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第12回 宮下尚 氏(後編)

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<TRL(東京基礎研究所 Tokyo Research Laboratory)に入ったのは?>
川井 TRLに入ったきっかけを教えてください。
宮下 TRLに入ったきっかけは村田真さんですね。村田さんは、XMLの世界では日本では一番有名な人で、日本のXMLの父みたいな人ですね。その村田さんが私をTRLに誘ってくださって、それで入ったという漢字ですね。入ってからは、最初はXMLのことをちょっとやっていて、その後、分散コンピューティングやリライヤブルミドルウェアとかそういう研究をやっていたんですが、ここ2年くらいは、浅川智恵子というこの世界では有名は人間に引っ張られまして、アクセスビリティってことをやってますが、これがまた瓢箪から駒的なことになって結構びっくりしています。
川井 お立場的には研究員ということになるんですよね?
宮下 そうですね。肩書きみたいなものになると「主任研究員」ということになりますね。
川井 その研究員というのが職業だというのは違和感はないんですか?
宮下 私自身、研究員らしいかどうかというのは自分の中のイメージと整合性がとれていない部分もあるんですよ。まあ、TRLに入ってから自分の中で一番研究員っぽいものとしては、XMLの理論ベース研究をやっていて、今でも続けいきたい自分のコアな部分なんですけど、これが本当に数学チックなんです。そういうのが研究員っぽいかなとは思いますね。私の中の研究員のイメージは普通の人間には誰もできなかったことを作り上げて、その上でさらに理想的な意味でですけど、「世の中を変える」という印象があるんですよ。ちょっと模範解答すぎるんですが、これをイノベーションって呼んだりするのかもしれません。
川井 さきほども「世の中を変える」ってキーワードが出てきましたが、そういう気持ちはやはり強いんでしょうか?
宮下 そうですね。そうでなかったらソフトウェアをあの時にやろうって思ってなかったかもしれませんね。自分が好きっていうよりは、なんか大きなことができないかなって意味で、ソフトウェアってすごいって思っているんですよ。これはストールマンに影響されましたね。彼は極めてラディカルな形でソフトウェアで世の中が変えられるって信じてるんですよ。ソフトウェアが世の中を変えるって力を持ってるってことを。
川井 確かにソフトウェアは目に見える部分で世の中を変えてますよね。
宮下 WORLDISFLATとかいう形で、世の中がどんどんフラットな構造になっている、つまり、世の中どこにいても世界のどの地点にいても同じプレイグラウンドにいられるというのがWORLDISFLATのポイントなんですけど、ストールマンに会った時に彼がこう言ってたんです。「ソフトウェアというのは無限の生産性を持っていて、いっぺん書いたら誰もがコピーして使える」これはソフトウェアがWORLDISFLATの世界で、ものすごい力を持っていて、誰かが書いたソフトウェアがあっという間に発展途上国の世界でも世の中のいたるところの世界で使えてしまうっていう力を持つっていうことなんです。さらに恐ろしかったのがムーアの法則です。当時はまったく信じてなかったんですけど、パソコンがすごく安くなって、昔のスーパーコンピュータみたいなパワーを持つようになっちゃったんですよね。それで、パソコンの方に価値があるんじゃなくて、ソフトウェアの方がバリューを持つようになってしまったんです。こんなにソフトウェアがパワーを持つっていうのは今、実際におこってみても面白いことですね。
川井 なるほど。
宮下 それは今、私がやってるアクセスビリティでも如何なく発揮されている気がしますね。
川井 アクセスビリティというのは具体的にどういった研究なんでしょうか?
