- 第31回 天野龍司氏 株式会社RYUS代表取締役

- 今回は、Webエンジニア武勇伝第25回に登場頂いた山本勇氏の紹介で、株式会社RYUSの代表取締役・天野龍司さんにお話をお聞きしました。天野さんは古くからXOOPSに携わり、XOOP Cubeを用いたビジネスおよび著作本を出されるなど、その分野では大変ご活躍されています。今回は天野さんに、XOOPSに至るまでの非常に面白い経験から、XOOPSを軸にビジネスを展開される経緯と、今後の展望についてじっくりお話を伺いました。※取材日は、2008年6月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。
-
コンピュータに目覚めたきっかけ
川井 宜しくお願いいたします。天野 はい、宜しくお願いいたします。
川井 ではまず、パソコンとの出会いをお聞かせください。当時は「コンピュータ」って言ったほうが正しいのかもしれないですけど、最初はいつぐらいに、どういったものに触れられたんでしょうか。天野 一番最初っていうと中学1年ぐらいの時かな。ゲームセンターに行き始めたのがその頃なんですが、「コンピュータって面白そうだ」というのがあって、最初にNHKのマイコン入門だったか、あれを見てBASICなんかを覚えました。
川井 なるほど。ちなみに今おいくつですか?天野 39歳です。
川井 じゃあほとんど私と変わらないですね。昭和44年生まれですか?天野 はい、44年生まれです。
川井 私は早生まれの昭和45年生まれなので、同じ学年だと思います。同じ年代ですね(笑)天野 そんな感じですね(笑)
川井 先ほどのNHKマイコン入門というテレビ番組ですけど、人によっては見ること自体なかなか難しいんじゃないかと思うんですけども、きっかけなどあったんですか?天野 多分ゲームをやっているうちに、自分でも作りたくなったんだと思うんですよね。それでコンピュータっていうものを覚えてみようと思ったんだと思います。今では何で(プログラミングを始めようと)思ったのか、正直なところはっきり覚えてないですね。
川井 自宅には既にコンピュータはあったんですか?天野 その時は無かったです。あの頃だと店頭で触れることが多かったので、電器屋さんとか行っては置いてあるやつでちょっとプログラミングしてみたりだとか(笑)
川井 なるほど(笑)本も横にあったりしましたもんね。天野 そうですね。
川井 じゃあそれ(本に載っているプログラムコード)を打ち込んでみたりだとか。結構皆さん同じところからスタートしてますね。天野 そうですか。
川井 結構伺うとそういうケースが多いですね。で、これが中学生ぐらいの時だったんですね。天野 そうです。中1ぐらいですね。で、その時はあまりやらなくて、ちゃんとまともにプログラムを組んだのは高校にあがってからですね。
川井 今度は自宅でパソコンを買われて・・・?天野 工業高校で電気科に入ったんですけど、私が入った年あたりに関数電卓からポケコンに変わったんですよ。で、ポケコンで一応BASICが組めるから、それでちょっとやり始めたんですね。授業でもポケコンのBASICの授業があったりしたので、コマンドを見ながら「こんなことが出来るんだ」なんて言ったりして、簡単なゲームを作ってみたりしました。昔よくあった、タイピング系のものですとか、あんなものを一行しかないディスプレイでやっと作って・・・それが最初ですね。
川井 なるほど、ポケコンですね。周りの方もそういう方が多かったんですか?天野 クラスにもう一人だけいたんですよ。で、二人で色々ゲームを作ったりしてましたね。
川井 あまり運動とか他の趣味は無くて、完全にコンピュータの方に集中してたんですか?天野 ええ、運動は全然駄目です(笑)
川井 その当時のインドアな趣味というと、パソコンかアニメですね(笑)天野 そうですね、私は完全にアニオタだったので(笑)
川井 そうですか(笑)当時はメジャーなものだとガンダム全盛時代ですよね?天野 そうです。ガンダムの後にストーリー系のアニメが結構出てきて・・・マクロスとか、バイファムとか、ボトムズとか・・・あの辺にどんどんはまっていったほうですね。
川井 なるほど。結構そういうヒーローものとかロボットものが多かったですか?天野 そうですね、結構多かったです。そういうストーリーものが増えてきて。
川井 ガンダムからですよね。独立戦争みたいな、善悪じゃないものが増えてきたのって。天野 そういうものが新鮮ではまっていったという感じですね(笑)
