インタビュー記事

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第13回 新井元基 氏

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今回は、京大発ベンチャーであるドリコム社の開発部隊を指揮する新井元基さんにお話を伺います。新井さんは、学生時代から当時、設立間もないベンチャーを渡り歩きながら技術とビジネスセンス両方を磨きあげてこられた、ベンチャースピリッツに溢れたエンジニアです。取材会場は、恵比寿駅近くの中華料理店「金葉楼」です。また、ドリコム社受付で撮影をさせていただきました。

※取材日は、2007年11月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出会いは?>
川井 新井さん、こんばんは。今夜は「Webエンジニアの武勇伝」のインタビューということでお願いいたします。
新井 こちらこそ、よろしくお願いします。
川井 まずはお決まりのパソコンとの出会いからお聞きしたいんですが。
新井 小学生のときです。
川井 やっぱりゲームなんでしょうか?
新井 どうなんでしょう。あんまり覚えてないんですけど、粗大ゴミから拾ったかだれかからもらったPC6001に「BASICマガジン」のプログラムをそのまま打ち込んだりしていました。
川井 このあたりって皆さんほぼ同じ流れですね(笑)
新井 その時はプログラムなんて全然分からなくて、BACICマガジンに載っているプログラムをそのまま打ち込んで、動いたらおーすごいみたいな感じでした。あとはカセットテープで30分くらいピーガラガラガラって読み込んでやっと始まるようなゲームをやっていました。
川井 ありましたね。テープローダーですよね。そうしたものへの興味はどんな風に生まれたんですか?
新井 もともとはやっぱりゲームです。友達の家にパソコンがあって、ゲームが自分で作れると聞いて、それはすごいなとなんとなく憧れみたいなものがありました。
川井 その後は、そういった興味はどんなことにつながっていくんですか?
新井 次は、パソコン通信がしたくて。ニフティに興味があったんですけど、親に言ったら電話代がかかるなら駄目だと言われてできなかったんです。でも、高校ぐらいになると「テレホーダイ」というサービスが出てきたので、それでインターネットを始めたんです。
川井 夜中だけ繋ぎ放題ってやつですよね。
新井 そうです、そうです。確か23時から7時まで繋ぎ放題。毎日のように徹夜でチャットとかやっていたんですよ。
川井 へー、やっぱり本質的に好きなんでしょうね。どんな人と知り合ってチャットするんですか?
新井 同年代の人たちばっかりで、なんの話をしていたかは全然覚えていないんですけど。1度オフ会もしました。
川井 高校生同士で?
新井 はい。京都に住んでいたんですが、名古屋まで行ってやりました(笑)
川井 すご(笑)

