インタビュー記事

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第20回 高橋征義 氏(前編)

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今回は、日本Rubyの会会長であり、ツインスパークでシニアエンジニアを務める高橋征義氏にお話をお聞きいたしました。高橋さんとお話していると、意外なことにその興味の源泉はコンピュータやプログラムというよりは「言語」「言葉」というものにあるように思えました。そんな高橋さんのこれまでの足跡を2回に分けてお届けします。PC片手に、いろいろ調べながら2時間半にわたる長時間おつきあいいただきました。取材は、渋谷のダイニング「風」で行い、株式会社ウェブキャリアの前田道昂氏にも同席いただきました。

※取材日は、2008年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出合いは?>
川井 高橋さん、こんばんは。先日はセミナーのご講演ありがとうございました。本日は、「Webエンジニアの武勇伝」のインタビューということでよろしくお願いします。
高橋 よろしくお願いします。
川井 まずは、パソコン・・・というかコンピュータとの出会いみたいなところからお聞きしていきたいんですが、何歳ごろから初めたんでしょうか。
高橋 googleによれば、1982年にNHK教育マイクロ入門っていうのがあったんですよ。それがきっかけで、親にマイクロ入門のテキストを渡されたんです。自分で買った記憶はないので、多分親が買ってきたと思うんですけど、もしかしたら親が勉強したかったのかもしれないですね。それでテレビを見ながら、本を読みながらっていうのがコンピュータに触れた最初ですね。
川井 これは12歳、13歳ですか?
高橋 小学5年生だったはずですね。1982年だから10歳のはずなんですよ。
川井 世代的にはマイコンとかオフコンですよね。これは教育番組の題材ということなので、ゲームとかではなくて、純粋なマイコンだったんですか?
高橋 ええ、でもやっぱり確か最後にゲームになりますっていう感じではあったはずですね。
川井 これはこれで面白かったんですか?
高橋 あんまり覚えてないですね。まあ、そういうものなんだ、ふーんって感じでした。
川井 これが原体験ってことですね。それで継続的に学習するようになるんですかね?
高橋 この企画は1年なのか半年なのか覚えてないんですけど、それは基本的に単発なもので、そこから引き続きみたいなものはなかったんですよ。本屋でパソコン雑誌を立ち読みしたりっていうのに移行したはずですね。とにかくですね、家にマシンがなくてですね、小学校の間も中学校の間もなかったんじゃないのかな。なので、近所の町の電気屋さんとかでパソコンを触らせてもらったり、あとは雑誌読んでみたりという感じでしたね。
川井 そういう中学生だったりしたんですね。
高橋 ええ、あとは友達の家で触らせてもらったりとかですね。
川井 それってどこかのタイミングで面白くなったってことなんですよね?
高橋 なんなんでしょうね。あんまり覚えてないんですけど(笑)
川井 趣味がそうなったんですか?
高橋 まあ、でも興味はあったっていう感じですね。
川井 僕らがゲーセンにゲームしに行くっていうのと同じ感じですかね。それでやっていたのはやっぱりゲームなんですか?
高橋 なんかプログラムを入力して動いたっていうくらいですね。何を作るっていうのではなかったんですけどね。
川井 雑誌に載っているのをそのまま打ち込んでみたりとか?
高橋 店先とかに雑誌を持ち込んで打ち込むわけにもいかないので、何やってたんでしょうね(笑)あとはやっぱり雑誌を読みまくってましたね。
川井 立ち読みですか?
高橋 基本は最初立ち読みだったんですが、テクノポリスっていう雑誌があって、80年代後半からは買っていたはずなんですよ。創刊は1982年で、創刊号はあとで古本屋で買った記憶がありますね。雑誌で買っていたのは、これくらいだったんですが、初期はホビーユースなんだけどいろいろやりたがってるマイコンマニア向けの雑誌だったんですよね。
川井 当時はBasicですよね。
高橋 そうですね。あっ1983年には買っていましたね。そうなんだ、へー、我ながらびっくりだ。
川井 1983年ってまだ小学生じゃないですか?
