インタビュー記事

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第37回 水野貴明 氏

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今回は、百度株式会社の水野貴明さんにお話をお聞きしました。水野さんは企業でエンジニアの中核として働く傍ら、すでに20冊近い本を執筆されています。SIerからWebサービス会社、そして検索エンジン開発企業へと進化をとげる水野さんの生き方を存分に語っていただきました。

※取材日は、2008年9月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出会いは>
川井 本日は「Webエンジニアの武勇伝」ということで宜しくお願いします。
水野 宜しくお願いします。
川井 技術寄りというよりは、少し生き様寄りなお話をお聞きしていくっていうのが、このコーナーになっています。
水野 生き様寄りですか。
川井 はい。こんなこと将来したいとかですね、そんな話もしたいですね。結構他のメディアのインタビューって、ソースコードがバァーっと出てきたりとか、技術的な用語のオンパレードとかだったりもしますけど、そういう感じじゃなくしたいですね。もちろん技術のお話もお聞きしたいところもあるんですけど、どっちかというと生き様をクローズアップしていくコーナーになっています。
水野 はい、わかりました。宜しくお願いします。
川井 35歳っていいますと、生まれは73年ですよね。とすると、子供の頃からパソコンとかをやっている時代じゃないですよね?
水野 いや、それがですね。実は私の父親がNECでですね。
川井 お、そういうことですか。
水野 そうなんです。なので、小学校3年生の時に、当時NECのPC-6001というのがあったんですが、それがなんか家にきたんですよね。ちょうどその直前に父親の知り合いがそれを持って家に遊びに来たんですけど、それを僕と親父が2人で見て2人で衝撃を受けてしまったんです。それで、次のボーナスの時に父が買ってきたんです。
川井 そうなんですね。
水野 最初は、ボーナスで鉄道模型を始めようって言ってたんですけど、突然コンピューターに化けて、家にコンピューターがやってきたんです。
川井 (笑) 鉄道模型ってあれですか? デカイ方ですか?
水野 いや、Nゲージです。
川井 ちっちゃい方のやつですね。
水野 僕も親父も鉄道好きだったんで、それを始めようとか言ってたんですけど、突然コンピューターがきました。父の知り合いが来たことが人生に影響を与えたかなぁとは思います。
川井 それは、どういう意味で衝撃だったんですか?
水野 やっぱり当時まだファミコンとかも出る前だったんですよね。だから、家でゲームができるっていうのが、凄いことでした。考えてみると、めちゃくちゃ単純なゲームだったんですよね。当時アスキーからPC用のゲームが4本くらいパッケージになったセットで売ってたんですけど、それを何本か一緒に持ってきてくれて遊んで、家で全くお金をかけずにゲームできるし、こりゃ凄いなと思ったんですね。
川井 なるほどなるほど。ゲームウォッチとかってまだその時代はなかったですか?
水野 ゲームウォッチはあったんですけど、ゲームウォッチってやっぱりテレビでやるのとは違いますよね。
川井 違いますね。
水野 テレビでやるっていうと、もちろんその頃からカセットビジョンとか色々あったんですけど、やっぱりゲームがテレビでできるっていうのは衝撃でした。
川井 なるほど。
水野 うちの親父は親父でエンジニアなんで、ちょっと興味は違ったと思うんですけど、お互いとりあえず「あれが欲しい」ということは一致したんです(笑)
川井 (笑)
水野 それではじめて触りだしました。
川井 じゃあ最初の入り口は完全にゲームですね?
水野 そうですね。完全にゲームです。最初は、本当にゲームをやるだけでした。
川井 なるほど。
水野 当時はカセットテープで保存してたんですけど、最初は本当に買ってもらったりとかしてゲームやってるだけだったんです。でも、だんだん物足りなくなってきたんですね。しかも当時って、ゲームはみんなBASICで書かれてたんですけど、STOPキーとか押すと止まって中が見えちゃったりするんですよね。全部じゃなかったんですけど。それもありましたし、「マイコンBASICマガジン」っていうのがあったんですけど、あれの洗礼をちょうど受けた世代だったんです。
川井 やっぱり買われてたんですか?
水野 買いましたね。ずっと買ってましたね。あれを読むとゲームがいっぱい載ってるわけですよ。とりあえず入力すればゲームできるらしいということで、頑張って入力したりしてましたね。
川井 ゲームの延長線上でコンピューターに興味をもたれたんですか?それともそういう機械が元々好きみたいな感じですか?
水野 んー・・・、そんなに機械に興味があったわけではなかったような気はするんです。
川井 ゲームをやってくうちに、どんどんはまっていった感じですかね?
水野 そうですね。やっぱりゲームをやるよりも作る方が面白いってことに気付いたんですよね。最初父親は、ハードウェアはいじれるけどソフトウェアはあまり詳しくなかったんです。それで、BASICのプログラムの本を買ってきたんですけど、親父が最初の方で挫折をしたんです。なので、その本が家にあったんですよ。それをうわぁーって読んで、「マイコンBASICマガジン」に載ってるプログラムを入力したりとか改造したりとかしました。あと今まで買ってもらってたゲームとかも色々改造ができたんで、やってるうちに段々分かってきたかなという感じですね。
川井 それは完全に独学なんですか?
水野 完全に独学ですね。当時インターネットもなかったんで、情報整理が凄い大変でした。すごい時間かけてましたね。周りに参考になるものが一切なかったんです。
川井 じゃあ1個1個いじっていった感じですか?
水野 そうですね。「これ変えたらどうなるんだろう?」みたいな感じでした。小学生はめちゃくちゃ時間があるんで、その時間をフルに活用してました。
川井 そういうふうにやってくと、裏側も全部分かったりとかしますよね?
水野 そうですね。結局、小学校6年生ぐらいの時に、とにかくもうBASICだと遅くて駄目であるってことに気付きました。
川井 小学校6年生でですか(笑)?
水野 6年生で(笑)。でも3年くらいかかってるんで、すごい長い間やってるんですね。それで最終的にどうすればいいかっていうことを調べたり、親父の会社の人に聞いたりしてみた結果、2つの方法を発見したんです。コンパイラを使うと速くなるんでそれを使うか、マシン語を書くということでした。でも、コンパイラは買わなきゃいけないんでお金がかかったんです。そうなると小6だったんで、マシン語を書くしかないってことでZ80のマシン語の本を買ってきてハンド・アセンブルしたりしてました。ステップ数的には20~30でしたけど、それだけでも相当早くなったりしましたね。
川井 そうですね。武勇伝でも何人か出ていただいた方でハンド・アセンブルって方いらっしゃいましたよ。
水野 そうですか。やっぱりねぇ。基本的に小学生くらいからやってると絶対金がないので、環境に金が掛けられないですね。やれることは自分でやるしかないんで、やっぱりハンド・アセンブルでやりますよね。一応、プログラムのコードを書く紙みたいなのを親父が会社から貰ってきてくれて、紙だけは立派な紙があったんです。たぶんCOBOLなんかを書く紙だったと思うんですけど、手書きで書いてたのが最初でしたね。
川井 当時はコンピューター以外では何かやってたんですか?
水野 コンピューター以外ですか?
川井 もう、それだけですか?
水野 いや、水泳とかは習っていました。
川井 結構、スポーツはされてたんですか。
水野 スポーツは、多少ですね。体が弱かったんで「お前は泳げ」と言われたんです。
川井 なるほどね。
水野 あと、ボーイスカウトの国際交流版みたいなのがあって、入れられてました。
川井 小学校の時に?
水野 小学校の時です。それもちょうど3年くらいですかね。色々やってはいたんです。
川井 中学校入られてからはどうだったんですか?部活とかはされてたんですか?