宮下 今のコンピュータの世界というのはほとんど普通の人間(マジョリティ)を意図してデザインされているんですね。私がやってるのは主に視覚障害者向けのアクセスビリティなんですが、目が見えない状況を想像してみると、コンピュータシステムって全然違うものを作っているはずなんですよ。我々がいつも例に出すのは建物なんです。建物って、階段があってエレベーターがあって、エスカレーターがあってなんですけど、もし人間に羽があったら、そんな構造にはしないだろうって思うんですよ。だから逆に目が見えない人のために目が見える人のためのシステムって作らないですよね。私自身、アクセスビリティに入って、まだ2年くらいでやっと分かり始めてきたところなんですが、例えば、画面がまったくなくてコンピュータを操作しなくちゃいけないってなったら、目が見えない人のために、今出ている画面の状況を的確に説明してくださいといわれても、簡単にはできないですよね。
川井 確かに難しいですね。
宮下 今、視覚障害者の方って、スクリーンリーダーっていうソフトウェアを使って、画面の情報をどんどん読んでいくんですよ。キーを押すたびにもしくは何かのイベントが起きるたびに画面の情報をどんどん読んでいく。でも読むっていうのは目が見るよりすごくスピードが遅いし、喋っている内容を聞いただけで画面の情報を再構築できたらこれはもう天才的なものですよ。だって人間が説明しても難しいんですからね。私が最初に入ったときに悩んだのは、全然分かんないんですよ。自分でスクリーンリーダーを使ってみても自分で操作できない。にもかかわらず、視覚障害者向けにマルチメディアリッチコンテンツ用のブラウザを作れっていうのが私に与えられた課題だったんですよ。今、インターネットっていろんなものを自由にしましたが、1つにはスタティックなテキスト性的文書っていうものを視覚障害者に伝えるってことでとてもアドバンテージになるってことに浅川智恵子が気づいたんですね。それでホームページリーダーってものを作って、インターネット上のものはもう文章になっているから文章のものを読み上げるっていうのは結構できるだろうっていうことになって、そういうものを作ってこれは高い評価を受けたものだと思います。ただ最近はFlashだとかマルチメディアコンテンツみたいなものが世の中に出てくるようになって、とてもビジュアルなものが多くなっていますが、そうしたものにも対応できるようになってきているんです。
永渕 浅川智恵子というのは、当社の研究員なんですが、本人自身が全盲で、それで視覚障害者向けのスクリーンリーダーを作ったんです。
川井 なるほど。そういうことだったんですか。
宮下 そういうサイトをアクセシブルにしなきゃいけないっていうのが、私のやらなくちゃならなかったことだったんですが、途方にくれましたね(笑) 今回、アイブラウザってものを出させていただいたんですよ。アイビーエムアクセスビリティインターネットブラウザフォーマルチメディアっていうものをここ1年作っていました。例えばポーズキーを押したら、ポーズキーで止まるんですよ。今までマウスとかでしか操作できなかったものを内部のコンテンツの内容を解析して、この中のマルチメディアコンテンツみたいなものをアクセスできるようにしてるんですよ。それで直接操作して中断とか再開できるようにしているんです。音量も下げることができるしミュートもできます。さらにこんシステムは外からHTMLみたいな小さいデータを書くことによって、今までボタン2とか3とか言ってたものを、ちゃんと対応する場所にテキストをつけることができるんです。これはHTMLみたいな小さなものが書けることができるっていうテクノロジーなんですね。
大場 サイトに合わせた補助情報を外部から与えるみたいな感じで、そこが本当に宮下さんの設計って感じがしますね。
宮下 そういってもらうとなんか嬉しいね(笑)でも、この設計は大騒ぎだったんですよ。何が難しいって、このコンテンツって動くんですよね。その動くコンテンツに向かってそういうものを設計しなくちゃならない。どうしてそういうことが可能かっていうと、視覚障害者って局所情報しか見ることができないんですよ。なので動きながらメタデータを動くコンテンツに対して動的にどんどんあてているんです。
川井 なるほど。しかし本当に大変だったんでしょうね。