高橋 そうですね。
川井 小学生でテクノポリスを買っていたんですね。僕がコロコロコミックを買っているときですよ。
高橋 その頃は著作権とかうるさくなくて、アニメのCGとかアニメの音楽とかを雑誌に掲載しても何もお咎めがなかったんですよね。幸せな時代でしたね。今では許されませんからね。テクノポリスは後期は同人誌から美少女系のロリコン雑誌になってしまって、いろいろ大変な感じでしたね。
川井 そうなんですね。
高橋 プログラムポシェットっていう雑誌がテクノポリスの増刊でありまして、私ぐらいの年代ですと、だいたいみんなパソコン雑誌っていうと、ソースコードが載っている雑誌というとBASICマガジンなんですが、BASICマガジンに比べるとマイナーなんだけどいろいろ頑張っている雑誌でプログラムポシェット(略称プロポシェ)っていうのがあって、私はプロポシェ派で、ベーマガ派の人と差別化を図ろうとしていました。
川井 その当時、コンピュータ雑誌を買っているような友達がいっぱいいたんですか?
高橋 そんなにはいないですが、いない訳ではないですね。パソコンを持っている人も結構いましたよ。パソコンっていうかPC6001、MS-Xとかそんな時代ですよ。8801が割りと高嶺の花でした。Z2000を持っている人がいて「おーすごい」って言っていました。
川井 すごいですよね。小学生とか中学生の前半でこんなことしているんだから。
高橋 テクポリ派とかプロポシェ派の人はあまりいないので寂しいんですけどね。
川井 これ、出版社はどこなんですか?
高橋 徳間です。ここからMS-Xファンに移って、それからファミマガにいってというのが徳間の系列なんですが、私は全然追っていなくて、プロポシェで終わってしまったんです。プロポシェは今でも実家にありますね。
川井 えー。そうなんですか。すごい! 他にパソコン以外のことはされてなかったんですか?
高橋 普通に野球で遊びましょうみたいなことはやりましたけど、積極的にはやっていないですね。というか元々運動には興味がなく、適性もなくって感じですね。
川井 じゃあ、本当に興味の対象はコンピュータに向かって一直線だったんですか?
高橋 いえいえ、そんなにコンピュータに向かっていたわけでもないですね。
川井 じゃあ、何をされていたんですか?
高橋 中学校くらいから割と本を読んでいました。
川井 SF好きって噂を聞きましたけど。
高橋 SFを読んでいたのは中学校ですね。
川井 中学校でSFってことは眉村卓とか小松左京とかですか?
高橋 一応、星新一から入りまして、新井素子に行きました。時代的に新井素子の時代なんですよ。女の子でもコバルト文庫で新井素子を読んでましたっていう子が多かったと思いますよ。
川井 星新一といえば、「全ショートショート」を持ってますよ。
高橋 え! 持っているんですか。あれはどうしようか悩みましたね。
川井 知人が日販にいて、7掛けで買ってもらいました(笑)
高橋 それはずるい。あれは買おうかと迷いましたね。
川井 なるほど、新井素子だったんですか。
高橋 今でも私が一番好きな作家は新井素子なんですよ。新井素子の話をし出したら、このインタビューが終わってしまいます(笑)
川井 分かりました。このくらいにしておいた方がいいかもしれないですね。(笑)
高橋 中学のころは、その頃に海外SFを薦めてくれた女の子がいて、その人に借りたのがストルナツキ―の「ストーカー」というので、映画になっているんですよ。元々のタイトルが「願望機」になるはずだったので、今言われている「ストーカー」とは違うんですけどね。
川井 SFなんですか?