川井 じゃあ、アニメディアとか見てたんですか?天野 はい、買ってました(笑)
川井 懐かしいですね。天野 中学生の時はアニメと、あとはゲームセンターに行くみたいな(笑)お小遣いもらうと、その日のうちにゲームセンターで使ってきちゃうみたいな感じでした。
川井 中学の時はゼビウス全盛ですよね。あとはギャラガとか。天野 ゼビウスで完全にはまりましたね(笑)ゼビウスをやって、「自分でもゲームを作ってみたい」と思うようになりました。
川井 当時はボタンが2個あるっていう初めての発想にびっくりしましたよね。天野 あと画面が少し3Dっぽいのも斬新でしたね。
川井 隠しキャラが結構出てくるのも斬新でした。天野 本当にはまりましたねー。あの頃ゼビウスをやって、いつか「完全に3Dにしてみたいな」と思ったんですよ(笑)そしたら、その何年か後に3D版が出たじゃないですか。「ああ、やっぱり同じこと考えてる人いたんだ!」と思いました(笑)
進学・就職と、能力と報酬のジレンマ
川井 工業高校に行かれたのは、その道に進もうと思われてですか?天野 そうですね。プログラムで食っていきたいなと思いまして。
川井 当時って「プログラミングを職業にする」っていうイメージがあまり無かったと思うんですけど、そういうきっかけがあったんですか?天野 イメージといいますか、ゲームを作ってそれでメシを食っていこうと思っていたのと、あと実家があまり豊かな方ではなかったので、早く働きに出たいと思ってたので、普通科ではなく工業科に行って働ける道を探そうという気持ちがありました。
川井 そうすると、高校を出たら就職しようと思っていたんですね。最初はどんな仕事に就かれたんですか?天野 本当はゲーム業界に行きたくて面接に行ったんですが、不採用でした。そこで、愛知県の自宅から車で30分ぐらいのところにある、車の工場ラインで使う制御機の会社に就職しました。
川井 随分違う方に行きましたね。天野 そうですね。最初ゲーム業界に入れなかった時に、就職をあきらめて専門学校に行こうかと考えてたんですけど、そうは言っても仕事しないとまずいといのがあって・・・たまたま同じ高校の1年上の先輩がその会社にいるのを聞いて、話を聞きにいってそのまま就職を決めたんです。
川井 エンジニアとしてですよね。では制御系のシステムも作られたんですよね。天野 そうですね。Z80のワンボードを使ってアセンブラでシステムを組んだり、リレー制御もやりました。6年近くいましたね。やめる1~2年ぐらい前から、やっとMS-DOS上のBASICだとか、Cが出てきましたね。
川井 なるほど。そうすると、プログラミングスキルとしては基礎的・中枢的なところを最初に学ばれて、逆に良かったのかもしれないですね。天野 そうですね。Cは高校の時から本見ながら勉強してたんですけど、仕事でやれた時は嬉しかったですね。
川井 会社をお辞めになったのはどんなきっかけだったんですか?天野 仕事が段々嫌になってきて、ちょこちょこ会社を休むようになりまして(苦笑)。社長と仲が良くて、「独立したいんだ」という話をしてたんです。技術者って、出来る人ほど短時間で色々出来るじゃないですか。そうすると、残業手当が少なくなってどんどん給料が安くなってしまうんですが、それが凄く嫌だったんです。同期の社員が5人いたんですけど、その中で「俺、絶対一番仕事してるよね」って思ってたんですが、それなのに一番給料安いんだっていうので段々やる気がなくなって、会社を休みがちになりました。そんな時、社長が「独立するか?」と言ってくれて、二つ返事で「独立する」と答えました(笑)で、しばらく外注みたいな形でやっていました。
川井 個人事業主という形ですね。その頃24~5歳ですよね。結構度胸がありましたね。天野 前からやってみたかったんですよね。18歳で就職した時も、そういう気持ちはどこかにありましたね。
川井 ではその会社から仕事を請け負ってやられていたんですね。天野 でも、その仕事も、従業員の頃にコーディングしたものの保守の仕事はきたんですが、新規案件はまったく来なくて、あっという間にメシが食えなくなりました(笑)まだその当時は、自分で営業するという発想がまったくなかったので。結局半年ぐらいで辞めてしまいました。
他業種経験時代・・・裁量労働の面白みと苦労、才能の開花
川井 まだこれは愛知県にいらっしゃる頃ですよね。天野 そうですね。その後に就職した先がタクシー会社でした。
