インタビュー記事

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第36回 松本庄司 氏

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今回は、次世代Webを牽引するテクノロジーを活用したオンデマンドRSSデータベース「MODIPHIエンジン」と、各種アプリケーション群「MODIPHI APPS」を独自開発した、株式会社モディファイのCTOを務める松本庄司さんにお話しを伺いました。 松本さんは見た目どおり(?)のクレバーさと情熱を持つ生粋のエンジニア。 思う存分、その生き様を語っていただきました。

※取材日は、2008年10月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<コンピュータとの出会いは>
川井 本日は「Webエンジニアの武勇伝」ということでお願いいたします。
松本 よろしくお願いいたします。
川井 松本さんがコンピュータと出会ったのは何歳くらいなんですか?
松本 小学校5年生くらいの時に、PC6601というコンピュータを親に買ってもらいました。私たちの世代では低学年でゲームウォッチが流行って、3年か4年くらいの時にドラクエとかファミコンが出てきたんです。なので、みんな結構ゲーム世代だったんです。でも、ちょっと厳しい家庭だとゲーム機は買ってもらえなかったんですよね。しょうがないからマイコンかなという感じでしたね。
川井 (笑)
松本 みなさんそうだと思うんですけど、「ゲームセンターあらしのこんにちはマイコン」あたりから興味を持ちだして、マイコン買ってもらってその当時あまりろくなゲームはなかったのでゲームするだけじゃなく、作りたくてベーマガから入った世代ですね。
川井 やっぱりベーマガですか。では、ベーマガ見てマイコンに打ち込んでという感じですかね。
松本 そうですね。ガーっと打ち込んで改造してという感じでしたね。作ってみたいと言いつつ、なかなか自分ではできなかったですけどね。
川井 なるほど。自分から欲しいと言って買ってもらったんですか?
松本 なんだったんですかね。あまり覚えてはないんですけど、たぶんゲームが欲しいと言ったんだけどゲーム機を与えたらダメだろうと思われたんじゃないですかね(笑)
川井 小学校5年生くらいだともっとおもちゃっぽいものを欲しがるのかなと思いましたけどね。周りの方もそんな感じだったんですか?
松本 そうですね。やっぱ、ファミコン全盛期でしたからね。でも金消しとかスーパーカー消しゴムとかも流行ってましたね。
川井 確かに。ガン消しとかもですよね?
松本 アンテナが低かっただけかもしれないですけど、ガンダムはあまり流行ってなかったかもしれないですね。たぶん、1年、2年のときはゲームウォッチのすごいやつを持っている奴のところに行ってゲームしてましたね。もっと前だとカセットビジョンとかで遊んでた記憶もありますね。
川井 カセットビジョンありましたね。
松本 その時には、6601SRかX1かで迷ったんです。でも、6601SRにはフロッピーが付いてるからいいなとか思ったんですよ。
川井 小学生っぽくないですね(笑)
松本 中学生になってから、X1の方がおもしろいゲームあるからX1にすればよかったなと思ったりもしましたね(笑)
川井 (笑)そうですか。では、小学校のうちはゲームという感じだったんですね。
松本 そうですね。でもゲームもあまり買ってもらえなかったので、だいたいBASICでゴリゴリ遊んだりというのが普通でしたね。
川井 ゲーム以外のプログラムも楽しかったんですか?
松本 ゲーム以外と言っても遊びですけどね。絵を描いたりとか、音声合成があったから歌わせてみたりとかしてました。当時はベーマガだったんでマシン語とかはあまりなかったんですけど、Dumpを打ち込むのとかがすごくだるいじゃないですか。ゲームパッドを繋げて8方向入るから8方向とボタン押してポチポチボタン押したらBASICが入力できるようなものを作ったりしていましたね。
川井 環境が限られると創意工夫が生まれますよね。
松本 そうですね。そうやって、遊んでいましたね。
川井 では、運動だとか他の遊びはしなかったんですか?
松本 田舎だったので、結構外では遊んでましたね。
川井 田舎はどちらですか?
松本 九州なんですよ。
川井 そうですか。自然がいっぱいあっていいですね。中学に入って部活をやったりはしなかったんですか?
松本 卓球部には入っていましたが全員入らなきゃいけないからという感じでした。高校が受験だったので部活というよりは塾に行っていた印象が強いですね。行き帰りにゲーセンに行ってというのはありました(笑)
川井 やっぱりゲームなんですね。
松本 そうですね。でも、やはり中学は受験勉強という感じでしたね。

<ゲームからプログラムへ>
川井 では、ゲームからその先へのステップのきっかけとかがあったんでしょうか。
松本 受験が終わって高校に入ってからは、ゲームはあまりやらなかったんですよ。吹奏楽部に入って、その時は部活ばっかりでしたね。
川井 そうなんですか。
松本 ある時文化祭で会計係だったんですが、コンピュータおたくの先輩がいたんです。で、先輩が会計のプログラムを作ろうって言い出したんです(笑)
川井 (笑)
松本 その時ちょうどC++が出始めた頃だったんですよ。学校にPC98があって、そこにBorlandC++かなんかを入れて2人で分担して表の部分を作ったりしたんです。
川井 なるほど。
松本 最初の入口としてはその先輩の影響がでかいですね。
川井 高3の時ですね。
松本 そうですね。それが高校時代で、大学に入って高校の時に行っていた塾にバイトに行きだしたんです。そこにMacがあって、それでチラシを作るというバイトをしたり、先輩の紹介である教科書会社が数学の教科書のゲラ校を作りたいという話があったんですけど数式とかって打てないじゃないですか。
川井 そうですね。
松本 その当時、数式を打つとしたら論文用のTexだったんですよ。それでゲラ校を作ろうかってなって、Texの分厚い本をガーって読んで勉強しました(笑)
川井 そうなんですか。
松本 そこでそういうことをやって、大学ではコンピュータのことは好きだったのでUNIXでガリガリやったりしてましたね。
川井 ちなみに大学はどういった学部に行かれたんですか?
松本 大学の学部は理学部でした。院が人間環境学部みたいなところでしたね。
川井 もともと理系だったんですね。
松本 そうですね。一応数学科ってことにはなっていましたけど、あまり数学をやっていた覚えはなくて、コンピュータのことばかりやっていましたね。
川井 理系に行くとかコンピュータをやるっていうのは昔から決めていたんですか?
松本 昔から理系のことは好きで、小さい時は「ひみつシリーズ」で育ってきたんで。(笑)
川井 数学は好きなんですか?