高橋 ソ連SFですね。ファーストコンタクトものなんですけど、宇宙人が来て、物を置いていったんだけど、わけの分からないものばっかりで、触るとやばいそうなんだけど、主人公がそこに行ってしまって、いろんな変な物に出会うっていう話なんですよ。
川井 本格SFが好きな感じなんですかね。
高橋 それはたまたま薦められただけなんですけど、本格というかすごく濃くて思弁的なものでよく分からなかったんですけど、原体験でいうとそれですね。結構マニアックじゃないですか。なので、そんなものから入ったんですかって笑われますね。
川井 本には興味があったんですね。
高橋 そこそこ読んでいましたね。中学校のときは、他に特に趣味っていうものが、そんなになかった感じですね。
前田 勉強は出来たんですか?
高橋 そこそこ出来た子でしたね。でも、そんなには出来てなかったんですけど。高校に入った時には多分下から数えたほうが早かっただろうって思いますね。一応、腐っても北海道で一番の学校だったんです。でも出るときは上から数えたほうが早かったんで、それは頑張ったんですけどね。(笑)やっぱり周りに賢い人がいるとわりと頑張れるんですよ。
川井 高校の頃はどんな生活をされていたんですか?
高橋 高校の頃はですね、地球科学研究部っていうところに入りまして、地学っていうか。星を見に行くとか化石掘りをしていました。
川井 北海道は星が綺麗でしょうね。こっちと全然違いますよね。
高橋 こっちで星の綺麗なところに行ったことがないので、よく分かんないんですけど。少なくとも東京とは比べ物にならないでしょうね(笑)
川井 そりゃ、そうですよね。
高橋 でも、北海道でも札幌の回りは明るいのである程度、離れないと駄目ですね。札幌を背にしてみるといいんですけど、まあ行けるか行かないかは別の問題ですからね。今にして思えば、高校生の男女が夜中に暗いところにいくのはいろいろ問題がある気もしますね(笑)
川井 ですね(笑)
高橋 あとは生徒会で会長をやっていたので、その時のニックネームが会長だったんですけど、最近も会長って呼ばれることが多くて、すごく懐かしい感じがしますね。
川井 「日本Rubyの会」会長ですもんね。
前田 人前で話すことも多かったんじゃないですか?
高橋 あんまりなかったですね。スピーチがあまりに短くて笑われたことがあります。もちろん短いスピーチは高校生には受けるんですけどね。
川井 笹田さんも生徒会って言っていましたね。生徒会活動でであったMACがきっかけになったっていってました。高橋さんのときって、学校にデスクトップのワープロ専用機とかがあったんじゃないですか?
高橋 OASYSはありましたね。そこで親指シフトを覚えたはずなんですけど全然覚えられなかったんですよね。結局、カナ入力は苦手でしたね。
川井 その他のコンピュータとは接していたんですか?
高橋 高校の頃にはFMD7を入手したはずなんですよ。高校に入った頃か、中学の終わり頃かな、それくらいですね。
川井 ご自宅でですか?
高橋 そうですね、ええ。そこからはまともにプログラムが書ける環境はとりあえずありました。でも、あっただけで別に書いていたかどうかは別の話なんでけどね。
前田 言語は何なんでしょう?
高橋 まだ、Basicですね。
川井 中高の頃にマシンを手に入れてましたっていうことですね。プログラミングはまだそんなにはしてなかったんですよね。
高橋 そうですね。就職してからじゃないのっていう気もしないでもないですけど。一応大学の時もやっていたんですけど。FM7はZ80じゃなくて6809だったんですよ。でもその辺の違いはまったく分からなくて、アセンブラのプログラムが動かないなあとか言っていましたね。あとは、アセンブラを使って、無理矢理なんかやっていたような記憶もありますね。基本的にはBasicとマシン言がちょっと使えますよっていう環境だったんです。特にハードは興味がなかったのでバラしてなんとかとか、カードを繋いでなんとかっていうのはなかったですね。
川井 あくまで興味はソフトの世界ってことですね。
高橋 そうですね。

大学生活は?