宮下 アクセスビリティをやっていたのは本当にしんどい経験だったんですが、今となっては面白い経験だと思います。全然わからなかったんですが、やってみると面白いんです。アクセスビリティってまさに思いやりなんですよ。大手のサイトでも読み上げてみると全然構造が分からなかったり、テキストがまったくなかったり、分からないものも多いんです。
川井 普通にやったら、そういうことは想定してませんもんね。
宮下 でも最近は、そういうことを考えてくれているサイトもそれなりに増えてきていて、それは我々が研究をやっている意味がでてくるところなのかもしれません。アクセスビリティっていうのはマジョリティでないところに対して、普通の人が使うものとは違ったものを考えなくちゃならないんです。人間はそういうところって考えないんですよね。勿論必ず考えなきゃならないってわけでもないんですけど、考えなきゃならないとしたら、今やっている仕事っていうのは非常にいい経験になったと思いますね。どういうことをやれば、実際に使っている視覚障害者が困るかってことがわかるっていうのは、結構ちょっとした思いやりなんですよね。気づけば簡単に直せるんですけど、路上に段差があってもつまづくなんてことを考えないように、そんなことになるなんて思いもしないんです。これって分からないんですよね。これは本当に難しいです。これって、どう人間が理解してどう読めばわかるかってことに気づくことなんですよね。そういう世界があるんだなってことを考えると非常に大きな研究といえますね。このブラウザ自身もかなりものすごいことになっていて、この動的コンテンツの中を操作したり、外からデータをあてたり、そういう意味ではテクノロジーのすごい意味でのハッキングの域をいっているのもありますし、逆にユーザーに対しての思いやりを考えなくちゃいけないっていうものすごい両極端な2つを歩まないといけないんですね。本当に大変な作業になりますね。
大場 そうでうすね。既存のサイトに割り込んで情報を付加したりする感じですからね。
宮下 まだ役に立つかは分からないといえば分からないんですが、これってソフトウェアの勝利だと思うんですよ。これはオープンソースにする予定なんですが、そうするとパソコン持ってる人はみんなこれを使えるし、コントリビュートもできる。そういう意味ではとてもソフトウェアの力って大きいですよね。
川井 なるほど。
宮下 ウェブって世界は10年ちょっとくらいかもしれないですが面白い世界だと思います。いろんなものをフラットにして敷居を低くしましたよね。それは、私が大学生の頃には使えなかったような情報やいろいろな文献に誰でもアクセスできるようになったり、いろんな意味でいろんな人の能力に影響を与えていて、アクセスビリティテクノロジーもその1つとして貢献してるんだと思うんですよ。正直、私が作った視覚障害者用にシステムはこんなの使えないって思うくらいにとっても不満で辛いんですが、実は本当に努力する人には使えるんです。今まで、努力する人でも手段がなかったんですが、努力する人にはなんとか使えるんですよ。この差は大きいですね。頑張る人に手段を与えるってことは、月並みに言えば希望を与えるってことなんでしょうけど、それって、決して悪いことじゃなく、ファーストステップという意味でもなくて、とってもいいことだと思うんです。意味があると思うんですよね。
大場 メドウプロジェクトにも視覚障害者が2人いるんですよ。その人は昔からトレーニングを重ねて、コンピュータも使えるようになって、プログラムも組めてデバックもできるんですが、コンピュータがMS-DOSからWINDOWSに変わったときって、みんなは便利になったと思ったんですけど、逆に彼らは使いにくくなっちゃったってことがありましたね。画面が急に変わるのでスクリーンリーダーで追いつかないんですよね。
宮下 私とアクセスビリティとのそもそものつながりってそこなんですよね。視覚障害者だった坂本みつるさんや井上さんに頼まれて、じゃあ貢献しようってことで、メドウを視覚障害者にも使えるようにということで、メドウスピークとかEmacsスピークとかメドウもしゃべれるようにっていうようなことをやっていたんですよね。そういうこともあって浅川からは、この人アクセスビリティに詳しいじゃないのって勘違いを受けまして(笑)できる範囲でって思ってやっていたら、思わず深いところにまで足を突っ込んじゃったんですよ。そういった意味ではいろんなことがつながっていますね。でも、こんなにどっぷりアクセスビリティにつかっちゃうとは思いませんでしたけどね(笑)

今後はどういうことを?
