インタビュー記事

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第33回 永原篤 氏

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今回は、オープンソース・ワークショップの永原篤さんにお話をお聞きしました。永原さんは、職業プログラマを経て、オープンソースをテーマに独立。実家がおでん屋というところで養った絶妙な商売感覚を持ち合わせた方でした。インタビューの間中、目が光輝いていた永原さん。本当に楽しく生き生きと開発しているのだと感じられました。取材は、は東京都江東区東雲にある「キャナルコート」というデザイナーズマンションに隣接するリバーサイドのマンションのスカイラウンジをお借りしました。

※取材日は、2008年7月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<パソコンとの出会いは?>
川井 パソコンとの出会いはいつ頃ですか?
永原 パソコンとの出会いは早いんですけれども、高校もしくは中学の時のNECのPC8001ですとか、あの辺の8bit系が最初ですね。ゲームだけやっていました。
川井 なるほど。
永原 ちょっとゲームをしてみたい、パソコンって面白そうというところから入りましたね。そう思ってがんばってバイトをして中古を買いました。でも、すぐ飽きて結局触りませんでした(笑)
川井 そうなんですか(笑)じゃあ子供のころは機械とかほとんど興味なかったんですか?
永原 ありませんでしたね。今も趣味がロッククライミングとか滝登りで、コンピュータは嫌いなんです。
川井 そうですか(笑)
永原 大阪の大和川っていう川の近くに住んでいたので、川原で釣りをするのが大好きでした。今も遊びは外ばっかりですね。コンピュータは、基本的には今も昔も嫌いです(笑)
川井 そうなんですね。珍しいですね(笑)
永原 はい(笑)この業界ってコンピュータ好きで入ってくる人多いじゃないですか。僕はほとんど正反対ですね。
川井 そうなんですか。ただゲームには興味があってちょっと触ってみた、というのがきっかけなんですね。
永原 そうですね。それが中学時代になります。あとは専門学校時代、二十歳前後のころに、一人暮らししている友達のところに夜な夜な遊びに行って、朝までゲーム漬けというのが2年くらい続きました。それでゲームは終わりですね。あとは一切、興味無くなってしまいました。
川井 ちなみに今おいくつなんですか?
永原 ちょうど40歳になったばっかりです。
川井 同世代ですね。じゃあパックマンとか・・・
永原 そうですね。ギャラクシアンとか。
川井 パソコンでやるゲームは当時なかったんですか?
永原 そうですね。ゲームセンターには行ってましたよ。悪い仲間がいっぱいいましたので(笑)それは置いておいて、そんな商売人の家庭なんで、どっちかというと自分は何かをつくる、ものづくりの方に行きたいという思いがあり、工業高校に行ったんです。それでお母ちゃんからは「金ないんだから早く働け」とか言われていましたね(笑)
川井 (笑)
永原 実家が大阪の難波にあるポッカっておでん屋やってるんですよ。こないだ親父がTVチャンピオンのおでん大会で戦ってました
川井 そうなんですか。
永原 工業高校を卒業してからしばらくはフラフラしていました。マクドナルドのアルバイトマネージャをしたり、単車が好きだったのであちこち旅行に行ったりと、ぷー太郎生活を2年くらいしていました。
川井 なるほど。
永原 それもちょっと飽きたころに、就職するかということでコンピュータの専門学校に一年だけ通いました。コンピュータの考え方を学ぼうと思って行ったんです。
川井 なんでまた就職先にコンピュータ関係を学ぼうと思ったんですか?