川井 大学はどういう学部に行かれたんですか?
高橋 北海道大学なんですけど、入ったときは学部が決まってなかったんですよ。理Ⅰ・理Ⅱ・理Ⅲという理系のまとまった単位があって、理Ⅰが物理か数学、理Ⅱが化学っぽいところで、理Ⅲが生物っぽい。でも両方に行ける学部もあったりしましたね。最初は文学部行動科学科っていうのがあって、そこに入ろかうと思って頑張ったんですけど、2人しか行けなくて枠に入れなかったんです。普通はわざわざ文系に行く奴もそんなにいないので、わりと普通に入れるはずだったんですけど、その時だけやたらめったら競争率が高くて、700何人中の70番くらいには入ったんですけど、10何番に入った人が2人もいたとかで駄目だったんです。それで結局文転に失敗して、しょうがないから情報工学科に入ってって感じですね。そこで、私の成績がもう少し良ければ文系に行ってましたね。
川井 違う人生を送ってらしたってことですね。
高橋 ええ。
川井 でもまた、コンピュータの世界にどっぷり浸かりそうな学部にいきましたね。
高橋 そのころの北大の情報は電気と一緒だったんですよ。実験とかで発電機回したりとか絶縁体に高圧電圧をかけて放電させたりとかしていました。
川井 すごいですね。勉強以外では?
高橋 大学の頃はですね、推理小説研究会とSF研究会と天文同好会と教養部新入生歓迎実行委員会っていうところに所属しておりまして、月曜日が推理研の定例、火曜日が天文の定例、土曜日がSF研で、土日にかけて天文の観望会があったりとか、合間を縫うように水曜日とか金曜日に新歓みたいな感じでした。新歓は時期が決まっていて、基本的には1年生と2年生の間の、大学の後期10月から新入生が入って4月までの活動でしたね。
川井 まさに暇なしですね。
高橋 何をやっていたんでしょうね(笑) 天文のときは、大学生協のソファを勝手に占拠するっていうひどい話があって、そこのソファでうだうだしていたような記憶がありますね。
川井 勉強する時間とかコンピュータをいじる時間はないですね(笑)
高橋 そうですね。
川井 イベント好きとかそういう感じなんですか?
高橋 そういうのもありましたね。お祭りというかイベント好きでしたね。高校の頃は生徒会とかでそれなりにイベントがあって、大学では新歓とかですね。特に新歓はイベント好きで、受験生相手にイベントしましょうって言って、受験生のこと何も考えてない素晴らしい企画をしたりもしていました。でもやっぱりサークルは役に立ったというか、影響を受けた感じですね。
川井 なるほど。
高橋 大学のミス研とか推理研とかは、そんなに頻繁にみんな本を読んでないので、あまり読書会ってないんですよ。でも北大の推理研は毎週読書会があって、読んでなかったらそれでいいよっていうぬるい感じだったんです。そのかわり読んだ人が好き勝手言う感じで、毎週ミステリーとSFを1冊ずつで2冊読むことになっていました。SFと言っても、要するに現実的ではないフィクションをSFって言ってしまいましょうっていう話で、いわゆるライトノベルもSFって言っていましたね。「あれもこれもSF派」っていうのと、「こんなのSFじゃない派」ってあるんですけど。広く捉えたSFの中に、ちょっとでも掠っていればOKみたいな定義ですね。山田風太郎とかも、大学を卒業した後にブームになった感じなんですけど、北大推理研ではわりと当時から流行っていたんですよ。
川井 かなり文系入っていますよね?
高橋 ええ。文系っていうか文科系ですね。この頃になると堂々と趣味は読書ですみたいな感じでしたね。でも趣味は読書ですって言うのはいいんですけど、読書系の人のたくさん読むというのは、やっぱり月に15冊くらいとかっていう話をされるわけですよ。「そこまで読んでないですわ」って(笑) だいたい多くて月10冊程度だったので、10冊だと「まだまだだね」って「それは多いって言わないよね」とか平気で言う連中ばっかりなので「すいません、全然読んでないです」って感じでしたね。
川井 分かる気がしますね。それでも4年間、そんな感じで過ごされていたんですよね?
