第32回後編 荻野淳也氏 コントロールプラス株式会社

  • 第32回後編 荻野淳也氏 コントロールプラス株式会社
  • 今回は、第20回の「Webエンジニア武勇伝」に登場いただいた日本Rubyの会会長・ツインスパークシニアプログラマ高橋征義 氏のご紹介で、ogijunさんこと、コントロールプラス株式会社の荻野淳也さんにお話をお聞きしました。荻野さんはRubyをはじめ、あらゆるカンファレンスに足を運び、自らの師やコミュニティの繋がりを作られてきました。そんなとっても熱くてとってもクレバーなogijunさんの生きざまに魅せられたインタビューを存分にお楽しみください。熱いインタビューは150分にも及ぶロングインタビューになりました。前編後編に分けてお届けします。取材は、デザイナーズマンションを利用したオフィスをお借りしました。

    ※取材日は、2008年7月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。
  • 英語力のなさを痛感する

    川井 その後は、辞められてまた個人でお仕事をやられていたんですか?

    荻野 そうですね。ちょうどその時にガラパゴスを通じてWebObjectsの人脈で知り合った人で、ニューヨークで起業していた方がいたんですが、日本法人を起ち上げるので手伝ってくれないかというお話をもらったんです。ここはある人材系大手から仕事を請け負って、結構大きな新卒採用向けのWebアプリケーションを作っていて、WebObjectsのエンジニアは恒常的に不足していて足りないということでした。今空いてるんでしょ?という感じで、ほいほいと馳せ参じて一緒にやることになって、肩書きをもらってそこにちょうど1年くらいいましたね。

    川井 1年くらいいらっしゃったんですね。

    荻野 はい。でもこの会社はもう今は解散になっていますが。

    川井 そうなんですね。英語はお得意なんですか?

    荻野 いえ。全然得意じゃないですね。

    川井 なかなか、こういう英語のレジュメをお持ちの方はいらっしゃらないと思いますので。

    荻野 そうですよね。転職のときの売り込み資料だったので、英語が得意の方が高く売れるだろうという戦略的なところがありました(笑)

    川井 なるほど(笑)

    荻野 ガラパゴス時代の2001年に初めて、アップルのWWDCというのに参加したんです。それも、かなり自分にとっては転機になりましたね。国内だとマイノリティ仲間がいないという感じなのに、海外に行くと志同じにしたエンジニアが3,000人とかいましたからね。その頃はまだ学生席がありましたので、スチューデント・スカラシップという制度を利用して2,000ドルくらいする参加費のところをタダで参加することができました

    川井 なるほど。

    荻野 それまでも英語のドキュメントとかを読んだりとかしていたつもりだったんですが、まるでわかっていないな、全く英語出来ていないなというのをその時に痛感したんです。意思疎通もままならないし、ランチの時の会話なんて全く出来ませんでした。技術的な話なら少しとは思っていたんですが、それもうまくいかなかったですね。その時、英語コンプレックスが突然大きくなって、これはなんとかしないといけないなと思いました。特に自分は日本語の情報が少ないようなものを選んでやっているので、勉強しないとダメだなと実感して、それから英語の勉強をやり始めました。

    川井 では英語の勉強はすごくされたんですね。

    荻野 ええ、がんばったつもりではありますね。その話も、話し始めると結構長くなっちゃいますね。あまり僕自身英語を修得しているとは言えないはずなんですけど、本田直之さんの「レバレッジ英語勉強法」という本に苦労して英語を修得した人の体験談という感じで僕のインタビューが4ページ程載っています。

    川井 そうなんですね。先ほどおっしゃっていたWWDCというイベントについて、もう少しお話を聞かせて頂けますか?

    荻野 これはですねWWDC、World Wide Developers Conferenceというんですけど。アップルコンピュータが年に1回世界中から開発者を集めて、まだ未発表なものとかも含めて技術についてプレゼンをしてくれる、という大きなイベントなんです。このインタビューが若い人向けということであれば、強く言っておきたいのは、セミナーとかイベントとか積極的に行くべきだということです。

    川井 そうですよね。

    荻野 ものすごくモチベーションがあがります。今年僕は行っていないんですが、WWDCというイベントは本当に素晴らしいイベントで2005年まで毎年参加していましたね。

    川井 イベント行く人、行かない人はきっぱり別れますよね。

    荻野 そうですね。このイベントは必ずSteve Jobsが自ら基調講演をやるんです。これが、すごくアップルという会社の体質を表わしていて、他のアップル主催のイベントでもSteve Jobsが来ないことがあるんですけど、WWDCには絶対来るんです。Mac、あるいは今で言うとiPhoneのプラットフォームを開発者にとにかく開発してもらいたいという強いメッセージを感じますね。