水野 中学校の時に部活はやってなかったんです。けど、水泳は続けてました。だから結構時間はありました。しかも、中1の時に家にPC-98が来たんですよ。
川井 なるほど。
水野 フロッピーディスクもついて、アセンブラもついてですね、超素晴らしいとか思いました(笑)。
川井 水を得た魚のような感じですね。
水野 はい、すごいですよね。だけど当時それでもまだパソコン通信とかは全くやってなかったんで、相変わらず自分ひとりでずっとやるしかない時代でした。
川井 じゃあ中学もその延長線上ですか?
水野 そうですね。割と中学もコンピューターに割いてる時間が凄く多かったですね。
川井 なるほど。
水野 でも、高校に入って突然、山岳部に入ったんですよ。
川井 山岳部、山の方ですね。
水野 突然、何を考えたか入ったんですよ。
川井 なるほど。
水野 それで、高校からそっちに集中しました。高校でもやってましたけど、部活が毎日18時くらいまであって、土日とかも山登ったりするんで、割と時間はそっちに割くようになってました。
川井 じゃあ運動と両方ですね。
水野 んー・・・、そういうと聞こえがいいんですけど、運動は割と凄い苦手でした。球技とかもめちゃくちゃ苦手で、ボールとか使うものは一切、ドッジボールから始まってボーリングぐらいまで全部駄目なんです (笑)。
川井 (笑)。なるほど。
水野 なんで、なるべく勝負ごとじゃないスポーツがいいなぁと思ってやってたんです。高校時代も多少はコンピューターをやってまして、丁度Cを書き始めるようになったんです。
川井 独学ですよね?
水野 そうですね。本とか読んでました。あの頃ってまだWindowsが出る前?Windowsの3.0とか3.1とか、ちょうどDOSからWindowsに移行するぐらいの時期だったんで、割とCで書く方が楽にはなってきていたんです。Cのコンパイラを買ったのは大学の時ですね。C++のTurbo C++のコンパイラを大枚はたいて買ったんです。
川井 買ったんですね(笑)。
水野 買いましたね。凄い凄い高くて。今だったら本当に無料で何でも手に入りますよね。
川井 当時は、随分と環境にお金がかかりましたもんね。
水野 そうなんですよね。だからずっとTurbo C++をやってましたね。
川井 高校に入るあたりはあれですか?ゲーム以外のこともなんかやってることあったんですか?
水野 んー・・・、そうですね。パソコンやってるのは大体ゲーム作ることでしたね。
川井 やっぱりゲームですか?
水野 基本的にあんまり他にやることなかったんです。PC-98を買った時に家の親父が一太郎を買ってたんで、それでなんか色々文章書いたりもしてました。
川井 そうなんですね。
水野 当時とあんまり変わらないですね。今もプログラム書くことと原稿書くことぐらいしかコンピューターって実は使ってないです。だから、原稿も書いてなくてプログラムもしてない人が何にコンピューター使ってるのかわかんないんです。
川井 私がインタビューした人のほとんどは、最初はゲームですね。
水野 僕なんかの世代だとファミコンが出る前にコンピューターに出会っちゃったんですよ。たった1年ぐらい前ですけど、そのせいで家にはずっとファミコンなかったですから。
川井 なるほど。
水野 大学生になってからファミコンを自分で買いました。
川井 大学生になってからですか?
水野 なってからです。あ、買ったんじゃないです。あれはもらったんですね。「もういらねぇ」とか言われてもらったんです。スーパーファミコンとかも出てたんですよね。でも1994年ぐらいにやっとファミコンを手に入れたんです。
川井 94年って、そうですよね。もう大学生ですよね。
水野 ドラクエがやりたかったんですよ。
川井 そうでしたか。本当にゲーム文化っていうのは、こういう違う世界を作ってるんですね。特に日本なんかはそうですかね。
水野 そうですね。時代もあると思うんですけどね。あの当時は本当にゲーム作ってる人と僕らとかの間が近かったんですよね。ソースコードもすぐ見れたし、売ってるゲームとかが雑誌に全ソースコード公開とかいっていう時代があって、ほとんどがマシン語のダンプなんですけど、皆で泣きながら入力したりしてました(笑)。
川井 本を見て入力したっていう人が多いですよね。
水野 そうですね。「I/O」っていう雑誌があってですね。今はだいぶ様相が変わっちゃいましたけど、当時は本当に広告とマシン語のダンプでできてたみたいな雑誌でした。分厚いんですけど、半分ぐらい広告で、半分くらいダンプリストっていう異様な雑誌だったんですね。
川井 「百度」にいる中国の人たちってどうなんですか?入口がゲームとかってないような気がするんですけど。
水野 どうなんですかね。彼らは、非常にゲームやってますけどね。特に海賊版がものすごいので、彼らのお金のかからなさ具合は凄いです。僕がいつも付き合ってるエンジニアは、皆なんだろうな?なんで興味持ったんですかね。今度ちょっと聞いてみます。基本的にコンピュータ・サイエンス出身の人が多いので、その延長線上で会社には入ってきてると思うんです。最初はなんなんだろうな?
川井 子供の頃は、本当にゲームなんですね。最近の若い人の中にはエロがきっかけでスタートする人が若干いるみたいですけどね。いかにモザイク消すかとか。。。
水野 そういうのもね、かなり重要な技術ですよね(笑)
川井 どっちかの要素がありますよね。
水野 分かりやすいですよね。特に今とかだとゲーム自体が高度化しちゃってて、これをじゃあ俺も作ろうって思うまでの道のりが長すぎて辛そうだけど、僕らの頃は本当に何か「これ俺でもできるじゃん。」て思えましたね。
川井 そうですね。ゲームを1から作るの大変なんで、たいぶゲームを作るためのライブラリとかも充実してきてるみたいですけどね。
水野 あぁ、そうですね。単純なゲーム作る用の環境みたいなのが出てますよね。
川井 だいぶ出回ってますね。
水野 ずっとゲーム作ってた気がします。今考えると、なんであんなゲームばっか作ってたんですかね・・・、特にどこに発表するわけでもないんですよ。
川井 公開とかしないんですね?
水野 そうですね。僕がインターネットに触れたの大学3年生でしたからね。
川井 そうですか。
川井 大学はどういう学科だったんですか?
水野 大学は、化学なんですよ。
川井 化学なんですか。
水野 はい。これがですね、今は全く化学から離れてしまったんで、正解だったかどうか未だにわからないんです。当時はコンピューターが得意だったんですけど、コンピューターだけにしてしまうとなんか戦う武器が1個になっちゃうんじゃないかって青い事を考えてました。それで、ちょっと化学にも興味があったので大学では有機化学をやりました。
川井 バイオとかそういうのですか?
水野 やってました。バイオに移ったのは院に入ってからですね。学生の時は完全に有機合成ですね。だから、薬品と薬品を混ぜて反応させてみたいな完全な実験系でした。
川井 そうだったんですね。
水野 有機化学って実は環境が全員Macなんですよ。ほぼ全員。当時、亀の子とかを描くソフトがたぶんMacにしかなくて、皆Macだったんで、それで僕も大学4年の時にMacに移動みたいな感じでした。
川井 なるほど。亀の子って有機化学のですか?
水野 はい、ベンゼン環ってやつですね。ChemDrawっていう専用のソフトがあるんですよ。それ使うと書けるんです。
川井 シェア独占でしょうね(笑)。
水野 そうですね。専門の人以外は誰もそんな使わないですもんね。あれがあったからちょうど・・・
川井 Macに移行しちゃった?
