インタビュー記事

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第1回 黒沢智 氏

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今回は「Webエンジニアの武勇伝」シリーズ第1回ということで、京都で飛躍を続ける「京都あさひ屋」代表の黒澤智さん(37歳)に京都、錦市場近くのオフィスでお話をお聞きしました。

※取材日は、2006年9月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

川井:黒澤さんは、もともとパソコンが好きで、子供の頃からプログラムを組んだりされていたんですか?
黒澤:小学校の頃に父の持っていたPC8001とかでゲームをしたり、いじったくらいで本格的にプログラミングをしたわけでもありませんし、実は高校も工業高校の電子科ですから、少し畑は違うんです。
川井:じゃあ、実際のキャリアのスタートは就職してからなんですね。
黒澤:そうです。IBMの特約店だったシステム会社に入ったんですが、入社当時はほとんどシステム開発の知識はありませんでした。
川井:じゃあ、入社当時は勉強づけ?
黒澤:そういう時期もありましたが、実は小さな会社でもあったので、システム開発だけをしていればいいわけではなくて、営業もユーザーサポートもしていました。メインがゴルフ場向けの予約システムや業務システムを扱っていて200ヶ所以上に収めました。お客さんは全国に点在しているし、駅から離れた立地が多いので、営業車で移動しなくちゃいけないし、ホテルはないしで大変でしたね。家に帰れるのは月の半分くらいだけだったときもあります。
川井:プログラミングもして、さらにそれは過酷ですね。そういう仕事をどれくらいしていたんですか?
黒澤:10年弱ですかね。。。高校を出て、27歳までやっていましたので。
川井:そこで転職されているわけですが、やっぱりあまりに辛かったからなんですか?
黒澤:それもありますが、どちらかというと自分の力を試してみたい気持ちが強かったですね。でも、32社面接したんですが、当時の僕の持っていたVB系のスキルセットだともはや時代の波に遅れていて、9割方落とされてしまったんです。
川井:それは、相当な数ですね。でも1割はうまくいったんですよね。
黒澤:そうですね。その中で内定をもらった会社は2社ほどで、1社は村田製作所、もう1社は大阪のソフトハウスでした。元クレオの方が立ち上げた会社だったんですが、「将来、独立を考えているなら、うちに勉強しにこい」って言われて、それなりに独立志向はありましたので、御世話になることにしたんです。
川井:なるほど。それで新しい会社ではどんな仕事を?
黒澤:大手電機メーカー系のプロジェクトのリーダーをしていました。ここでWeb系の技術を身につけましたね。ところが、200万で見積もった案件に対して、結果的に2,000万もかかってしまうということが起きてしまったんです。勿論自分だけの責任じゃないんですが、性分なんでしょうか。それだけの損害を会社に与えてしまって、いつづけることができなくて、身をひきました。
川井:なるほど。でも、そのあたりはサラリーマンっぽくない発想が出ていますよね。普通のサラリーマンなら自分の責任じゃないって、開き直るところでしょうね(笑)でも、いきなりやめちゃって困ったんじゃないですか?
黒澤:そうですね、すでに結婚して子供もいましたので。。。当面の食い扶持をと思って、フリーランスとして、派遣会社を通じて、大手SIerで働いていました。その派遣先で一緒だった先輩に誘われて、3人で起業したんです。
川井:それもシステム関係の仕事ですよね?
黒澤:はい、システム開発の受託とWebサイトの構築の受託を事業としていました。
大阪のソフトハウスにいたときにすでにWeb系の開発スキルは身につけていたので、それなりにお客さんも開拓できて、1年後には株式会社化しました。自分自身も常務取締役の名刺を持っていたので、それなりの方とお話できたり、人脈も広がったと思います。
川井:で、またどうして辞めてしまったのかって思ってしまいますが・・・・
黒澤:実は、原因不明なんですが、肺塞栓という大病を患って数ヶ月入院したんです。はじめはあまり自覚症状がなかったので、無茶するままの生活を続けるうちにどんどん悪化して、気がついたときには夜、横になると苦しくて眠れなかったり、血痰が出たりして、こりゃまずいと思って慌てて病院にいったんです。胸に注射を入れてやる骨髄検査が痛くて痛くて大変でした。2ヶ月は本当に生きた心地がしませんでしたね。
