インタビュー記事

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第26回 角谷信太郎 氏(前編)

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今回は、第22回の「Webエンジニア武勇伝」に登場いただいた株式会社はてな 舘野祐一(id:secondlife)さんのご紹介で、株式会社永和システムマネジメントでチーフプログラマを務める角谷信太郎さんにお話をお聞きしました。角谷さんは現在、Rubyの開発チームの面倒をみるかたわら、「JavaからRubyへ〜マネージャのための実践移行ガイド」などの翻訳書を出版されていたり、日本Ruby会議2008ではス実行委員を努めたりと、Ruby界隈で幅広く活躍されています。今回のインタビューでは、Rubyな人たちに囲まれて、Rubyを仕事にできている角谷さんが、なにも特別で最初からそうであったわけではないといった非常に等身大の感慨深いお話を伺うことができました。

※取材日は、2008年4月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出会い>
川井 よろしくお願いいたします。
角谷 よろしくお願いいたします。
川井 まずは生い立ちからお聞きさせてください。今おいくつですか?
角谷 75年生まれなので、33歳ですね。
川井 そしたら高橋さんや笹田さんの中間ぐらいなんですね。
角谷 そうですね。
川井 そうすると、最初触れてたのはパソコンというよりも違うコンピューターですか?
角谷 いえ、一番最初に触ったのはパソコンでした。
川井 何歳ぐらいですか?
角谷 小学校6年生ぐらいの頃に、機械好きな叔父がいるんですが、お下がりでPC-8801をもらいました。自宅にパソコンがきたのはそれが最初です。「新しいのを買ったら古いのをくれ」と頼んでました。
川井 何でパソコンに興味持ったんですか?
角谷 あんまり覚えてないですけど……何でもできるからじゃないかと。
川井 魔法の箱みたいな感じですか?
角谷 そうですね。プログラム書けば何でもできるみたいなところがグッときたんだと思います。でも自分でプログラムは書けなかったですけど(笑)。
川井 その当時ってプログラムという概念ってあんまり一般的ではないですよね? パソコンっていうとハードウェアという感じの印象があるんですけども。
角谷 ハードとソフトの区別もあんまりよくわかっていなかったと思います。自分がキーボードを打ったら画面になんか出るというが面白かったんだと思います。夏休みに沖縄の祖母の家に行くと、叔父の部屋によくわからない機会がいっぱいあって、パソコンはその中のひとつでした。私は夏休みだけど、昼間はみんな仕事なので、叔父がいない間に勝手にパソコンをいじってました。
川井 おもちゃの一個としていじってたら面白かったという感じですかね。
角谷 そうですね。最初にさわった頃はアルファベットもわからなかったですね。部屋にはプログラムの雑誌とかも無造作に置いてあったので、勝手にそれを見て、短くて簡単そうなプログラムを打ち込んで、「あ、動いた」というのが面白かったという(笑)
川井 (笑)
角谷 「打ち込む」といっても結構大変で。キーボードの位置もわからないし、そもそもアルファベットが読めない。形だけがたよりという。時間だけは死ぬほどあったので、面白かったです。
川井 なるほど。ご出身は沖縄なんですか?
角谷 母が沖縄出身ですが、私自身のは大阪育ちです。
川井 じゃあ夏休みとかに沖縄に行っていたんですか?
角谷 そうですね。小学生の頃は夏休み一か月丸々滞在とかよくしてました。
川井 なるほど。じゃあ当時はその夏休みの期間にパソコンをいじっていたという感じですか?
角谷 そんな感じです。あとは電機屋の店頭にあるのをいじったりとか……。でも特に目的とか成果もなく、ただいじってただけという。
川井 (笑)

次のステップ、そして就職へ
川井 8801の次はどういうステップになっていったんですか?
角谷 実際には中学校に上がってからはあまり触ってませんでした。高校に入って9801のどれだかを入手したんですけど、結局、ゲームとワープロが一台でできるという程度の付き合い方でした。でも、プログラムへの憧れだけはあったかなあ。だからといって特に何もやってないんですけど。
川井 なるほど。そのあと進路はどういう感じになるんですか?
