インタビュー記事

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第3回 笠谷真也 氏

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第3回は、SFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)発のベンチャー、株式会社ケイビーエムジェイのCTO(最高技術責任者)を務める笠谷真也氏にお話をお聞きしました。会場は東京・日本橋の焼肉屋「焼肉城」。テクニカルアドバイザーとして、株式会社ウェブキャリアの小泉孝PMにも参加いただいております。

※取材日は、2007年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<パソコンとの出合いは?>
川井:笠谷さん、あらためまして、よろしくお願いします。
笠谷:よろしくお願いします。
川井:まずお聞きしたいのがパソコンとの出合いなんですが。かなり幼少とか?
笠谷:そうですね、小学生の頃から親の持っていたPC98を勝手にいじっていて面白くなったのがきっかけですかね。クイックBASICとかクイックCとかでいろいろ遊んでました。親がそれをみていて中学校の卒業祝いにコンパイラーをもらいました。
川井:中学校の卒業祝いがコンパイラーですか! それで嬉しかったんですよね? 親御さんに見る目があったんでしょうね。私なら家出するかも(笑)
笠谷:嬉しかったですね。それまで、せっかく組んだプログラムも電源を切るとそのままなくなってしまっていたので、コンパイラーがあれば保存できると思って喜びました。
川井:ということは高校生になるともうパソコン一筋ですか?
笠谷:そうですね。Nifty-serveでパソコン通信を始めて、ゲームをダウンロードしたりゲームを作ったりしてましたね。C言語で組んだフリーソフトを出したりもしてたかな。MIDIファイルにコンパイルしたり。
川井:なんかこんなこと聞くとまたネットで「質問している人のレベルが・・・」と書かれそうですが、素人ですから敢えて聞きますが(笑)、同級生って、GOROとか見たり、部活してたり、女の子の話とかしているときですよね。その時代から没頭してたわけですよね?
笠谷:そうですね(笑)。パソコン通信かパソコン雑誌とずっと過ごしてましたね。それだけ面白かったし、好きだったんだと思います。それに高校から慶應だったので、そのままあがれたのが大きいですね。大学受験のための勉強とかしなくてもよかったし。
川井:「好き」っていうのはとても重要ですね。これからの話とも絡んでくると思いますので重要ポイントとして認識しておきます。

<KBMJとの出会いは?>
川井:大学に入ってからの変化とかは?
笠谷:インターネットとかWebにふれるようになりましたね。授業でも自分のホームページを作るというのがあったし、サーバーを使って何かすると面白かった。ちょっとしたものをJavaSpretとかでプログラムして動くのも楽しかったですね。自分のホームページができてからは、いろいろ作ったものを自由にアップできたりしてさらに幅が広がりました。
川井:KBMJは、大学発のベンチャーだったと思いますが、創業者の人たちとの出会いは何かきっかけがあったのですか?
笠谷:当時、SFCのポータルサイトを僕が作っていたんです。授業の情報とか休講情報とか、今のSNSみたいなものですね。当時はPerlCGIで作るのが一般的だったのですが、作りやすくて早いし、サーバーサイドでJavaをやってる人がいなかったのでやってみたかったのもあり、Javaで構築してたんです。それをみたKBMJの創業メンバーが、「これを作ったのは誰だ」ということで僕にたどりつき、スカウトされたというのがきっかけですね。
川井:楽しくて仕方がなかったんじゃないですか?
笠谷:このときに、「株★魔人」という投資家向けのサイトを作って、121rシステムという検索エンジン生み出したり、確かに面白かったですね。
川井:そのまま一緒に起業せずに就職しなかったのは?
笠谷:スカウトされる前にすでに大手のISPから内定をもらっていて、流れで。でも4ケ月で開発がやりたくなって、KBMJに戻りました(笑) 大手のISPに新人として入った当初はサーバーのインストールしかやらせてもらえなかったんです。
川井:それじゃあ、笠谷さんにとっては面白くないとは思いますが、さすがに4ヶ月というのは思い切りましたね。でもせっかく就職したのにあまり得るものもなくもったいない時間でしたね?
笠谷:まあ、、、そうなんですけど、一応、奥さんはその会社で出会った人です。
川井:それは、得るものが大きかったですね!(笑)