高橋 マスターに行ったので、6年間ですね。
川井 失礼しました。マスターに行ったんですね。マスターの専攻は学部と一緒ですか?
高橋 そうですね。一緒です。
川井 具体的な研究は何を?
高橋 言語情報工学講座というところで、言語情報の言語って計算機言語と自然言語という二つの意味があって、それぞれをやりましょうって講座だったんですが、私はどっちかというと自然言語をやっていましたね。
川井 具体的にはどんな研究なんですか?
高橋 やりたかったのは、まともに小説が読み書き出来るようなコンピュータを目指したかったんですが、流石にそれは無理で、それどころか「てにをは」がわかるのが精一杯な世界でした。研究っていうほど真面目に研究はやっていなかったんで、参考書とかブログを読みましょうっていうぐらいで終わってしまいました。
川井 人工無脳とか人工知能とかも興味が勉強した範囲ですか?
高橋 人工知能の方には興味があって、人工無脳にはあまり興味がなかったですね。本当は意味解析をやりたかったんです。なので人工無脳のようなやり方はちょっと嫌いというか、あっちの方じゃないやり方をやりたかったんですよ。
川井 きちんと意味合いを捉えてって感じですよね。
高橋 なんだけど、それはちょっと無理っていうか、意味って何ですか?くらいの感じだったんです。その頃に日本語学の先生が言語文科部っていうところにいて、日本語文法の講座に潜り込んで1年くらい勉強していたんですが、周りにいるのが留学生と日本語教師しかいないっていう中で、一人だけ情報系から来ていて、「何しにきたの?」って状態でしたね(笑)
川井 学生時代だと、情報系で自然言語処理とかっていうのがあるっていうこと自体、文系の人は分からないですもんね。
高橋 分からないですね。それで、面白がられていましたね。
川井 そりゃ、周りからみたら珍しいですよね。
高橋 あと、数学科にも潜りこんで授業受けたりとかしましたけど、ホワイトボードとか黒板を使っていて、プロジェクターを使わないっていうのがすごく新鮮でしたね。さすが数学科っていう感じだと思っていました。
川井 数学にはどんな興味があったんですか?
高橋 カテゴリとオートマトンっていうのがあって、あの辺に興味があったんですけど、さっぱり分からないっていうときにオートマトンの講義があって潜りこんだんだと思います。
川井 興味が多岐に渡る感じがしますね。
高橋 そうですね。あと、文学部にも行っていましたね。文学部には集中講義でMITの日本語の先生がいたんです。確か福井直樹っていう「生成文法の企て」というチョムスキーの本を訳していたりしますね。
川井 どういう発想で興味がいろんな方向にいくんですか?
高橋 「言葉」が好きだったってことが大きいですね。
川井 言語に基づいたものに興味があるっていうことですね。
高橋 言葉って言うか小説ですかね。小説というか要するに新井素子が好きだったですからね。
川井 なるほどやはり小説なんですね。ちなみに自分で書いたりはしないんですか?
高橋 大学の頃は書いていたりしたんですが、最近は書いていないというか、ちょっと違う方の言語が忙しいんで、なかなか小説を書く暇がないですね。違う言語といえば、実はスクリプト言語を初めて触ったのは大学のときで、国語学演習でAWK(オーク)を使って国語学をするっていう授業だったんです。
川井 国語学の授業でですか?