大学時代は?
川井 大学は京都大学ですよね。学部は理系ですか?
新井 そうです。工学部の電気電子工学科です。
川井 ストレートで?
新井 いえ、1年浪人しています。でも、浪人したのを何を間違えたか暇だと思い込んで、そこでプログラムを始めたんです。
川井 (笑)
新井 数人でやっているような小さな会社にアルバイトで入って、VBなんかでプログラミングしていました。
川井 それでよく京大に受かりましたね(笑) そんな調子だと入学してから加速度的にプログラムの世界にのめりこんでいくという感じですか?
新井 大学に現役で入った友人が「大学は面白くない」とよく言っていたので、入学した当時からあまり大学に行く気がしなかったんです。それでどうしようかと思っていたら、ちょうどあるベンチャー企業がビラを配っていて。当時、「ベンチャー企業」というものがそもそも何かよく分からなかったんですが、学生が集まってインターネットでビジネスをやっていると聞いて、面白そうだと思いました。
川井 もしかして知っている会社だったりしますか?
新井 ガイアックスです。当時、ガイアックスに京都ラボという京都の事業所があって、学生が中心になってやっていたんです。
川井 そうだったんですか。じゃあ、ほとんど学校行かずに?
新井 プログラムばかりしていました。テストの情報交換とか学生のコミュニティサイトなんかを作っていました。ここに1年くらいいた後、ケイ・ラボラトリー(現在は「Klab」)という会社に入りました。
川井 なんか今や名だたる企業ばっかりですね。
新井 ガイアックスとケイ・ラボラトリーが事業提携して何か一緒にやりましょうという話になったので、研修ということでケイ・ラボラトリーに1ヶ月くらい行ったんですが、いろいろあって結果的にはそちらに転職してしまいました。そのときにガイアックスの京都ラボのメンバーを数人呼んで、ケイ・ラボラトリーの京都ラボを作りました(笑)
川井 そんなことに(笑)
新井 ケイ・ラボラトリーに移った仲間のうちの3人でマンションの一室を借りて、生活も仕事もそこで一緒にしていました。
川井 このときのメンバーは今は?
新井 ほとんどはまだKlabにいます。
川井 しかし、学生の時代からベンチャーを渡り歩いているんですね。「ケイ・ラボラトリー」ではやはり携帯の開発ですか?
新井 ちょうど入社した頃は「iアプリ」が出たところで、ゲームとかグリーティングカードを送るアプリとか、ひたすらiアプリを作っていました。
川井 技術的にはどんな感じだったんですか?
新井 ガイアックスの時はPerlで、ケイ・ラボラトリーではJavaでServletとかiアプリとかを作っていました。実はガイアックスに入る時はPerlは出来なかったんですが、採用面接ではできるとはったりを言って入りました。言ったからにはできないと駄目なので、必死でした(笑)
川井 でも、すぐできちゃうんですよね?
新井 そうですね。やってみたらなんとかなりました。
川井 しかし、そんな感じで、大学院とかって行けるものなんですか?
新井 工学部の人はみんな院に行きますからね。実は、院試は不合格だったんですが、運良く補欠で入れました。大学も奇跡的に4年で卒業できました。
川井 すごいですね。でも研究とかってやれたんですか?
新井 大学のときは、「ステレオ視」といって、カメラでいろんな方向から撮影した画像から、物体の3次元形状を復元するという分野の研究をしていました。寄り目にしたら立体的に見える絵というのがあるじゃないですか。あれと同じ原理です。大学院でもその研究を続けたかったのですが、補欠で別の研究室になったので。もう一つ興味のあった「人工知能」の研究をしていました。ただ、ドリコムに転職した後に辞めてしてしまいました。
川井 大学院時代にドリコムに移った時点で辞めてしまったってことですか?
新井 いえ、実はドリコムが上場するときに、上場企業の役員が学生というのはいかがなものかということになって、そのタイミングです。
川井 ぎりぎりまですっと2足の草鞋ってことですね?
新井 そうです。でも大学院には2年弱在籍していましたが、実際に通ったのは半年くらいでした。実は、当社社長の内藤も上場のタイミングで大学を辞めました。
川井 そうなんですか。それは知りませんでした。しかし、学生なのに「会社に入った」とか「転職」とかいう表現するのも、きっとすごく自然な感じなんですよね。そのあたりがよく伝わってきました。
新井 そうですね(笑) ずっと月給でしたし。ケイ・ラボラトリーの時は契約社員でした。
川井 ドリコムに移ったきっかけってどんなことだったんですか?
新井 ガイアックス時代の同僚が転職先を探しているときに相談に乗っていたんですが、入社したのがドリコムだったんです。それで、1年後くらいにその人から誘われたのがきっかけです。これまでの会社の社長も皆若かったのですが、自分とほとんど変わらない年齢の社長は初めてでした。さらに取締役は同じ年齢とか年下とかでしたから。入社面接では内藤がブログについてやたら熱く語ってきたのですが、僕は正直ブログなんて全然知らなくて。でもすごく楽しそうに語っているのを見て、これはきっと一緒に楽しいことができると思いました。
川井 なるほど。そういうのって大事ですよね。
新井 そうですね。給料がケイ・ラボラトリーの時の半分以下になったのですが、転職しましたから。
川井 それは内藤さんに何かを感じたんでしょうね。
新井 そうですね。それに同年代の社長や役員陣がやっている会社なので、これまでプログラムしかやってこなかった僕でも、いろいろやらせてもらえるかもしれないという思いもありました。
川井 経営とかにも興味があったんですか?
新井 ガイアックスにいたときに上田社長が27歳だったんですが、それを見ていて僕も漠然とですが、27歳くらいになったら同じようなことをしたいと思っていたのもあります。実は今27歳なので、どうしようと思っていますけど(笑)
川井 さきほどの内藤さんの話からすると、ドリコムさんってそのときはまだブログはやってなかったんですよね。
新井 当時は、受託開発を一切請け負わずに、社を上げてブログを開発し初めていた時期でした。最初は、社内でもブログは日記と何が違うんだとか、なぜ今更日記サービスを作るんだという反対意見が大半だったそうですが、内藤一人だけが「これは絶対にいける」と言って聞かなかったそうです。
川井 確かにいけましたね。