川井 今後はどういうことをしたいとかっていうのは何かありますか? 先先でも構わないんですけどね。
宮下 先って難しいですね。情けない話なんですが、あまり分からないんですよね。多分なんですけれど、今後、世の中って大分変わっていくと思うんですよね。実はここまで世の中が変わるっていうのも予想外だったんですけどね。ピータードラッガーが今後の世紀はソサイアティの時代になるだろうって言っていたんですよ。全然信じてなかったんですが、今となっては信じざるを得ないですね。というのも個人個人が作っている人と人とのつながりがオープンソースのアクティブティでもそうですし、NGOでのつながりもそうですが、どんどん強くなってきて意味を持つことが多くなってきたんですよね。でも、それは決して悪い世界じゃないなくていい未来があるだろうなって思うんです。昔、製造業がマターしていた時代は装置をもっていないと駄目で、いっぱいお金を積んだ人が経済の中でマターして意味を持っていた。けれど今はコンピュータがすごく安くなってしまって、昔は高価だったものが10万もしないで手に入るようになってしまった。オープンソフトウェアとかフリーソフトウェアの才能があれば、コンピュータに対して価値を持てるようなものが小数の人間によって作れるような世の中になってしまった。ウェブっていうのは本当にそれを加速させたって私は思っているんですよ。個人の力が強くなっちゃんたんですね。近代社会になってから変わってないんですが、人はお金で売り買いできないんです。人は基本的人権で守られていて、人をどういう風に動かしていくか、人に対してどういう風に価値を生み出していくかっていうのはかなり難しいことになっちゃうんです。お金は重要なものではあるんですが、資本はどんどんマターしなくなっていますよね。市場経済っていうのは意味があるんですが、資本主義ってどうなるんだろうっていうのは今、一番見てみたいことですね。
川井 確かにそうですね。資本主義は行き詰っている感がありますね。
宮下 その中で私がやりたいことって、人が生きていて幸せになるというような月並みな言い方ではうまくいかないんですけど、自分たちが価値を生む出す何かをやりたいと思ったときに、それができる環境とか道具とか手段のような仕組みを提供することに貢献したいというようなことなんです。例えば、私が、文章を書いたり、ソースコードを書いたり、論文を書いたりできることってすごいことだと思うんですよ。なかなかできないことなんですよね。それって、実現できる環境とか仕組みがあってはじめてできるってことで、ですから、「みんなが何かをできる」っていうのは実はすごいことなんです。それに貢献できたらなってのが、今の段階では、とても抽象的な意味でのやりたいことですかね。その中でアクセスビリティがうまくアラインしたらなんって思いはありますね。
川井 なるほど、宮下さんのやりたいことが伝わってきました。具体的で簡単な言葉にするのは難しいし、そもそももったいない感じがしますね。
宮下 どう表現すると一番いいのか私にも分からないんですよ。でも、そのときの価値観だとかに落としちゃうと、あまりにも世の中が変化しちゃうので、よく分からないんです。今みたいな世の中になるなんて、5年前には全然想像もつかなくって、夢物語ぐらいにしか思わなかったことが、今、そうなってしまうと世の中って変わるときには本当に変わるなって印象がありますね。私はもうちょっと世の中変わらないのかと思ってましたね。
大場 ちょっと世界が変わるってところから矮小化しちゃうかもしれないんですが、今流行っているオブジェクト指向プログラム言語の次は論理志向型じゃないかって以前言ってましたが、そのあたりはどう考えてますか?