松本 理学部数学科に行った身として数学が好きかって言われると微妙なんですよね(笑)
川井 (笑)
松本 例えば、受験数学とかパズルチックなものだったりは好きでしたね。大学に入ってからは本当の数学ですし、本当の数学は哲学なので、よほど好きじゃないとできないですからね。周りにはめちゃくちゃすごいやつがいたんで数学の研究者になんてなるもんじゃないなってひしひしと思いましたね(笑)
川井 (笑)そうですか。
松本 大学は理学部で受けて入ったけど、先生にお前は国語で入ったと言われましたね(笑)
川井 そうなんですね(笑)
松本 あとは絵とかも好きでしたね。中学の時はレタリングなんかにも一時はまりました。レタリングが面白くてやって、レイアウトがとか色がとかいうのも面白かったですね。
川井 そうなんですね。色の勉強や紙の勉強なんかもしたくなりますよね。
松本 大学に入ってからUNIXでゴリゴリやって、当時ちょうどLinuxが流行りだした頃で、Linux-0.99とかの時代ですね。その辺りからLinuxをガンガンやり出しました。その頃ちっちゃいマウスが好きでちっちゃいノートを使用していたんです。当時サブノートというのが出始めたんですよ。Windowsが嫌だったのかタダっていうのが面白そうだったのかわからないですけど、ノートにのるUNIXっていうのがLinuxしかなかったんですよね。まだFreeBSDがちっちゃいPCに対応していなかったんですよね。それでLinuxにして、そこからガンガンLinuxをやっていましたね。
川井 なるほど。
松本 その頃ハードの人じゃないので、プログラムをガリガリというわけじゃなかったんですが、向こうの書いた文章を和訳するというのもいくつかやってみました。和訳も結構奥が深くてIBMが出したような和訳文章なんかはどうしても機械翻訳なんじゃないのかっていう感じですしね。「導入」とか書かれていて「インストール」のことかとかありましたね。そういうのがどうも苦手でしたね(笑)
川井 (笑)
松本 意訳というか、どうやったらその意図が伝わるのかなとか思いながらどう訳そうかなとかやっていましたね。
川井 英語はお好きなんですか?
松本 嫌いではないですけどって感じですかね。流し読みとかするのは苦にはならないという感じですかね。でも、書けとか話せとか聞けとかってなるとちょっと「うっ!」と思いますけどね(笑)
川井 なるほど。その当時っていうのは始めから大学院に行くつもりだったったんですか?
松本 何も決めてなかったです。でも別に就職したいとは思ってなくて、まだもうちょっとモラトリアムを楽しもうかなというぐらいでした。
川井 そういう動機で進学を決めたんですね。
松本 4年の時にJavaが出始めたんです。ブラウザも流行り出した頃で、Javaでブラウザを作りたいなと思い始めたんです。HTMLの解析機みたいなものを適当にでっちあげてみたりしました(笑)
川井 (笑)
松本 情報系の人だったら“なんちゃらモデル”とか色々使ってやるんでしょうけど、そんなの全然知らなかったので文字列処理だけでツリーとか作ってみたりとかして卒業研究なんかにしていましたね。
川井 そうなんですね。
松本 当時のUNIX雑誌って大学の人とかが主体だったからめちゃくちゃ固かったんですよね。UNIX周りで大学の時に物書きをしていてそれって面白くないなと思っていたんです。   そもそもパソコン雑誌自体がめちゃくちゃ固かったんですよ。で、UNIX周りで面白い記事が欲しいねっていう話をしていたんです。
川井 なるほど。
松本 当時編集者さんもコミュニティだったんですよね。面白いのを書いてくれないかなって話をしていた時に、じゃあめちゃくちゃ軽い文章でいきましょうっていうお話をして友達を2人でUNIXユーザーさん向けに“Linuxびっくり箱“という記事を書くようになりました。それはたとえば「こんなの見つけた!」「なんじゃこりゃー!」みたいな文で、今でいうほとんどブログのような感じですよね(笑)
川井 (笑)
松本 毎週いくつか選んできて、1年半~2年くらいやったのかな。読者には気に入ってもらえたみたいでした。
川井 そうなんですね。
松本 後で思うと感覚的には週刊アスキーみたいなもんですね。週刊アスキーが出た時も衝撃でしたからね。「こんな柔らかいパソコン雑誌が!おまけに週刊かよ!」という感じでしたね(笑)
川井 (笑)
川井 ネットはどの辺りから出会ったんですか?
松本 ネットは大学の頃ですね。UNIXを触りながらインターネットでMozaicが出てきてとかですね。その前に高校の時、家でBBSはやっていましたよ。草の根BBSですね(笑)
川井 そうなんですか。ネットに出会った時っていうのはどんな印象でしたか?
松本 BBSからやっていたので、そんなに違和感はなかったですけどね。初期の頃だったからNTTさんがディレクトリみたいなものを作っていて検索エンジンもちょうど出始めて、まぁそういうもんなんだと思って使っていましたけどね。
川井 なるほど。結構ネットとの出会いが大きかったって方とかもいらっしゃるんです。話を聞くとあまり衝撃的って感じじゃなかったのかなって印象を持ったんですけど・・・。
松本 そうですね。BBSの方がそういう意味ではでかかったんじゃないですかね。POPCOMっていう雑誌で草の根BBSってやっていたりとかしてて、近場の草の根BBSに繋げてしゃべっていましたね(笑)
川井 なるほど。では、プログラムは大学に入ってぼちぼち書く機会が増えて、自然にスキルは身に着いていったという感じなんですね。
松本 そうですね。プログラムといったらC++で書いて、その後何していたかな。UNIXをやっていたから、Cがバリバリじゃなかったけれども、Shell Script とかPerlとかわりとLightWeightLanguage系は自然とやっていたとこはありますね。
川井 それってすっと覚えちゃうもんなんですか?
松本 えっと、Shell ScriptにしろPerlにしろそんなに難しい感じではないんですよ。あの辺てワンライナーみたいなすごく短くても効果のあるものなんです。UNIXのフィルタリングの文化ってすごい単機能なものを組み合わせて部品化されているんでプログラムとしてはわかりやすいんですよね。そういう意味ではプログラム自体にあまり「うっ!」って思ったことはないですね。
川井 なるほど。
松本 その上一番初めの入りがC++なので(笑)
川井 それから考えるとそうですね(笑)
松本 授業とかでもFORTRANとかなんとかやらされましたけど、そんな変な感じはしませんでしたね。その前にもBASICの時代はあるんで、BASICをやってC++やっていわゆるVisualなんちゃら系というのはまだ出ていなかったぐらいですよ。出たか出始めたか・・・。高い金払って買うみたいな感じの物でしたからね。そのLOWなところから入ってますね。
川井 結構苦労される方もいるわけじゃないですか。でなければ苦労せずにすっと入れる方もいて一体、どの辺で差が出るのかなって思うんですよ。それによっておそらく人生も変わってくるじゃないですか。
松本 UNIXの世界でうちらは言っているんですが、昭和48年、49年組ってうちらは「うわー」って固まってるんですよ。で、その下が全然出てこないんですよね。なんでかなって言っていたら、うちらの世代は小学生の時に身近にBASICがあったじゃないですか?で、その次に行くとPC98がバーンと売れた時でその頃には、プログラムをしなくなってきてるんですよ。
川井 なるほど。
松本 なので、プログラムっていうとCにいっちゃうんですよ。でも小学生はCができないじゃないですか。MS-DOSでBASICっていうのも全然なかったですし、うちらの頃はもうなんでもBASICで始まってたから、起動したらBASICのプロンプトが出てますって感じだったんです。
川井 そうでしたね。
松本 DOSが普通に入ってたから、それが出来なくなっていて、その後もうWindowsにいっちゃいましたよね?