水野 ええ。しかもMacに移行したのはたぶんWindows95が出る半年ぐらい前でした。なんかいつもね、エポックメイクなものの前に別のものに移動してるっていう感じです(笑)
川井 (笑)。ファミコンの前にパソコンとかですかね。なるほど。じゃあ化学をやられて、プログラムはそこではそんなにって感じですか?
水野 そうですね。大学では全くでした。個人的にずっとやってましたけど、そんなにはやってなかったですね。大学院に入ってバイオに移ったんです。今度は分子生物学っていう、本当に遺伝子を扱うことをやってたんですけど、そこもやっぱりMacでした。ちょうどそこで大学も移ったんです。
川井 そうだったんですね。
水野 最初にいた大学は、計算機センターに行かないとコンピューターが使えないとこで、ネットワークにもつながってなかったんです。メールアドレスとか貰うんですけど、メールアドレス貰っても周りに誰もメールアドレス持ってる人がいないんですね。
川井 意味がないですね。
水野 94年とかですからね。なんか便利なのかどうかも良く分からなかったです。
川井 確かにそういう時代ですよね。
水野 大学院に行ったら今度は研究室にネットワークがきてて、メールもみんな持ってました。メールが凄い便利になりましたね。それで、インターネットって便利だなぁって思いました。研究室の1個1個のパソコンにグローバルIPがふられてる豪華な環境で、そこでコンピューターはやっぱり楽しいなって思いました。
川井 そこでじゃあ更に目覚めたんですね。
水野 そうですね。そこで学生は、全員自分のホームページのスペースを持ってたんですよ。なんで、そこでホームページを作りだしました。ホームページ作ってるけど、なんかスタティックなページだけじゃつまんないなって思ったとこでPerlをやりました。Perlってのを扱えば、どうもなんかできるっぽいってなって感じだったので。その頃ちょうどソフトウェアをオンラインで公開してる人もいっぱい出てきたんで、Macでプログラミングできないかなぁと思って、Macのプログラム環境を手に入れて、作ったのはやっぱりゲームでしたね(笑)。
川井 (笑)。
水野 またかという(笑)。でも、初めて公開しました。
川井 Perlで作られたんですか?
水野 いえ、その時はFuture BASICっていうMac用のBASIC環境があってですね、それを使って書いてました。
川井 公開して反響はどうだったんですか?
水野 パズルゲームっぽかったんですけど、頑張って自分で面とかも作れるようなツールとかもつけて出したから、送ってくれる人とかいました。いまでもVectorとかにずっとのっけてあるんですけど、未だに「遊んでみておもしろかったです」みたいなメールがたまに来たりします。
川井 なるほど。
水野 あれはよかったですね。
川井 その頃って、これを仕事にしようみたいなのってあったんですか?
水野 最初はあんまり思ってなくてですね。なんとかコンピューターと自分のやってる仕事をくっつけられねーかとか思ったんですよ。
川井 なるほど。
水野 それで、バイオ・インフォマティックスっていう、コンピューターを使って遺伝子を解析する仕事があるんですが、それをやってみたらどうかということに思い至りました。大腸菌のDNAをずっと研究してたんですけど、ちょうどその頃に大腸菌の全DNAの配列が決まったんですよ。それでその塩基配列が、GATCでできてますけど、4メガベースあるんですよ。あれがインターネット上に公開されて、GATCひとつが1ベースなんですけど、4メガバイトのファイルがダウンロードできて、「おお、確かに4メガだな」とか思ったりとかしていました。それで、それとPerl使って解析する仕事で修論を書いたんです。その後、そのままただ研究をするか就職するかでちょっと悩みまして、就職の時期も逃してました。生物系のマスターとかって、院の1年の冬ぐらいで決まっちゃうんですよ。そういうことに気づいたのが2年になってからでした(笑)。時期を完全に逃してましたね。それで、どうしようかって色々考えたんですけど、結局就職しようかなと思いました。自分は研究にはそんなに向いてないんじゃないかって思っていた時期だったので。
川井 それは何でなんですか?
水野 なんでだったかなぁ・・・。やっぱりなんだろうな。研究をしてて社会を知らないと駄目かもしれないって、ちょっと生意気なことを思ったりとかしました。こういう中で自分がやってくのは、ちょっと辛すぎるかなとか思いましたね。
川井 人間関係とかですか?
水野 それもある気がします。結構狭い社会でなんですよね。それで、これはやっぱり社会に出てみたほうが良かろうっていうふうに、その時はちょっと思ったんですね。あと、研究ってなかなかやっぱり実験とかってセンスが凄く必要で、そのセンス的なものも2年間やってみて自分の中にあんまりあるようには思えなかったんです。それで就職しようと思ったけど、もう研究系の仕事の募集が全部終わっちゃってたんですね。就職しようって決めたのが実は本当に遅くて、9月ぐらいだったんですよ。ありえないことになっていたんです。ドクターの試験ってのはもっと後なので、ドクターを受けるなら間に合うんですけど。それで2次募集とかのところ受けようって思って受けたのが、SIerの会社でした。
川井 なるほど。
水野 大手出版社のグループ会社でした。
川井 そんなのあるんですか。
水野 ええ。システム会社があるんですよ。グループの社内システムを全部作ってる会社でした。そこに同じ研究室にいた人の知り合いが行ってて、「この会社は非常に楽な会社だ」と言われました。それで、それは素晴らしいと思ったんですね。当時は、今とだいぶ考え方が違ってて、あんまり仕事を一生懸命やらずに、もっと自分の時間に色んなことやりたいと思っていたので、素晴らしいって思いました。で、面接に行った翌日に内定が出ました(笑)。
川井 (笑)。なるほど。
水野 ちょっと2000年問題直前とかもあって、結構需要もあったりとかしたんだと思います。なので、わりと楽に入れてしまったんです。
川井 そうだったんですね。
水野 そこは本当にSIerですよね。大学の勉強とは一切関係がなかったんで、親父とかに「おまえは何のために大学行ったんだ」と凄い言われましたけど(笑)。そこでやったのが、いわゆるERP、SAPですね。あれのカスタマイズですとか、Lotus Notesの開発ですとか色々他にも紙の発注システムとか作っていました。ただなんせのんびりした会社なんで、最初は良かったんですけど、会社全体として、あんまり勉強熱心でなかったんですよ。ないって言ったらあれなんですけど、あんまり必要ないんですよね。別にやる必要がないんで、興味もないし、日々言われたことをやってれば大丈夫みたいな感じのとこではあったです。ところが僕は逆に、どんどんプログラミングに更に興味がわいてきたんですね。そういう会社でも、もちろん興味がある人は何人もいて、話をしてるとさらに興味が湧いてくるんですよね。ちょうどそのときMacのプログラミング関係のReal Basicっていうものがあって、その日本のメーリングリストとかで、活動を始めたんです。オフ会というか勉強会っていうか自分の作ったものを「こんなの作りました」みたいな会とかやったりしてました。ちょうどその販売代理店さんがアスキーさんだったんで、アスキーさんの会議室を借りてやったりしてたんです。
川井 余った時間をふんだんに使えたって感じですかね。
水野 そうですね。だから結局余った時間を何に使ったかっていうとプログラミングだったっていうことなんです。それで、結構興味が出れば出るほどのんびりした会社とのギャップが凄くなってきて、あんまり話も合わなくなってきちゃったんですね。良くないんですけどね。
川井 そうなりますよね。
水野 あんまりスポーツ観戦とかもしないんで、サッカーがどうとか野球がどうとかっていうのにも興味がないし、ちょうどあの頃ワールドカップとかがあったんですけど、そうゆうのも興味がなかったんです。ちょっとギャップがあるなと思い始めて、色々他にも海外に出かけたりとかも好きなんですけど、プログラム系のコミュニティの方がだんだん中心になっていきました。
川井 当時、言語とか、技術はどういう技術がしっくりきていたんですか?