宮下 ずっと模索してるんですよ。大場さんは、JRubyとか大分貢献していると思うんですが、私実は、あまりオブジェクト指向って好きじゃないんですよ(笑)こんなこというにもなんなんですけどね。私は数学チックな研究者チックなことをずっとやるのが好きで、そういう方向に入るとあぶない方向にいきそうなんですけど、そういう意味では、純粋にコンピューターをサイエンスとしてみたときに何をやりたいかっていうのはまた面白いんですよ。その時に実は、コンピュータの研究って悪い言い方をすれば全然、世の中に貢献できてない。オブジェクト指向ってとても珍しいんですけれど実はあまりうまく学問になってない。ってことを言ったら怒られちゃうな・・・コンピュータサイエンスの中でオブジェクト指向って実はあまり綺麗な部類のものじゃないんですよ。関数型言語とか論理型言語ってとても綺麗なもので、型理論とかもあるんですけれど、そういう学者が研究するもの以外のものの方が世の中には普及しているんですよね。アランケイがそういうのを皮肉って、「世の中の人は全然勉強していない」って言ってましたけど、研究がうまくマターしているかというとそれも実に怪しいんですよね。中でもデータベースとプログラミング言語、それとコンパイラーの世界がなんとか学問としては研究しているところがあるんですけれどね。私の野望の1つとしては、コンピュータサイエンスのエッセンシャルなところから世の中にインパクトを与る研究がしたいというのがありますね。ひとやま当てたいというのがないわけじゃないんですけどね(笑)そういうことを考えるときって、世の中のトレンドがどこに向かっているかっていうのがすごく重要で、しばらくはRuby on Railsみたいなのが結構きいているだろうなって思うし、逆にRuby on Railsがいっちゃったから学問みたいなのが上手くいかないのかもしれませんね。論理型言語みたいなお話は実は結構興味をもっていて、というのも、産総研で第5世代コンピューターの研究を日本のエリートの人たちを集めて国家プロジェクトとしてやってたんですね。その時に並列論理型言語という研究をしていて、それは今の世の中にかなり意味があるんじゃないかなっておもっていて、それはなぜかというとCPUにはコアがいっぱいのっているんですよね。デュアルコア、オクタコア、クワットコア、128コアとかそういうところがあって、どんどん編列に物が動くようになってきているんです。プログラミングも当然、そういう方向をサポートする動きをするんだろうなと思ったときにとてもいい研究をやってたなあって思うんですよね。実はあまり省みられないんですけどね。上手く実用になることなんてすごく珍しい。
川井 確かに表に出てきて目にふれる研究自体はごく一部ですよね。
宮下 例えばリレーショナルデータベースっていうのは珍しいタイプですね。WEBの世界ではDBとかコンパイラとかいうエッセンシャルなテクノロジーが意味を持ちますよね。私は、XMLでそのあたりのことを頑張ろうとしていたんですけどね。
大場 ちょっと聞いてみたかったんだけど、himiさんが論文を書いたりするときにフォーマルな数式とかにこだわっていたんですけど、それってどういう考えからきているんですか?
宮下 それはある意味で、すごく思想めいた言い方をするならば研究者の自己満足というところがありますね。本当にそれに陥らないようにしなきゃならないって自戒はしてるんですけど。数式を使ったから、別に偉いわけじゃないです。でもコンピュータサイエンスをサイエンスの領域に押し上げたのはやっぱり数学の力が大きかったんだと思っているんです。私、コンピュータサイエンスの領域で一番大きなものはチューリングマシーンだと思っているんですが、チューリングマシーンってとても数学なんですよ。チューリングマシーンで計算できるものとできないものってあるんですけど、計算できないものを証明したりするのが数学なんですよ。チューリングマシーンって今のコンピュータと同じようにすごい大きな力があるように思われているんですけど、実はできないことっていっぱいあるんですよ。