川井 えーっ?!そうだったんですか。ちょうどその頃というと、バブルが弾けたころですよね。天野 そうですね。もう他のドライバーの話を聞くと、「儲からない」っていう話ばかりでしたね。
川井 不景気になると、タクシーの運転手が増えるっていいますよね。天野 そうですね。あと自分で会社やっててこけちゃって、タクシードライバーになるっていう人も結構いましたね。
川井 実際やってみると結構大変ですよね?天野 大変でしたけど、歩合で稼げることが楽しい、と思えました。それまでは時間で働いていくら、という話だったのが、どこで待つかとか、お客さんがいない時間帯を見計らって食事を摂ると、時間のロスが少ないだとか、工夫次第で色々稼げましたからね。
川井 なるほど。これは凄いですね。エンジニアが他業種の勤務体系と比較するってなかなか無いですからね。天野 あの時タクシー業界に行かなかったら、今こういうことをやってないですね。基本的に人と話すのが苦手で、それでコンピュータのほうに行ったというのがあったので・・・タクシーの運転手になる時は、「人と話すことになる」っていう事が頭から抜けてたんです。車を走らせてお金を貰えばいいんだ、とだけ思ってて、「お客さんと話すことになる」ということに全く気付きませんでしたね。実際に仕事をし始めたら、お客さんに話しかけられるじゃないですか。で、応対しているうちに「あれ? 俺意外と話せるな」と気付いたんです(笑)それまでは人と話すなんて全く出来ないと思ってたんですが、完全にそれが思い込みだったんですよね。タクシーの運転手になったからこそ気付けました。
川井 それは大きいことですね。人と話すのが苦手だと思っているエンジニアにこれを伝えたら面白いですね(笑)天野 まず人と話す機会を何かで持つのって、いいと思いますね。
川井 なるほど。それは凄く勇気付けられる話ですね。話せない人はまず相手の目が見られないですよね。タクシーの運転手さんはお客さんの目を見なくてもいいから、それが話す訓練になるかもしれないですね。天野 後ろからなので目を気にしなくていいですからね。
川井 コミュニケーションが苦手というと、まず目のやり場とか、目線の置き場が分からないみたいなんですよ。それでこっちが遠慮して見ないようにすると、すれ違っても挨拶しなかったり(笑)それが、タクシー運転手として後ろから目線を気にせず話せて、克服できたっていうのは大きいんじゃないですかね。天野 そうですね。あの時はそれで話せるようになって、自分でも本当に驚きました。慣れてくると、結構こっちから話しかけたりもしてましたしね。「今日は雨が降りそうですね」とか。
川井 なるほど(笑)私は大体いつも「日、いくらぐらい稼ぎますか?」とか「何Kmぐらい走ってるんですか?」とか聞きますね。人によって差があって面白いんです。天野 確かに凄い差があります。走らない人だと、1日に200Kmも走ってないでしょうけど、稼ぐ人だとその倍は走ってますよね。
川井 ずっと駅待ちしてる人だと200Kmも走ってなかったりしますよね。天野 そうですね。私はそこらじゅう走り回って、無線拾いまくってました。
川井 タクシー運転手は何年ぐらいされたんですか?天野 丸1年ぐらいだったと思います。最後は体を壊しました(笑)とにかく稼ぎたかったので、稼げる時間帯の早朝と深夜がどうしても外せなくて、朝7時から夜中の3時~4時までやってたんですね。さらに休日出勤もしてあまり休まずにいたら、段々アトピーがひどくなってきて、痒くて眠れないから更にひどくなるという状態で、最後は喘息になっちゃったんですね。もう駄目だ、と。このペースでは仕事が続けられないと思いました。
川井 それで辞めざるを得なくなったと。天野 そうですね。その時思ったのが、タクシーで稼ごうと思ったら、とにかく朝から夜中まで走り続けないと稼げないということ。普通に寝て、普通のペースでいたらどうなるかというと、月々初任給程度しか稼げないんです。もちろんボーナス無しです。それでは続かないと思いまして、別の道を探そうと思って辞めました。
川井 そうすると、前の職場もそうですけど、稼ぎが結構大きなファクターになってるんですかね。天野 最初の会社は、「残業しないと稼げない、でも残業するほど仕事がない」というのがありましたね。実はその会社でも体調を崩したことがあって、それを機にあまり仕事を回してもらえなくなったんです。それまで毎月必ず60~70時間は残業してたんですが、一度肺炎を患ってしまって、それ以降仕事を減らされて、あまり稼げなくなりました。「稼ぎたい」っていう気持ちはずっとありますね。たぶん子供の頃からだと思います。