永原 就職先にコンピュータ関係を選んだのはたまたまです。専門学校でコンピュータの考え方を学んだので、これからはやっぱりコンピュータだろうと思いまして(笑)それで、物事の整理の仕方を学ぼうと思って、本当は会社も腰かけのつもりで行ったんです。
川井 そうなんですね。
永原 とりあえず面接に行ってみたら「じゃあ来週から」って言われて、そんな就職の決め方をしましたね。
川井 なるほど(笑)
永原 それでしばらく仕事をしている間に、母親が病気で亡くなってしまいまして、当時家庭の事情もあって母親と二人で暮していたので、21歳でいきなり一人暮らしになったんです。どうやって食っていこうという状況になってしまったんですよ。それで仕事を辞められなくなったんです。
川井 なるほど。
永原 なので、今までやってきたという感じですね。
川井 そういうわけでしたか。
永原 もう今更仕事変えるのもなんやし、なんて思って(笑)
川井 (笑)
永原 だから最初は本当に、コンピュータの考え方を勉強するためだけにコンピュータ業界に入ったんですけれども、たまたま周りの要因で辞められなくなって、今に至る、という感じです。
川井 なるほど。
永原 だけど気が短いので、入ってもすぐ喧嘩をして会社を辞めたりしました(笑)
川井 そうなんですか。
永原 結局これまで3社行ったかな。で、今は独立して一人なんですね。最後にいた会社とはすごい仲良しで、今もパートナーとしてやらせてもらっています。
川井 なるほど。
永原 最初にいた会社は喧嘩して辞めて・・・2社目は知り合いと一緒に始めたんですが、バブルの波にのまれて、辞めようかなって言ってた頃に、最後に行ってた派遣先にひろわれて、長い間お世話になりました。その会社で転勤とかもあって、こっち(東京)にきました。
川井 なるほど。そのあたりもう少し詳しく聞きたいですね。
世の中の仕組みを知りたい
川井 最初はどんな会社に行かれたんですか?
永原 最初はシステムを作っている会社です。業種は一貫していて、何人かずつのチームを派遣して・・・汎用コンピュータなどですね。COBOLの世界でした。
川井 COBOLですか。
永原 まあ、当時から上司に食ってかかるような感じでしたよ。「仕様書のおまじない」とか出てくるんですけど、「おまじないってなんや、ちゃんと教えろ」みたいな(笑)
川井 (笑)
永原 とことんまで突きつめないと気がすまないタチなんですよね(笑)
川井 なるほど。
永原 そんな事をしながらコンピュータを学んで、まあやっぱりうまくいかなくてですね。当時若かったので、とんがってたんでしょうね。喧嘩して辞めちゃいました。
川井 チームで現場に常駐するわけですよね。
永原 そうです。
川井 何次請けくらいでやられてたんですか?
永原 その時は、上がユーザのシステム部門だったのでいい位置にいたとは思います。実質的には一次請けですね。
川井 そうなんですね。
永原 場所が工場の中なのでプレハブで、現場のおっちゃんと一緒に作業服を着てました。ラインが止まったらおっちゃんが殴りこんでくるような、それはそれで楽しい世界だったんですよ。仕事は楽しかったです。
川井 製造業系のシステムだったんですね。
永原 そうですね。製造業ですね。もうだいぶ前ですよ。今僕が40歳なので、20年近く前ですね。
川井 もうCOBOL一辺倒ですか。
永原 そうですね。その当時は、COBOLで一生飯食えるもんだと思ってました(笑)
川井 なるほど。
永原 で、最初の会社は結局2年くらいで辞めたんですよ。それで次に、知り合いと一緒に会社を始めました。
川井 はい。
永原 それも、1年ちょっとしかもたなかったですね。飽きっぽいんでしょうね。
川井 それはどういった会社だったんですか?
永原 一緒ですよ。たまたま会社が変わっただけで、同じ仕事をやっていました。
川井 製造業のシステムですか?
永原 ええ、COBOLでシステムを作る仕事です。当時、保険会社のシステムなんかもやってました。若い頃なので業種なんて選べるわけでもなく、「あっち行け」と言われたら「ハイ」って行くだけでしたね。まあそんな中でもプログラムつくるのが楽しくてやってました。
川井 勉強はどうされてたんですか?仕事の中でですか?