川井 そうですね。
松本 Windowsになるともっとプログラムなんてしないですし、Visualなんちゃらも、結局部品化されてない感じだから、よくわかんないおまじないを書いたら、なんとなく動くっていう風なっちゃって、頭から後ろに流れるタイプの関数型っぽい指向っていうのがたぶんできないんですよ。
川井 なるほど。
松本 中はそれで動いてるっていうのがうちらの頭の中にはちょうどそれが入っているけど、下の人らはそういうプログラムの環境もなかったし、特殊な環境にいるから興味が持ちづらかったっていうのはあるかもしれませんよ。
川井 そうなんですね。子供の頃触れていないってことなんですね。
松本 そうなんですよ。それで、その頃BASICをやってるとどうしてもZ80とか、メモリがどうのこうのとか、ちょうどわかりやすいアーキテクチャーのマシン語とかをやってて、PCの成長と合わせて成長してきた世代なんです。
川井 はい。
松本 成長しきった、いきなりマルチスレッドでとかいう世代だと勉強しようがないというかわからないじゃないですか。
川井 そうですね。
松本 小さい時にわかりやすいアーキテクチャーに触れてるっていうのはでかいと思いますよ。逆に僕らの一回りくらい下の世代でプログラム好きって聞くと、なんでそんなにプログラム好きになったのって聞いちゃいますもん。
川井 いますよね。
松本 そうなんですよ。たまにいるんですよ。
川井 最近20代前半にそういう子は増えていてびっくりしているんです。
松本 たぶん、その辺はおっきいと思っているのはJavaScriptなんじゃないかなって思っているんですよね。ちょうどその頃の世代は大学とかでWebが流行っていて、CGIを書いてみるっていう人もいたでしょうし、HTMLとJavaScript組み合わせてガリガリっていうところからプログラムに入るという人も意外といると思いますね。
川井 なるほど。そういう環境的な問題も結構あるということですね。
松本 そうですね。あると思います。

<大学、大学院時代>
川井 その後大学院に進まれて、何を研究されていたんですか?
松本 認知系が好きだったんですよ。人工生命とか人工知能とかです。そういうのに絡めたとこでいわゆる認知学、本当の脳みその話とか心理系の話とかも好きだったんです。そこでいろんな研究室に行かせてもらって話をさせてもらったりしていて、研究自体は人工知能と人工生命はちょうど流行っていた頃だったので、ちょっとアルゴリズムを組み合わせてやってみたりしていました。
川井 大学も九州ですか?
松本 違いますね。大学は京都です。
川井 京都ですか。京大ですか?
松本 はい、そうです。
川井 いいですね。私、京都好きなんですよ。どの辺にお住まいだったんですか?
松本 銀閣の近くですね。
川井 いいですね。白川の近くですね。
松本 そうです。あの辺に住んでいました。
川井 羨ましいな。
松本 でも、研究室に住んでました(笑)
川井 (笑)
松本 研究室に住んで、ちっちゃいテレビとPS2を持ち込んでファイナルファンタジーⅦをやってました(笑)もう画面に焼きつくくらいやってました(笑)
川井 ゲームをかなりやってるんですね。
松本 ばりばりやってましたよ。逆に高校まで受験漬けで、ゲームも漫画も全然って感じだったので大学に入ってからはじけたって感じですね。
川井 なるほど。
松本 ガーっと漫画読んで、ガーっとゲームしてって感じでしたよ(笑)
川井 そうなんですね。ちなみにこの時代の京大っていうと結構ベンチャーブームなんですか?
松本 もうちょっと後ですね。
川井 もうちょっと後でしたか。
松本 そうですね。ベンチャーって言葉自体が流行り出したのが、私が大学院に入ってからですね。その時代はバブルがはじけたちょっと後なので、ベンチャーベンチャーって言っている時代ではなかったと思いますよ。
川井 確かにそうですね。
松本 一旦アメリカでベンチャーが盛り上がっていた時に、日本でもITベンチャーっていうのが一瞬流行ったんですよね。でも、向こうが潰れて日本でもベンチャーベンチャー言ってたけど、そこまでは伸びずに産学共同とかの方にいっちゃってて、でも産学共同もずっとなかずとばずで、だったじゃないですか。
川井 そうですね。
松本 産学共同でベンチャーが出てきたのは、2003年か2004年くらいになってからじゃないですかね。
川井 松本さんとしては、そういう世界はあんまり目に入らなかったんですか?
松本 僕はもう好きなことを好きなだけやる人なんで、お金はどうでもいいやみたいなところはありましたね(笑)
川井 なるほど。大学院はどこまで行かれたんですか?
松本 大学院はもう僕は勉強大好きだったので3年間いきましたよ(笑)
川井 しっかりと(笑)
松本 大好きだと言い始めたのはあとでですけどね(笑)
川井 (笑)
松本 博士までは行く気はなかったんですけどね。修論でちょっとしくって、先生からダメって言われたんですけどね(笑)
川井 そうですか。
松本 ま、その分いろいろ遊べましたけどね。一年間長くいたからガンガンUNIXのことやってましたし、だいだい単位とか足りていたんで修論だけやってあとはLinux周りのことばっかりやってましたね。
川井 どんなことをやってたんですか?
松本 その時にLinuxのJEっていう日本語化のプロジェクトがあったんですけど、そこのJEが一通り落ち着いてまだレッドハットとかも出てない時代なんですよ。最後の方でちょうどレットハットとかあといくつかタブリードとかもそうだったかな。ちょうどあの辺のベンダーは出始めたころなんですけど、一向に日本語対応してくれなかったんです。結局フォントの問題とか和訳文書の問題とか日本語パッケージの問題とかあって、企業は金持ってるんだからどっかやってくれよと思いましたけど、一向にどこもやらないから、「俺らがやるよ」って言って、オープンソースなんだし勝手に持っていけという感覚でPJEというのとBIというのを何人かでやり出したんです。
川井 なるほど。
松本 当時あんまり流行ってなくて、なんで流行らないだろうねっていう話をしていてやっぱり流通に乗せなきゃダメなんじゃないかってなったんです。とりあえず箱に入れて店に並んだら買うでしょっていう話になったんです(笑)
川井 (笑)
松本 まだオープンソースオープンソースって言ってなかったから、まず企業に入らないじゃないですか。
川井 はい。
松本 化粧的に箱に入れれば、信用を与えるってことになるんじゃないかっていう話をしていたんです。BIっていうパッケージ作って、みんなに置いてもらうみたいなことをしたんです。それがなんとなくウケたんですよ。
川井 それはどういう団体でやっていたんですか?
松本 UNIX周りの仲間内ですよ。
川井 本当にじゃあコミュニティレベルでそういうご活動をやっていたんですね。
松本 そのJEやっていた人が真鍋さんて方なんですけど真鍋さんて方がしんどいからもうJE辞めるって言われて、でも捨てるの勿体ないですしね。JEは協力してる人は周りにはいましたけど、実質ほぼ真鍋さんが1人でやっていたようなものでしたね。チームになってるわけじゃなかったんですよ。
川井 そうなんですね。
松本 それで5、6人でPJEっていうのをやって、そこから発展してレッドハットがちょうど流行り出したのでレッドハットベースで作ってみたいなという感じでやりましたね。
川井 企業がやらないから自分たちでやるというモチベーションだったんですか?