川井 なるほど。次はどういう仕事をされたんですか?天野 タクシー運転手を辞めた後は、ホストクラブです(笑)
川井 凄いですね!(笑)このシリーズ初の経歴だと思います。天野 試しに水商売っていうのをやってみたくて行ったんです。でもホストクラブは散々でしたね(笑)全然客がつかなくて食えませんでしたよ。半年ぐらいで辞めちゃいましたね。
川井 全然想像がつかない世界なんですけど、いい思いとか出来ないものなんですか?天野 ただただ大変でしたね。基本的にお客さんは自分で捕まえてくるものですし、指名とかもらえると段々給料が良くなってくるんですけど、何も無いと段々給料も下がってきてしまうので・・・お客さん連れてこないと罰金!だとか(笑)
川井 なるほど。次も楽しみなんですけど(笑)、次はどこに行かれたんですか?天野 そこを辞めるというか逃げたんですけど(笑)、父が新潟の方にいたのでそっちへ引っ越しました。元々父は新潟出身で、私が22~3歳ぐらいの時に新潟に家を買って住んでたんですね。
コンピュータ業界復帰へのきっかけ、出会い
川井 では今度は新潟で仕事をされると。天野 そうですね。最初に行ったのがパソコンショップでしたね。今度は営業系の仕事がやってみたいと思って探してたら、偶然パソコンショップで営業職を募集しているのに出くわしたんです。
川井 普通は販売員職ですよね。天野 ええ。で、入ったんですが、給料の遅配があったのですぐ辞めました。2ヶ月ぐらいでしたね。お客さんが全然来ない店だったんですよ。でも、たまにお客さんの相談に乗ったりしてました。Accessで宅配伝票を打ち出すものだったんですけど、このプログラムを組ませてもらいました。VBAだったかな・・・何か忘れてしまったんですけど、とりあえずヘルプ見ながら作ったら動きました(笑)
川井 そうですか(笑)そしてお辞めになったと・・・ここまでくると、徐々に仕事の期間が短くなってきているといいますか(笑)天野 そうですね。その後も短いんです。数日で辞めた仕事とか(笑)
川井 あと幾つぐらいあるんですか?(笑)天野 細かいのをあげたらキリが無いと思うので(笑)端折りますけど、そのパソコンショップを辞めてしばらくは仕事が無かったんですよね。で、住宅リフォームの会社に入りました。給料につられてなんですが(笑)田舎だから基本的にどの仕事も給料が安いんですけど、そこは歩合も入れてそこそこ良かったので1年ぐらいいました。
川井 長い(?)ですね。天野 そこはいいシステムがあって、8ヶ月間いると賞与支給があったんです。ただ、入ってみて分かったんですけど、8ヵ月持つ人は少なかったですね。殆どは半年もしないうちにどんどん辞めていきました。で、そこを辞めた後はどこかの水商売のチーフを一週間ぐらいやって・・・(笑)
川井 なるほど(笑)その流れの中で、どういうきっかけでまたコンピュータ業界に戻ってこられたんですか?天野 コンピュータ業界に戻ってくるまで紆余曲折あるんですけど、1999年に子供が生まれて、出産祝の補助金でパソコンを買いました(笑)その頃就職がなかなか出来なくて、合コンの主催をやろうと・・・昔で言う、ねるとんパーティですか(笑)その頃ネットがブームになり始めだったので、告知のホームページを作ってみたくなって戻ってきました。
川井 HTMLはこの時に勉強されたんですか?天野 そうですね、ネット上のリファレンスを探して。そこでテキストベースで書けると知りました。その前までは、何か特殊なソフトで特殊なことをしてるんじゃないかと思ってたんですけど、理屈を知ったら「なーんだ」という感じで、これなら作れると思いました。問い合わせフォーム等を作るためにCGIを勉強したりもしましたね。
川井 それで合コンのほうはうまくいったんですか?天野 駄目でしたね(笑)田舎なので成り立たないんです(笑)男女合わせてたかだか10人しか集まってないのに、その中で申し合わせしたわけでもないのに知り合いが出ちゃうんですよ。人口が少ないのでそういうことが絶対に起きてしまって、これではやっていけないと。しばらくは頑張っていたんですけどね。