ドリコムに入ってから
川井 ドリコムさんに入ってからもバリバリのプログラマですか?
新井 そうです。
川井 やっぱりJavaですか?
新井 はい。入社してからすぐ、ブログが社内の情報共有に使えるんじゃないかという話になって、すでにできていたブログエンジンをベースに開発しました。本当は他のプロジェクトにアサインされる予定だったのですが、このプロジェクトが面白そうだと思ったので、2週間くらいでできるからやらせて欲しいと言ったところ、それだったらという感じで始まりました。
川井 そうなんですか。それは無茶苦茶ですね。
新井 それが当社の主力商品1つになっている「ドリコムブログオフィス」なのですが、結局、2週間くらいでプロトタイプを作って、2ヶ月くらいで製品版を作りました。
川井 それでも早いですよね。それで売れたんですか?
新井 いえいえ、それがなかなか売れないんですよ。ブログの認知度がまだ低かったですから。ブログを知っていれば、情報発信のしやすいブログが社内の情報共有に役立つということが分かってもらえやすいのですが、そもそも「ブログって何?」という話から始まるので。半年くらい作るのが早かったねというような笑い話をしていました。それからほどなくブログも認知度があがってきて、少しずつ売れるようになってきました。
川井 だんだん会社も会社らしくなってきたんじゃないですか?
新井 そうですね。ただ、入社して4ヶ月くらいで、執行役員をやってくれって言われました(笑) ただ、その時に「執行役員」という言葉を初めて聞いたので、「そもそも執行役員って何?」という感じから始まりました。
川井 経営をやりたかったんですから、それでも嬉しかったんじゃないですか?
新井 それはそうですね。密かに、入社して1年くらいで取締役になりたいと思っていましたから。でも4ヶ月でとは正直思ってもいませんでした。
川井 執行役員になって何か変わったんですか?
新井 それが、なって1ヶ月も立たないうちに、内藤が「上場する」と言いだしたんです。ガイアックスもKlabも上場を目指しつつもなかなか苦労しているのを見ていたので、そんな簡単なものじゃないぞと苦笑していました。でも、1年半後には実現しました(笑)
川井 すごいスピードですよね。
新井 上場すると言い出してからが無茶苦茶、大変だったんですよ。
川井 管理面ですか? それとも業績面?
新井 上場に向けて立てた売上目標を達成するのが一番大変でした。もうずっと会社にいりびたりで、1週間に一度、家に帰れるかどうかという感じでした。
川井 執行役員自ら、稼働して、売上を立てていたってことですか?
新井 はい、自ら先頭を切って。あと、そのタイミングで東京進出をしました。開発部隊では僕一人だけ上京しました。少し前から東京に営業拠点はあったんですが、東京の案件がほとんどだったので、東京にも開発部隊を作りたかったんです。家は京都のままだったので、上京してきてしばらくはそのまま会社に泊まり込みでした。
川井 じゃあ、エンジニアの採用はいちから始めたんですか?
新井 そうなんです。みんな、自分で面接して採用しました。僕は人見知りが激しくて、そういうのが苦手なので大変でした。入社した人から「面接の時はすごく怖かった」なんて言われたこともありました。精一杯頑張っているつもりなんですけど(笑)
川井 ちなみに、この時点ではまだ学生なんですよね?
新井 そうです。ただ、東京に出てくるときに休学しました。
川井 ご両親は何か言わなかったんですか?
新井 ずっと親の言うことを聞かない子だったので。高校のときなんかは「アルバイトをしたい」と言って駄目って怒られた翌日にアルバイトの面接に行ったり、バイクの免許も駄目だって言われた翌日に取りに行っていましたからね。
川井 親が諦めたっていうことですかね?
新井 そうですね。大学に入ってからはほとんど家にも帰ってもないですし。
川井 でも、上場の時は喜んだんじゃないですか?
新井 どうなんでしょうね(笑)
川井 他に大きな動きなんかはありましたか?
新井 東京に出てきてから、急激に人数が増えて2回事務所を移転しました。最初は神谷町で、半年後は赤羽橋。そしてさらに1年後に今の恵比寿です。
川井 なんとなく渋谷に向かっているような・・・
新井 いえいえ(笑)
川井 エンジニアの比率はどれくらいですか? 
新井 最初は、役員以外は全員エンジニアでした。東京に出てきてからは、営業も積極的に採用しました。それでもしばらくは7割エンジニアみたいな感じだったんですが、今はグループ会社も入れると半分くらいの比率です。
川井 技術的にはRuby on Railsも取り入れていらっしゃると思いますが、どんな歴史を辿ってきているのでしょうか?
新井 まだRailsが知る人ぞ知る時期から取り組み始めました。ある時、京都の学生アルバイトの1人が「うちの会社はやりたいことをやらせてもらえない」って言っていたんです。それで詳細を聞いたところ、「Ruby on Rails」というRubyのフレームワークをB2Cの開発に使いたいのに使わせてもらえないと言うんです。当時は、B2CサービスはPHPで作っていて、今までの蓄積があるのにそんなに簡単に乗り換えられないというのが意見の大半を占めていたんですが、あまりに言うのでみんなでRailsを試してみました。そうしたらちょっとコードを書くだけで動くものができたりして、面白かったんですよ。僕自身もWebプログラムって7~8割は無駄なコードだと思っていたんですが、Railsではその多くの部分がフレームワークの規約になっていてそもそも書かなくていいのですごく効率的です。エンジニアってみんなそういう面白いものや効率的なことが好きですから、気がつけば盛り上がってました。
川井 なるほど。
新井 それで、どうせ社内で使うなら、その技術が世の中で一般的に使われていないと面白くないよねという話になって、「Award on Rails」というRailsのプログラムコンテストを開催しました。
川井 今は、開発のどのくらいの割合がRailsなんですか?
新井 エンジニアの数としては、メインで使っているのは全体の3分の1くらいです。B2CのサービスはほとんどRailsです。B2BはJavaがメインですが、B2Cとして作ったものをベースに応用する場合にRailsを使うこともあります。
川井 どっちにしても、まだこちらからRailsでやりましょうって言わないと、難しいですよね。
新井 やっぱりJava受けがよいです。顧客も安心感があるんでしょう。
川井 Railsはこれからも広げていこうという感じですか?
新井 そうですね。僕達が考えていた以上に、Railsが盛り上がってきた感じもしますし。

