいやって気になるんですけどね(笑)

    川井 日立には何年ぐらいいらしたんですか?

    仙石 8年弱です。

    川井 ずっと王禅寺ですか?

    仙石 最後の1年は、王禅寺から横浜へ通いました。所属は、ずっとシステム開発研究所ですけど、王禅寺と横浜に半分ずつくらいシステム開発研究所の研究部署があるんですよ。ネットワーク関連の研究をやりたくなったので、横浜の部署への異動を希望しました。

    川井 ヘッドハンティングされたと伺いましたが?

    仙石 ヘッドハンティングというか、よくある転職エージェントですよ。

    川井 いきなり電話かかってきたんですか?

    仙石 ええ。席を外していて戻ったら、同僚から「外人から電話があったよ」っていわれたんですけど、外人に知り合いはいないんだけどなと思っていたら、また掛かってきて。転職エージェントがそういう電話を掛けまくっているということを知らなかったので、なんだろうこれはっていう感じで誘われるままにオフィスに行ってみました。

    川井 好奇心で行ってみたんですね。

    仙石 知らないことには首を突っ込んでみるというタチなもので(笑)

    川井 サイバードさんを紹介されるまで、何社か面接に行っていたんですよね。サイバードに決めたのは、面接官と気が合ったっていう感じなんですか?

    仙石 もちろん気も合ったんですけど、初めて紹介された外資系じゃない会社だったんですよ。転職コンサルタントが外国人で、外資系中心に転職斡旋を行なっていたエージェントだったんで、それまで外資系の会社ばかり紹介されていました。 当時はまだネットバブルが膨らんでいる頃で、外資系の会社が撤退する前だったんです。そういう会社が盛んに人を雇っていたんで、転職エージェントもどんどん外資系の会社を紹介していたんです。

    川井 当時はすでに転職する気分になっていたんですか?

    仙石 どっちかっていうと好奇心ですね。まだまだ転職するつもりもなかったんですけど、日立で同じことをし続けるつもりもなかったですね。

    川井 いいところがあればっていうステータスですか?

    仙石 いいところがあればっていうよりは、どういう形か分からないけれど脱出したいっていう感覚でした。ネットワーク分野に興味があったんですけど、異動した先がテレコムネットワークの研究部署だったんで、テレコムとインターネットとではまるっきり違いますから全然興味がもてず、これはもういかに脱出しようかと、そんな感覚でした。

    川井 大企業だと異動が希望通りにならないのはしょうがないですよね。

    仙石 当時、インターネットの位置づけがまだまだ低かったですね。 TCP/IP はいずれもっとマトモなネットワークで置き換えられると当時は考えられていました。 実を言うと、日立の最初のWebページは社内の有志で立ち上げたんですけど、私もそれに加わったんですよ。これからの企業は Webページくらいは持っていないと、いずれ恥ずかしいことになるって社内で力説して、全然本業と関係ないんですけど、本社に行って、そういう部署のメンバーと一緒に最初の Web ページ作りに励みました。 研究所なんで、当時としては珍しく所内に TCP/IP のネットワークがあったんですけど、まだそれが商売になるっていう感じではありませんでした。

    川井 それを商売にしているところに是非行きたいという感じだったんですか。

    仙石 そこまでは考えていなかったと思います。脱出して面白いことが出来るところに行きたいと、そんな感覚でした。

    川井 それがサイバードならできそうだって思われたんですか?

    仙石 できそうだっていうか、やってみようって思いました。そもそもベンチャー立ち上げっていうのは想像だにしていなかったので、どんな感じだろうっていう好奇心もありました。

    川井 こちらは何年くらいいてケイラボラトリーという形になるんですか?

    仙石 私が転職したのが2000年の3月上旬です。そこからずっと分社・独立の準備をやっていて正式に分社独立したのが、同じ年の8月1日です。

    ベンチャーのステージで

    川井 どうでしょう?ずっと大企業でやられて、ベンチャーを立ち上げるっていうのは?