角谷 高校は大阪府立の高校で、大学は私立文系で法学部です。
川井 あ、法学部なんですか?!意外です。
角谷 入試が英・国・社で、理数がなかったので。
川井 なるほど〜
角谷 数学とか理科は決定的に欠落しています。もう何がわからないのかわからないという。理数は中2ぐらいで脱落したっきりです。
川井 僕も高3の時に理系あきらめたんですよ。それで結局一浪しちゃいまし
た。そのあと文転して文学部に行きました。secondlifeさんも文系って言ってましたね。
角谷 そうなんですか!
川井 理系が苦手というと先々どうつながっていくのか楽しみなんですけど、どういう形で今の世界に近づいていったんですか?
角谷 大学に入って、高校時代の友達からEPSONの486のどれだかを安く売ってもらって、しばらく主にワープロとして活用していたんですけど、ある日なんとなくモデムを買ったんです。安売りしてたから。で、パソコン通信を。
川井 見てみたら興味があったという感じなんですか?
角谷 パソコンは他のパソコンとつながったりできるらしいという噂は、パソコンを知った頃から聞いていました。自分でやるには難しすぎてやったことなかったですけどで、とにかくつながるのがすごい、と(笑) で、実際にパソコン通信でつないで見たら、他の人の書いた文章が読める。これは感動しました。
川井 それが大学時代ですか?
角谷 そうです。
川井 大学っていうと何年頃になるんですか?
角谷 Windows95が出る直前ぐらいだっけ。当時、パソコンの向こうにいた人達は、MacのPerforma買ったとか、Windows買ったとかで盛り上ってました。私はマシンを買い替える余裕はなかったので頑なにDOSで。みんな書き込みが横に長いんですよね。Macの人とか自重してほしい感じで(笑)
川井 94年ぐらいのですよね。
角谷 ええと、それぐらいでしたっけ。その後、バイト代が貯まったので「じゃあオレも横に長く書けるやつ買うぞ」ということで、初めて新品のパソコン買いました。
川井 じゃあパソコン通信がきっかけになったんですね。
角谷 そうですね。横に長く書きたかった。なので、平凡なパソコンユーザーですよ。別にプログラム書いたりするわけでもなく。
川井 角谷さんがそういう経歴だと知ったらみんな勇気出ますね。
角谷 特に何があるというわけでもないですからね。
川井 いやいやいや。
角谷 このインタビューも最初にお話をいただいたときに断わったのは、どれにも当てはまらないからなんですよ。Webは……まあ仕事でも使ってるけど、いわゆるWebのサービスが中心なわけでもないし、エンジニアというけどソフトウェア工学やってないし、武勇伝とかなくて平凡だし、と。「どれも当てはまらないから関係ないなあ」と(笑)
川井 なるほど(笑)そうすると最初の仕事もエンジニアじゃなかったりしたんですか?
角谷 最初に就職したのは東京のSIerです。
川井 どういうきっかけで入られたんですか?
角谷 あまり深く考えずに。当時、パソコン通信の後にインターネットの波がきて、いちパソコンユーザーとして「コンピュータの仕事、面白そうだな」ぐらいです。
川井 (笑)
角谷 就職しないといけなくなった頃に、コンピュータ面白そうだからプログラマってどうやったらなれるんだろう、と。特殊な訓練とか必要なのかと思って、Nifty-Serveで知りあったプログラマの人に聞いたら「今からでもなれるよ!」と言われて。思っているほど専門的でもないし、特殊な訓練が必要というものでもない、と言われたのを真に受けて。で、よくわかってもないのに、コンピュータを使ってシステムを作ってるっぽいところの採用試験をいくつか受けたら、縁があって採用されたので、入社したという。
川井 なるほど。そこは理系じゃなくても未経験でもエンジニアとしての採用枠
があったんですか?
角谷 以前はどうだったのか知らないですけど、同期や先輩にも理系じゃない人はたくさんいました。
川井 僕の年代ぐらいだと、人が足りなくて女性の文系のコボラーが結構いたん
ですよね。そのSIerというのはWeb系の会社だったんですか?
角谷 Webじゃなかったと思います。
川井 業務系ですか?