    川井 なるほど。

    荻野 もっとすごい良い効果なのが、WWDCに行くと個人で活動していたりする自分よりすごい奴というかお手本にしたい人がわんさかいるんですよ。

    川井 そうですよね。

    荻野 その頃、我々はアップルと一緒にセミナーをやったりだとか、WebObjectsも教える立場というのをある程度やっていたりしたので、国内で聞ける相手がそもそもいなくなってたんですけど、海外に行くといっぱいそういう人たちがいて議論も出来て、だからもっと英語が出来ればもっとおもしろい話が出来るのにという、勉強する動機も生まれたりするきっかけにもなりますしね。

    川井 なるほど。

    荻野 これも自分にとっては本当に大事な転機でしたね。

    Rubyとの出会いは?

    川井 Rubyとの出会いはいつ頃ですか?

    荻野 スクリプト言語としてRubyに出会ったのは、ずっと古くて95年か96年くらいにネットニュースで探して発見しました。

    川井 その時使ってみたりされたんですか?

    荻野 はい。あの当時は落ちているものなんでもコンパイルするのが楽しかったんですよ(笑)

    川井 (笑)

    荻野 自分が大学のネットワークとかでログインできるマシーン全部でコンパイルできるようにするっていう、そういうのがすごい楽しくて・・・。ただ、あまりちゃんとしたコードに出来ないのでちょっとしたところを直してコンパイルは出来るんですけど、パッチを送り返すというところまでいきませんでした。いろいろなものを使えて楽しいという、せいぜいそのくらいでしたね。

    川井 そうですか。

    荻野 それで、最初に入った会社ではCADを作っていたんですけど、発注元がトヨタの系列会社なんですね。実はその会社にまつもとゆきひろさんが在籍していたんですよ。そんな偶然があって・・・。

    川井 そうなんですね。

    荻野 実際、私自身は出張でその会社には行かなかったんですが、私の上司は何回かお邪魔していてまつもとさんとも個人的に面識があったようです。Rubyのメーリングリストをちょっと読んでいたりした時に、その会社名を目にしたりしました。石塚圭樹さんというまつもとさんと共にRubyの作者で名付け親でもある方がいるんですが、その石塚さんもうちの会社にもよく来てるよとか言われて・・・(笑)石塚さんはObject Storeっていうオブジェクト指向DBのプロフェッショナルで、うちの会社がObject Storeの代理店とかをやっていたんですよ。それで、One of toolsという感じだったRubyがちょっと身近になりました。

    川井 なるほど。

    荻野 ただ、それまでもやっぱりスクリプト言語としては便利だからRubyを使ってはいました。でも、Perlとかの方が昔から使っていましたから・・・。modern Perlじゃないですけどね(笑)ancient Perlなんですけど(笑) そっちに手を出していました。でも、オブジェクト指向は好きだったし、Rubyも面白いからたまに使おうみたいな感じでしたね。アルバイトに行った直後ですね。Rubyにまつわる縁を教えてもらった時に、そういう話があるんだったら、せっかくだからこれからPerl 5を覚えるよりはRubyにしようかなと思いまして使い始めたのが最初ですね。その頃はまだ普通に使ってる程度で、メインの武器にしようとは思ってはいませんでした。やっぱり、NeXT好きでObjective-Cが好きで、という感じでしたね。

    川井 そうですか。便利だという実感が出てきたんですね。

    荻野 はい。話が2004年まで飛ぶんですけど、私の中でRubyのポジションが変わるという出来事がありまして、ただそこまであと何分くらいでたどり着けるか・・・(笑)

    川井 (笑)2回に渡りそうですね。

    荻野 お恥ずかしいですね(笑)

    川井 いえいえ。でも、こういうお話がおもしろいんですよ。

    Rubyとの出会いは?

    荻野 そのガラパゴスの後の会社に結局2005年までいたことになっているのかな。ここで、コンシューマー向けWebシステムの面白さに目覚めました。せいぜい600人とか700人のユーザー数だったんですが、それでも今までのイントラとは全然違ったスケールで、急にアクセスが増えたりとか、お客さんの反応がダイレクトにわかったり、アクセスログを見ているとちょっとアプリの挙動を変えただけでもボタンの位置を少し変えただけでも影響が出るだとか、そういう面白さを知って、もっとこういうことをやりたいなと思うようになったんです。それで、それができる場所を探しました。その会社を辞めて、しばらくフリーの期間を経てあるポータル大手に入社したんですよ。

    川井 なるほど、そういう流れですね。

    荻野 やっぱり日本で1番ユーザーがたくさんいて、いろいろな人に使ってもらえるWebアプリケーションを書けるのはここしかないだろうなと思ったんです。本当はもう1つ少し後に、別の検索の大手も受けていてそっちは落ちてしまいました(笑)

    川井 なるほど。

    荻野 その入った会社で検索エンジンのサービスの開発に関わりました。

    川井 それは何年くらい携わったんですか?