水野 言語ですか?んーどうだろうな、当時はあんまり実は言語にこだわってない方で、一番使ってたのは多分ずっと色々WebでやってたのでPerlと、あと多かったのはBASIC系の言語が多かったですね。けど、Cも使ってました。
川井 お聞きしててそうですよね。
水野 そうなんですよね。これまで使ってきていたのって、基本的にBASICって付く言語でしたから。98年から2000年、2001~2002年にかけてはほとんどBASICだったですね。あと会社ではSAPでCOBOL系の言語も使ってましたけど。それで2001年ぐらいにRealBasicのコミュニティの中にライターさんがいたんですけど、ライターさんに「文章書くの興味あるんですよね」とかいう話をしたら「じゃあちょっと俺の連載の一部貸してから書いてみな」みたいな話になったんですね。それで初めて原稿が「MacPower」って雑誌に載って、そこからライターをやり始めたんです。
川井 なるほど。
水野 こりゃ面白いなと思いました。面白くてしかも、お金もちょっと稼げてしまう。本当に微々たるもんなんですけどね。
川井 本とかって嬉しいですよね。
水野 そうですね。それで開眼しました。ただ、最初はやっぱり実力もなければ実績もないですし、無名でちょっと1ヶ所書いたことありますって感じなんで、待ってても依頼なんて来るわけないですし、自分で売り込みに行かなきゃいけないんです。だけど最初は、売り込み方とか分かんないですし、コネもないですし、売り込みたくてもどういうのが売り込めるのかっていうツボみたいなものも全然分からないので、一年ぐらいは何も書かなかったりとかしたんですね。そこにちょうど大学の時のサークルの先輩が、CQ出版という「月刊Interface」みたいな玄人向けの雑誌を出版している会社の編集部にいるって情報が入ったんです。これは頼みに行くしかないと思って「原稿書かしてください」って、お願いに行って原稿書き始めたんです。ちょうどインターネットが良く使われるようになってきて、メールとかでも何でもできるようになってきて、原稿書き始めたんですけど、原稿書くと今度は技術をより詳しく知らないと書けなかったりするので、さらに自分で調べるみたいな感じでした。コミュニティとかも色々盛んになってきて、当時としては恵まれたサイクルでやりたいことができたんで楽しかったです。だからといって今楽しくないわけじゃないんですけど(笑) その当時ぐらいからかなり楽しくなってきたんです。
川井 なるほど。
水野 それで原稿を相当量書くようになってきて、当時は割と時間があったんで年間5冊とか本が書けたんです。そういうのやってるうちに、よく考えると会社に8時間とかいるのに、その8時間でやってる経験よりも、それ以外の趣味でやってる経験の方が濃いじゃないかってことに気づいて、これはもったいないなって思ったんです。
川井 それは何年ぐらいで気づいたんですか?
水野 それがですね、結構遅くて。そういうことを思い始めたのは2004年ぐらいで、その会社に入ってもう6年ぐらいたってたんです。だんだん原稿も書くようになってくると、色々依頼もいただくようになってきて、時間も足らなくなってきて、仕事してる時間が、濃さ的に若干薄かったような気がしてきたんですよね。それでどうしようかと思った時に、その時はWeb系の記事を多く書いていたんで、Webの会社に行った方がいいでしょうと思ったんです。ちょうど2004年に「はてなダイアリー」の本を出していたんです。本を書いて、おおよそどういうことをしている会社なのかっていうのは全部把握してる状態だったんですけど、その過程で近藤社長とかとも知り合ったんですね。それと、かつてRealBasicのメーリングリストにいた人が「はてな」の会社の中にいたんです。それでその人と「おぉそうなんですか」なんて話になって、その人に「どんどん採用してるみたいですけど、僕どうですか?」って、いきなりメールしたんです。向こうは「なんで俺に?」みたいな感じでしたけど、それで、面接をしてもらったら採用してもらえてSIerからWebの業界へ移ることになったんです。
川井 「はてな」の本のタイトルはなんでしたか?
水野 「はてなダイアリーガイドブック」っていう青い本です。ブログの「はてなダイアリー」だけのやつなんですけど、ちょうどその頃に「はてな」の本は3冊出てるんですよね。他の本は初心者向けの本か、使い込んでる人向けの本でしたけど、僕が書いたのはHowTo本で他とはまたちょっと違った感じでした。
川井 それちょっと欲しいです(笑)。「はてな」なかなか使えないんですよ。
水野 もう3年前で、だいぶ古いんですけどね。しかも「はてなカウンター」ってアクセス解析のサービスがちょうど出た頃だったんで、編集さんと「出たから入れよう」って話になって、締め切りの2日前くらいに登録して、ものすごい勢いで使って書いたんです。だけど入社して最初の仕事が「はてなカウンター」の全面リニューアルっていう、書いたことを全く使えなくする仕事でした(笑)。まあでも、そういう縁があったんでインターネット業界に移ってきました。
川井 「はてな」に入ったのは何年ですか?
水野 2005年の9月ですね。
川井 結構、最近ですね。
水野 そうですね。
川井 「はてな」っていうのはWebの会社で、もちろん面白い会社なんですけど、エンジニアの方ってよく「はてな」使うじゃないですか。そのへんの魅力っていうのはなんなんですか?
水野 基本的にはエンジニアが発想して作っているから、エンジニアにとってはどうしてそれが実装されたのか分かりやすかったんじゃないでしょうか。
川井 「mixi」なんかはですね、素人でもどうしたら人が集まるかとかが非常に分かりやすいんですよね。「はてな」はですね、素人からすると上手く使うにはどうしたらいいかさっぱり分かんないんですよ。
水野 そうですね。僕も良くわかんないんですけど、自由度を高めるっていうのは自由の持つ不自由さみたいなのが出てきちゃうんですよね。だけど「はてな」ってどんなに不自由になろうとも自由さから逃れないですよね。そういうところが、逆に魅力だったりするんじゃないかと思っています。
川井 そうですよね。それありますよね。
水野 みんなそれぞれ色んな「はてな」論を述べるじゃないですか。あんまり「Livedoor」論とか「アメブロ」論とかを打つ人はいないのに。それは多分どこかに、コントロールされ切ってない感があるからだと思うんです。
川井 なるほど。確かにそうですね。エンジニアの中で、そういう広がりがあるのかもしれないですね。「はてな」で、なんか作ったサービスとかってあるんですか?