ちょっとしたことが本当にできない。データベースの研究をやっているとそういうことがよくあって、そういう計算クラスをチューリングマシーンで決定不可という意味で、アンディサイレントって言うんでが、それがまだいっぱいあるんです。そういう意味で数学は大きいですね。結局、最後に正しいか正しくないかって示すときに証明になるんですが、これはもう数学なんですよ。でもそうやって数学の言葉を使っちゃうと、大抵の人には読めなくなっちゃうんですよ。これはジレンマですね。理論系の論文とかとても読めるような代物じゃなくて、記号の羅列なんですよ。けど、そういうものにひかれちゃうところもありますね。そういうものが私の中のプログラミング能力の一要素を作っているんですよ。こういう意味を知っている人間にしか書けないコードってあるんですよ。だからどんどんいろんなことを知らないと同じコードでも読めないんです。どうせJavaに落ちているんだから読めるはずだって言って突っ込んだ人は確実に挫折しちゃいますね。それはなぜかというとその後ろにある数学理論を知らないからその同じソースコードが読めないんです。無理なんですよ。私はまず数式を書くんですよ。それでその数式をソースコードに落とすから、これ読めないんですよ。本当に自分で書いたあとも読めないんですよ。さっき偉そうなことを言いましたが、もっとも読めない類のソースコードなんですよ。おそらく数式っていうのは最も強力なプログラミング言語なんでしょうね。
川井 数式だけを見ても読めないかもしれませんもんね。
宮下 そうですね。それだけでも大変だと思います。数式はチューリングマシンよりもパワーがあります。それをチューリングマシンと等価レベルにもっていって、チューリングマシンと等価な言語に直すので同じパワーを持っているんです。そういう意味で書けるんですけど、これは読めないんですよ。それは言語にパワーがないんですよ。まつもと幸弘さんも同じようなことを言ってましたが、パワーのある言語とパワーのない言語っていうのがあるんですよ。数式っていうのは、ある極端な方向にいったパワーのある言語なんですよね。ただ、この数式とか数学っていうのは一番訓練が必要ですね。大学時代に一生懸命頑張ったのは意味がありましたね。数式っていうのはそのままではあまりにパワーがありすぎて、コンピュータでは実行できませんからね。
川井 武器が違うって感じになってくるんでしょうね。
宮下 そうですね。いろんな武器を持ってた方が強いですね。私の中では数式っていうものの考え方は1つの強い武器になっているんですよね。これがさっきの質問に対する答えなんだと思います。これがないととてもじゃないけど、太刀打ちできない問題って世の中のそんなに狭くないところで存在するんですよ。

若いエンジニアに向けて
川井 若いエンジニアに向けて、メッセージをお願いしたいんですが。
宮下 私もそうでしたが、昔に比べると今の若い人の方がいい意味でのアドバンテージを持ってると思います。いろんな生き方があるんで必ずしもそうであってほしいとは思わないんですが、せっかくだから、今ある先人が残してくれたそうした贈り物みたいなものを使ってくれるといいかなと思うんですよね。そういう意味で私も今、恩返しとまではいかないんですが、何か残していければなって思いますね。答えになってますかね? ソースコードを読むとか数式を読むとかいうのは人の選択だと思っていて、なんでもかんかんでも人間ってできるわけじゃない。私はいろんなことにちょっかいを出しすぎて、本当によいパターンでやれたのか分からないですしね。
大場 若い人のアドバンテージについて具体的に教えてもらえますか?
宮下 それはリソースがまったく違いますね。いっぱいいろんな教科書から何からWEBで手に入ってしまうし、Googleで検索する世界なんですごい。昔じゃありえないですよね。みんながいろんなものをコントリビュートするから、なんでもかんでも一定レベル以上で分かってしまう。Wikipediaなんていろんな問題があるにしても結構な財産でしょうからね。
川井 他には何かありますか?