    荻野 1年と10ヶ月ですね。

    川井 なるほど。

    荻野 そこで携帯向けの検索サービスを担当させてもらいました。入ったばかりだったんですけど、他に担当者がいないからと任せてもらえたんです。そこでPHPのプログラムを初めて書きました。面接の時にPHPはやったことありますか?と聞かれてやったことないですと答えたんですけど、まあいいです、すぐに覚えられますよね、なんてやりとりして(笑)

    川井 (笑)なるほど。

    荻野 この期間にWebObjectsじゃなくてもいいなと思えるようになったんです。とにかく、サービスを作るというのが楽しくて・・・。

    川井 そっちに興味を持ちだしたんですね。

    荻野 はい。ちょうどそれを日記に書いたりもしたんですよね。もう今年いっぱいでWebObjectsで仕事をするのは辞めましたって日記で宣言したんです。貯金を切り崩してるみたいな気持ちになってきてしまったんですよ。NeXTっていう当時としては先進的な環境でいっぱい勉強することが出来て、人より2年くらい先のビジョンを持つことが出来た訳です。それはもう全部NeXTユーザー会の諸先輩方に教えてもらったことなんですけど、それを自分でうまく膨らませることが出来ずに、世界が追い付いてきちゃった感じがしてそろそろ辞めようかなと思ったんです。

    川井 なるほど。

    荻野 その後、2004年に初めてRubyカンファレンスに参加したんです。この回は。笹田耕一さんがYARVの開発を初めて海外で発表した会なんです。なぜこのRubyカンファレンスに僕が行くことになったのかというと、この時まつもとゆきひろさんのお子さんが産まれる直前だったんですよ。2001年から毎年Rubyカンファレンスがアメリカで行われていて、まつもとさんは毎年基調講演で招待されていたんですね。でも、2004年のこの時はキャンセルされたんです。Rubyカンファレンスの主催側はまつもとさんに代わる大物ゲストを呼ばないとと考えたんです。それで、Objective-Cという言語の作者のBrad Coxという人を呼んだんです。Objective-Cというのは、今MacやiPhoneの開発に使われていますけど、NeXTの開発環境の開発言語だったんです。自分を育ててくれたすごく思い入れのある大事な大好きな言語なんですよ。もちろん、その当時はRubyよりObjective-Cの方がずっと好きでした。でも、そのObjective-Cの作者の生の声が聞ける、しかもRubyも結構好きだしと思っていて、高橋征義さんに行きましょうよと言われて行きますって言っちゃったんです(笑)

    川井 (笑)そうなんですね。

    荻野 まつもとさんも行かないし、私と笹田さんしか行かないんですよと言われて、行きます行きますと二つ返事で・・・。Brad Coxの話を聞きに行ったんです。

    川井 なるほど。

    荻野 そしたら、そのRubyカンファレンスがすごく面白かったんですよ。しかも、当時はまだ英語の情報があまりなくて、Rubyistはみんな日本語の情報を苦労して解読していたんです。日本人というだけでものすごい厚遇してもらえたんですよね。我々はいろいろ気を使ってもらって、なんて優しい人たちなんだろうと思いました(笑)

    川井 (笑)そうだったんですか。

    荻野 2004年のRubyカンファレンスでRubyについてアメリカの人たちが熱く語ってるのを聞いて、これはすごいことだなと思ったんですね。

    川井 そうですか。感化されたんですね。

    荻野 そうですね。それまで日本人のソフトウェアを外国の人がこんなに一生懸命使うことがあったかなと思ったんです。

    川井 そうですよね。ないですよね。

    荻野 つい最近Ruby会議絡みで日記にも書いたんですけど、今年のRuby会議にRich Kilmerという人が来てくれたんです。彼は2004年のRubyカンファレンスの開催地であるワシントンDC近辺に住んでいるんですよ。その時ホスト役をかって出てくれていて、いろいろローカルアレンジメントしてくれて、車で観光に連れて行ってくれたりもしました。その最中に話の中で今infoetherという会社をやっていて、この会社を作ったのはRubyと出会ったからだと言っていたんですよ。Rubyがあるから、これだったら何か出来ると思ったから会社にしたんだと熱く語っていたんです。そんな人はRubyの生まれ故郷である日本でも聞いたことがなかったんですよ。海外は熱いなと思いました。