角谷 たぶん。というか、Web系とか業務系とかいうのもわかってなかったですね。コンピュータのことも。汎用機とかUNIXとか、世の中にはパソコン以外にもコンピュータが存在するらしいということ以上は何も知らない。見たことないし(笑)
川井 その辺をわからず、とりあえずコンピュータ好きだから入っちゃえと入られたんですね。
角谷 そうですね、あまり深く考えてなかったですね。
川井 入ったときに研修はあったんですか?
角谷 研修はMF COBOLでした。Windowsで動くやつ。Cではなかったです。ロジックをコードで表現することだけに集中したいという判断だったんだと思います。
川井 研修をまずCOBOLでやったんですね。じゃあ、最初の業務はやっぱりCOBOLの仕事ですか?
角谷 最初の本格的な仕事は PowerBuilderでした。COBOLはスポットで少しだけやりました。
川井 なるほど(笑)。昔さっぱりわからなかったプログラミングが、研修をやって、どこかのタイミングでわかったわけですよね? どういうきっかけでわかるようになったんですか?
角谷 どこだったかな……ええと、入社よりも前ですね。インターネットに繋がりだした頃に、Perlで書かれた掲示板のCGIなんかを見よう見まねで動かして、そのプログラムを眺めて雰囲気で出ている字を変えたりしてたときだと思います。
川井 なるほど。なんとなく雰囲気はわかってきたということですね。
角谷 といっても、空前のホームページブームの頃に色んなCGIの本が出て、それをいくつか買ってみたりするわけですが、いつも途中からよくわからなって投げ出してましたよ(笑) そういう意味では、ちゃんと動くプログラムを作れるるようになったのは就職してからですね。
川井 (笑)当時ホームページ作って100万とか200万とか軽くもらってる時代ですもんね。
角谷 そういう話はバイト先の人達から聞いたことがありました!研究室の教授の知り合いのバイトとかで。いいなーと思ってました(笑)
川井 (笑)。うちの親会社のKBMJのメンツって76世代なんですけど、SFCで、
ちょっと作ると100万とかもらえたって言ってましたね。
角谷 当時、学生の頃から本書いたりして花開いてる人がいるいっぽうで、自分はCGIの本一冊やり遂げられずに投げ出してふて寝してるという(笑)
川井 (笑)。へ〜。結構マイペースに生きてらっしゃる感じですね。
角谷 ペースも何もないですね。そもそも成果につながるようなことをしていたわけでもないので。
川井 何か気合い入れてこうやるということはなかったんですか?
角谷 一切ないですね。
川井 スポーツとかでもないですか?
角谷 スポーツは苦手でした。
川井 何を趣味にしてらしたんですか?
角谷 どうでもいいような映画をたくさん観てました。
川井 どうでもいいような映画をですか(笑) 海外ものですか?
角谷 海外とか日本とかのこだわりはなく、どうでもいいものを中心に観てました。
川井 とりあえず映画館に行って観るという感じですか?
角谷 映画は映画館で観るものなので。
川井 なるほど。すごいなんか今日は意外で楽しみな展開ですね。
角谷 意外というのが意外ですが……。平凡で何も成し遂げない人生ですよ。
川井 (笑)。そのあと仕事の流れはどのように進んでいったんですか?
角谷 平凡なSIの仕事を淡々と。何もわかってなかったので。会社のことも、業界のことも、社会のことも。
川井 まあ最初の頃はそうですよね〜。
角谷 PowerBuilderの仕事のあとは、組織改編があったり何だりで異動になって、Oracleのバッチを書いたてチームに入れてもらいました。まあ、その後は2000年問題があって、21世紀に入って業務システムにJavaの波が来て、とSI業界のよくある展開に流されてやっておりました(笑)
川井 (笑)。例えば当時新しい技術が出た時に吸収するっていうのは業務の中
だけですか?
角谷 業務と直接関係ないのは、家に帰ってからですね。Linuxをインストールしたりとか。
川井 家帰ってやるなら好きじゃないとできないですよね。
角谷 まあ、そうですね。
川井 嫌いな人は家帰るともう見たくもないみたいになっちゃうじゃないですか。
角谷 そういうのはなかったですよ。
川井 最初の会社には何年ぐらい勤められたんですか?