<KBMJでの開発は?>
川井:KBMJに戻られて、どんな経緯でCTOになられたんですか?
笠谷:実は、大学のころからCTOということでスカウトされてたんですが、人数も少ないんでCTOとか役員とかいってもまあ、なんでもやりました。
川井:ベンチャーですから、それはそうですね。でもどこかで飛躍のきっかけがあったんだと思いますが、どのあたりなんでしょうか?
笠谷:KBMJに戻って、すぐに箱崎のソフトバンクに拉致(?)されたんですが、そこからかもしれません。イーキャリアという転職サイトがありますが、当時、どこかの開発会社が作っていたんですが、Web上での繊維とか重すぎて動かずに困っていたんです。それをKBMJがやらせてもらいました。開発からサーバーの設定や運用、監視までなんでもやりましたけど、結果、お客さんからとても評価されました。そこからKBMJはどんどん発展していったと思います。
川井:笠谷さんの役割とかスタンスはどうなっていったんですか?
笠谷:基本は火消し役になっていきました。開発は、しばらくはSIでお客さんが、Javaで開発しているケースが多かったのでJavaがメインでしたが、新しいものが好きなのもあってオープンソースを活用するようになりました。
川井:オープンソースでもRubyに特化されてますよね。何か思いがあるんですよね?
笠谷:そうですね、根本的な思想は、無駄をなくしたいということで、効率的にプログラミングがしたいので、それが実現できる新しい言語をためしていますね。Javaでも意外に書いていて無駄だなあと思うことが多いんです。なんでこんなに時間がかかるのかなって。考えたことを素早くプログラムにしたいんです。それが一番できるのは今の時点は、Rubyだと思っています。

<Rubyについてもう少し詳しく>
川井:Rubyについての笠谷さんのお考えをもう少し詳しく教えていただけませんか?
笠谷:ひとことでいうとJavaと違って「柔らかい言語」だと思っています。プログラミング環境を柔軟に変えながら開発できるんです。行ってみれば、環境自体がプログラミングできるといえばいいんでしょうか。設定ファイルに見えるけど実はRubyだったりするわけです。文法的にも無駄がなくて書いていて楽しい。レスポンスも早く、思いついたことをすぐにコードにできるという感覚です。もう一つ大きいのは、Ruby on Railsというフレームワークだと、テストが書きやすい仕組みがすでに入っているんです。最近はテストを先に書くし、テストは自動化してなんぼというふうに思っているので、そういう意味でもRubyはすぐれていると思っています。
川井:KBMJでは、JavaからRubyに軸足を置き換えて、Ruby開発ならKBMJ的な方向性も模索していると聞きましたが?
笠谷:十分にあり得るし、事実上、そうなってきていると思います。一番売れ筋のSNSのパッケージは全部Rubyで開発してますからね。

<若手エンジニアに向けて>
川井:若手のエンジニアに向けてのメッセージをお願いしたいのですが。
笠谷:そう言われても、あまりないんですが…(笑)
川井:そこをなんとか(笑)
笠谷:そうですね、まずは、せっかくオープンソースという考え方が主流になってきていて、ソースに触れることができるので、使っているソフトのソースをもっと読んでほしいですね。ソースを読める機会をもっと活用すればいいと思います。
川井:なるほど、もう1つくらいありませんか?
笠谷:そうですね…自分のソースをもっと公開した方がいいと思います。オープンソースのプロジェクトなんかもありますから、どんどん参加して自分のソースを見てもらってどんどん教えてもらえばいいと思います。テストもしないでいい加減なものを出すとたたかれますが、本当に勉強になりますよ。最後に1つ。よく寝た方がいいと思います。僕は1日、7時間は寝ています。でないと集中力ももたないし、いい仕事ができないと思います。
川井:最後のは重要ですね。ありがとうございます。私も参考にさせていただきます(笑)

<今後の笠谷さんは?>
川井:笠谷さん自身の今後の方向性って決められてるんですか? 夢とかも含めて。
笠谷:特に大きな夢があるわけじゃないんですが、敢えて言えば「生涯プログラマー」ということですかね。
川井:「エンジニア」じゃなくて「プログラマー」なんですね。
笠谷:そこが味噌です。「生涯プログラマー」ですね。
川井:笠谷さんのプログラミングへの意気込みが伝わってくる言葉ですね。今日は、いろいろなお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

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