水野 基本的には僕は、アプリケーションエンジニアの仕事だったんで、サービスの改善とか改良がメインでした。僕が入った時に新入社員が3人いて、9月に入って10月に3人だけで「はてなカウンター」の全面リニューアルをしてました。なんでかっていうとその間、その前からいたエンジニアがアメリカに合宿に行ってたんですよね。で、僕ら3人で「どうする?」みたいな話になって、カウンターのリニューアルって流れになったんです。僕は、前の会社でアクセス解析とかやった経験があって、興味もあってやりたいと思ってたんです。その後は「はてなダイアリー」を中心にサブディレクターみたいな仕事をしてました。ディレクターは近藤社長だったんですけど、近藤さんはずっとアメリカにいたので、ほぼ僕が見てたんです。だけど、全く人数を増やすとか出来なくて、「こりゃいかん」てことで体制を全面的に変えました。そのあと僕は、アプリケーションエンジニアチームに移りました。その時に、クリエイターとエンジニアに分かれたんですけど、クリエイターチームっていうのは新しいものを作るチームで、エンジニアチームっていうのは今あるものを改良していくチームだったんです。僕は、エンジニアチームに入ったんですけど、自分の中では割と新しいものを作りたかったんです。だけど、どうも新しいものを作る才能はなさそうって感じだったんですね。自分でも、なかなか上手く新しいものを作れないなとは思ってたんですけどね。社長とかにも「水野さんは、新しいものを作れるとは思えん。」とバサッと言われたんです。その時は凄いショックで、一週間ぐらい考え込んでたんです。でもよく考えると、そうかなぁって思ったりしました。やっぱり産みの苦しみって凄い大変ですよね。
川井 そうですよね。
水野 自分の中でやってみたいっていう気持ちはあるんですけど、今そこにいるメンバーを見た時に、そういうのをやる適正メンバーの中に自分がいるかっていうと、どうもやっぱりそうじゃないっぽいと思ったんです。それで、じゃあ改良をやりますということになりました。インターフェース良くしたりとかバグ潰しもやりましたけど、新しい機能もどういったものをつけたら使いやすくなるかみたいなことを中心に考えてましたね。
川井 見えてる課題に対して改善していくっていう感じですか?
水野 そうですね。
川井 ネガティブにいえば、新しいものよりは既存のものをって話なんですけど、あるものを作り替えていく喜びっていうのもありますよね?
水野 そうですね。どっちかっていうとそんなにネガティブには思ってなくて、適性の問題だと思うんですよね。逆にインターフェースとか使いやすくするとかって、やりたくない人は本当できないんじゃないかと。僕はどっちかっていうとそういうことが気になっちゃうタイプなんです。やっぱり使いやすくすると、使いやすくしただけの反応はあったりするんですよね。特に「はてな」は凄く反応が早いところなので、かなり面白かったです。新しいものは自分が意図したことと全然違う反応が返ってきたりとかしますが、改良の場合は本当に良くなった悪くなったみたいな凄い分かりやすい評価が返ってくるんで、勉強にもなったなと思いますし、楽しかったです。「はてな」に入ったのも、面白いものを色々つくってるからで、自分も面白いもの作りたいと思って入ったんですけど、別に見えない部分で頑張るのも偉いんじゃないかって思いました。縁の下の力持ち的な感じですよね。クリエイターは、やっぱり花形なんだと思いますけど、僕らがやってることっていうのはもっと泥臭くて、良くなったかどうかも最初はよくわかんないんです。だけど使ってるうちに「あぁやっぱり良くなってる。」みたいなこととかもあるので、凄い地味ではありますけど、自分たちが支えてるんだって意識はありました。
川井 「はてな」には何年ぐらいいらしたんですか?
水野 2年半ぐらいですね。去年の12月までいました。
川井 あちこちで聞かれてると思うんですけど、なんでまた移っちゃったんですか?
水野 そうですね。いくつかあって、ひとつは「はてな」が京都に移転してしまったからです。アプリケーション開発が、全部京都に移るってことが決定したんですが僕は結婚していて、奥さんが学校の先生をしているんですね。学校の先生って、結構職がないんです。京都に行ったからって、職がありますかっていうと無いと思うんです。彼女は、彼女がやりたいと思って学校の先生をやっているので、続けさせてあげたいっていうのもありました。だからって単身赴任するかっていうと、今回one wayなので、一生単身赴任とかになっちゃうのは嫌だなと思ったんです。
川井 なるほど。
水野 色々話し合いはして、東京にもオフィスあるのでそっちで続けるって話もあったんです。だけど、それをやってしまうとアプリケーションエンジニアのチームと離れてしまうので、ちょっと続けるのは難しいかなと思ったのが1つです。
川井 そうだったんですね。
水野 あとは検索エンジンの中身がみたいなってずっと思ってたんです。検索エンジンって、中に入らないと絶対、仕組みを見せてくれないじゃないですか。「Google」の仕組みも「Yahoo!」の仕組みも外の人は分かんないですよね。それで、中に入りたいなと漠然とは思ってたんです。ちょうどそういう時期にいまの「百度」から声がかかったんです。それで、検索エンジンの中が見れるってことと、スタートアップで小さかったんで割と自由にできるかなということと、京都行きのタイミングが重なって、移ることを決めたんです。相当悩みましたけどね。
川井 そうでしょうね。
水野 二転三転して双方に大変迷惑をかけました。選択が難しかったですね。「はてな」って会社が、東京にずっとあれば、辞めることはなかったかもしれません。
川井 なるほど。そういうことですね。
水野 とはいっても今は結構、中国とか行き来してるんですけれど(笑)。海外の人と仕事してみたかったっていうのも1つありますかね。海外旅行とか好きで、遊びで外国の人と付き合ったりっていうことはあったんですけど、仕事ではなかったですし、そういうのも自分の中で経験しておいた方がいいかなって思ったりしたんです。
川井 「百度」さんからは、どういうミッションで呼ばれたんですか?。
水野 ミッションとしては、Web検索の品質向上ですかね。サービスを良くする仕事ですね。割と最初はエンジニアがほとんど中国の人で、コードを実際にバリバリ書くというよりは日本人の視点から見た問題点を指摘するとかっていう仕事がメインでふられてたんです。けど「いやいや、ちょっと待ってくれ」と思って、「自分はコードを書く人間なのでコードを書けないんだったらいる意味がないんだよ」って話し合いをたくさんしましたね。それで、コードを書く方にちょっとずつシフトしてきたんです。今はコードを書いてますけど、最初はほとんど書かなかったですね。最初の何ヶ月かは、面白いんですけど不満がありました。
川井 じゃあ今は、中を見て自分で変えていけるって感じですね。
水野 そうですね。今はかなり楽しく、そういった不満も解消されました。分かったのはやっぱり、転職すると最初は思った通りのことはできないなってことですかね。
川井 そうですよね。
水野 「はてな」に入った時も、前の会社で7年もやってきたし「潰しきくんじゃね?」って思ってたんですけど、全然きかなかったんです。笑っちゃうぐらい必要な知識とか違っていたりしたんですね。最初にいた会社っていうのは、技術の会社とはいえのんびりしていたので、開発環境であったりとか仕事のスタイルであったりとかっていうものがエンジニアにカスタマイズされてなかったんですよね。その辺はやっぱり「はてな」で、だいぶ学びましたね。だから今回も最初は、だいぶ中国とのやり取りに苦労しました。やっぱり時間がかかりますね。
川井 「百度」に入って8ヶ月ぐらいになられて、言える範囲で結構なんですけど、今後の戦略的にはどうですか?
水野 そうですね。「百度」は、割とフレキシブルに対応しようみたいなところがあるので、あんまり決まってないんです。今は品質向上なんかを、結構地道にやるスタイルですね。ただやっぱり、インターフェースにまだ中国の感覚が残っちゃってるみたいな気もしていて。
川井 テイストみたいなものですか?