高橋 ええ。豊島正之先生っていう本当にすごい国語学の先生がいて、国語学の先生なのにドイツ語とかフランス語とか平気で読めるんですよ。「一番難しかったのはヘブライ語ですね」なんて言っていた方で、専門はキリシタン文献の研究をされていたらしいんですが、研究の世界でもやっぱりデジタルデータが流行ってきて、それを処理しなきゃいけないってことになって「S O R T F(ソートエフ)」っていうコマンドのプログラムを書いちゃったんですよ。日本語を順番に並べるときには、濁点が分かれたときとか続き文字とかの順番を厳密に切り分けなければならないんですけど、その辺に転がっているソートプログラムは適当に文字コード順に並べているだけだから駄目だってことになって、正しく辞書順にソートするプログラムを自分でCで書いちゃったんです。
川井 それはすごい人ですね。
高橋 それだけじゃなくて、自分だけできてもだめで一般化する必要があるということで、規格が必要だってことになってJISの文字列照合順番の規格のエディタになったんです。さらに日本語の文献をやるには文字コードを扱えなければならないということで、問題だらけだった文字コードの世界に果敢に参入して、いろいろした挙句、JISの漢字のJIS X0208のエディタになったというめちゃくちゃな人なんです。
川井 その先生がAWKを使って演習をするんですか。
高橋 そうですね。日本語はJ-AWKを使うとDOSで動きますって言われましたね。
川井 でも、文系の生徒にとってはわけが分からないでしょうね。
高橋 大変だったでしょうね(笑)
川井 しかし、遊んでるだけじゃなくていろいろ勉強もしてますね。
高橋 なんでしょうね。専門領域をちゃんと勉強してれば良かったんですけど、わりと周辺領域ばっかり勉強していたんですよね。
川井 なるほど、興味のおもむくままにですね。
高橋 まさにそんな感じだったんですよ。もう少しまともに勉強していればねって思いますね。

北大卒業後は?
川井 それで6年間過ごされたあと、いきなりプログラマーになっちゃったりするわけですか?
高橋 高校の知り合いで東京にいたやつがいて、そいつが会社を作ったんで一緒に仕事しない?ってことになってですね、じゃあ、しますかって話になっちゃったんです。
川井 そういうノリで、北大のマスターまで出た方が仕事を決めちゃったんですね(笑)
高橋 まあ、そうですね(笑) インターネットの会社だったんですよ。今やっていることと内容的には変わらくて、今で言ったらWeb系なんですけど、その頃はWeb以外にもいろいろありましたね。まだWebが流行っていなかった1995年に設立したんです。
川井 Windowsが95の頃ですもんね。当時はまだ普通のシステム会社って感じですよね?
高橋 いや、Webっぽいベンチャーですかね。
川井 なるほど。今でも残っているんですか?
高橋 いや、もうないんですよ。あまり儲からなくて今の会社に合併する形になりましたね。
川井 何年位やってからそういう形になったんですか?
高橋 96年に入って、2002年に業務提携なので、6年ですかね。
川井 この6年の間はどんなことを?
高橋 入ったはいいんですけど、プログラムが得意ではなくて大変でしたね。でもまだこの頃は暇だったので、Rubyを勉強する時間はありましたね。
川井 当時は仕事ではどんな言語を使っていたんですか?
高橋 Perlか、ASPかですね。まあ、だいたいその頃はそうですよね。
川井 Rubyを勉強するきっかけはどんなことだったんですか?
高橋 なんか、Perlみたいで面白い言語があって、Perlよりいいって作った人は言っているらしいっていう記事を発見してからですかね。
川井 当時は何を見ていたんですか?
高橋 MLのアーカイブのページをひたすら読んでいたんです。あとマニュアルですね。ダウンロードしたり、サイトをみてみたり。その当時のスキルだとマニュアルを上から下まで読んでも分かるっていうスキルじゃなかったんですよ。ちゃんと分かるようになったのは雑誌の連載をはじめてからという感じがします(笑)。
川井 雑誌の連載のきっかけは何だったんですか?