川井:そうだったんですか。それは大変でしたね。会社を立ち上げたばかりだし、かなり焦ったり悶々としたんじゃないですか?
黒澤:そうですね。入院していると嫌でもいろいろ考えてしまうことが多くて、本当に悩みました。
川井:とすると、自分で独立するっていうのは入院中にすでに構想みたいなものができていたんですか?
黒澤:はい、いくつか自分についているクライアントもありましたし、「応援してもいいよ」っていう経営者仲間もいたので、そういう考えもありましたね。
川井:そして退院されていよいよという感じだと思いますが、独立の最終的なきっかけになったのはどんなことだったんですか?
黒澤:ビジネスモデル交流会というカンファレンスに行った際のindigo会長「孫大蔵」さんの「大志を抱け」というメッセージにすごく刺激されたことが大きいと思います。孫さんは、学生時代に大学のサーバーでYAHOO!を立上げていて、アクセス数が増えてきたところで大学から注意されたにも関わらず、そのサーバーを外部に持ち出してやり続けたり、「大志」に向かって邁進する人だったんです。そんな孫さんの言葉がとても印象的でした。
川井:なるほど。そしていよいよ立上げですね。
黒澤:京都駅の南に小さな事務所を借りて、個人事業主としてWebサイト構築やシステム開発を請け負うところからはじめて、実績を積むことで紹介してもらったりして、徐々に仕事を増やしていきました。
川井:今の「京都あさひ屋」のモデルはどういう経緯で思いついたんですか?
黒澤:親戚に経営者がいて、京都のブランドとITを融合したビジネスをしてみたらどうかといわれたんです。今のオフィスは錦市場という全国区で名の通った通りにあるわけですし、確かの京都ブランドのものをNETで全国に販売するのって、ありかもと思いました。どこかの老舗のECサイトを作ってもよかったんですが、知りあいの数珠屋さんが、「卸してあげるから黒澤さんがやってみたら」といわれて、もう自分で売っちゃえって勢いで始めたのが「京都あさひ屋」なんです。
川井:その数珠屋さん、自分でやってればもっと儲かったのに(笑)
黒澤:ですね(笑)。結構高い価格帯の3万とか4万の商品も売れていくので、数珠屋さんが不思議がってますね(さらに笑)
川井:差し支えなければ今のアクセス数とか売上がどれらいなのか教えていただけませんか?
黒澤:今は1日に1,300アクセス以上です。売上でいくと月に40万~50万というところですね。「京都あさひ屋」は妻に任せていますが、どんどん売上が伸びています。SEOでは、Googleもyahooも「京都」「数珠」で検索すると一番上に出てくるようにしています。アクセス解析でもこの2語での検索が一番多いんです。
川井:なるほど、本当に「京都」というブランドとITの融合した結果ですね。となると次の展開も考えていらっしゃるんですよね。
黒澤:そうですね。親戚の経営者とも相談していますが、少し食品系に展開しようかと考えています。
川井:これまた京都ブランドが効きそうな領域ですね。少し話が大きくなりますが、会社としての将来にむけたビジョンとかはありますか?
黒澤:一気に拡大しようとかそういうことまでは考えていないのですが、信頼を勝ち得て徐々に成長できたらいいなと思っています。現在は、京都ブランドの取り組みのほかには、環境庁の仕事が入ってきています。屋久島や富士山の登山者データをあつめるシステムの開発を受託しています。こうした案件を数こなして実績を作って、商売を広げていけたらいいですね。
川井:堅実な経営スタンスですね。是非、京都からはばたくIT企業になっていただきたいと思います。当面の目標はドリコムということで(笑)。本日は、本当にありがとうございました。
黒澤:こちらこそありがとうございました。

<プロフィール>
黒澤智(くろさわさとし) 1969年6月京都府生まれ
  
高校卒業後、システム開発と営業・カスタマーサポートと全部の工程に携わる。その後、転職しプロジェクトリーダー。フリーランスを経てとして独立した後、仲間3人と起業し常務取締役に就任。病気療養のため、一時活動を停止していたが、今度は一人で有限会社朝日コンピュータコンサルタントを設立、代表取締役となる。家庭では、2歳下の妻と小4、中2の二人の女の子と4人家族。アウトドア派で愛車はベンツ。将来の夢はフェラーリに乗ることだとういう。

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