水野 テイストっていうか、日本人と中国人てインターフェースに対する考え方が全然違うんですよ。だから、中華風ではないんですけど「なんか違うな…」とか思うんですね。あと今は、インターフェース部分をなるべく日本で作るようにしてるんです。僕が入る前ってエンジニアとか0だったですし、一番はじめはデザイナーもいなかったので、ほとんど中国側で作っていて、日本的な感覚があんまり入ってなかったです。言い方が難しいんですけど、中国の人って基本的に割とおおざっぱなんですよね。細かいこと気にしないんです。例えば、コンビニに行ったら品揃えが悪いとか、お店に行って「これ下さい」って言うとメニューに書いてあるのに「品切れです」とか、レストランでも朝なのに「今日は、これとこれはできません」みたいなのが凄いあるんですね。でも向こうの人は全然気にしないんですよ。そういうものだと思っているところがあるんです。あと凄いのは、例えば「広告の配信が1日止まりました。」なんていうのは大事故じゃないですか。大変なことです。でも中国の人は、あんまり気にしないらしいんです。それには凄いびっくりしました。
川井 なるほど(笑)。
水野 それはそれで、全員がそういう思想なら問題ではないし、楽だと思うんです。でも、そういうレベルであまり気にしないんで、インターフェースに対しても若干細かいこと気にしないっていう感じなんですよね。ボタンのサイズがどうとか、ちょっとしたことなんですよ。JavaScriptを使ってるから使ってない人だとエラーが出るとか、使ってても環境によってはエラーが出ちゃうとかがあるんですよね。でもクリックして一応動くと「動くじゃん」みたいになってしまう感じなんですよ(笑)
川井 そうなんですね(笑)。
水野 何ページもページ作ってくと、ちょっとずつずれるとかあるんですよね。細かいことでも、日本ってみんなそういうことに気をつけてるから、そういうのがちょっとでもあると「このサイト大丈夫?」って思うじゃないですか。見づらいとかっていうよりも、そのサイトの信頼度に関係してくるんですよね。そういう感覚の話はしてるんですけど、文化の違いも大きいので、なかなか気持ちの共有が難しいんです。そういった部分で、まだまだな所が沢山あるので、なるべくできることは日本でやって、やれないこともなるべくこっちでコントロールしてやるとかして、全体的な信頼度を上げるみたいなのが、最初の課題ですね。
川井 今はプロモーションとかマーケティングっていうより、インターフェースとかスピードとかクオリティの方にいってるわけですね?
水野 そうですね。スピードは意外と速くて、たぶん各種検索エンジンの中でも相当速い方ですね。なぜかっていうと中国って、速さに関してだけは無茶苦茶こだわるんです。
川井 なるほど。
水野 なので、速いんですけど、細かい部分がちょっと足りてないように思っています。
川井 検索エンジンの中身を見てみていかがですか? 驚くような発見とかはあるものじゃないかもしれないですけど、ご自身の中で「こんな風になってるの?」っていうものはありましたか? 聞けば簡単じゃんの世界なのか、結構驚愕な世界なのか、どっちの方なんですか?
水野 そうですね。1つ思うのは、検索エンジンは本当に巨大なシステムを動かすっていうことに無茶苦茶力を割いていたりとか、あとはやっぱり速度とかは凄い気を遣っていました。例えば僕が書いたコードとかも、OKなんだけど速度が遅いからってリジェクトされたりとかします。「なんでこんな処理で3%も速度低下するんだよ」みたいな感じです。あんまりそういうのって普通のWebサービスをやってて考えたことがなかったんで、もちろん遅くなったから早くしようとかいうのはありますけど、そのシビアさはずっと上だなと思いました。あとはいかにいい検索結果に出すかっていうのは、すごく大変ですよね。「何が出ればいいんだ?」っていうのを色んな人が考えて、色んな人が「こう出たらいいんだ」って思える仕組みどんどんシステム化していって良くするみたいなことなんですよね。各社のサービスによってそのやり方は違うと思うんですけど、やってることはどれも結局はそういうことなんだと思います。「六本木 ランチ」とかっていった場合は、その人は六本木で昼飯を食いたいんですよね。でもそういうことって「六本木 ランチ」ってキーワードだけで、機械的にはなかなか判明できないじゃないですか。そうなってくると、どういうパターンの時に人はどういうことを求めていて、その時は何が出るのがいいのかっていう色んなことを検索エンジンが理解して行かなくちゃいけないんです。結構、沢山のことをシステムに教えたやつが勝ちみたいな世界なんじゃないかとも思っています。勿論、それだけじゃないですけど。
川井 そうですね。なんか意外と辿りつかないことありますもんね。
水野 そうですね。だからマイナーなものを調べると辿りつかないのは、そういうのを教えてる人が多分まだいないからだったりするからだと思うんです。もちろん情報が少ないのもありますけどね。やっぱり一番検索されるものっていうのは、一番いい結果が出なくちゃいけないので、そこら辺は実際的に時間がかかりますよね。
川井 深夜にタンタンメンを食べたくなって探したんですけど、出てこなかったんですよね。2時間探しても出てこなくて、結局思い出した店に行ったんです。開いてたんですけど(笑)。
水野 そうですね。なかなかね、深夜にタンタンメン食べたい人が日本にどのくらいいるかって話にもなってきますよね(笑)。とはいっても検索キーワードって、どんなにでっかい検索エンジンでもほとんどが1日1回とか2回しか検索されないみたいです。そういう細かいニーズにどう答えるかっていうのが、まだまだ各社の課題なんでしょうね。最終的には人が絶対に見なくちゃいけないんですよ。検索エンジンの中でも、「Yahoo!」とか割と人力に近いですし、「NAVER」とかもっと人力に近くて、うちは「Google」と「Yahoo!」の間ぐらいなんですけど、そういう地道な努力がもの凄いあるんです。Webサービスやってると、作るまでが一番大変だと思うんです。もちろんメンテナンスはかかりますし、作った後にいかに改良するかもすごく大事ですけれど、最初とその後の努力量のバランスは検索エンジンはずいぶん違うと思いました。
川井 違うものなんですね。
水野 そうですね。ですからこれまで培ってきた知識ももちろん役には立ってますけど、最やっぱり新しく勉強することが凄く多いです。楽しいですね。
川井 なるほど。
水野 なんかやっぱり、常に勉強していたいなって思ってるんで、検索エンジンに来て面白くて正解だったなとは思ってます。

<今後していきたい事は?>
川井 なるほどなるほど。これからはどんなことやっていこうっていうのはあるんですか?
水野 そうですね。基本的にはずっとコードを触ってたいなっていうふうに思ってます。マネージメントについても、大工さんの棟梁みたいな人になりたいなって良く言ってるんです。大工の棟梁って、マネージメントもしてますけど本人も木を削ったり家建てたりしてるんで、ああいった感じで100%マネージメントだけじゃなく、いつまでも現場で仕事ができたらなって思ってます。
川井 やっぱり常にコードは書いていたいんですね。
水野 コードは書いていたいですね。コード書くのは一番楽しいですし、結構飽きっぽい性格なんですけど、25年くらいやっていてもコードを書くのだけは飽きないんですよね。
川井 そうなんですね。
水野 ここまで飽きなかったのはこれだけなんです。会社で書かなくなっても家では書くんだろうと思うんですけど、家で独学でやるよりも会社でやってる方が遥かに力もつきますからね。世の中の進歩が速くて、ちょっと油断すると置いて行かれちゃうんで、そうゆう状態になりたくないっていうのもあるんです。
川井 なるほど。
水野 前の前の会社の上司が、やっぱりそういうタイプでマネージメントが仕事なんですけど、コード書きたくてしょうがない人だけに、それでたまに書いちゃうこともあったんですよ。でも、どうしてもアーキテクチャが古いんですよね。
川井 なるほど。
水野 「ここの部分のシステム、皆なんか忙しそうだから作った」って言うんですね。で、「何で書いたんですか?」って言うと「FORTRAN」って言われるんです。「FORTRANでもいいんだけど誰もメンテナンスできないな・・・」みたいなことになったりとかするんで、そういうことにならないように、自分もずっと戦力の一部としてやっていきたいです。
川井 最新の技術を持ちつつということですね。
水野 そうですね。本当に早いんで油断すると遅れちゃうんです。
川井 今はどういう言語や環境でやられてるんですか?