角谷 5年ぐらいです。SIを5年。
川井 じゃああんまりWeb!というような仕事はしてないんですね。
角谷 そうですね。Webといってもイントラ向けの業務システム用のインターフェイスの画面がIE、という程度で。
川井 何か転職しようと思ったきっかけとかあるんですか?
角谷 辛かったんです(笑)
川井 (笑)。仕事が行き詰まってきてですか?
角谷 まあ、そうですね。将来に対する漠然とした不安とか。
川井 どういうところに行き詰まりを感じてきたんですか?
角谷 端的にいえば、エクストリーム・プログラミング(XP)を知って「あ、これやりたいな」と思いまして(笑)
川井 なるほど。やりたいことが出来なかったんですね?
角谷 そう言われればそうなんですけど……いまふりかえれば当時はXPのことをちゃんと理解してなかったですねえ。
川井 当時のSIの形態っていうのは、基本的に持ち帰りだったんですか?
角谷 いろいろですけど、私が関わったのは自社に持って帰ってきてというのが多かったです。常駐もありましたよ。
川井 自社で開発できているということは、行き詰まりというのは、やりたい技術の仕事があまりないってことだったんですかね?
角谷 技術というか、いわゆるSIっぽいやり方――人月計算とExcelとスーツというやつですね、あれが嫌だなと(笑)。嫌だといっても、思えばそうひどかったわけでもないと思います。よくある平凡なSIの風景だったと思います。
川井 持ち帰りであればそうですよね。
角谷 ただ、お客さまとの「距離」が遠いという不満はあったと思います。
川井 女性が少ないとかそういう問題もあったんですか?
角谷 女性は……多くはなかったですけど、それが自分にとって問題ということはありませんでした。まあ、人口比を考えると少なすぎるとは思いますが。それよりも、自分の作ったプログラムとかが、実際のところどうなったのかがよく見えないというのが。
川井 例えば大きいシステムに関わってるときに、自分がやってることがどこに
どう影響してるのか見えないみたいな世界ですか。
角谷 皆目見当がつかないということはないですけど、それを実際に日々使ってる人たちとはほとんど会えないとか、場合によっては会わせてもらえなかったりしたので。
川井 それっていうのは、プログラミングに憧れてたりかっこいいなって思って
た時代から、使ってもらうことが喜びとか、人の役に立てるとか、便利になるこ
とが楽しいとかって気持ちが芽生えてたんですかね?
角谷 自分のやった仕事がどうなったかは気になりますよね? あとは、なんとなく時間が過ぎていっていろいろ遅れるというアレが嫌でした(笑)
川井 なるほどなるほど。

転職のきっかけ
川井 それでもうその次は永和さんなんですか?
角谷 そうですね。
川井 どういう風に次は選んだんですか?
角谷 お客さんと近いところでXPをやりたかったんですね。で、プログラムを書くことでお客さまの問題を解決したい、という。WordとかExcelで詳細設計書を書くのが嫌で。当時はまだ詳細設計書は、日本語でプログラムをほとんど全部説明するようなものを書いていて。だったらプログラム書いた方が早いじゃん!と。文書とプログラムを同期させるのも大変だし。
川井 なるほど(笑)。
角谷 なので、動くプログラムを提供しながらお客さんと近いところでやれるといいな、と素朴に考えていて。
川井 当時ってWeb系の企業とか結構出てはきていたと思うんですけど、永和さ
んを選んだ理由は何かあるんですか?
角谷 XPをやりたくて、XPをやれそうなところといえば永和かな、と。でも永和は福井の会社なので、「福井かあ、どうしようかなあ」と思ってたら、たまたま東京の求人があったので、それで駆け込んで拾ってもらったという感じです。
川井 そういう意味では出会いですね。
角谷 そうですね。ちょうど状況が芳しくないプロジェクトに居たり、5年ぐらい仕事をこなしていろいろわかってきて、自分の将来に不安を抱いたりしていた時期で。技術は好きだけど、技術的に優秀な人は自社内に山ほどいて。じゃあ現場で、となると「Excelか〜」と(笑)。プログラムを書くのは好きだけど、がむしゃらにプログラムだけ書いてれば幸せ、というほど筋金入りでもないし。ただ、自分の技術を活かして何かお客さまの役に立って喜ばれるものを提供したいという思いはありました。
川井 あったんですね〜
角谷 でも、何の取り柄もない平凡なSEだから、そういうポジションにはいつになったらいけるんかなあ、と漠然な不安を感じていて。
川井 なるほど。意識しようとしてもなかなか難しいですしね。
角谷 当時、辛いプロジェクトにしばらくいて、ちょっと心が弱ってて。で「辞めちゃおうかなあ」と。周期的にそういう気持ちになるんですが(笑) で、そのタイミングと今の勤務先の求人のタイミングがちょうど合って、それで拾ってもらったという感じです。
川井 入ってみてどうでした?自分のやりたいことができそうな環境でした?