川井 でも、これで業界に戻ってこられたということなんですよね。天野 CGIで色々やっている間に、上越のほうで「起業家養成塾」っていう市が主催する講座があって、そこに試しに参加してみたら、パソコンショップ時代のお客さんがそこに参加してて、お互い近況を話したりしました。そうしたら、「実はあるサイトのリニューアルを検討してて、掲示板等をCGIでやれないものか」という話になって、そのあたりの相談を受けたのを機に合コンはやめて、Webでメシを食うほうに方向転換しました。
川井 ほんと、出会いですね。それで本格的にサイト構築を個人でやるようになったんですか?天野 そうですね。個人も個人、ほとんどバイトみたいな感じでした。実際その時はまだ営業の仕方も何も知らないし、新潟だったので知り合いがいないんですよね。つても何もなくて。なので、仕事の依頼主からきたものだけをずっとやってたという感じで。田舎は基本的に仕事がないですね。
川井 そう聞きますね。実は私たちも地方から人材が集まるということが良くありまして、去年も鹿児島や北海道から来たりしました。その時に一緒に家を探したりもしましたね。結構来ますよ。天野 逆に、田舎にいたまま仕事が出来るようにしたいなと思うんですよね。新潟にいた時もそういう会社があったんですよ。一応東京にも本社か支社かがあるんですが、そこには営業が数人だけいて、開発は新潟のほうでやっていて10数人いるんです。こういう形で、開発する部署を地方に作っておいて、別の地域で仕事取ってくる感じで出来ないかなと思ってるんですよ。
川井 国内オフショアみたいな感じですね。CMSとの出会い
川井 この後はどういう流れになったんですか?天野 そこでWebを始めたはいいけど食えない状態が続いていたんですが、自分で上越のポータルサイトを作ったんですね。そこでも色んなCGIを使ってたんですけど、デザインがバラバラになるのが嫌なのでテンプレートが使えるCGIを選んでました。ただ、サイトをリニューアルするとテンプレートを全部一からつくりなおさなきゃいけない。これが段々嫌になってきたんです。で、そんな時に「CMS」というのが世の中にあるというのを知っちゃったわけです(笑)その時はOpenACSを触ってみて、これからのサイトは全部これになると思いました。HTMLどうこうっていうのは、これから無くなるぞと。CSMをベースにサイトを構築するのがシステム会社の仕事になって、コンテンツの更新はお客さん自身でやるようになると思ったんです。そうじゃないと、中小企業は自社サイトを持てないと。更新までいちいち依頼してたら、高くて出来ないですよね。なので、絶対普及すると思ったんです。で、自分でも色々CMSを探してたんですけど、その時にであったのがPostNukeですかね。それで、自分の上越ポータルサイトに入れて、運用を始めてみたんです。PostNukeもXOOPS同様、PHPとMySQLで動きます。ちょうど、PHPを触り始めた頃にXOOPSやphpwebsiteも出てきて触ってました。どれが使いやすいか、どれなら人に勧めやすいか考えながらいじって・・・PostNukeも同様にいじってて思ったのですが、段々出てきたのが「英語の壁」ですね。実際CMSを使っていて、バグを見つけて直したりも出来るんですけど、英語が書けないからCMSの作者に連絡が取れないんですよ(笑)で、既知のバグかどうかフォーラムなんかに書かれていたとしても、今度は英語が読めないから分からない。で、それをしばらくやって英語と格闘することに疲れた時に、XOOPSの日本サイトで活発に意見交換をやっていたので、「あ、この方がラクだな」と思ったんです(笑)何かバグがあったら報告できるし、質問も書けるし。で、XOOPSの新しいバージョンが出たのを機に、PostNukeからXOOPSに乗り換えちゃいました。
川井 これはいつぐらいの話ですか?天野 多分2003年ぐらいじゃないかなあ。確かXOOPS2.0RC3のリリースの頃に完全に移行した覚えがあるので・・・2003年3月・・・その頃ですね。それまではXOOPSは実験的にいじってただけですからね。
川井 この時代だと本格的にCMSで運用する、っていうのはまだ無かったですよね。天野 そうですね。その頃だとXOOPS以外ではZopeですかね。この2つぐらいじゃないでしょうか。実はZopeを覚えようかと思ったこともあったんですよ。ただ、Zopeってサーバが一般的じゃないんですよね。で、普通のサーバでも動く方がいいなと思ってPostNukeとかXOOPSのほうにいきました。