永原 そうですね。汎用のCOBOLをやってるころは書籍がなくて、すべて仕事の中で勉強しました。やっぱり、もとが飲み屋の息子ですので、仕事は飲みからだと(笑)
川井 (笑)
永原 とにかく、「色んなことを教えろ」とうっとうしがられるくらい上司にくっついていきました。「プログラムなんて勝手に覚えるからそんなのはいらない、世の中の仕組みを教えろ」とか、そんなことばっかり言っていましたね。
川井 なるほど。かなりやんちゃだったんですか?
永原 そうですね。
川井 見えないですねぇ。
永原 そうでしょ?(笑)丸いでしょ?だいぶ太ってきたんで・・・
川井 (笑)
永原 とにかく仕組みがどうなってるのかなっていうことが知りたかったんです。ほんの少しだけど、答えが見え始めたのなんて最近ですよ。世の中に勝ち組はひとりしかいないんじゃないかと思っていて、「そこに行くにはどうするんやろ。全員と競争しなきゃいかんのか」みたいな考え方を20代の頃はしてましたね。
川井 なるほど。じゃあ目的としては、勝つためにみたいな感じですか。
永原 そうですね。何も分からなかったので、とにかく自分が生き残るためにはどうしたらいいんだろう、って。
川井 生き残るためにですね。
永原 はい。生き残りっていう言葉もわかりませんでした。早くに母親が亡くなってるし、「死ぬってこういうことなんやろうな」とか「何かせないかんのや、俺って一人で食って行けるんだろうか」とか焦りが募りましたよ。
川井 なるほど・・・。
永原 24~25歳の頃はそんな感じで一人暮らししていました。本当にお金がないし、またそのぐらいの年の頃って、お金のセーブの仕方がわからないじゃないですか。
川井 そうですね。
永原 本当に貧乏で、平日は仕事して土日は自動販売機の下の100円玉取って。お米食いたいって思ったら近くの田んぼに行ってちょっと稲もらってきて脱穀してみたりして、「ああこんなん無理!」とか、そんなことばっかりして遊んでました(笑)
川井 給与はかなり低かったんですか?
永原 当時の24~25歳の給料なんで、大した給料じゃなかったですね。でも、細々とやっていけば食って行けたはずなんですよ。
川井 なるほど。
永原 けども、まずは飲みやろっていうところがあるので、何か匂いがしたら飲みにいきました(笑)
川井 飲み代なんですね(笑)エンゲル計数ではなくて。
永原 はい。昔はヘビースモーカーでしかも飲んでばかりいましたけど、とにかくそこは大事や、減らされへんと思ってました(笑)そこを減らすくらいなら飯は食わないくらいの勢いですね。
川井 (笑)
永原 昔の上司は・・・僕がおにぎりだけ作っていって米食ってるのが3日間ぐらい続くと、4日目くらいからその上司の奥さんが僕の分もお弁当作ってくれるわけですよ。ごちそうさまです!とか言って(笑)
川井 そういうのなんかあったかいですよね(笑)
永原 はい。そんな世界でやってましたね。今も本当に感謝しています。
川井 残業代とか当時はなかったんですか?
永原 ありましたけど、残業のある仕事とない仕事がありましたし。
川井 そうですね。
永原 しかも当時から残業嫌いでですね、だらだら時間を過ごすのが大っ嫌いなんです。残業してるくらいなら・・・
川井 飲みに行く(笑)
永原 はい(笑)そんなことばっかりしてました。
川井 お酒はお強いんですか?
永原 好きですけど、全然だめですよ。今も昔も無茶ばっかして飲んでただけです。基本的には弱いです。
川井 (笑)そうなんですか。2社目もそんなに肌に合わずに・・・ということですか?