    川井 やっぱり、出会いですね。

    荻野 ほんとにそうですね。その時にたまたま、Brad Coxの話がまたすごかったんですよ。自分はObjective-Cは欲しいソフトウェアを作る単なる道具として、たまたま必要だったから設計して作っただけなんだということを聞いたんです。言語自体になんの思い入れもないみたいな話だったんですよ。私はものすごい思い入れがあった言語でしたからね。そんなことを聞いて「え!」ってちょっとびっくりしちゃいましたね(笑)

    川井 (笑)

    荻野 彼の、自分のやりたいことをやるために言語を作るっていう発想がGeekそのものですし、やりたいことができれば、あとはもうなんでもいいというのも見習うべきだなと感じました。

    川井 そうですね。

    荻野 で、横ではRubyについて熱く語っている人がいるという状況だったので、もうObjective-CにこだわってないでRubyとかやってもいい時期なんだなとすごく感じました。

    川井 なるほど。

    荻野 Brad Cox本人から引導を渡してもらったみたいな感じでしたね。

    川井 今の表現、かっこいいですね(笑)

    荻野 (笑)そのずっとあとMac OS XがiPhoneの開発環境として蘇ってくるんですけどね。

    川井 なるほど。

    荻野 日本に帰ってきてからるびま(Rubyist Magazine)にレポートで書いたんですけど、Brad Cox にとっては Objective-C は完全に過去のものになってしまっているんだなあという印象を受けました。この2004年のRubyカンファレンスでDHHがRailsについて発表したんですけど、今にして思うと全力でスルーしちゃったんですよ(笑)この時ちゃんとフィーチャーしていたら、ポジションも変わっていたと思うんですけどね(笑)

    川井 (笑)レポートには印象を書いただけだったんですね。

    荻野 そうなんです。この時、正直ピンとこなかったんです。

    川井 そうでしたか。

    荻野 この後半年後くらいに、RubyはJavaの10倍の生産性だとか煽られて、それからいろいろフレームになって、大ブームが巻き起こったんです。ブーム半年前に全力でスルーしてましたね(笑)

    川井 なるほど。

    荻野 私にとっては事件でした(笑)

    川井 (笑)全力でスルーだったんですね。

    荻野 ともかく、この年は日本人3人しかいませんでしたけど、3人で楽しかったねって話してました。

    川井 高橋征義さんがあっちの人達からお前は青木峰郎かって間違えられたと言っていました(笑)

    荻野 (笑)日本人をみつけると青木峰郎かって尋ねる人はいました。他にもdRubyを作った人かとかも尋ねられがち(笑)

    川井 (笑)

    荻野 どちらも来ていないと答えました(笑)それで、Rubyカンファレンスというものにはまってしまったんですよ。Rubyカンファレンスに行くなら、もっとRubyも勉強しないとなと思いました。それが本格的にRubyやろうと思ったきっかけですね。

    川井 それがきっかけだったんですね。

    荻野 それまでもRubyの集まりにちょっと行ったりだとかはしていて、RHG読書会にも行っていたんです。RHG読書会もすごい人たちが集まっていたりして、そこで高橋さんや笹田さんにRubyConf行きましょう、って誘ってもらったり。

    川井 コミュニティがそもそものきっかけなんですね。

    荻野 そうですね。私は本当そういうのが幸運だったなと思います。要所要所でいろいろな人に助けてもらったなと感じています。

    川井 なるほど。

    荻野 コミュニティは正直Give And Takeじゃなくても、聞く一方でもいいなと思っているんですよ。みんな行きさえすれば、喜んで教えてくれる人ばっかりなんですよ。何かを提供しなきゃいけないってことは全然ないんです。最初はそれが申し訳なく感じるんですけど、そうじゃないんですよ。自分も新人さんとかを迎える立場側になってわかってきたことですけど、教えるのが楽しいし勉強になるから教えているというのがすごく大きいんです。来てくれるだけで、こちらも何かを受け取れるんです。もし気後れしている方がいたら、もっと積極的にそういう場に出てきた方がいいんじゃないかと思いますね。

    川井 すごい人がいるからと、気後れしちゃって来ない人とかいますよね。

    荻野 もったいないですね。

    川井 これはいろいろなコミュニティに参加されている、荻野さんだからこその見解ですよね。

    荻野 そうですかね。それで、Rubyカンファレンスが気に入ったんで次の年も行くことにしたんですけど、その2005年のRubyカンファレンスは日本人の参加者が10数名と多かったんです。前年は59人うち日本人3人だったのが、Rails効果だとは思うんですが全体で200人ぐらいかな、急に規模が大きくなりました。