川井 ZopeってPythonでしたよね。天野 PythonでサーバがApacheだとか色々書いてあって・・・「一応Apacheでも動きますよ」みたいな書き方だったので、これはビミョーで手が出しにくいなと思って(笑)
川井 なるほど、それで一般的なもので動くほうにいかれたということですね。天野 その頃、XOOPSも1系と2系があるんですけど、まだ2系は正式リリース前で、いじってる人が少なかったんですよ。で、フォーラムに投稿すると反応があるので、楽しくてどんどんはまっていったんですね。仕事も無いし、いじる時間もあるからいいやと思って(笑)一日中ずっといじってましたね。
川井 なるほど。上京、法人立ち上げ
川井 その後はどんな流れだったんでしょうか。天野 長らく新潟にいて、XOOPSをやっているうちに名前が段々売れてきて、「XOOPSの本を一緒に書きませんか?」というお誘いをいただいて、2004年の春に最初の本が世の中に出て、そこから半年ぐらいしたらやっとサイト経由で仕事の話が来るようになったんですよ。それまでは全く来ない状態だったのに、やっと仕事の問い合わせが来始めて。それまでは1ヵ月何も問い合わせが来ないという状態だったのに、多い時は1日2本も問い合わせが来ました。「凄い!何かが変わってる!」と思いました(笑)それで仕事が増えはじめて、段々メシがまともに食えるようになってきました。そこからしばらくして、東京の仕事が増えてきたんですけど、打ち合わせの度に月に何度も東京と新潟を往復してるうちにしんどくなって、「お金が貯まったらちゃんと東京に引っ越そう」と思い始めました。ただ、仕事を依頼される量の波があるのでなかなか引っ越せずにいました。で、そうこうしているうちに離婚しまして・・・一人だと身軽なんですよね。そこそこお金があれば引っ越せるなと思って、埼玉県川口市のほうに引っ越してきました。
川井 それがいつ頃ですか?天野 いつだったっけな・・・mixiの日記に書いてあったと思うんですが(笑)、ちょっと見直さないと分からないです(笑)
川井 mixiは何というお名前で入ってらっしゃるんですか?天野 普通に「天野龍司」で検索すると出てくると思います。でも日記の公開は友人までなので(笑)・・・あ、2005年6月ですね。
川井 最近ですね。天野 それまではずっと新潟でした。
川井 会社を作られて法人化されたのもその頃ですか?天野 いえ、それは2年前です。それまではずっと個人でしたね。
川井 法人化されたきっかけというのは何だったんですか?天野 SOHOでやってたんですけど、その頃再婚相手とお互いにSOHOでやってたので、他のやり方に比べてややこしくなってきて、それならば法人化して窓口を一本化しようという話になりまして。
川井 なるほど、それじゃあお二人で始められたんですね。天野 そうです。最初はマンションの一室を事務所にしてやってました。
川井 ちょうどXOOPSがブームの頃ですよね。天野 そうですね、仕事は色々来てましたね。
川井 会社としてはCMSだけですか? それとも他のものもされていらっしゃるんですか?天野 最初の頃はPHPで普通の案件もやってたんですけど、今はとにかくXOOPSに絡めてやってますね。
川井 会社のブランドとしてXOOPSでやってるっていう感じですかね。天野 そうですね。会社のサイトでも「XOOPS専門」と書いてます。まあ、それでいいのかっていう課題もあるんですけど(笑)
川井 その後の展開はどうですか?天野 XOOPS関係で知り合った人が一人いるんですけど、去年の秋ぐらいに別の会社を辞めるということで、それならばうちの会社に来る?という話になりまして。段々二人だけで仕事するのも大変だという話もして、来てもらいました。その時はマンションの一室に来てもらったんですけど(笑)、そのきっかけでオフィスを借りようかということを考えだしたんですよね。で、見て回っている時に秋葉原のオフィスを見つけて、場所もいいので借りようと思ったんですが、空きが無くてしばらく待つことになったんですが、すぐに不動産会社から「空きました」と連絡が来ました(笑)で、連絡が来たのはいいんですが、その時あまり仕事が無くてどうしようかなっていう時だったので、結構迷ったんですけど「いずれはいつかは借りるよな」というのと、「何とかなるだろう」という感じで(笑)借りることにしました。去年の12月のことだったと思います。