角谷 いや、当初はどうみてもできそうな感じではありませんでした(笑)私が入った頃は、東京での立ち上がり時期で。東京事務所(現在は東京支社)では持ち帰りの開発もありませんでした。入社当日から一人で、自宅から片道2時間半のお客さまのところに常駐(笑)
川井 「話が違う」と。ありがちですね(笑)。
角谷 ああ、でも、面接の時点で「うちに来たからといって、XPの仕事はないよ」とは何度も何度も言われました。志望理由とか自己PRとか、かなり感極まった職務経歴書を作ったので、ドン引きされていたと思います。
川井 (笑)
角谷 XPやりたいんです!『達人プログラマー』に書いてあるような開発者になりたいんです!みたいなことをA4で3枚ぐらい切々と綴ってました。「御社はXPでやるんですよね?!」「でも今はないよ」「でもやるんですよね?!」という押し問答を繰り返して。だから、XPの仕事がないことは、あらかじめ聞かされてました。
川井 すぐはないと言われてたんですね。
角谷 はい。でも、XPの仕事がないとはいっても、まさか入社当日の午後から独りで客先常駐というのは予想外すぎて(笑)
川井 (笑)。なるほど。苦労してますね〜。
角谷 これぐらいだと苦労とは呼ばないんじゃないでしょうか。当時はよく飲み会なんかで冗談半分で「平鍋さんに騙された」と愚痴ったりしてましたけど。で、半年先に常駐した後に、東京の営業のみんなが頑張ってくれたおかげで、東京でも持ち帰りで開発ができるようになりました。
川井 結構早かったですね。
角谷 そうですね。1年はかからなかったのでよかったです。心が折れる前に自社で開発ができてよかったなと(笑)。
川井 (笑)。当時はJavaですか?
角谷 Javaです。
川井 まだそのときはRubyには出会ってはいないんですか?
角谷 Rubyに会ったのはもっと前ですよ。2000年の終わりか2001年の初め頃。
川井 Rubyとはどういう出会いだったんですか?
角谷 当時、Perlは仕事でも少し使っていたんですが、2000年前後の空前のオブジェクト指向ブームでそういうものを知ったのですが、Perl5のオブジェクト指向がさっぱりわからなくて、もっとオブジェクト指向がわかりやすいスクリプト言語を探していてRubyに出会ったんじゃないかったかなあ。
川井 じゃあそこから比較的もう使ってもいいかなと思われたんですか?
角谷 手元で何か自分の繰り返し作業を自動化するような簡単なスクリプトを書いたりとか。
川井 Railsが出る前からですよね?
角谷 21世紀に入った頃、国内に空前のRubyブームみたいなのがあって、私はその頃にRubyを知った一人です。
川井 なるほど。Rubyのコミュニティとかには当初から参加されてたんですか?
角谷 いえいえ、全然です。遠巻きに眺めてました(笑)。Rubyのメーリングリストは何ヶ月かおきに購読したり停止したりを繰り返してました。仕事が忙しくなると未読に埋もれて停止して、仕事が落ち着いてきたらまた購読して、と。話についていけずに振り切られてばかりでした。
川井 (笑)。高橋さんもしばらくじーっと見てたって言ってましたね。
角谷 でももう、私がRubyを知った頃にはもう高橋さんは有名だったような……。
川井 高橋さんはバリバリ参加されてました?