    仙石 あまり変わりはなかったですね。

    川井 そのあたりがすごいですよね。

    仙石 いや、だって大企業っていってもほとんど1人で仕事をしていたわけですから。日立にいたときは面接なんてしたことがなかったので、ベンチャー立ち上げにあたって毎日のように何人も採用面接したりするあたりは大きく変わったところですけど、技術的なことを突き詰めていくってことに関しては、なにも変わらんですよね。

    川井 そのあたりは、今でも変わらないってことでしょうかね?

    仙石 変わらないですね。

    川井 それを一貫して持てることがすごいことだと思いますよ。

    仙石 そうなんですか?

    川井 環境に翻弄されたりっていうことが多いじゃないですか。

    仙石 逆に言うと、私に言わせたら自分のやりたいこと以外のことをやるから、環境に翻弄されるんだよって言いたいですけどね。 私の場合、やりたいことが最初からずっと同じなんで、環境がどうのこうのなんて関係ないっていう感じです。仕事としては、面接したりマネジメントしたりもあるんですけど、あくまでもそれは興味の赴くままにいろいろやってみる一環で、例えば大学に入る前に哲学に手を出した、ある意味それと似てるんですよ。 いろんなことに興味をもってやる、ベンチャーを立ち上げることに興味を持っていろいろやる、そういうなんか、枝葉っていうと失礼だけど、枝葉的な何かをかじったりってことは、もちろんその都度やってはいるけれど、本当にやりたい中核の部分は変わらんという感じです。

    川井 そこを枝葉と割り切るかですね。

    仙石 枝葉と言いながら、大学の教養課程なんかも、当時は本当に真面目にとりくんでいたんですよ(笑)講義のノートをみんなにコピーさせてみたいなこともやっていました。

    川井 ブログで拝見していて、「向き不向き」のところで、「向く人」は20人に1人しかいなくて、「向かない人」は早目にジャッジをして別の道を歩むべきだという話があるじゃないですか。あのあたりと通じるということですよね。

    仙石 絶対そうだと思いますよ。どんな人でも、自分に向いている分野ってきっとあるはずだと思うんです。向いていることを見つけた人と見つけられなかった人との違いがあるだけで。向かない人は早目に諦めた方がいいって言っているのは、自分の本当に向いていることがまだ分かってないだけじゃないの?向いていないことに嫌々しがみつくよりスパッと諦めて向いていることを早く見つけたほうがいいんじゃないの?っていうことを特に言いたいんですよね。 どうせやるんだったら、自分に向いていることを早く見つけて、それをどんどんやっていったほうが絶対幸せになれると思うんで、今やってることにあんまりこだわらないで欲しいと思います。 そして、向いていることを見つけようとするときは、いま世の中的にどういう商売が流行っているかなんてことには、あまり捕らわれないで欲しいなと思います。私自身、中学生のときに世の中で今流行っている仕事、なんてこだわっていたら、コンピュータなんて出来ませんでしたもん。 (汎用機はともかく)パソコンがお金になるなんて誰も考えなかった時代だったし、むしろ逆にお金がかかりましたからね。 お金がかかるからこそ、そのお金を節約するために、自分でハードを改造していくとか、買うと思い切り高いから自分で作るとか、そういうことをしていて、それでもやりたいみたいなそんな感じだったわけです。 なので、何をやると儲かるからとか、そういうことよりは自分のやりたいことをやった方がいいんじゃないかなって思うんですよ。あと、中学生、高校生のときから実際に働くときまでに十何年あるじゃないですか、その間に世の中変わりますよね。

    川井 確かに変わりますよね。

    仙石 私が中学生の頃はパソコン(当時の呼称はマイコン)なんて誰も注目していなかったし、パソコンが役に立つなんて誰も思っちゃいなかったんですけど、就職する頃になったらえらく状況が変わっていたわけです。 なので、興味をもった時点では世の中的に全然注目を集めてなくても構わないし、将来こんなことしたらお金を稼げるんじゃないかとかは、あんまり考える必要はないんじゃないかなって思うんですよ。

    川井 なるほど。ちなみに「向き不向き」の中でいうところに、「才能」っていう概念も含まれてらっしゃるんですか?