松本 そうですね。企業がやらないからやってよ!というか、俺ら作るから企業持っていけよみたいな(笑)箱にして売ってくれよみたいな(笑)
川井 (笑)
松本 でも、一向に売ってくれないから、しょうがないのでうちらでやるかーみたいな感じでしたね(笑)
川井 そうすると、今のオープンソースの発想の先駆けに近いですよね。
松本 そうですね。ま、権利関係がめんどくさかったとか怖かったのもあるんでしょうね。
川井 そうですよね。
松本 結構フォントの権利とかって高いじゃないですか。配るわけにもいかないしってなると、誰かがどっかで作ったものを持ってきてみたいになりますよね。当時、Vectorのフォントはほとんどなかったのでどっかが実験で作ったようなbitmapフォントをベースにガリガリやっていました。
川井 なるほど。
松本 その時まだ牧歌的だったからパクりパクられで、どっかから盗ってきたんじゃないかって話になりましたね(笑)
川井 まだそうですよね(笑)
松本 最近といっても5、6年前ですかねフォントの権利関係をちゃんとしようってなったんですよね。で、いろいろ調べてたら、これの筆字は実はあのプリンターのロゴフォントからとったなんていう怖い話もいっぱい出てきたりしたんですよ。
川井 (笑)なるほど。
松本 なので、フォントとかもガリガリやっていたんです。その頃にちょうどMozillaとかも出始めた頃でMozillaも同じようにいい裏ワザなんだけど、Mozillaの前かな・・・NetScapeがソースをちょうどオープンした頃にNetScapeのバイナリ版に対して日本語フォントを入れるのにこういうテクニックがあってとかそういう設定をやったりしてました。そこで、フォントとか日本語コードの話とかが出てきてガリガリその辺をやっていたんですよ。その後に、Mozillaが出て日本語のコード周りがおかしいからっていうのがあって、こういうテーブル作ってこの辺直したらいいんでとかいうことをちょこっとやっていました。
川井 そうなんですね。
松本 その頃はちょっともじら組と絡んでましたね(笑)この前久々にもじらさんのパーティに行ってきましてコミュニティも変わってるんだろうなと思って会ってみたら、やっぱり全然変わっちゃってましたね(笑)
川井 そうですか。
松本 ま、ベースはUNIX周りをゴリゴリやってましたね。
川井 そうですね。
松本 全然Windowsの人じゃなくて、ノート買ったらWindowsを初期設定する前にハードディスクを外して、差し替えてLinux入れますみたいな生活をしてましたね(笑)
川井 なるほど(笑)
松本 最近、でもLinuxも落ち着いちゃったんで・・・。その頃からユーザーの二面性っていうんですかね。そういのは考えていましたね。箱に入れるのもそうで、FTPからダウンロードしてきてこういうインストール手順でとか本を見ながらやるのは面倒くさいじゃないですか。
川井 確かにそうですね。
松本 CDを入れたら、自動的にインストールができちゃったじゃんっていう方がいいよねという感覚はありますね。
川井 それってなんか、テキスト作るとかアーティフィシャルなというかなんというんですかね、そういう感覚もなんか元々お持ちなのかなって感じがしますね。
松本 気にはしてると思いますよ。日本語とかも単なる訳じゃおもしろくないとか、技術的な文章はおもしろくないとかレイアウトにもこだわるし、フォントとかもきれいじゃないとなあか考えたりしてましたね。
川井 使う人から見て分かりやすいということを気にするのは、インターフェースにもかなり興味があるのかなと思いますが、いかがですか?
松本 それは、かなりありますね。

<SIer時代の仕事について>
川井 当時は仕事としては何かやろうっていうのはあったんですか?
松本 何もなかったです。プログラム系は好きだったんでいくならIT系なんだろうなぐらいのことは思ってました。
川井 漠然とそういう仕事をするんだろうなってのはあったんですかね。
松本 そうですね。就職の時も特に就職活動しなかったんですよ(笑)
川井 そうなんですか(笑)
松本 就職活動って、普通3月くらいからやるじゃないですか。なんにもしなくて、5月くらいにどうしようかなっていう話をしてたら、研究室の先輩からうちどうよって紹介があって、面接いったら受かりましたというような・・・(笑)全然就職活動してないよみたいな感じです(笑)
川井 そんなものですよね(笑)
松本 そういうところはラベルとか学歴とかそのくらい武器にはなるのかなっていうのはちょっと思いましたね。
川井 最初の仕事は何をされたんですか?
松本 最初はSIerで働いたんですよ。NRI(野村総合研究所)です。
川井 東京に出てこられたんですか?
松本 そうです。東京に出てきました。しばらく寮で暮らしていました。
川井 横浜のYBPですか?
松本 はい、そうです。毎日寮で暮らしてたんですけど、NRIって2つあるんですよ。調査部系とSIer系とがあったんです。どっちも同期のやつらが寮にいるんですよ。寮で遊びつつ仕事しつつなんですけど、みんな帰ってくるのが遅いんですよ。
川井 でしょうね。
松本 早いとこは早いんですけど、遅いとこは遅くって、みんなして終電か終電過ぎに帰ってきて寮食で飯食って風呂入って2時3時くらいにお疲れみたいな毎日でしたね。朝は9時に来いとかじゃなくて10時とかだったんでゆっくりはしてたんですけど、毎回同じメンバーがそんな感じでしたね。さんざん仕事おっかけてそんなことをやってましたね。
川井 何年ぐらいですかね。
松本 2000年ですね。ちょうど2000年対応で泊まり込んだ思い出があります(笑)
川井 そうですね。
松本 結局、徹夜したけどあそこのサイトで1個出ただけだよという感じでしたけどね。「表示がずれただけかよ」みたいな感じでしたね。
川井 たいしたことは起きませんでしたよね。
松本 全然起きなかったですね。金融とかの基幹の方ではなかったので、僕自体はいわゆるR&Dと言われるとこにいっていたので何かあったときにはという感じでしたけどね。
川井 寮は天王町にあるんですか?
松本 いや、寮は生麦にあるんですよ。
川井 じゃ、乗り換えないと帰れないんですね。
松本 そうですね。横浜で乗り換えしてですね。ただ出勤時とは逆方向だったんで東京に行く人とは逆じゃないですか。なので、あまり混んでたりというのはなかったですね。
川井 それっていいですよね。
松本 川崎が近いから土日の度に映画館に行ってました。チネチッタがちょうど出来てちょっとぐらいの頃で、土曜日のレイトショーくらいから行ってレイトショーとオールナイト見ると2時3時じゃないですか。
川井 はい。
松本 そのあと漫喫に朝一で行って2本くらい見て帰るみたいな(笑)
川井 (笑)
松本 毎週やってて、ちょっと充実してましたね(笑)
川井 結構、サブカルはお好きなんですか?
松本 サブカルは嫌いではないですけど、マニアというわけじゃないですね。
川井 自由奔放に好きなことやって生きてる感覚ですよね。
松本 めちゃくちゃ好きなことをやってます。且つ、楽しようとしますね。
川井 職場のNRIっていうのはそういうのは許されるんですか?