水野 今はほとんどC++ですね。
川井 新しいスクリプト系の言語とかっていうのはやっぱり家とかでされてるんですか?
水野 そうですね。ここ3年ぐらいCもちょっとは書いてましたけど、ほとんどPerlばかり書いていたので、そんなに新しくはないですけどPythonを始めようかなぁと思ってます。怖いのは、1個の言語ができるとそれで出来ちゃうので他の言語を勉強するのが辛くなってるってことです。以前何かの本で、年をとるっていうのはそれまでの経験の中で色んな選択肢が生まれることで、その結果新しいことをやる必要がなくなる。そしてその結果新しいことができなくなるっていう記述を読んで「わぁ、今その状態」って思ったんです。とても怖いと思うんですけどね。そうならないように常に新しいことを入れて頭を回転させておかないと。
川井 そうですね。
水野 止まっちゃうんのが一番怖いですね。
川井 うちは結構ですね、掲げてるのがRubyなんですよ。
水野 Rubyですか。Rubyもやってみようかなって思ったこと何回もあるんですが、できるようになりませんでした。コードとかは多少読めるんですけど、割と天の邪鬼なのでRuby、Rubyって言われているとちょっと逆に他の方に行ってしまうというか。
川井 そういう方いらっしゃいますね。流行ってきちゃうと他に行こうかみたいな方いますもんね。
水野 Rubyもできたらいいんですけどね。
川井 一昨日、ラリー・ウォールがきてましたね。
水野 そうですね。残念ながら僕は行けなかったんですけど。Perlとかも全然まだやれることはいっぱいあって、Perlだからどうとかっていうことじゃないと感じてはいるので、もっと上位のレベルのアーキテクチャの部分で色々知らないこととか新しい概念とかをなるべくキャッチアップできるようにしたいです。ただあんまり流行に乗りすぎるとなんとなく流していっちゃうので、ちゃんとやっていきたいなとは思っているんですね。言語は、基本的に基礎の部分とかって一緒かなって思っているところがあるんです。2002年ごろにCQ出版の「Interface」で連載をしていたんですけど、それは「開発環境探訪」っていう連載で、毎月1個新しい言語とか開発環境とかを使ってみてレビューするっていう超過酷な連載でした(笑)。25回続いたんですが。
川井 (笑)。
水野 それで結構、当時新しかったD言語とか、その他たくさんの言語を書いたりしたんですね。その時に、基礎はおおよそ一緒でイディオムなんかが違うんだなと思いました。
川井 なるほど。
水野 色んなイディオムがあって、その中に善し悪しがあるので、色々やってみたいなっていうのもあります。だけどなにか1個の言語ができないからヤバいっていうことではないなっていう気持ちもありますので、あんまり焦らず興味の向くままやっていこうかなって思います。Pythonは「Google」の「Google App Engine」がPythonしか動かないので、それでちょっとやるしかないなと思ったんです。この間、オライリーの方にPythonの本をもらったので、今読んでいます。
川井 なるほど。
水野 割とこれまでの経験から、新しい言語も最初にスタートするだけであれば1週間もあればなんかしらはかけるようにはなります。あとは思想とかイディオムをどんだけ覚えるかっていうところなので、そんなに焦らずやっていけばいいのかなっていうふうに思っているんです。
川井 そうですね。
水野 Rubyもそのうちできたら・・とは思います。
川井 (笑)。
水野 なんだかんだいってそのうちRuby、Rubyって言ってるかもしれないです(笑)。JavaScriptとかも好きでやっていて、この間JavaScriptのライブラリを全部読んで、中を解説するっていう原稿を書きました。
川井 そうなんですね。
水野 1年間かかってですね、1000ページぐらい書いたんです。あれをやったらやっぱりJavaScriptはめちゃめちゃ詳しくなったんで、ソースコード読むのが面白いかなって思ったりとかしてます。
川井 本て何冊ぐらい出したんですか?
水野 本は、19冊ぐらいですね。
川井 すごいですね。
水野 最初の仕事の時に時間に余裕があったので、とにかく出しまくっていたんです。最近は年に1冊から2冊ぐらいですね。
川井 なんかテストの本も出されてましたよね?
水野 そうですね。あれは共著で書いたのは本当に一部です。そうそうOgijunさんが川井さんにあの本を差し上げたて言ってましたよ。
川井 はい、貰いました。水野さんの名前も著者名にありましたね。
水野 最後の方で「Rubyのこと書ける奴が誰もいない」ってなって、Ogijunさんに頼んだんです(笑) 助かりました。
川井 なるほど(笑)
水野 本を書く時はいつも、最初5ぐらい知っている状態で企画を立てて、凄い勉強して10まで知って、本を書くのは3みたいな感じです。
川井 そういうのってありますよね。
水野 そうすると少なくとも自分の身にはつくし、本が売れれば売れたで嬉しいしみたいな感じですね(笑)
川井 人に読ませるものを書くために、山のように本買ってこないとできないっていうのはありますよね。
水野 そうですね。もう本当に凄い調べてるし、書けないこともいっぱいあったりとか、ただ今回の本でやっぱり難しいなって思ったのはセキュリティ関係の部分です。なぜかっていうと、書いてないことで批判されるからです。
川井 なるほどなるほど。
水野 他は、書いたことが間違ってたことで批判されて、書いてないことはあんまり批判はされない気がするんですが、セキュリティ関係は書いてないことが罪なので。この本でセキュリティの部分があるんですけど、そこも「このこととこのことが書いてない」みたいに書いてないことについて批判をもらいました。
川井 そういう章ですもんね。
水野 そうですね。だからこの話題はどうしても減点法になっていくというか、書くのが難しいなと思ってます。それだけ重要ってことだと思います。でも、とにかく本を書くのはとにかくすごく勉強になります。
川井 そうですね。
水野 みんな書けばいいのにって思います。
川井 実は文章書ける人って結構少ないんですよね。ただ、プログラマーは綺麗なソースとか分かりやすいソースって文章書けないと書けないと思うんですけど、両方できる人って意外と少ないんだなって思いますね。
水野 そうなんですか。
川井 高橋征義さんとかって、もともと文学少年で書く技術があって「ハッカーとしては一流になれないけど合わせ技でこうなったんです」っておっしゃってたりとかしましたね。
水野 「なんか本の企画ありませんか?」とか「本を書ける人いませんかね?」っていう話を編集者の方から聞くんですよね。逆に知り合いにも書きたい人もいっぱいいるし、「僕も本書きたいんです」って言う人もいて、「今度紹介しますよ」みたいな話に良くなるんです。たしかに最初はコネクションがないとかネタが拾えないのでとかあるんですけど、書こうと思った時に別にそれを妨げるものはないというか「書いたら勉強にもなるし、いいよ。」って凄い思うんですよね。お金にはあんまりならないですけど。最近本もあんまり売れないですし。
川井 そうですね。だいぶ売れなくなってきてますよね。
水野 そういう意味では雑誌とかの方がいいんでしょうけど、なんか本の方がしっかり書けるから勉強になりますよね。

<若手エンジニアに向けて>
川井 最後に、若手のエンジニアに向けて「こんな風に生きてくといいんじゃない」っていう水野さんなりの考えがあれば、お伺いできますか。
水野 そうですね。僕個人としては、プログラミングとか好きで好きでしょうがない人が多くて「会社でこれができない。」とかっていうのもいっぱいあると思うんですけど、「会社でやれないことは家でやればいいじゃん」と思っています。
川井 なるほど。
水野 もちろん会社でやる方が大きなことができたり、っていういい点もたくさんありますよね。でも家でやると、だんだん良く分かってきて、そっちの方向に仕事で移れる可能性も出てくる。僕も検索エンジンとか最初は全然詳しくなかったですけど、検索エンジンの本とか書いてたら「百度」から話がきたりするんですよね。だから、やれないことをやるためには、まず自分でやることなのかなって思います。すぐそれが役に立つことじゃなくてもいいと思ってて、とにかく楽しいと思うことを探してやることですね。最近僕はファミコンのプログラミングをやってるんですけど、これは世の中的に全然役に立たないと思うんですよ(笑)。
川井 なるほど(笑)。
水野 でもそういうのやるってことで話も広がるし、色んな違う視点で新しい発見があったりするかもしれないとか思います。そういうのがあって、役に立つ役に立たないとかを考えるのはやめて、好きなことやればいいのにって凄い思ってるんです。「エンジニアになりたい」とか「プログラミング勉強したいんです」という人で、「何やったら役に立ちますかね?」とかって言う人もいますけど「役に立つかなんてしらないよ」って思います。好きなことやればいいじゃんて思います。「何作ったらいいですかね?」って言うから、作りたいものが先でしょって思います。飽きずにやりたいことをやることなんじゃないかなって思いますね。
川井 なるほどなるほど。シンプルで分かりやすいですね。
水野 変な色気を出してしまうと、もったいないですよね。やってるとだんだんやりたいことが見えてきて、こう生きようって思ったのが33か34ぐらいなので、別に20代とかでわかんなくても全然いいんじゃねぇのって思います。
川井 焦んなくてもいいよって感じですよね。
水野 ええ。年取ったら技術をやめてマネージメントに移行したいと思っていて「コード書くのはしんどいから辞めたい」みたいな人には、全然向かない意見だとは思いますけど。
川井 そうですよね。
水野 そういう人の気持ちは、僕には良く分からないんですよね。
川井 なるほど、わかりました。ありがとうございます。

<使用しているツールについて>
川井 エディタとかは何を使われてますか?