    仙石 多分「才能」じゃないと思うんですよね。才能というよりは、好きだから努力を努力と思わないということなんじゃないかなって思います。 傍からみると努力しているように見えるだけなんですよ。例えば私の場合、電子工学の入門書とか、ぶっちゃけ大学生が読むものを中学生が読んでいるわけなので、傍目からみるとすごく勉強しているように見えるんですけど、やってる本人としては面白いからやっているだけだったりするので、全然努力と思ってないんですよ。

    川井 分かります。

    仙石 努力と思わないで夢中でやってしまうってのが、才能っていえば才能なのかなと思います。だからまあ、私もコンピュータに関してはそこそこ詳しいつもりですけど、もともとそういうのが得意だったということではなくて、そういうのに向いていたからでもなくて、単に好きだったからやり続けていただけじゃないのかなって思います。 だからプログラミングもそこそこ人よりは出来るつもりですけど、そういう才能があったというわけではなくて、ひたすらコーディングしていたからっていうのが大きいと思うんですよ。そりゃあ、中学時代からひたすらコーディングし続けていたら、能力がなくても身に付くわっていう感じですね(笑) 努力と思わずにしちゃう、そういうのが向いているってことなんじゃないかなっていう気がするんですよね。

    川井 エンジニアでも実際には、家に帰ったらパソコンから離れたいっていう人も、実際多いですよね。

    仙石 好きなことがあるんだったらそっちやろうよって思いますね。無理やり努力したってタカが知れてます。

    川井 つい手が伸びちゃう、つい見ちゃうみたいでないと「向いていない」ってことですね。

    仙石 油断しているとやっちゃうみたいなのが「向いている」条件じゃないですかね。

    川井 それ大事ですよね。

    仙石 当時、コンピュータの本なんてすごく高かったですからね。特に中学生にとっては、とんでもなく高価だったんで大変でした。でも、読みたい、買いたいという気持ちは強かったし、せっかく買ったんだから無駄にはすまいと、繰り返し繰り返し読みましたね。 プログラミングの教科書なんかでもですね、 BASIC, 機械語, アセンブリ言語, Lisp, Prolog の次に学んだのが C だったんですが、最初に買った C の入門書「C -言語とプログラミング-」(産業図書, 1982年発行) が、今から見ても難解な本で、当時の私には全然歯が立ちませんでした。せっかく買った高価な本なので無駄にはすまいと、何度も何度も読み返したんですけどどうしても理解出来ないんですよ。 それで、これではいかんということで、カーニハン&リッチーの「プログラミング言語C」っていう昔から C のバイブルといわれている本を見つけて読んだら、むちゃくちゃ分かりやすくて衝撃を受けました。 今の感覚だと、カーニハン&リッチーの本が一番難しくて、もっと簡単な本ないの?って言って、お手軽な入門書を読むのがフツーだと思うんですけれど、私の感覚だと、その前に何度読み返しても分からない本を読んでいたので、カーニハン&リッチーの本がとても易しかったんです。今の人の感覚だと、カーニハン&リッチーより難しい本なんてありえないという感覚ですよね? でも私の場合、カーニハン&リッチーが易しすぎると感じるくらい難解な本ばかり読みあさっていて、当然一読したくらいでは全く理解できないので、何度も何度も読むわけです。でも、それも好きだからであって、決して努力をしているということではないんですよ。

    川井 第12回の武勇伝で登場いただいた日本IBMの宮下尚さんという大和研の研究員の方が、 Emacsのソースが理解できなくて、ずっと読んでいたら、半年後くらいに突然分かるようになったって話をされていたんですが、その話に似ているなって思いました。