松本 ま、仕事は仕事でやってましたけどね。ただ、なんだかんだいってプログラム系のことでいうと、同期が300人くらいいて50~60人は調査部で残りはSIerなんですけど、やっぱりプログラムをバンバンやる奴っていうのはほとんどいなくて、即戦力になりそうっていうのが自分含めて5人くらいだったんですよ。
川井 はい。
松本 最初の2か月くらいは、COBOLなんかも組まされたりする研修があるんですけど、うちら5人は自分のやつをさっさと終わらせてぼけっとしてたら、他の人に教えてくれとか言われましたね。「俺ら新人なのにインストラクターやってるよ」みたいな感じだったんですよ(笑)
川井 (笑)
松本 そういう奴らは、やっぱ上からは目をかけてもらえるんで、意外とその辺は厳しくなくやらしてもらったというのはありますね。
川井 なるほど。
松本 ただその代わり研修終わって半月くらいおとなしくこれ読んで勉強しててみたいな感じだったんですけど、その後、ちょうど火の車のところに放り込まれたんですよ(笑) 入った部隊が全体でも火消し部隊って言われてるところだったんですよ。
川井 できる方は配属がそうなりますよね。
松本 「わー!この仕様書は!」とか言ってました。なんか仕様書見ると2~3個くらいラジオボタンが並んでるんですよ。下にこのボタンは各々独立してトグルであることってあったんです。「これチェックボックスじゃん? これチェックボックスって書いていいですか?」って聞いたら、「いや。それはもうお客さんとこの画面ショットでってなってるからそうして」って言われたんですよ(笑)
川井 (笑)
松本 で、3日くらい苦労してVisualBasicで変なトリック使って仕上げて出したら「あ、それ仕様変わったから!」って言われたんです。
川井 (笑)
松本 「えー!どこにあんのその仕様!」って聞いたら「ない」って言われて、「どこにもない仕様変更なんて知らないよー!」ってなりましたね(笑)
川井 よくある話ですよね(笑)
松本 そうなんですよ。仕様変更を聞いたら最後には大幅に変わってて、普通にラジオボタンでよかったというようになってましたね。
川井 なるほど。
松本 火の車になってるようなプロジェクトだったんで、やってるチームと他のチームとの意思疎通も全然出来てなくてお客さんとの関係も悪かったんですよ。
川井 なるほど。
松本 そこでちょっと人生の不条理を感じて・・・。とそんな感じででしたね。
川井 じゃ、最初はR&Dといっても受託案件の中でガリガリやってという感じとかですか?
松本 いや、そうじゃないですね。ちょうどその頃NRIと近くの別の会社と統合したとこだったんですよ。それで元々NRIにもある部署が、統合した会社にも残っていて、その2つの部署を統合せずに、そっちの会社に行ってという感じでやっていたんですよ。
川井 なるほど。
松本 ある意味ちょっと外様っぽいところですね。意外とでかいところって縄張り意識が強いじゃないですか。全社でとかは出来ないですし各々の部署のところにやり方があるしとか、そういうところとはちょっと離れてたんで、そういう意味ではかなり自由にやってましたね。
川井 なるほど。
松本 ナレッジマネジメントシステムを作ってくれとか言われて、Dominoで作ってみたりとかしました。
川井 当時、流行ってましたもんね。
松本 流行ってましたね。Dominoでガーっとでっちあげてみたんですけど、結局あまり使われなくってナレッジマネジメントは必要じゃないんですよねって収めちゃったりとかありましたね。トップダウンで社長がやれって言わないと絶対やりませんみたいな・・・。
川井 NRIのコンサル部隊の方と関わりもあったんですか?
松本 ほとんどなかったです。あそこのコンサル周りは看板ですね。採算とれなくてもいい、実際儲けてるのはSIという感じです。で、おっきいとこはおもしろいんですけど不条理をみることもあって・・・。いわゆる下請けって言われる協力会社さんの人がいるんですけど、やっぱり出来る人は下請け会社さんというか実際動いてる人々なんですよ。上の人は人とお金を動かしていて、結局業務のことは協力会社さんの方が知ってるんですよ。
川井 そういうケースが多いですよね。
松本 且つ、上は結構入れ替わるんです。協力会社さんのチーフクラスの人が技術も出来るし業務もめちゃくちゃ知ってるんですよ。そしたらこの仕事を動かしてるのは協力会社さんじゃないって思っちゃうわけですよ(笑)
川井 確かに。
松本 自分としてはお金の計算するよりコードをガリガリと書きたい人だから、こっちの方がメンタリティとしては近いわけですよ。
川井 そうですね。
松本 で、フローチャートを書いてあるような仕様書がきて、フローチャート書く暇があったらコード書けよみたいに思ったりしました(笑)
川井 (笑)
松本 「いまどきフローチャートかよみたいな。おまけにこのフローチャート間違ってるぞ」みたいな感じでしたね(笑)
川井 (笑)
松本 で、こうダイレクトにいかないのを「うっ!」って思ったりしていましたね。
川井 やっぱSIの大手の方になると社員の方は基本的に書かないですもんね。超上流しか関わらないですもんね。
松本 それもたとえばいろんな言語とかいろんなシステムをたたき上げで知っていて、俺がやったら書けるけど俺が時間をかけるわけにはいかないから書ける奴にまかせるって言うんだったらいいんですよ。変なことも書いてこないしね。プログラムをやったことがない人がうちらでいうところの同期の5人以外で入った人々がプログラムをまともにやらないうちにそういうとこにいっちゃうんですよね。そうすると、とんちんかんなお話になってきて下の方では仕様変更かよみたいになっちゃうんですよ(笑)
川井 やっぱそこに不条理というか問題があるんですね。
松本 そうですね。だから、「あー!」って思っちゃうんですよ。
川井 過度な多重構造はよろしくないとずっと思ってるんですよね。
松本 そうですね。すごいよろしくないですよ。その辺の課題感覚でいうと、SEと呼ばれてるものはとっぱらっちゃって、プログラマーを2層化するべきだと思ってるんですよね。
川井 なるほど。
松本 ちゃんとプログラムが出来る人でいわゆる設計屋さん、アーキテクトと呼ばれる人々とそれ以外のプログラマーというかコーダーレベルの人とで分けるべきで実際はもっとアーキテクトと呼ばれる人々が評価されるべきなんですよ。
川井 そうですね。
松本 たとえば、人月ベースでいくと、一番下のレベルで70万~80万からあって、チーフレベルの人でも上限が120万くらいなんですよ。でも、書類を書いてる人は170万とか180万とかもらっちゃうわけなんですよね(笑)
川井 そうですね。
松本 その上の方のレベルで外側ちゃんと作れる人っていうのはそれくらいもらっていいはずないんですよ。そこがないから結局そういう人々が疲弊しちゃうんですよね。で、出来る人に必ず仕事は集まってくるからもう疲れちゃって酷いところをやってしまったりしちゃうんで、どうにかしないといけないよねっていうのは思いますね。
川井 本当にこの業界構造がよろしくないというのはありますよね。
松本 googleとかはうまいことやってますよね。上の方の層だけ取り出してきて、給料いっぱいやるとか、好きにやっていい時間をやるとか、その代わり好きなものを書けとか。やっぱりあの構造はオープンソース的な発想でいいやり方だなって思いますね。
川井 そうですよね。
松本 SONYとかも結構そういうやり方なんですよね。近くのお家にSONYの方がいらっしゃるんですけど、いろいろお話を聞いていると、プロジェクトごとにチームメンバーを集めてきてバーンと立ち上げて企画を出して、バーっとやってという感じらしいです。その代わり失敗したら飛ばされるみたいな(笑)
川井 (笑)そうなんですね。
松本 ま、企業なんでそれはしょうがないですけど(笑)
川井 緊張感がありますね。
松本 googleもそれは同じみたいですよ。あそこも入れ替わりが激しいんで・・・。できるやつは残ってるけど、できないやつはどっかいきますみたいな感じみたいですね。
川井 なるほど。そんなじゃあ多少ストレスを感じるようなこともあったと思うんですけど、どのくらいやられたんですか?