宮下 ソースコードを書きたい人にはアドバイスがありますね。勿論たくさん読むって言うのは月並みなアドバイスなんですければ、書くにしてもなんにしても人に分かるコード、どういう意図をもって書くのかっていうのを自分の中で持っておいてほしいんですね。ともするとソースコードって嫌がられるんですよね。好きで書いている人の方が珍しい。我々は本当に珍しいタイプなんですよ。結構かわいそうなのは、そういう立場で書かなきゃならない人で、そういうのを見ていると心が痛いんですよ。好きになるっていうのは難しいですし、文章を書けっていったらここまで苦痛になる人はほとんどいないと思うんですが、プログラミングではこんな目に遭っちゃうっていうのは、明確な理由があって、動かないものは動かないんですよ。本当にクリアに結果がでちゃう。アドバイスとしては、人に分かるように書くためには、これまでみんなこんな風に書いてるんだから、こんな風に書こうというようによいものを真似することですね。プログラミング言語を書くって意味では、その上に人間の意図があるんですよ。意図がないのは本当にとんでもないか、ものすごいのかどちらかで、後者は普通の人は触れない方がいいと思いますが、願わくは、その意図していることを汲み取ってあげてほしいんですね。どんな言語でもそれは同じなんですよ。私は人にプログラミング言語を教えるときってそういう風に教えてますね。「何をしたいんですか?」「どういうことを最終的にこれでやりたいんですか?」「じゃあ、どう書くんですか」と落としていきたいんですよね。これは今のところ、どんな言語でも変わらないんですよ。日本語の文章を書くときだっていろんなことを知っているか名文が書けるんであって、プログラミング言語も同じで、いろんなことを知っているからいろんなものが書けるんです。その中で自分が得意とすることって1つだけじゃなくて、業務に知識を知っている人は、私より業務のプログラムを上手く書けるでしょう。そういう意味でいろんなことを知って、その上で自分の書きたいことがみつかるといいなって思いますね。
大場 それができると6万行書けるの?
宮下 行数ですか。行数でいうと今年は10万行以上書いてるでしょうね。行数については場数が多いですね。人間ある程度空間認識能力というか記憶能力がないと行数はいかないんですよ。それと単に行数を増やしててもいずれ破綻するんですよ。その時に一番必用なのはなんなのかというと、実は「摂生」なんです。自分で決めたことを必ず守る。規則正しく一貫性のある書き方をする。これがすごく重要で、一貫性を失うとこのサイズのコードになると必ず破綻します。破綻しきったコードって見るも無残で、そうなっちゃうともうすごいエンジニアが出てきてなんとかしていくっていうことになりますね。オープンソースの世界ってその繰り返しなんですよね。そういうすごいタイプのエンジニアって往々にして機嫌が悪いので大喧嘩になったり(笑)こればかりは別個で本当に「能力」なんですよね。そういうタイプの一貫性のあるコードが書ける人って本当に少ないんですよね。今、なぜWebアプリケーションが上手くいっていて、とかいろんなエンジニアが参加できるかっていうと、あまりそういう一貫性がなくってもそこそこシステムが作れるようなものを作ってしまったからなんですよね。それが非常にエッセンシャルでそれだからWebはうまくいったんですよ。データベースとかミドルウェアとかそういう世界のものはできる少数の人間が作ってしまって、その上のアプリケーションはある程度、単純なロジックでなんとかなるっていうようなものにして、一貫性は誰かマネジメントする人が頑張るというようなことなんですよね。行数についていうとすごく悲しい意味でのつまらない言い方をするのならば、プロジェクトマネジメントだとかソフトウェアエンジニアリングでいっぱい人を動かして大規模なシステムを作ることができる能力やノウハウが一方では必要なんですよ。これはものすごい強力なんですが、このサイズのコードのものをなんとかするためには、そういう意味のことを個人に「摂生」として求めなければならないんです。これは簡単じゃあないですね。たいがい、オープンソフトウェアのメンテナーっていうのはサイズが大きくなると苦労するんですよ。
川井 なるほど、今日は本当にためになるお話をありがとうございました。いろいろ深い話が多くて、もっと突っ込んでいきたい部分もあるんですが、このままいくと夜が明けてしまいそうですので(笑)、一旦このあたりでと思います。続きはこのあとの懇親会でゆっくりお話させていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
大場 ありがとうございました。とても楽しかったです。
宮下 こちらこそありがとうございました。こんなんでよかったんでしょうか?
一同 大丈夫です!

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