角谷 そうじゃないかなあ。
川井 しばらく怖くて、大丈夫かなと思ってずーっと見てたって言ってました(笑)。
角谷 怖いですよねえ。ああも技術的にすごい人たちにどう絡めばいいかわからない(笑)オリュンポスの神々ですよ。
川井 今の若い人達からすると、角谷さんのことを神々だと思ってますよ。
角谷 それはずいぶんと神様も安くなりましたねぇ(笑)。
川井 (笑)。コミュニティに入るのには何かきっかけとかあったんですか?
角谷 きっかけ……。私は平凡なRubyユーザーで、自分でもRubyを使ってるし、Rubyは好きだけど、だからといって何かライブラリとかアプリを作れているわけでもないから、どう絡めばいいかさっぱりわかりませんでした。自意識だけは過剰だから、どう入っていけばいいかもわからない。Ruby界隈の人たちに対して、面白そうだな、すごいな、と憧れを抱きつつも、あまり社交的でもなかったので、入っていけずじまいでした。
川井 あ、そうなんですか?
角谷 苦手ですよ。どう絡んでいいかわからないので。平凡だから。
川井 なるほど(笑)
角谷 就職して3年ぐらい仕事していると、なんとなく自分の周りが見え始めて、新しい技術とか動向とかを自分なりに調べるようになりました。池袋のジュンク堂書店に通って、技術書を自分で買って読んだりとか。それまでは先輩に「これ読んどくといいよ」と教えてもらうんですが、よくわかってないので「ふーん」でおわりでした。
川井 そうなんですね。
角谷 で、インターネットで色んなサイトやメーリングリストを見るようになりました。見てると、東京だとイベントとかが結構あるんですね。面白そうだから行ってみたいけど、そういうイベントには懇親会があるんですよね。「懇親会……何を話せば……」とか考えちゃうんですよ(笑)。会社の飲み会なんかも苦手でしたねえ。なのでイベントなんかもほとんど行ったことなくて。
川井 へ〜(笑)。
角谷 コミュニティみたいなもののデビューは今の会社に入ってからですね。
川井 そっか〜。でも今お聞きしていると今うちにいる若いエンジニアでどうし
ようと言ってる子と全く変わらない感じですね。そこからどうやって今に至った
のかがすごく興味あります。
角谷 うーん。でも、いまの若い人たちのほうが優秀だし社交的じゃありませんか? みんなすごいですよね。ブログ書いたり、Twitterでクラスタを形成したりとか。楽しそうですよね。
川井 そういう人いますよね〜
角谷 ああいうのすごいな〜と思って。
川井 彼らに最近インタビューとかいろいろしてるんですけど、角谷さんがしてきたような御苦労をしていなくて、楽しいことしか経験しかしてないんですよね。
角谷 いいことじゃないですか(笑)。
川井 楽しいんだっていう感じは伝わってくるんですけど、まったく疲弊感とかないんですよ。
角谷 いや、いいことじゃないですか(笑)。
川井 環境も違うと思うんですけどね。
角谷 環境がいろいろ整ってきたんですかねえ。例えばWebのサービスの仕事とかって、私が就職する頃のイメージって、よくわからない小さい会社がいくつもあって。「ボーナス出るのかなあ」とか思って。今はそのへんのイメージもだいぶ違いますよね。
川井 今の子たちはたぶん感極まるとかないと思いますよ(笑)。
角谷 でも、何かやりたいこととかがあって、それをプログラムで実現できれば、ブログで言及されたり、IT系のニュースサイトに出たり、フィードバックが直接、早い形で出るのが当たり前になってきてますよね。それで腕に覚えがある人がやりたい放題。それはいいことなんじゃないでしょうか(笑)。
川井 ほんと22・23歳の大学生とかにインタビューしてるとほんと世界が違うんですよ。
角谷 21世紀ばんざい(笑)。
川井 (笑)。

<プロフィール>
(株)永和システムマネジメント サービスプロバイディング事業部チーフプログラマ。「『楽しさ』がシステム開発の生産性を左右する」と信じて Rubyによるアジャイル開発を現場で実践するテスト駆動開発者。目標は達人プログラマ。好きな言語はRuby。好きなメソッドはextend。著書に『JavaからRubyへ』(翻訳),『アジャイルプラクティス』(共同監訳)),『インターフェイス指向設計』(監訳)。URL:http://kakutani.com/

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