松本 1年半くらいですかね。もう少し長くいてもよかったんですけど、そのUNIX周りの友達からちょっとこっちに来ないかという話があったんです。僕ももうちょっと疲れてたんで(笑)上の人にも言われたんですけどうちの会社は10年いると給料がよくて辞められないんだけど、残っていく人はめっちゃいい人かめっちゃ悪い人という話をされたんですよね。めちゃいい人は何を持ってこられても断れない人且つ能力が高い人、めちゃ悪い人は何でも持っていく人。そのどっちかに分かれていて・・・。めちゃ悪い人っていってもいい意味で悪い人なんですけど(笑)
川井 (笑)
松本 めちゃ悪い人でも残ってる上の人を見ると確かにすごい人はすごいんですよね。そこまで必死にならんでもっていうのは実際ありましたね。
川井 なるほど。
松本 たとえば大学の同期でIBMとかに行った子らがいるんですけど、話を聞くと、でかい企業にいくと安定してて給料もらえるっていうじゃないですか。でも、やっぱそれだけ働いてるらしんですよ。遊ぶ暇がないくらいまで働くってどうなのって考えたんです。
川井 ですね。
松本 またうちの先輩とかもすごいよく出来る人でバリバリ働いてるんですけど、「この前3000万の車買っちゃったよっ」て言ってて、「すげー!やっぱ給料多いんだね」って話をしてたら、「だけど納車から4ヶ月乗ってないけどね。乗る暇ないんだよね」って言ってましたね(笑)
川井 そうですよね(笑)
松本 あと、プロジェクトのリーダーとかが「最近家庭がうまくいってないんだよねー」って言ってて2か月くらいしたら「別れちゃったよ」みたいなそんな話を交互で聞いてると、そんな生活はしたくないってちょっと思ったんですよ。
川井 なるほど。
松本 で、友達からそんなお話もあったんで、でかいところもだいたいどんな仕事をしててどういう風に動いてるかわかったんでちっちゃいとこも少なくとも経験しようかなって思って移ったんですよ。
川井 そうですか。それが2001年とかですかね。
松本 99年に2000年対応して、2002年の終わりか2001年の始めか忘れましたけど、そのくらいですね。
川井 その次はもう今の会社ですか?
松本 いや、違いますね。その時は、親会社の投資元のサムリッチっていうところの子会社だったのテクノロジーズっていう会社ですね。サムリッチっていう会社はベンチャーに対してインキュベーションをしている会社です。ベンチャーって何かが足りないことが多いんですよ。金と営業と技術の3本柱があったら会社経営はうまくいくんだけど、それのどれかが足りない。例えば技術だけはあるけど他が足りないみたいのが多いんです。その3本が整ってないことに対して、テクノロジーズでは技術を入れて、別のグループ会社では営業力を提供し、もうひとつのサムリッチ自体では、お金と経営の方針とかを提供しますという理念でやってますっていうのがちょっとおもしろいなって思ったんです。
川井 なるほど。
松本 いろんなベンチャーに関われるじゃないですか。
川井 はい。
松本 で、自分がベンチャーしようとは思わないんですけど、いろんな変なことをしてる奴を助けたりするのは好きなんですよ(笑)
川井 なるほど。
松本 おもしろいと思って入ってはみたんですけど、蓋を開けてみたら結局は3本柱揃ってるところにしか投資してなかったんです(笑)
川井 (笑)
松本 うちらいらないじゃんみたいな感じでした。普通に零細SIかよみたいな(笑)
川井 そうは言ってもリスクはでかいですもんね(笑)
松本 ま、ちょくちょくは絡みましたけどね。技術の評価してって言われて、見てるとやっぱ「え!」って子とかいるんですよ。これはダメだろみたいな(笑)
川井 いますよね。
松本 その辺見ていてもそうですし、UNIX周りでもそうですけど、やればやるほど技術屋としてはあまり言っちゃいけないんですけど、当たるか当たらないか売れるか売れないかは技術じゃないんですよ。いいもの出したから売れるっていう幻想が日本には蔓延してるんですけど、そんなことは絶対にないんです。
川井 なるほど。
松本 SONYもSHARPも技術力で勝負するって言ってますけどそれは違うだろっていうのが常々思ったりしますね。
川井 はい。
松本 プログラムの流行り廃りとかもそうで、世の中にはプログラムおたくがいて、「この言語は美しい」とか「このフレームワークは美しい」とか言うんですけど所詮自己満足で(笑)
川井 (笑)
松本 それが使われるかは別なんですよね。
川井 そうですね。
松本 流行るものってだいたい美しいものの上に使いやすく見えそうなどろーっとした何かがかかってるみたいなところがすごくあって、その辺を考えてると、やっぱユーザーのニーズにいかに応えてるかみたいなのが重要だなっていう風に思ってますね。
川井 そうですよね。
松本 で、その時僕が思ってたのは、でかいとこでやってると仕様書の問題があって、仕様書を作ってそれをプログラムに落とすじゃないですか。だけど、仕様書はそのままプログラムに落とせるはずじゃないですか。だから、Excel書いたら仕様書書いたらプログラムできればいいんじゃないのみたいな発想があったんですよ(笑)
川井 なるほど(笑)
松本 どっちかなんですよね。仕様書にもやーっとしたものが書いてあって実装するんだけど、結果また仕様書をそれに合わせて書き直したりだとか、下手すると詳細仕様書はプログラム出来上がった後でとかこの業界よくあって、そんなのおかしいよねって話をよくしてたんですよ。
川井 はい。
松本 で、いわゆるMVCモデルでっていうとモデルとコントローラ、画面遷移を横に並べてExcelの表でばーっと書いてあげたらそれを実現するフレームワークがあったらいいんじゃないみたいな発想の元、そういうフレームワークをR&Dで書いたんです。そしたら結構ウケて、なんか知らないけど、僕が出た後に商品になってました(笑)
川井 なるほど(笑)
松本 どうやらNRIの主力商品らしいとか聞きましたけどね(笑) ま、大分違うのもになってますけど、ベースのアイデアはそれみたいですね。それはやっていて面白かったですね。
川井 そうなんですね。NRIを出てからはやりたいことは実現できたんですか?
松本 僕自体はでかいやりたいことっていうのはいつもないので、とりあえずおもしろいプログラムみたいなものを書いて誰か喜んでくれたらそれでいいやみたいな感じなんです。なので、ライブラリを書いたりお手伝いしたりとかそんな感じでしたね。

<今の形になるまで>
川井 今現在の形になるまでの経緯は?
松本 そこのサムリッチソリューションズでいろんなお手伝いを5~6年くらいやって、その後、親会社がいろんな投資の形を考えてて、外にあるベンチャーに後から投資するっていうモデルと別に自分たちの中の部署として社内ベンチャーでやり始めて、そっから独立さしてっていうモデルを始めたんです。その時に、今の社長の小川が来て社内ベンチャーとして新規部署を立ち上げたんですけど、そこに入ってたんです。
川井 なるほど。
松本 で、その前のプロジェクトでちょうどある会社さんの社内文書管理システムを作るっていうのに1年間くらい絡んでたんです。そこで、まだAjaxって言てったか言ってなかったかわかんないんですけど、AjaxっぽいものでJavaScriptやJavaを使っていろいろやっていた経験があったんで、その時にやったことを整理して、1年くらいMODIPHIをがーっと作るのに参加したんです。
川井 そういう流れだったんですね。
松本 でも、Web2.0がうんぬんとか言ってる会社が独立する時に、技術屋がいないのってないだろって話があって、一応子会社というか関連会社だし、移籍しましょうかっていう話で着いていったという感じですね。
川井 じゃ、出向とかではなくて完全に移籍という感じなんですね?