現在の取り組みと将来の夢
川井 大分、社員数も増えてきて、今は自分の手を動かすというよりは、違った役割がメインになっているかと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?
新井 2年くらい前からプログラミングの現場からは離れています。僕自身、完全にマネジメントの立場になるとは思っていなかったです。人見知りが激しいので・・・
川井 日々の仕事で一番、多いものはなんですか?
新井 うーん、いちばん多いのは会議や調整ですかね。
川井 営業なんかはされないんですか?
新井 ほとんどないです。現場にいた頃は、頻繁にスーツでお客さんのところに行っていました。昼間はお客さんのところにいって夜はプログラミングしてというような。
川井 新しい技術の研究みたいなことは?
新井 今は特別していないです。僕にとってはとても大きな組織になってきていて、いかにエンジニアをやる気にするか、どうやってエンジニアの組織をうまくマネジメントしていくのか、というような試行錯誤が中心になっています。
川井 今後、やりたいことってどんなことですか?
新井 やっぱり、自分たちで作った製品やサービスを世の中に広めていきたいです。
川井 個人的に将来やりたいこととかってありますか?
新井 まずは、いろんな経験を積みたいです。
川井 さきほどのお話をお聞きしていると、開発にとらわれずに経営とかビジネスという広い視野でという意味かとも思いますが、そのあたりは?
新井 それもありますが、まだまだIT業界の中でエンジニアとしていろんな経験をしたいです。
川井 とはいっても、新井さんってこれまで取材させてもらったハッカーの方々と何か若干違う気がするんですけど、どうなんでしょうか? プログラムだけではなくて、いろいろなことに興味があるように聞こえますし、そういうスタンスで動いているように思えます。ある意味、クリエーターっぽい感じもしますが、そのあたりはどうですか?
新井 そうですね。自分が生きているうちにすごいものを作って、世の中を驚かせたいと思っています。それが何なのかは全然わからないですけど。でも、今は一歩引いて、みんながそういうことができる環境づくりに専念しています。
川井 すごいものっていうとこの世の中だとやっぱりネットとか先端技術が絡んできますよね。インターネットって、物理的距離の概念を覆したという意味で産業革命以来の革命だって、ドラッカーが言っていますけど、今後、この世の中にどんな革命が起きると考えていますか? ガンダムのような世界とか、MATRIXのような世界とかかなって漠然とした想像はあるんですが、新井さんから見て、どんな風になりそうとかいうイメージありますか?
新井 攻殻機動隊とかもですよね(笑)でも、MATRIXのような世界を創ることが夢なんです。あれは衝撃的でした。人がネットの中にいるんですからね。インターネットは大分広がりましたが、まだまだ生活するのになくてはならないものにはなってない気がしています。みんながネットで当たり前のようにつながるようになって、今とは別な形のコミュニケーションをとっている世の中になることを夢見ています。