    川井 なるほど。

    荻野 今までって参加者数名でしかも英語のヒアリングで疲れていますし、外国の人の体力についていけないというのもあって疲れ果てていて話が沸騰するところまでいかなかったんですよ。でも、それまで日本人参加者数名だったのが10数名参加ということで、みんなでディナーを囲んでいる時にこういうのを日本でもやりたいねという話で盛り上がったんです。そこでもうやるしかないだろうって話になったんです。待っていても始まらないからそのサンディエゴにいる時に「来年の6月にする」って高橋さんが宣言したんですよ。それが第1回Ruby会議、当時は日本Rubyカンファレンスの最初のプレミーティングになったんです。

    川井 では、聖地ですね。

    荻野 ここから始まったという意味ではそうですね。

    川井 なるほど。

    荻野 それで、たまたまそこに居合わせたので私も運営に参加したいと言いました。

    川井 Rubyから入った人って、RailsではなくてRubyなんですか?

    荻野 そうですね。今はRailsもかなり好きなんですよ。でも、やっぱりRubyなんですよね。

    川井 角谷さんとかに講演をお願いした時もあったんですけど、Railsが付くならやらないと言われたこともありましてこだわりがあるんだなと思いました。

    荻野 なるほど。私はそこまでのこだわりはないですね。最初にスルーしていたからというのもあるんですけどね(笑)

    川井 (笑)

    荻野 でも、今はRailsのやり方というのはすごくいいなと思うところもあります。RubyがRailsに刺激されて変わっていった面というのもありますし、RailsがきっかけでRubyに参入してくれたいい方とかもいっぱいいると思います。

    川井 そうですね。日本にはRailsカンファレンスみたいなものはないですよね。

    荻野 そうですね。ないですね。Rails会議とか是非やるべきだと思いますし、あったらいいですよね。

    川井 そういう展開もあってもいいかなとも思うんですよね。

    荻野 あったらいいなとか言ってないで行動しろよとは思うですが、思うところもあるんですよね。でも、いつか実現できたらいいですよね。

    川井 そういうのもありなんですね。

    荻野 Railsカンファレンスというのも、今年3回目だったんですが第1回から参加しているんです。1回目はシカゴであったんですけど、そこで増井雄一郎さんとお話をしたんです。彼なんかはその後Railsカンファレンスに刺激を受けてシアトルに渡っちゃいましたからね(笑)あの行動力に嫉妬しましたし、びっくりしました(笑)本当に実現しちゃうので、すごいですよね。

    川井 すごいですよね。

    荻野 彼がRailsカンファレンスに参加して、技術で日本は全然負けていない、もう後は英語力だけだよ、英語で物がちゃんと発表出来れば日本からの技術だって世界で通用するよと思ったらしいんですよ。そこまで尊大な言い方ではなかったですけど、ちゃんと行動に移している彼が本当にすごいなと思います。

    川井 この武勇伝も増井さんの回から多少人に見られるようになったというところもあるんです。

    荻野 なるほど。最初の頃はイトクロの伊藤さんとかでしたっけ?

    川井 そうですね。イトクロさんや親会社のKBMJの笠谷とかですね。内輪にお願いするというところがありました。増井さんのブログに書かれた途端アクセス数が急激に増えました。

    荻野 なるほど。笠谷さんなんかは、我々からしたら英語もお出来になって羨ましいですね。あの方はしゃべり方は穏やかなのにやってることがすごいですよね(笑)

    川井 そうですね。確かに(笑)

    荻野 でも、お仕事は普通にWebサービスを作っていらっしゃるんですか?

    川井 基本的には好きなものを開発していますね。

    荻野 彼みたいな方が海外に行って話してくれたらいいですね。

    川井 こないだアメリカのgoogleの本社にSelenium IDEのオフ会か何かに行っていましたね。

    荻野 そうなんですか。すごいですねえ。それで、私も海外のRubyistとも仲良くなってお友達も出来て顔を見ると挨拶して、そういうのは、自分の英語の勉強のモチベーションにも繋がってますね。

    川井 なるほど、確かにそうですよね。

    某ポータル会社での経験

    荻野 話は戻りますが、某ポータル会社での仕事は、これはこれで結構勉強になって楽しかったんです。意外だったのは、入る前はローカライズとかをやるエンジニアはいっぱいいるんだろうなと思っていたんです。でも中に入ってみたら、それ以外に普通にすごい人いっぱいいたんですよ。非常に日本の大企業的なところがありまして、すごい人がいても表に出ないんですよ。

    川井 なるほど。

    荻野 これは非常に勿体ないなと感じました。私と入れ替わりくらいで辞められたある方がいて、彼は辞められた後にRailsの勉強会に来られたりとか。いる間に絡みたかったなと思いました。