永原 会社の中のメンバーとは仲良くなるんですけど、上司にたてつく癖があってですね。よくないですよね(笑)
川井 なるほど。私と似ていますね(笑)
永原 下はかわいいし、仲間とは一緒にやろうって思うんですけど、上がわからんこと言ってきたら「なんでそうやねん」と突き詰めてしまう。大人の事情を理解しないんですよね(笑)お前の引き出し全部開いてやる!っていう感じでした。
川井 同じことやってました(笑)
永原 ひどい話ですよ。おじさんになってきて部下に同じことされて、ああ、痛い痛いとか思いながら仕事してますよ(笑)
川井 そうなんですよねぇ。僕ね、昔の上司に謝ったことあります。「すいませんでした、気持ちがよくわかりました」って(笑)
永原 あ、わかります。僕も何回か謝ってます(笑)

<アドクリエイション時代、インターネットとの出会い>
川井 3社目はどんな感じですか?
永原 2社目を辞めた時にはこの業界自体を辞めるつもりでいたんですけれども、たまたまその時仕事をもらってたアドクリエイションの副社長から、「お前ちょっと考えろ」と言われたんです。
川井 はい。
永原 「お前来月からどうするんだ。飯食えへんやろ」と言われました。「そやな」と思い、しょうがなく「厄介になっていいですか」と言って、しばらく・・・・・14年ほど厄介になったんですね。
川井 アドクリエイションさんに14年ですね。けっこう長いですね。
永原 はい。
川井 アドクリエイションさんではC言語とかやられてたんですか?
永原 いえ、やっぱりCOBOLでしたね。当時はCOBOLの仕事ばっかりだったんですよ。
川井 そうなんですね。
永原 それが、たまたまある日上司からシステムを作ってくれと言われた時に、まあCOBOLのつもりで「はーい」と言ったんですけど、でもその頃パソコンが流行ってきてて、クライアントサーバだとか、VisualBasicだとかが出てきていたんです。
川井 はい。
永原 それでまた、パソコンとの再会があったんですよ。「マウスってなにこれ、指がつるから嫌だ」とか、20代なのにおじさんみたいなこと言いながらやりました(笑)
川井 (笑)
永原 でもまあやってるうちに、これはすごいなとカルチャーショックを受けまして、それからクライアントサーバ型の開発を始めたというわけです。そしたら、こういう便利なものがあるんなら楽しいなと思ったんですよ。顧客も喜んでくれるし、お客さんに入り込んで仕事してしたので、余計に楽しかったですね。
川井 はい。
永原 でもやってるうちにクライアントサーバも飽きてきちゃいまして。コンピュータ業界の仕組みがだんだんと見えてくるんですよ。「派遣ベースでは嫌だ」とか、「こんなことでは面白くないから辞める」、ってまた言い出すわけですよ(笑)
川井 なるほど。
永原 その時にインターネットに出会ったんです。
川井 はい。
永原 クライアントサーバで4年くらい仕事をした後、当時の上司が「インターネットをしなさい」と言ってきたんです。だけど僕は当時、それをパソコン通信のことだと思っててたんで、「オタクは嫌いだ。どっかいけ」とか言って、一切インターネットはしなかったんですよ(笑)
川井 (笑)
永原 インターネットとパソコン通信の違いもわからずに、何か通信していてパソコンで誰かとしゃべってる・・・もう気持ち悪いからどっかいけとか言って、頑なに拒否してましたね。でも上司は、とにかくつなげと無理やりモデムを持ってきて押しつけるわけですよ。
川井 (笑)
永原 じゃあしゃあないなとなりまして。当時、月1,000円とかの安いプロバイダでつないでみて実際にインターネットを覗いてみたんです。検索エンジンとかあったんでしょうね。それでアメリカの情報を色々見て「ああ、これはリアルタイムで変わってるんだ」っていうのを実感したときに世界が変わりましたね。
川井 なるほど。
永原 すごいなこれはと思いました。
川井 それは、3社目に入られて何年目くらいの時ですか?
永原 3社目に入って5~6年経ってからですね。
川井 ほう、5~6年というのはけっこう頑張られてたんですね。
永原 そうですね。5~6年はクライアントサーバがしばらく面白かったので働いてました。ちょっとはまってたんですね(笑) 
川井 その5~6年の技術要素って、どんな感じで開発されてたんですか?