    仙石 なるほど。ソースを読むって話でいうと、高校生の時に Prolog(プロローグ, 論理型言語の一つ) に興味を持って、例によって結構難しい入門書「Prolog」(産業図書, 1983年発行) を読んだら、その本には巻末に Lispで書いた Prolog の処理系が付録としてついていたんですね。長い Lisp プログラム (といっても 168行ですが) を読むのは初めてだったんで、最初は全然歯が立たなかったんです。どんな処理をしているのかとかも全然説明がなくて、ソースコードがついていただけなんですけど、意地でも何とか理解してやりたいって思って、ひたすらそのソースコードを繰り返し繰り返し読み続けました。

    川井 ブレイクスルーするためには、そういう何か1つのもの集中するというか没頭して克服するというタイミングってあるんでしょうかね?

    仙石 あるでしょうね。あと、そもそもあまり誰もやっていない分野だったから、易しく書こうという気が書く側になかったんでしょうね。今みたいに可能な限りやさしく書こうなんていう発想はない時代でした。

    川井 今だと、プログラミングをまったくやったことがない人でも分かるみたいな書き方さえしている本もありますよね。

    仙石 さらに言うと「向いていない人」にも分かるものだったりしますね。意地でも理解してやるっていうモチベーションがない人でも、読んだらなんとなく分かるみたいな本ばっかりですよね。そういう状況下でプログラミングが分かった (つもりになった) だけで、大してプログラミングが好きでもないのにプログラマになってしまうと、不幸だろうなと思いますね。

    川井 楽しめるかっていうとそうではないですよね。最近だとプログラミングを本当に突き詰めたいって方もいれば、事業の手段にしたいというベンチャーの方も多いですよね。

    仙石 明確な目的があって手段としてやるのは構わないと思いますよ。このアイデアを形にしたいけれど、人を雇えないから最初は自分でプログラミングするっていうのは、全然いいと思います。ある程度事業がまわるようになれば、すぐ自分ではプログラミングをしなくなるでしょうから。そうじゃなくて、雇われプログラマーとかで、好きでもないのに給料を貰う手段として嫌々やる、それは時間の浪費以外の何物でもないと思うんですよ。

    川井 そうですね。あまり好きじゃないし、苦しいんだけど、この仕事しかないんですって人に会う機会は多いですね。

    仙石 この仕事しかない、なんてことは、決してないと思うんですけどね。何で嫌なのによりによってプログラミングを仕事にするのかって言いたくなります。

    川井 私もそれは同意見ですね。社員にも転職の相談にくる方にも、プログラミングが本当に自分に向いているのか 20代で見極めた方がいいと言っていますね。でも、他にやりたいことが見つからないって声も結構あるんですよね。

    仙石 そんなことはないと思いますよ(笑)

    川井 特に30歳過ぎてからは多いですね。

    仙石 30歳過ぎてからでは遅いですよ。もっと早い段階でやりたいことを見つけないと。新卒の段階だったら、どんな職業でもやる気さえあれば雇ってもらえると思うんですよ。 30歳を過ぎて他にやりたいことがみつからなければ、仕方がない場合もあるかもしれないですけど、そうなってしまう前にできればやりたいことを見つけて欲しいですね。

    川井 日本の企業は、技術者を囲ってしまって、 35歳までは技術だけをやらせて、 35歳になったら技術は終わりみたいな、そんな仕組みが出来ちゃってるような気がするんですよね。日本の企業だと技術職で管理職くらいの給料をもらえることが少ないですよね。

    仙石 少ないんですかね。嫌々やっている技術者に払う給料は高くならないと思いますけど、好きでやってればいくらでも道は見えてくると思いますけどね。社内に拘らなければ、いくらでもあると思いますよ。うちだって技術が好きだって本気で言える人なら喜んで採用しますし、マネジメントは嫌いだけどコンピュータは誰よりも好きだって人が、管理職より高い給料をもらってるケースもあります。