    川井 なるほど。こないだもその会社の方と話したんですけど、ミッション以外のものは全て禁止されているということを言っていました。ものすごく厳しいみたいですね。

    荻野 入社した時には社内に何人かコミュニティを通じて知り合いになった方がいらして、そういう方たちと、仕事はアクセス数ものすごく多いので楽しいですが出せないところはつまらないという話をしていましたね。

    川井 その点では別の某ポータル大手の方が解放的なんですかね。

    荻野 事情があまりわからないのでよくわからないですが、やっぱ大企業はしゃべれないってところは多いですよね。ブログを書くのに制限がある企業も多いみたいですね。

    川井 厳しいんですね。

    荻野 でも、あそこでは良い経験をさせてもらいました。ちょうどタイミングよく新しい携帯キャリアの立ち上げの時にその現場に居合わせることができました。だいたいやりたいと思っていた通りの仕事をやらせてもらえましたね。

    川井 ここは2年弱ぐらいですよね。

    荻野 そうです。海外の本社との付き合いも魅力的で、ドキュメントが宝の山なんですよ。これはもう全部読み尽くしたいと思ったくらいでした。そこまでやってる時間もなかったんですけどね。先程言ったような対外的なことへの扱いですとか、あと、こう言ってしまうと尊大過ぎるんですがぬるかったというか、あまりに環境が整い過ぎていてもう勝ちが見えているような感じがしてしまったんです。

    川井 なるほど。

    荻野 ずっと、ベンチャーの会社にバイトからいて、立ち上げに参加してだとかを経験している身からすると物足りなくなってきてしまったんです。

    川井 違和感があったんですね。

    荻野 やっぱり自分である程度存在感を示しながら、全部出し切るみたいなのがベンチャーなのかなと思ったんです。そろそろ潮時かなと考え始めました。

    川井 そうですね。

    荻野 入社した時に考えていた負荷分散の技術だとか検索エンジンの技術だとかいうのは、概要はだいたいわかったんです。だいたい出来るな、こういう風にやっているんだな、自分でも試してみてこんな風に大規模サイトは運営しているんだなというのがなんとなくわかったんです。もちろん全部一から構築出来るようになったわけではないですが、だいたいどんなことをやっているか風景がわかったんです。一部は自分で担当したりもしたので、一通り欲しかった技術は習得できたなと思い、それで、転職活動を開始しました。

    現在の仕事について

    荻野 それでやっと今の会社を発見しました。

    川井 コントロールプラスさんに決めたポイントはどの辺だったんですか?

    荻野 弊社はWeb制作会社なので厳密に言うとベンチャーではなくて、スモールビジネスという範疇に入りますね。自社サービスで、デート通.jpというデートスポットの口コミサイトをやってるんですけど、これをどんどん成長させたいということだったんです。事前に調べた時から非常にユニークなサービスだなと思ったんですね。なので、こういうちょっと前例のないものをもし自分の力でブレイクさせることが出来たら、それは楽しいだろうなと思ったんです。そういうぼんやりとした予感です。

    川井 そうですか。

    荻野 もともとWeb制作会社なので技術の人間とどうリレーションを作って、どういう風に求人したらいいのかわからなかったらしいんです。私は百式の田口さんからこの会社の存在は聞いて知っていて、たまたまそうやって知っている会社の名前が「Find Job !」さんに出ていたのでちょっと見に行こうかなと思って見に来たんです。

    川井 そうなんですね。

    荻野 それで、下にはシャワーがあるんですけど普通の家みたいでファミリーのような雰囲気が懐かしい感じがしたんです。会社の立ち上げだとか黎明期に近いことを今まで見てきたんですけど、そういうところって家族の結束のようなものが出てきちゃうんですよ。自分が面白いなと感じるのはそういう場所なんです。普通だとそれは会社を運営するうえで良くないこととして排除してしまう場合が結構多いと思うんですよ。

    川井 そうかもしれませんね。

    荻野 ここはあまりそういうのがなくて、対外的な資料を見ても社内の雰囲気だとか、例えば代表が食生活まで口出しするような学生ベンチャーみたいな雰囲気がちゃんと残っていたりするんです(笑)

    川井 (笑)

    荻野 それで、技術の人をどうやって探したらいいかわからないということだったので、気に入ってもらえるならやってみましょうかという感じでした。その後、何人かの方とお話して採用してもらいました。

    川井 ベンチャーって普通は、会社を成長させようというベクトルとサービスを充実させようというベクトルが結果的に繋がることが多いですが若干違いますよね。後者の感じですね?