高橋 はじめはですね、まつもとゆきひろさんが、MLに「本のオファーがあるんだけど書く暇がないので、書く人いませんか?」っていう感じで募集していたんです。
川井 で、手を挙げたと。
高橋 そうですね。それで何人かいたので何人かいれば大丈夫だろう、困ったときには誰かがなんとかしてくれるよって思ったんですよ(笑) それで、本にするのに、このグループで雑誌の連載から始めましょうかってことでスタートしました。
川井 オファーがあったときって、まだ自信がなかったときなんですよね?
高橋 少し分かってきたのかしらぐらいな感じですよね。
川井 そういう状態で手を挙げるっていうのは普通の感覚では難しいですよね。
高橋 文章を書くのには興味があったんですよ。
川井 何年くらいの話ですか?
高橋 2000年ですね。CQ出版のオープンデザインという雑誌の「Rubyではじめるインタービビットプログラミング」という連載です。最初は隔月刊だったんですけど、途中から月刊になって泣きそうになったんですけどね(笑)
   http://www.notwork.org/ipr/
川井 どれくらい連載期間があって本になったんですか?
高橋 これは本にならなかったですね。本当に申し訳ない感じなんですけど。
川井 このあたりでRubyの知識が大分深まったという感じですよね。
高橋 ええ。「たのしいRuby」を書き終えた頃には、まあ一通り分りましたっていう感じでしたね。
川井 「たのしいRuby」は書き下ろしなんですか?
高橋 そうですね。
前田 誰かに説明すると覚えるっていいますもんね。
川井 そう。きちんと覚えてないと書けないですからね。
高橋 まず、何を説明しましょうかっていうのを考える必要があるわけですよ。それでどこから説明しましょうかっていったときに文字列とメソッドはどこから何を書けばいいのかなって思ったら、文字列のリファレンスを上から下まで全部読むわけですよ。それは非常に力になりましたね。
川井 Rubyで仕事はしてないですよね?
高橋 あんまりしてないですけど、してなくはないです
川井 会社でも、仕事が来れば受けるけどっていう感じですか。
高橋 まあ、そうですね。
川井 本格的にRubyで仕事をっていうのではないんですよね。
高橋 どうしても仕事で使いたいっていうのもないし、趣味に徹したいというのもないですね。
川井 なるほど、フラットな感じなんですね。とするとRubyに対する興味っていうのは、どの辺でどう強まっていったんですか?
高橋 たまたまRubyだったっていう感じですよね。でもやっぱり相性はあったと思いますけどね。
川井 タイミングと相性っていうことですか?
高橋 あとはコミュニティですかね。開発者が日本人で日本語が使えるコミュニティというのもありましたね。コミュニティというと語弊があるかもしれないんですけど、Rubyのコミュニティの場合、世間一般に言うコミュニティとはちょっと違うんですよ。コミュニティって言うと、仲良くしましょうとか一体感って感じが強いと思うんですけど、もっと気楽な感じなんです。この辺は「るびま」にも書きましたけども、つかず離れずのメールを送りあう仲で世間一般のコミュニティとはちょっと印象の違うものなんですよ。そういうコミュニティって世間一般で言うとあまりいいコミュニティはないのかもしれなくて、「もっと仲良くした方がいいんじゃないの」とか「コミュニケーションとった方がいいんじゃないの」って言われるかもしれないんですけどね。
川井 確かにそう言われるかもしれませんね。
高橋 でも、そっけない人がふらっと来て、ふらっとなんかやって、またふらっとどこか行くということができるコミュニティっていいコミュニティだと思うんですよね。Rubyのコミュニティはまさにそういう感じだったんですよね。そもそも20世紀にRubyをやっていた人っていうのは、他の言語を二つか三つか四つは知っているのが当たり前というか、Rubyだけしか知らないって人はあんまりいないんですよ。
川井 そうですよね。
高橋 まつもとさんが最近ブログで「一つの言語しか知らない人は・・・」って言ってて、以前だったらそんな人は誰もRubyには来ないんじゃないかと思っていましたけど、最近はそうでもないのかもしれませんね。
川井 確かに最近は、変わってきているかもしれませんね。
高橋 いい時代になったものですね(笑)
前田 僕の同期では、Rubyしか知らない人もいますからね。
高橋 「何それ?」って感じがしますね。困ったときにコンパイルできないじゃんって感じじゃないですか。
川井 車の運転をするのに以前はマニュアルだったのが、今はオートマが普通となっていたりするのと似ているのかもしれませんね。それより前は、エンジンの仕組みとかまで理解していたとも思いますが、段々、とにかくアクセルを踏めば走りますみたいになっているのかもしれませんね。
高橋 イメージ的には運転するならまず車を作るところから始めるべきというのはありますけどね。
川井 そうですね。
高橋 まつもとさんは、まだエンジンをいじれる人がRubyを使っているというイメージがあるんじゃないですかね(笑) 勿論、実際は違うというのは分かっていてもそういう感覚があるんじゃないかと思いますよ。
川井 そうかもしれませんね(笑)

職業プログラマとしての過ごし方は?