    川井 多分この辺がまだ、日本の企業には浸透してないと思うんですよね。去年、楽天さんがエンジニアの専門コースみたいな評価制度を作って結構話題になったんですけど、そういうものが話題になってしまうところが日本の問題だと思うんです。

    仙石 いま勤めている会社に拘らなければいいのにと思うんですよ。いや、なんていうか、世の中の大半がそういう技術者のコースがなくって、マネジメントをやっていかないと給料があるところから伸びなくなる、そういう会社ばっかりでも、エンジニアのスキルを高く評価する会社が皆無というわけでもないのですから、自分のスキルをきちんと評価してくれる会社を探し出して転職すればいいじゃないですか。会社に不満をもっているのに、嫌々仕事し続けるばかりで逃げ出そうとしないのはなぜなんでしょうね。私の場合、新卒で入ったのは日立ですけど、少なくとも定年まで日立にいるつもりは入社当時から全くありませんでした。

    川井 自分のやりたい方向に突き進んでいくということですね。

    仙石 そんな大げさな話ではなくて、別に、いまの会社にこだわる必要はないというだけのことですよ。活躍できる場があれば、そこに移ればいいし、なければ探せばいいじゃないですか。

    川井 すごく自然体でいらっしゃるんですね。そういった部分に構えてしまう方が多いと思います。

    仙石 まあ、極めなくても生活には困らないですしね(笑)好きだからやるってだけのことです。

    川井 すべてをシンプルに捉えてらっしゃいますよね。

    仙石 無理をしていないっていうか、遊んでるだけっていうか、そんな感じですね。大学の頃も興味があったからいろいろやったけど、それでなにか極めようとかそんな大それたことは全く思ってなくて、先人が打ち立てた理論とかが面白いから勉強してみようって、そんな感じで興味津々でやるんだけど、飽きちゃえば飽きちゃったでやめちゃいますからね(笑)

    川井 そう生きられれば、大変だとか、苦労するってことも少ないし、ストレスもほとんど感じないですよね。

    仙石 そうですね。

    川井 極論しちゃうと、好きじゃない方にはこの仕事は向かないって言えちゃうと思うんですけど、とは言ってもある意味、それじゃあ、世の中成り立たない部分もありますよね。

    仙石 確かに成り立たない部分もあると思います。だからこそ世の中的に嫌々仕事している人ももちろんいるし、それを利用して会社っていうのは回っていることも否定しないんですけど、そういう人たちに、是非自覚して欲しいなと思うのは、このフラットな世の中だと、嫌々仕事をしていると競争相手があまりにも多いんですよ、ということなんです。 生活のために嫌々やっているっていう人は、それこそ世の中にいくらでもいるんです。そういう人たち同士の競争なんですよっていうのは自覚して欲しいなと思いますね。だから今、派遣とか問題になっていますけど、生活費を稼ぐために派遣社員を嫌々やっている人が大勢いるからこそ、すごく競争が激烈になって、どんどん給料が下がるみたいな構造があると思うんです。 そんなすごい競争をしたいのか?って思いますね。私なんかは負け戦が大嫌いですから、そんな勝てる見込みのない競争は何としてでも避けようとします。

    川井 得意分野で勝負した方がいいってことですね。

    仙石 競争の少ないところで勝負しようってのが普通の戦略だと思うのですが、多くの人がそう考えないのはなぜなんでしょうね?なぜか競争の一番激しいところに行っちゃうんですよ。

    川井 なかなか腹決めができないケースが多いように思えますね。家族がとか、本当に大丈夫なのかとか。

    仙石 そうなってしまってからは残酷ですけど、どうにもならないんで、そうなる前にどこで戦うかを選ばないといけないですよ。そうなる前なら、いくらでも抜け出すチャンスはあるのにと思うんですよね。自分が何が出来るかじゃないんですよ。何がやりたいかだと思うんです。何が出来るかで職業選んじゃうと、ろくなことにならないと思うんですよ。