永原 その間はVisualBasicでした。クライアントサーバのシステムで、サーバというものがあるんだとわかって、なるほどと思いましたね。
川井 それも一から覚えられたんですか?
永原 覚えました。もう当時は本が出ていたので日本語の本をたくさん読みました。
川井 独学ですね。
永原 そうですね、独学ですね。どっちかっていうと教えるほうが好きなので、覚えたことをみんなに教えたりしていました。

<インターネットの仕事>
永原 話は飛ぶんですが、今のオープンソースっていうのがなんで流行ったのかと考えると、やっぱり色んなものをみんなが提供しているからなんですよね。
川井 そうですね。
永原 少しずつですけど提供している。何か自分の組むプログラムを1つ提供して、みんなが1提供したものが返ってくる。返ってくるとこれは100になってたり1000になってたりする。それがオープンソースかなと思います。
川井 はい。
永原 私は今も特に一つのソフトをもってるわけではないので、ビジネスモデルというか、僕の儲け方そのものをオープンソースとしてみんなに提供していきたいと思ったんです。そうすると同じ効果が起こり始めたんですよね。
川井 なるほど。
永原 僕は1しか出してないんです。「こんな風にしたらけっこう儲かったよ」「いけるかもしれないからやってくれば?」「僕は今、忙しいからこれはやるよ」と、そんな風にしていると、僕は1しか提供してへんつもりなのに色んな人からいっぱい返してもらったりするんですよ。これはありがたいことだと思います。で、みなさんでもっと商売しましょうという話になってくるじゃないですか。もう、すごくありがたいことですね。
川井 なるほどなるほど。
永原 クライアントサーバをやってる頃も、どっちかっていうと教えるのが好きで、覚えたことは人に教えていました。僕は基本的には頭悪いんで、メモリが少ないから覚えたことはすぐ吐き出したいんですね。そうしないと次が入ってこないから(笑)
川井 (笑)
永原 ちょっと覚えたら教える。じゃもうそれは過去のことだ、次次・・・と。
川井 なるほど。インターネットと出会ってからは、最初はどんなことされてたんですか?
永原 とにかく何か・・・あんまりインターネットは見る方ではなかったですね。基本的にモノを作るのが好きなので、「何ができるんや自分で?」といきなりそこに入って、「この世界で自分は何をクリエイトできるんやろう?」とそればっかり数ヶ月考えていたと思います。会社の上司とかに相談して、「誰か何かやってない?」と聞いたりとか。こんな世界があると教えてくれた上司に逆に「なにしてんねん?なんで見てるだけの使う側やねん?作る側にいかんかい」みたいな話をある日突然コロッとし始めました(笑)
川井 あんなに嫌だって言ってたのに(笑)。
永原 いやもう変わったんですよ。昨日のことは昨日のことやから(笑)
川井 面白いですねぇ(笑)
永原 それで、たまたまプログラムはずっと作ってきてそれなりに自信もついてきたところなので、プログラムをばらまいてみようと思ったんです。まだオープンソースっていう言葉も日本にはなかったんですけど、とにかく自分のできることをばらまいてみようと。で、インターネットで当時プログラムっていうと、Javaくらいしかなかったんですね。
川井 そうですね。
永原 当然Javaの書籍なんて日本語のものはなかったので英語の書籍を取り寄せたりしながら勉強しました。Java1.0.2ですね。データベースも何もつながらない、業務的には全く使えない言語ですが、画面上で遊ぶことはできるのでそれを使って作ってみようと思いました。誰かの役には立つだろうと思って、JavaでHPを飾るようなプログラムをたくさん作り始めて、これがけっこううけて雑誌に載せてもらったり紹介してもらったりしたんです。
川井 なるほど。
永原 今でもハンドルネーム「永原ひつじ」っていうのでやってるんですけれども、そのハンドルネームでけっこう有名になっていって、それから仕事の話とかがくるわけです。
川井 はい。