川井 なるほど。天野 オフィスを借りた途端、急に仕事が色々入ってきまして、今度は3人じゃこなせない量になってきました。どうしようかと慌ててて、mixiの日記に「誰か手伝って」と書いたら、手伝いますよという声がマイミクの知り合いから上がって、それから来てもらってます。
川井 今何人ぐらいですか?天野 最初のきっかけになってくれた人は、元々「自分の会社をおこすまで」という話だったので既に辞めてしまって、常勤が私以外に4人、週2日出社が1人、週3日出社が1人ですね。とりあえず仕事の有無に関わらず人は増やそうと思ってますね。出来る人はなかなか採れないので、チャンスがあればその時に誘っておこうかと思っています。
川井 なるほど。確かにそうですよね。会社としての展望、方針
川井 今はXOOPSに注力されていますけど、この先やりたいこととかあるんですか?天野 そろそろ受託開発から抜けたいなというのはあります(笑)
川井 XOOPS Cubeというのは御社のパッケージという位置づけではないんですか?天野 そうですね、パッケージまではいってないです。今あるものを組み合わせるのと、無い機能はその度に開発して組み合わせて納めてますので、結構手間が掛かってます。
川井 しばらくはこのラインで行こう、という感じなんですか?天野 そうですね、ジャンル的にはCMSじゃないと強みが出せないと思っていますね。
川井 なるほど。私もホームページの構築がテキストだけで出来ちゃうのが凄いと思うんですけど、レイアウト等もマウスのドラッグ&ドロップで出来たら凄い楽しいだろうなって思うんですけど、実現できそうですか?天野 実は、XOOPSをベースに作られたNetCommonsっていうCMSがあるんですけど、それがVer.2から完全にXOOPSから離れて作り直されてるんですが、それは結構ドラッグ&ドロップだけで出来るようになってますね。
川井 ほおー(驚)。凄いですね!天野 正式版は8月11日あたりにリリースらしいです。
川井 PowerPoint感覚で出来るんでしょうか。天野 あそこまではいかないんじゃないでしょうか。一覧の表示ブロックなんかをドラッグ&ドロップで変更できたりはするようですけど、例えば図や画像の加工をするというのは出来ないです。そこはローカルで作ってアップロードして・・・っていう手順は抜けてないですね。そこが出来たら凄いでしょうけどね。
川井 PowerPointみたいに作れるようになったら、Webサイトを作ってみようかなと思ってるんですが(笑)天野 今しばらくはローカルで作ってアップロードして・・・っていう手順は抜けないですね(笑)
川井 でも、だいぶ近づいてきてますね。天野 そうですね、NetCommonsはこの先面白いかなと思ってまして、動向はずっと観察しつづけてるんです。
川井 なるほど。ところで、天野さんは個人的に将来したいこととか、夢とかありますか?天野 将来的には東京を脱出したいです(笑)東京嫌いなので(笑)前にも一時期東京にいたんですけど、好きになれなかったんですよね。馴染めなくて。人が多すぎて嫌っていう。だから、将来は田舎に行けるといいなと思ってます。
川井 それは仕事をしながら行きたいという感じですか?天野 仕事も辞めたいです(笑)
川井 行くとしたら沖縄とかですか?天野 今のところ狙ってるのは山中湖です(笑)富士山好きなんですよ。
川井 登られたことはあるんですか?天野 登るのは駄目ですね(笑)見るのが好きです。やっぱり、見るものですよ富士山は(笑)
「自分がやりたことのために追い込みを」
川井 最後に、若い方に「こうして生きていくといい」というメッセージがありましたらぜひお願いします。天野 苦労して会社にコキ使われる必要はないと思うので、やりたくなかったら辞めちゃえばいいと思います(笑)辞めて本当に自分でいい場所に行こうと思ったら、そのままの姿で行ければいいと思うんですけど、努力しないと行けないことってありますよね。そうすると、やりたいことだけやれるようになるために自分で努力できるじゃないですか。そして新しい職場に行けばいいんじゃないかと思います。
川井 そういう状況に自分を追い込む、っていうことですね。天野 そうですね、「追い込む」でもあるし「追い込まれちゃう」でもあります(笑)自分で追い込もうと思ってもなかなか出来ないでしょう。だから、やりたいことだけやれるように、やりたくないことを続けないために辞めちゃうと。で、辞めると勝手に追い込まれちゃうので、頑張る。頑張って次に行ける、そういう流れでいいんじゃないかと思います。