    川井 やりたいことを若い頃に発見できるかっていうことですよね。そしてそこに踏み込めるかなんでしょうね。

    仙石 いやあ、発見できると思うし、制約とかなければ踏み込めるんじゃないですかね(笑)

    川井 (笑)自信がないっていう話も聞きますけどね。

    仙石 自信なんて関係ないですよ。何が出来るかじゃなくて、やりたいかやりたくないかなんだから、自信なんて言葉が入る余地は全くないんですよ(笑)

    川井 分ります。でもそこが多分、仙石さんと普通の方との違うところなんでしょうね。

    仙石 いや、だから不思議なのは、私を目指せないっていう人がいるのが信じられないくらいで、別にやれば出来るじゃんと思いますよ。だって何も難しいことはしていませんからね。

    川井 私も仙石さんの言うような考えでずっとやってきたんですけど、やっぱり周りにはやりたいことが見つからないっていう友達とかが結構いましたね。

    仙石 確かに今から1年以内に見つけようと思っても見つからないと思いますけど(笑)だけど、例えば20年、30年生きてきていたら、見つかっているでしょうって思うんですけどね。

    川井 確かに本来でいうと、見つけているはずですよね。

    仙石 見つけることの障害になるようなことはしちゃいかんよねっていう、そっちじゃないかなって思うんですよね。私が今、振り返ってみて、もし私に能力があるっていうなら、「飽きっぽい性格」という部分かなと思います。 何をやるにも好きなこと以外は飽きるんですよ。小学生の高学年の頃、インベーダーゲームが流行ったんですけど、私は一瞬で飽きたんですよ。下手だったからですけどね。友達とかはすごく熱中していたんですけど、私は本当にすぐに飽きましたね。

    川井 確かにそれは才能ですね。

    仙石 そうかもしれないですね。何をやってもすぐ飽きるから、本当に好きなことが見つかっちゃうんですよね。だから、好きなこと以外は全くのめりこまなかったです。大学生になった頃にファミコンが流行り始めていて、友達の家に行ってやっていたんですけど、本当にもたなかったですね。 1時間もやったら飽きるんですよ(笑)

    川井 本当に分かりやすいですね(笑)

    仙石 熱しやすく冷めやすいというか、あんまり熱しないんですけどね。何をやるにも飽きっぽいから、やりたいことに収斂しちゃうんですよ。

    お金も時間も足らないはずがない

    川井 そうなるとお金も時間も気持ちも何もかも好きなものに突っ込めるので、上達しますよね。

    仙石 飽きないで、ずっとゲームをしていたり、テレビをみていたら、そりゃあ時間なんてなくなりますよね。

    川井 お聞きしていると、飽きるというのは、才能だと思えるようになりました。少なくとも、幸せになるための大きなファクターだとは思います。

    仙石 世の中的には「飽きっぽい」っていうのは、あまり良くないことと思われているようですけどね(笑)

    川井 でも、捨てる勇気があるってことですよね。

    仙石 勇気っていうか、本当に飽きちゃうんです(笑)

    川井 (笑)

    仙石 だから、世の中的には真っ当なことでも飽きてしまうんです。論文を書くのでも飽きちゃう。一本書いたらもういいやみたいな、そんな感じですよね。数学の勉強も途中まではワクワクしながら勉強していたんですけど、能力不足なのもあって飽きちゃって、これ以上進めないみたいなことになったりしましたね。社会学にせよ哲学にせよ、そんな感じでした。

    川井 今日、お話を聞いて思ったんですが、ブログでお書きになっていたこととか全部、この話に集約されていますね。すごくよく分かりました。

    仙石 根本的に怠け者なんで、やりたいことしかやらないだけかもしれないですけどね(笑)

    川井 多分、若い方から見ると、なんでそんなことが出来るんだろうっていう風に映るんじゃないかなって思いますね。

    仙石 好きでもないことを止めたら、いくらでも時間はできると思いますけどね。私に言わせたら、何で好きでもないことをやるのかなって感じですよ。

    川井 それは私も同感ですね。

    仙石 森さんは、どうですか?