松本 そうですね。元々はちょっと出向でくらいな感じだったんですけど、1年くらいもうそればっかりやってましたからいっかなと思いました。
川井 現在、メインの担当はどんなことですか?
松本 メインはもうMODIPHIのフロント側をがーっとやってますね。HTMLとJavaScriptばっかりやってます。
川井 その2つですか。
松本 Javaとか嫌ですね(笑)
川井 (笑)
松本 元々最少の努力で最大の利益を得たい人なんですよ。Javaみたいにコンパイルしてうんぬんかんぬんっていうのはいまいち好きじゃないかなって思ってますね。Javaとかをやる人って、いかにきれいなクラス階層を作るとかって考えたりしますけど、普通のプログラマーにとってオブジェクト指向とかああいうフレームワークって意味がほとんどないんですよ。あれを作って嬉しいのは本当にフレームワークを作る人、ライブラリを作る人なんですよ。
川井 なるほど。
松本 ライブラリは再利用するし拡張するしだから、ああいう構造は必要ななんですけど、実際のプログラムを作る時に絶対再利用なんてしませんって。再利用を考えてこれを作りましたって言っても使った試しがないですね。
川井 そうなんですよね。一緒だったら本来は使いまわしてとか多々あるんでしょうけどね。
松本 結局毎回作りなおしますしね。権利関係の話もありますしね。ソフトウェア業界のおかしいのは再利用再利用って言ってる割に権利関係で形式上はできないことになっちゃうところだと思うんですよ。
川井 確かにそうですね。
松本 ソースコードを書いて納めたはいいけど、お客さんのもんだからこれを利用するわけにはいかないって有り得ないでしょって思います。利用料という課金体系にして再利用しないと生産性が上がるわけないんですよ。だから、IBMさんとかは作ったものはお客さんに渡さずに権利はうちにありますってしてあるんですよ。本当はそうすべきなんですけどね。結局SIerってプログラム作ったら作ったで納めっぱなしって感じですよね。
川井 そうですよね。売り上げ的には上がるけどって問題じゃないですよね(笑)
松本 いやいや。ま、一応ノウハウはあるから毎回作り直せばいいといえばいいんですけどね。なんかねーっていうのがありますね(笑)
川井 そうですね。問題ありますね。
松本 そうなんですよ。毎回毎回同じようなことをするんで、また同じバリデーションとライブラリかよみたいな感じです。人のためには金かけて作るけど、自分のとこはもういいやみたいなのもありますよね。そういう自社のものとかはしこしこと新人が書いてますよ。
川井 そうですよね。先ほどあまり大きなことでやりたいことはないとおっしゃってましたけど、今もないんですか?
松本 今はMODIPHI自体がスタートアップなので、儲かる仕組みは作りたいっていうのはありますよね。
川井 では、技術よりもそういったビジネスの方に?
松本 技術はずっと変わらずベースなんですけど、ウケるものは何かっていうのを考えると技術は技術でいいんだけど、なんか見せ方なんだろうなっていうのもあるから、そういうのは気をつけてるっていうところはあります。ま、普通におまんま食うのにチャリンチャリンが欲しいよねっていう興味というかなんというか(笑)
川井 そうですね。
松本 根底はお手伝いするのが嬉しいっていうのがあるんで、そういう意味ではシステムコンサルみたいなのが自分には向いてるとは思うんですよ。なんだかんだ言ってプログラム作って納品するよりもプロトタイプで、うにゃっと作って「こんな感じ」とか見せて、開発としてのものはそれでだいたい2割くらいなんですよね。「プロトタイプ作ったからあと8割誰か作って」っていうのが自分の理想ではあるんですけどね(笑)
川井 (笑)
松本 設計があってコアなプログラムがあって信用を高めるためのものがあってっていう工程があるとすると一番おもしろいとこをが2割じゃないですか。
川井 そうですよね。アジャイル的だけど、ウォーターホール的なちょっと上流をかじりたいみたいな感じなんですかね。
松本 やっぱ理想はアジャイルなんでしょうね。お客さんがうるさくないならアジャイルが一番いいんですよ。「すいませーん!ちょっとおかしいんで今直します」みたいな・・・。そういうお客さんにあたると一番楽しく出来ますけどね。
川井 なるほど。
松本 仕様書をちゃんと納めてくれなきゃとか言われ出すと、じゃあいいよって言っちゃいそうな感じですけどね(笑)

<将来の方向性>
川井 将来の方向としてどうしたいとかっていうのはあるんですか?
松本 あんまりないんですよ。とりあえず、おまんま食えればいいやって思ってるぐらいなんです。
川井 技術はベースに持つっていうのはあって、それ以外のところはまだちょっとないという感じですかね。
松本 技術屋でいたいとは思ってますね。お金の計算とか人を動かしたりっていうのには全然欲求はないので・・・。
川井 生涯技術屋という感じですか。
松本 そうですね。そう出来ればいいなとは思ってます。
川井 なるほど。
松本 そのパスが大手には用意されてないんですよ。
川井 そうですね。おっしゃる通りですね。
松本 だいたいプロジェクトマネージャーになって、人の管理してくれって言われて線表を書かせられて・・・。そこにはめられるのが嫌いだから線表も嫌だなとか思っちゃうわけですよ。
川井 誰でも生涯技術屋っていうのをできるわけじゃないじゃないですか。スキルと努力とセンスと能力が必要だとは思うんですよ。そういうのも持ち合わせてないんだけどやりたいって人がたまにいるんですよね。
松本 技術を一生やりたいってってことですか?