川井 社会人になって12、3年だと思うんですけど、その間はどのように過ごされてきたんでしょうか。10年もあると人生のターニングポイントみたいなものが2つや3つあってもおかしくないと思うんですけど、高橋さんの場合、いかがでしょうか?
高橋 あまりドラマチックに変わったっていうのはなくて、徐々にですかね。自分でコードを書くか、人にお願いするかっていうのは変わったりもしましたけどね。あんまりプログラミングも極めているってこともなかったですし、だからといってビジネスバリバリっていうこともなかったんですよね。
川井 勿論、プログラミング自体は好きなんですよね?
高橋 嫌いではないですけど、そんなに好きって言うほど好きじゃないですね。プログラミング以上に好きなものがないですっていうわけではないですからね。
川井 小説も好きだしってことですよね。プログラミングは仕事って感じですか?
高橋 確かに仕事としてのプログラミングと趣味のプログラミングはありますね。
川井 高橋さんの中では、それは本質的に違うんですか?
高橋 あんまり変わらないといえば変わらないかもしれないですけど、どうですかね・・・趣味ではPHPを使いたいとかいうのはないというような違いはありますけどね(笑)
川井 それはありそうですよね。趣味になれば自分の好きな環境や開発言語ってことになるでしょうけど、仕事ですと、どうしてもお客さんの要望ありきだよねっていうところがありますもんね。
高橋 まあ、それはありますよね。ただ自分ひとりで趣味で作るプログラムも共有することとかを考えて作るとそれなりの制約は出てきますけどね。ただ、制約の質は全然違いますよね。制約条件が違いますってことですかね。
川井 やっぱりユーザーのためのプログラムっていうのが気持ちの中にあるんですか?
高橋 まあそうですね。
川井 昔からそういうお気持ちでやられていたんですか?
高橋 それは仕事始めてからですね。そのあたりの制約条件ってやっぱり外から来るものだと思うんですね。それにどう対応するかという問題であって、自分の中の制約条件じゃないですからね。
川井 なるほど、よくわかりました。

<プロフィール>
1972年、東京生まれの札幌育ち。北海道大学大学院修士課程(工学)修了
「ミステリ系更新されてますリンク」の管理者などとして一部では以前から注目されていたが、「高橋メソッド」で一般にも脚光を浴びる。本業は株式会社ツインスパークのソフトウェア技術者。
また国産のスクリプト言語として名高いRubyについて精力的に活動を展開しており、2004年8月に「日本Rubyの会」を設立、会長を務めその発展に尽力中である。Rubyに関する著作(共著)として「たのしいRuby―Rubyではじめる気軽なプログラミング」「Rubyレシピブック 268の技」の、2冊がある。単独の著作としては、「でかいプレゼン 高橋メソッドの本」がある。

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