    僕もあまり好きなこと以外やってきていないですね。

    仙石 それはすごくいいことですね。

    嫌いなものは嫌いですって切っちゃいますから。

    仙石 でも、そうしたら好きなもの絶対見つかりますよ。

    そうですね。でもまだいくつかいいなあと思うものがあって、どれが本当に好きなのかっていうのが分からない状態です。

    仙石 そうしたら、片っ端からやってみればいいじゃないですか。だって、世の中には、好きなものか嫌いなものかしかないですからね。好きなことからやって行けばいいじゃないですか。好きなことが幾つかあるとかじゃなくて、私の場合、好きなことがあったらやってみるんですよ。やってやって、あるとき飽きちゃうみたいな感じなんです。だから、今、嫌々やっている仕事を辞めたら生活できなくなるってなっちゃう前に、やりたいことを後回しにせずにやろうよって思いますね。

    川井 じゃあ、森君、もう時間ないよ(笑)。
    そうですね(笑)

    仙石 少なくとも独身だったらそういうことが出来ると思うんですけどね。

    川井 そりゃ、できますよね。でも奥さんがいても、了解をもらってくればいいじゃないかと思うんですけどね。

    仙石 それはそうですね。あと、何でお金がなくなるんだろうって、そっちも不思議なんですよ。日立ってそんな高い給料じゃないと思うんですけど、入社当時、お金ってそんなに必要じゃなかったから、あの安月給でもお金が貯まって仕方なかったんです。お金が貯まらないって人は、好きじゃないことにお金を使っているんじゃないの?って思いますね。 例えばですね、すごく不思議だったから今でも覚えているんですけど、同期入社の人が、入社早々、みんな車を新車で買ったんですよ。もちろん好きだったら、買ってもいいと思いますよ。レーサーを目指しているとか、峠を攻めたいとかっていう人は買ったらいいと思うんです。でもそんなに好きでもなくて、たまにしか車を使わないような人でも、みんな車を買ったんで、不思議だなと思いましたね。私に言わせるとありえないんですけど。みなさん、好きでもないことにばっかりお金を使っているんじゃないですかね。

    川井 それはそうかもしれませんね。

    仙石 そういう人たちがですね、お金がないから仕方なく働くって話になるわけです。それが私的には不思議でしょうがないんですよ。好きでもないことにばかりお金を使ってお金が足らなくなって、お金がないから好きでもない仕事をする... つまり、ずーっと好きでもないことばかりしているわけですね。

    川井 (笑)

    仙石 だから、好きなことにしか使わなければ、時間もお金も余ると思うんですよ。

    川井 おっしゃる通りだと思いますね。幸せに生きるコツがよくわかりました。さて、そんなこんなことを言っているうちに2時間もたってしまいました。今日は本当に面白いお話がお聞きできて楽しかったです。しかし本当に筋が通っているというかすごい方だなって思いました。ありがとうございました。

    仙石 こちらこそ、ありがとうございました。



    次に紹介したのは→山本勇氏(SIMPLE) 
  • プロフィール仙石浩明 氏

    1966年生まれ。京都大学大学院工学研究科情報工学専攻修了。株式会社日立製作所で遺伝的アルゴリズムおよびネットワーク基盤技術の研究に従事。1997年に情報処理学会山下記念研究賞受賞。1998年、電気学会先端システム技術の産業応用調査専門委員会委員。2000年、KLab株式会社取締役CTOに就任。1995年以来、TCP/IPパケットリピータ「stone」や、Palm上の時刻表ツール「Time Table Viewer」などを開発・発表する。また、堅牢で安定したサイトgcd.org を運営し、会員にサービスを提供。そこで得たサーバー構築ノウハウを日経Linuxで2000年4月から2年間連載

    仙石浩明の日記 http://sengoku.blog.klab.org/
    KLab株式会社 http://www.klab.org/

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