川井 そうです。そのままじゃ職業プログラマとしては無理だろっていう人から「お金も欲しいんです」って言われると全部は無理だろって思うんですよね。そういう人のキャリアをどうしようかなっていうのがあるんですよ。お金はいらないって言ってくれればまだあるとは思うんですよ。お金も欲しいし、家も建てたいと言われちゃうとちょっとねと思うんですよね。
松本 それは我慢しろって言うしかないですね(笑)そこはしょうがないですよ。
川井 でも、年とってからだと奥さんにいろいろ言われたりだとか、子供がいたりだとか出てきて結果的に、お金はいらないやっていう人はいないですよね。
松本 確かにね・・・。ウェブキャリアさんの武勇伝に取り上げられるような人っていうのは技術屋としてはやっぱり特殊じゃないですか。他のとこに行く人もいるし、それなりに周りから一目置かれてるような人々なので仮にどっかクビになっても、どっか拾ってくれるでしょみたいな、むしろヘッドハンティングかかるような人々でしょうから、そこのところはいいんでしょうけど、みんなそういう人は欲しがってますからね。
川井 はい。
松本 そこになりきれてない人々は、ある意味本当に歯車と会社は考えていて掃いて捨てるほどいるという扱いをされたプログラマーってなっちゃうんで、もしも一生それで食いたかったらそこから脱却しないとどうしようもないですよね。少なくとも会社の中で、分らないことがあった時に、「あいつに聞いたらわかるよ」くらいにならないとしんどいでしょうね。
川井 私の方針としては、一流の技術者になれないんだったら30歳までには次の道を考えておいて欲しいんですよ。次の道は、技術と全く違う道を選ぶんじゃなくて、技術をベースにして頑張ればいいじゃんって思うんですよ。
松本 そういう意味のキャリアっていう意味で言うとおもしろいかなと思うのは、同じ業界内で探すじゃなくて違う業界で探す方がより可能性が広がるというのがありますよね。
川井 そうなんですよ。
松本 ITの業界にいるとどうしても最先端の技術がなんとかとか思っちゃうんですけど、全然知らないとこに行くとめちゃくちゃしょうもないことがめちゃくちゃ有難がられるんですよ(笑)
川井 そうですね。
松本 うちらが趣味で2~3時間でExcelのマクロでちょっと書くくらいのことでも、これめっちゃすげーって事務屋さんが喜んでくれたりします。
川井 わかります。
松本 そういう話は世の中にめちゃくちゃたくさんあって、そこはやっぱ技術じゃないっていうのはありますよね。
川井 開発経験があれば、比較的大手企業のWeb事業部に入っても相当上のレベルで活躍できたたりしますからね。
松本 そうなんですよ。だから、ちょっとApacheのサーバたてられて仮想サーバでもいいから若しくはその辺から安いPC買ってきてなんか一台マシーン入れて社内のWebサイトみたいなもの立ちあげられて、若しくはさくらインターネット借りてでもいいんですけど、そこでちょっとCGI書いてそれっぽいことが出来るようなものっていうのをたぶん外部に頼むとその辺のWeb屋さんで100万かからないぐらいですかねっていうものをちょちょっと一週間ぐらいで作って見してあげたら喜ぶようなことってめちゃくちゃ多いんですよね。
川井 そうですよね。
松本 その業界の人が何をしてて何が困ってるか何があったら便利なのかっていうところを考えないといけないですけどね。そっち方向がやっぱいっぱいあると思うんですよ。そういう人々はITっていう方向に目がいってないから、こっちから言ってあげないと無理だと思うんです。だからってSIerがそういう営業をするかって言ったらできないですよね。且つお金の問題もありますしね。あんまりお金出せないとかあるので、うちらの感覚だと作ったら200~300万かかりますよから始まって月々20~30万貰いますよって言われたら「う!」ってなりますよね。けど、そういうちょっとWordわかんないからやってくれよっていうのが聞けて且つそういうのをなんか作ってくれるような人が社内にいたら、嬉しいところっていうのはきっといっぱいあるはずですよ。
川井 HTMLのコーダーとかは、だいぶその世界になってきていると思うんです。その企業の中にも出来る社員もいるし、いないとしても派遣になっちゃうと思うんですけどね。まだプログラマーの方たちのキャリアとしてはそこまでは出来てないなっていうのはありますよね。管理できないんだろうなっていうのはあるんでしょうけどね。
松本 逆にプログラマーの方が会社に入ってからプログラム始めて派遣でやってますみたいな人の場合は、仕様書を渡されて作るのは出来るけど自分で考えるのは出来ないっていうのは実際のところ功罪なんですよ。
川井 そうですね。
松本 仕様書を書いたことがないというか、要求仕様から実際の具体的な要求に落とすってところをやってないから、本当にコーダーになっちゃってるっていうのはよくないと思っていて、ちょっとでもいいからお客さんというか何かやりたいとかなんとなくドリームノートがある人から聞きだしてきて、自分の手持ちの道具で何か出来そうかなって考えて、いい感じの手順みつけて紙に落としてくっていうようなプロセスを得たっていうような人々は特に派遣とかにはいないと思うので、それを経験しないとそういうところに飛び込みにくいっていうのはありますよね。
川井 行っても何をすればいいんですかっていうのから始まりますからね。
松本 僕らの世界はUNIXの世界なんで、自分が自分のためにこういうのを作るっていうのをやっているんですよ。今は環境はそれなりにまた逆に整ってきてるかもしれないなって思ってるんですよ。いろんなサービスがネットワーク上にまたあるから、プログラムもたいそうなものを書かなくても、いいじゃんgoogleの上で作ろうよとかAmazonの上で作ろうよとかいうのはありますからね。
川井 そういった意味では、環境面としては成長できる環境になってるんですかね。
松本 プログラムの環境はよくないけど、ベースの環境としては悪くなくなってて、無料のWebスペースもありますし、その上でごちゃごちゃするっていうのも出来てるから・・・。ま、うちらからしたらいきなりそこにいくっていうのは特殊は特殊ですけどね(笑)
川井 そうですよね(笑)
松本 いきなりCGIかよみたいな(笑)
川井 なるほど。そういった意味では若いひともキャリアの広がりはあるってことですよね。
松本 そうですね。自分が何か出来ないかなって考えて、土日でもおもしろいからって趣味でやるぐらいの興味がないと、少なくとも「ずっと技術屋」っていうのは難しいでしょうね。仕様書が落ちてきてコーディングしてるだけで楽だからっていう人はそれは無理ですっていう話ですよね。プログラマーを20~30年ってやっていたら、それこそ「プログラマ35歳定年説」ですけど、いずれもっと安い下の子たちが出てきて、それより秀でてないといけませんからね。
川井 本問うにそうですよね。
松本 で、技術は入れ変わっていくから、どうしてもずっと覚えることは増えていきますしね。
川井 そうですよね。
松本 何順かそれやってると、どの言語やったって、同じことをまたやんじゃんていうのはちょっと思いますね。
川井 なるほど。
松本 昔やったこと、次はこの言語でやるみたいなことを何回かやったりしています。ちょっとうんざりしたりして(笑)
川井 (笑)
松本 マイクロソフトの.NET出た時にすげーなって思いましたね。あれって言語なんでもいいじゃないですか。「やっちゃった、あいつら」って思いましたね(笑)
川井 はい(笑)
松本 JSでもCOBOLでもC++でも出来るって衝撃でしたね。
川井 最後に若い人向けのアドバイスを頂こうかと思ったんですけど、最後の話はアドバイスになっちゃいましたね(笑)
松本 きっとここではそういう話がここでは聞きたいんだろうなって思って(笑)
川井 その通りです。本日は本当にありがとうございました。
松本 いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。

<プロフィール>
1999年京都大学大学院卒業後、野村総合研究所に入社
2007年MODIPHIエンジンの開発に従事
2008年モディファイ設立メンバーとして参加、CTOに就任

<会社案内>
株式会社モディファイ(英文社名: MODIPHI, Inc.)
http://modiphi.co.jp
http://www.modiphi.com
設立 2008年1月
資本金 1億5690万円(資本準備金含む)
代表 代表取締役社長兼CEO:小川 浩 

所在地 〒151-0053 東京都渋谷区恵比寿一丁目19番19号(株式会社サンブリッジ内)
事業内容 インターネットおよびイントラネット上のコンテンツの双方向配信技術であるRSSフィードを軸としたWebアプリケーション開発と、関連製品、サービスやコンサルテーション、ブランディングをともなうクリエイティブの提供。

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