川井 逆に、技術が好きでやってて、技術を持ってやっていきたいという人に対してはどうですか?天野 とことん腕を磨いて、どこからでも声がかかるようにしていけば、フリーランスでやっていても多分いくらでも声はかかるんじゃないでしょうか。ただ、そこまで極めるのって凄く大変だと思うんです。100人の中の1人とかにならないと、声かかるところまではいかないと思いますね。
川井 僕はいつも思うんですけど、例えばプロ野球の選手になるよりかは易しいかと思うんですけど、どのぐらいの難易度っていうのがいいんでしょうね。プロ野球はちょっと行き過ぎかなと思ってるんですが。天野 それの2軍ぐらい(に行く難易度)はあるんじゃないでしょうか。
川井 レギュラーになれずとも、プロになれるぐらいの力はないと・・・っていうことですよね。やっぱり大変ですよね。天野 大変だと思います。それよりかは、技術プラスアルファの部分で付加価値を高めていったほうがニーズは多いんじゃないかと思います。例えば「技術力もあって営業も出来ます」とか、「技術力もあって提案もできます」とか、色んな組み合わせはあると思うんですけど。
川井 確かにそうですね。天野 楽な道かと言われればそうじゃないですけどね(笑)
川井 そうですね(笑)なるほど。改めて、大変面白いご経歴をお持ちですね。天野 色々やってきましたねぇ。随分回り道をしたなっていう感じはあります。
川井 いやいやいや、それが今のお言葉に繋がってるんじゃないかと思いますけれども。迷いが無いって言うんでしょうか。天野 実際に追い込まれてきたので(笑)勝手に自分で追い込まれる方に行っちゃってますよね。食えなかった時も、バイトとかすることも出来たんですけど、バイトしたら駄目だなと思ったんですよね。バイトを始めると、当然時間が掛かるじゃないですか。その分、自分で使える時間が削られてしまうので、そっち側(本業)で向上していかないし、それなりにバイトで収入があると安心しちゃうので余計どっちつかずのまま行ってしまうんじゃないかと思うんです。何かやってるけど、食えないからバイトしててどっちもうまくいかないよねっていう。そういう感じの人が周りにいたんですね。もちろん、一番の気持ちとして「バイトしたくない」っていうのもあるんですけどね(笑)
川井 嫌いなことはやりたくないということですね(笑)天野 嫌いなことをやりたくないです(笑)
川井 SOHOのお話は大きなアドバイスですよね。SOHOで苦労して仕事が無くて、ついついアルバイトして失敗したっていう方の話をよく聞きます。天野 ああ、でもそれはやめた方がいいですね。バイトをしちゃうなら、どこかに就職しちゃう。SOHOでやりたいならバイトはやめて、売ろうとしているものだけで勝負していった方がいいと思います。
川井 就職もつなぎの就職をして短い経歴をいっぱい作ったりしちゃって、そのために見てくれが非常に悪くなっちゃうっていうのもあるんですよね。いざという時「やりたいことと違うこといっぱいやってますよね?」みたいな話になってしまって、企業から見ると「ちょっとこの人は・・・」みたいになってしまうのもマイナスですよね。天野 私の履歴書なんか見たら誰も雇ってくれないですね(笑)
川井 いえいえ、天野さんのレベルまでいくと別格ですよ(笑)大変面白いお話を色々お聞かせいただきました(笑)本日はどうもありがとうございました。天野 こちらこそありがとうございました。 次に紹介したのは→永原篤氏(オープンソース・ワークショップ)
- プロフィール天野龍司 氏 ◆1969年生まれ、愛知県三河地方出身 ◆ゲームをきっかけにコンピュータに興味を持ち、中学生の頃からプログラミングを始める。 ◆工業高校卒業後、地元の制御系システム開発の会社に就職。 ◆紆余曲折を経て、地元ポータルサイトの制作・運用からCMSの存在を知り、創世記のXOOPSを本格的にサイトへ導入。 ◆地元の起業家養成塾にて、ポータルサイトの実績から仕事の案件が入り、事業立ち上げへ。XOOPSの著書発刊をきっかけに、事業拡大し法人化。 <会社概要> 会社社名 株式会社RYUS http://ryus.co.jp/ 設立 2006年7月 代表取締役 天野龍司 資本金 3,000,000円 所在地 〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-10-6 オークプラザ3F