水野 エディタは、Emacsですね。結構、エンジニアは使ってると思います。WindowsのEmacsの実装でMeadowってありますよね。
川井 ありますね。
水野 Meadowを普段は使っているんです。これは「はてな」の先輩エンジニアから最初教えてもらって始めたんですけど、VMWareでLinuxをたちあげて、それをSambaでWindows化にマウントして、Meadowで編集しています。サーバ上にあるファイルを操作する場合は、サーバ上にあるEmacsを使うんです。中国のエンジニアの書いたコードを読んだり修正したりするのは、結構これが面白かったりしてます。コメントとかが中国語なんですよね。
川井 そうですよね。
水野 英語じゃないんです(笑)
川井 そりゃ、そうですね。(笑)
水野 中国語のGB18030っていう文字コードがあるんですけど、それが表示できないといけないんですね。ただ日本のターミナルエミュレータって表示できないんですよ。僕はPoderosaってうターミナルエミュレータなんですけど、それを使うと文字コードがShift_JISやUTF-8しかなくて、絶対文字化けするんですよ。でも、Emacsだと。GBのコードを読み込んで、UTF-8で表示はして、でも保存はやっぱりGBみたいなことが設定で可能なので、なんとかなっています。けど、そんな設定でやってる人が世界中にほとんどいないので情報が一切なくて、最初に環境を構築するのに苦労しました。
川井 なるほど。宮下さんや大場さんのインタビューがうちに出てますんで、ぜひ読んでみてください。Meadowの宮下さんのインタビューは多分うちしかないと思うんですよ。
水野 本当ですか。
川井 あれは結構喜ばれたんです。
水野 そうなんですか。
川井 最近、Vimの方が聞いてると多いですけどね。
水野 そうですね。Vimでやってる仕事見てもどうやって操作しているのかがわからなくて、「それどうなってんの?」みたいな感じなんです。Emacsも使い始めて3年ぐらいなんですけどね。でも中国のエンジニアはVimらしいですよ。
川井 そうなんですか?
水野 「どっち使ってるの?」って聞いたらVimなんですよね。「なんで?」って聞いたら「Emacsの方が使いやすいと思うけどVimだ」って言うんですよ。何だか分かんないけど、僕だけは一人Emacsですね。
川井 例えばキーボードとか、他になんかこだわりありますか?
水野 そうですね。キーボードはあんまり・・・PCはThinkPadです。トラックパッドっていうのがあると使いにくいので、あれがないやつがいいですね。
川井 なるほどなるほど。
水野 OFFにしておけばいいんですけど、OFFにしててもなんとなく邪魔なんです。ONにしてると触ったらマウスカーソルが動いちゃったりするじゃないですか。あれがなんとも非常に・・・。あと僕は日本語キーボード派です。英語キーボード派の人もいますよね。中国は全員英語キーボードなので、僕のキーボードで中国人がキーボード打てなくて「あれ?@マークどこ?」っていう感じになります (笑)
川井 (笑)
水野 そういう意味では、英語キーボードに変えた方がいいかなっていう気はしてます。
川井 じゃあエディタぐらいで、あとはそんなにないですか?
水野 そうですね。
川井 椅子とかも普通ですか?
水野 椅子ですか?椅子は、もっといい椅子もいいと思うんですけど、今のところまだ割と普通の椅子です。SIerの時にずっと普通の椅子で仕事してたんで、慣れてるっちゃあ慣れてるんですけどね。こだわりあるとしたら何かなぁ・・・ブラウザですかね。中国の人たち全員文字コードが一緒なんです。1個しかないので、それがデフォルトなんですね。なので「文字コードがページで指定されていなくてもいいじゃん。」的なページとかいっぱいあったんですよ。社内ツールとかほとんどがそうで、日本語のブラウザだと全部文字化けするんですよ。しょうがないんで、社内のツールだったら文字コード強制的に変えるみたいな拡張を自分で書いて使ったりとかするんで、Firefoxしか駄目みたいなところはあります。
川井 メーラーとかも何かあるんですか?
水野 メーラーはThunderbirdですね。Thunderbidはタイトルが中国語でも文字化けしないんですよ。OutlookExpressは、中身は大丈夫なんですけどタイトルが文字化けするんです。なのにみんな結構OutlookExpress使ってて、不思議です。Beckyとかも文字化けするんですよ。
川井 文字化けも気にしないんですかね。
水野 気になんないんですかね。タイトル読まないのかなぁって思って。分かんないんですけど。僕は文字コードオタクで、文字コード大好きなんですよね。なんで、文字化けとか許せないんで、文字化けしないのがいいですね。結構いろんなとこでマシン使うんで、なるべく何も依存しないようにしてるっていうのが正しいと思ってます。
川井 わかりました。本日は長時間ありがとうございました。
水野 こちらこそ、ありがとうございました。

<プロフィール>
1973年東京生まれ。小学校時代に家にあったPC-6001でプログラミングを始めて以来のプログラミング好き。大学は有機化学、大学院は分子生物学を専攻したが、結局SIerに就職してエンジニアの道を進み始める。その後技術系ライターの仕事も開始。2005年、株式会社はてなに転職し、2008年1月からは百度株式会社勤務。2009年4月5日に長男が誕生し、親子で立派なギークを目指している。
http://d.hatena.ne.jp/mizuno_takaaki/
http://twitter.com/mizuno_takaaki

著作
「docomo au SoftBank 各キャリアからのアクセスアップ! モバイルSEO完全計画」(ソーテック社)
「JavaScript: The Good Parts ―「良いパーツ」によるベストプラクティス」(オライリー)
「Webアプリケーションテスト手法」(毎日コミュニケーションズ)
など多数。

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