    荻野 そうですね。

    川井 それが心地よいと感じたんですかね。

    荻野 そうですね。上場しようとか、そういうタイプの会社ではないですね。代表の言葉で、日本人のデート力を上げたい、だとか、デート偏差値を高くしたい、とか言ってるんですけど、そういうのを実現したいという感じです。

    川井 面白いですね。

    荻野 デート支援金制度というのがあって、テレビやカヤックの柳沢さんの本にも取り上げてもらったりもしたものなんですね。普通だったら社員のデートなんて私生活そのものなんですけど、そんなとこまで口出しするなよという感じですよね(笑)でも、そういうのも面白がってやっているというのはいいカルチャーだなと思うんですよ。

    川井 そうですね。柳沢さんの本、拝見しましたよ。

    荻野 実際、入ってみてその通りでした。たまにパートナーさんの見積もりのチェックとかで受託制作のお仕事にも駆り出されたりしていますが、今のミッションとしては「デート通.jp」をもっと使いやすく、口コミでたくさん人が集まって楽しい場にするということですね。WebObjectsでWebの世界に入ったところから始まって、コンシューマWebサービスの楽しさを学んで、大規模サービスの仕組みもわかってという流れの中の集大成としてやるにはちょうどいいなと思いました。

    川井 なるほど。

    荻野 前職の負荷分散の知識を活かせる程のアクセス数は正直まだありません。でも、なんとかこれがもっと流行ってくれないかなと日々頭を使っています(笑)

    川井 そういうサービスをつくって成長させていくというのは楽しいですよね。

    荻野 そうですね。まだ受託で稼いだお金を使わせてもらうという状態に近いところもあって、会社にとってはコストセンターではありますが。

    川井 まだ、広告をとりにいくといったフェーズではないんですか?

    荻野 もちろんとりにいってますが、まだまだ募集中ですよ。

    川井 なるほど。

    今後の展開は?

    川井 今後はどういう展開を考えていますか?

    荻野 まずはやっぱりミッションとして「デート通.jp」に継続して力を注ぎたいと思っています。他にはやはりiPhoneですかね。

    川井 やっぱりiPhoneですか。

    荻野 はい。私にとってはびっくりするような代物でした。革命的なデバイスが出てきたと思ったら、その開発環境がNeXTから直で降りてきたようなものでしたからね。

    川井 運命的なものがありますよね。

    荻野 もうこれ以上のものを望めるかという感じでしたね(笑)是非何かやりたいですし、しかも弊社のサービスは地域情報や写真ともリンクしてWebサービスを運営しているので、親和性が非常に高いと思うんです。実際ユーザーさんが何人iPhoneを入手したかわかりませんが、何か絡めていきたいなと思うんです。

    川井 なるほど。いいですね。

    荻野 「デート通.jp」がブレイクした後ということになりますけど、他にもサービスをどんどん立ち上げるという風にしていきたいなと思います。

    川井 では、コンシューマサービスを更にという感じですね?

    荻野 そうですね。

    若手エンジニアへのアドバイスをお願いします

    川井 非常に面白いお話をありがとうございました。最後に若いエンジニアに一言お願いします。

    荻野 そうですね。話の中にも何度も出てきましたけど、要所要所でいろいろな人に出会って助けてもらったんです。それは必ずしも仕事の繋がりだけじゃなかったですし、コミュニティであったり趣味の繋がりであったりが非常に大きかったです。

    川井 なるほど。

    荻野 最初のプログラムの師匠と呼べる人は谷山浩子さんの追っかけを通じて知り合った人でした。今でもたまに電話で情報を話したりしています。その方が6つとか年上なんですけど、親身になっていろいろ教えてくれたりしました。サブカルチャーは非常に重要だと思うんです。そこでの同好の士というのは精神的にも強固な結びつきを持ってるんですよ。その中にも同業者がいるかも知れないし、のちに一緒に仕事するということはありえますね。

    川井 そうですね。ありますね。

    荻野 コミュニティにしろなんにしろ師匠みたいなメンターみたいな人が1人いると非常に助かりますね。是非メンターを見つけてもらいたいです。そう簡単には出会わないかもしれないですけど、それが本とかでもいいと思うんですよ。ある本を自分にとってのメンターにして、師と仰いでとかでもいいと思うんです。その人の持っているもの全て吸収しようという勢いで、ぴったり寄り添っていくようなことをやったらいいんじゃないかと思います。自分はそういう風にしてきました。

    川井 なるほど。いいですね。

    荻野 あとは自分の動き方を正当化するような言い方になっちゃいますが、今の環境が気に入らなかったら転職したらいいんじゃないかなと思いますね。ちょっと行動して踏み出せば環境というのは良くできますからね。今やりたいことが出来ないなとかちょっと不自由だなと感じている方は、是非怖がらずにそういうことが出来る場に飛び込んで行ったらなと思います。