若手のエンジニアに向けて
川井 最後に若手エンジニアに向けてアドバイスをお願いします。
新井 僕も十分若いと思うんですけど・・・(笑)
川井 グリーの藤本さんにインタビューしたときも同じこと言っていましたね(笑)
新井 仕事1つ1つを楽しんでほしいです。一見面白くないような仕事でも、考え方によっては面白いですから。
川井 楽天の三木谷さんの本で「成功のコンセプト」というのがあるんですが、その本の中で「面白い仕事はない。仕事を面白くする人間がいるのだ」と書いていましたが、そういうことですよね。
新井 その通りです。あと、エンジニアは受け身の人が多いので、もっと積極的になってほしいとも思います。
川井 どんなシーンで積極的になるといいと思いますか?
新井 やりたいことがあればどんどん手をあげればいいと思います。こんなの作りたいというのがあれば、やってみればいいじゃないかと。やらずに批評家ぶっている人より、失敗したとしても、やってみる人の方がいいですよね。
川井 機会を与えて、やってみるという積極的なチャレンジ精神を評価するってことですね。
新井 そうですね。
川井 今夜はいろいろ面白いお話をありがとうございました。
新井 こちらこそ、ありがとうございました。

【プロフィール】
1980年8月  大阪府出身
2000年4月  京都大学工学部入学
2004年3月  京都大学工学部卒業
2004年7月  株式会社ドリコム入社
2006年6月  株式会社ドリコムジェネレーティッドメディア取締役就任(現職)
2007年6月  株式会社ドリコム取締役就任(現職)

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