    川井 なるほど。

    荻野 私自身はそうやってせっかく入れてもらったベンチャー辞めたり、うっかり会社を作ったりだとかしましたけどなんとかなります(笑)

    川井 (笑)そうですね。なんとかなりますよね。

    荻野 気に入らなかったら後先考えずにバンと辞めてしまって、その後必死で考えればなんとかなると思うんです。

    川井 わかります。死ぬ程のことは過去にはなかったのでなんとかなるだろうみたいなのはありますよね。

    荻野 梅田望夫さんが好きを貫けと言っているのはそういうことなんじゃないかと思うんです(笑)

    川井 (笑)

    荻野 特に20代の方でそろそろこういう技術が好きとかでてきた場合は、もしそれを確固たるものにしたければそれが出来るところまでいったらいいんじゃないかと思うんです。

    川井 そうですね。

    荻野 コンシューマサービスでちょっとユニークなものをやりたかったら、弊社なんかも面白いと思いますよ(笑)

    川井 面白そうですね(笑)

    荻野 これも梅田望夫さんが、「見晴らしのいい場所にいるのが大事」だとよくおっしゃてますよね。私にとってはNeXTやRubyのコミュニティだったりが見晴らしのいい場所だったんですよ。いろいろ学ばせてもらいました。見晴らしのいい場所というのを意識しているようにした方がいいと思いますね。

    川井 素晴らしいですね。

    荻野 とは言っても、私自身も半人前ですので・・・。というか、若い人へアドバイスというより若い人に負けたくない負けられないと思っています(笑)

    川井 なるほど(笑)

    荻野 こちらもアドバイスというより、負けないように頑張りますとしか言えないですね(笑)貴方方もライバルの1人ですという感じです。セカちゃんとかamachangとか全然敵わないですからね。他にもすごいなという若い人がいっぱいいるので本当はアドバイスもらいたいくらいです。

    川井 いやいや(笑)

    荻野 自分にはアドバイス出来るとしたら技術的なことじゃなくて、臆せず転職しろということですかね(笑)

    川井 生き様の方をクローズアップしていますから、それはありですよ(笑)

    荻野 海外のカンファレンスは積極的に行った方がいいですね。元はとれます。学生の方は同じカンファレンスに行く別の大人が相部屋にしてくれたりだとか助けてくれたりすることが多いです。

    川井 なるほど。

    荻野 これを見て来年のRubyカンファレンス行きたいなと思った学生さんがいたら是非積極的に 声に出して言ったらいいんじゃないかと思います。最初のWWDCはスカラシップで行きましたけど、どっかの誰かがきっと助けてくれるはずです。

    川井 そうですね。手を上げろということですね?

    荻野 そうですね。

    川井 すばらしいです。ちなみにデート通.jpとかは技術的には何で書かれているんですか?

    荻野 私が入る前に開発されたものなので、ほぼPHPで構築されていて、バッチ処理がPerlで書かれています。最初は外注で構築して、その後いろいろありましたが、今は2人で古くなったところを改修したりしています。要所要所使えるところはRailsでやったりだとか、あまりこだわりなくやっていますね。

    川井 そうですか。エンジニアは2名なんですね。

    荻野 そうですね。Web制作会社なのでたくさんは無理ですが、エンジニアは募集していますよ。学生のインターンなんかも積極的に採用しています。

    川井 わかりました。うちからも是非紹介させてください。今日は本当にありがとうございます。

    荻野 いえ、話が下手なのでまとまりなかったと思いますが、ありがとうございました。

    川井 いえ、非常に面白い話でした。巨編ですね(笑)

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  • プロフィール荻野淳也 氏

    ◆ 1975年生まれ。新潟県糸魚川市出身。
    ◆ 東京都立大学在学中からプログラミングのアルバイトをはじめ、フリーランス、起業なども経験しつつ数社を経た末、2007年8月よりコントロールプラス株式会社にて『デート通.jp(http://www.date2.jp/)』の開発・運用を担当。
    ◆ 谷山浩子とネコと本とお能とコーヒーとMacとRubyをこよなく愛す。個人blogはこちら (http://d.hatena.ne.jp/ogijun/)。
    ◆ デート通.jpとも関係が深い、コントロールプラス株式会社の「デート支援金制度」がカヤックの柳澤さんの著書で紹介されています

    <会社概要>
    会社社名 コントロールプラス株式会社
    http://www.ctrl-plus.jp/
    設立 2005年3月3日
    代表取締役社長 村田 マリ
    従業員 15名(契約・アルバイト含む)
    事業内容
    1.インターネットホームページの企画および制作
    2.インターネット広告代理店
    3.メディア事業 「デート通.jp」「キャリアコンサルタント.jp」
    4.イベント企画および運営
    5.セールスツール、ノベルティ制作

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