永原 これはしめたもんだ、仕事につながるんだと思いました。というわけで、会社に持って行ってこれをやりたいと言いました。当時から「はねっかえり」だってみんなわかってたんで「またあいつが何か言い出した」といった雰囲気でしたね(笑)
川井 (笑)
永原 だけど会社は「これはできない」って言ったんです。そしたら辞めるか会社を納得させるかどっちかですよね。でも会社を納得させるのはしんどいので、世間を納得させようって思いました。雑誌にもっともっとアピールして、いっぱい褒めてもらって毎月のように会社に持って行ったんです。載りましたよ、次これ載りましたって持って行ったら、黙ってられなくなるはずなんですよ。
川井 そうですね。
永原 で、仕事の依頼とかが来て「仕事の依頼が来たんですけど勝手に受けていいですか?」なんてやっているうちに会社のほうもわかってきて、最後一緒にやっていた佐々木さんという上司が「インターネットの仕事を始める」ということで、二人でインターネット室みたいなところで、ちっちゃく始めたわけですよ。
川井 なるほど。
永原 それがインターネットの仕事の始まりです。そこからどんどんインターネットっていうのを勉強しだして、これからもっともっとインターネットは伸びるだろうと思っていました。
川井 はい。
永原 まだ当時、会社ではメールアドレスが一人1つない時代でした。
川井 当時は大学生がちょっとHPを作っても100万とかもらってましたよね。
永原 そうですね。高かったですよね。自分達もそれで儲けさせてもらったようなところはありますし(笑) まあでもやっぱりそこに至るまでにけっこうお金や時間を使ってるので、今考えると妥当な金額だったとは思いますよ。
川井 なるほど。先行投資して身につけているものがありますからね。その次のステップというか、初めはHPを正式に作るっていうのがスタートだったと思うんですけど、そのあとはどういう風に進化していったんですか?
永原 HPには行かなかったですね。
川井 あ、行かなかったんですか。
永原 はい。我々はあくまでシステム屋さんなので、そこは筋を通そうという風に当時の上司とも話していて、やっぱり僕は商売人なので「何が儲かるか」ということを考えました。HPのデザインでは、僕たちのスキルとは違うので、難しいだろうなと。
川井 なるほど。
永原 僕にはそれが無理やと思ったので、じゃあ何ができるかと考えました。大量の人間を使って大きなプログラムを作ってどんと売れるものはなんだろうって考えたんですね。
川井 なるほど。
永原 それで当時できてた言語のJava、Perlなんかを見ていって、Javaが一番邪魔くさかったんですね。
川井 そうなんですか。
永原 邪魔くさいし時間のかかる仕事やから、逆にこれは当たりやと。邪魔くさい仕事=人がいっぱい要るんですよ。
川井 確かにそうですね。
永原 それでIBM、富士通、日立とかメーカーは何を使うんやろうって見ていたら、なんかJavaって言い出したんです。これは絶対仕事が転がる、と思ってひとりでいきなりJavaだJavaだと言い出しました。大阪で、「Javaって何?」とか言われる中で「Javaだ、これからはJavaだ」って宣伝したんです(笑)
川井 (笑)
永原 その頃東京へも仕事の出張で行ったり来たりしてたんですが、ちょうどアドクリエイションの東京の責任者からも「銀行とかがJavaを採用し始める」とか「インターネットでどうこうし始める」とか聞いて「じゃあ東京や」と思いました。で、会社からも「東京行ってこい」と言われました(笑)
川井 (笑)
永原 ある日社長に飲みに誘われたんです。いつもと同じ飲み会なんだけど雰囲気が違うわけですよ。これはなにかある、いつもの飲みのはずやのに幹部がそろってるので、「東京行けって言ってるでしょ(笑)わかりました。行きます。でも、行ったら帰ってきません。」って言いました(笑)
川井 (笑)それで東京にいらしたんですか。
永原 そうです。転勤で来たんです。8~9年くらい前ですね。
川井 それまではずっと大阪ですか。
永原 はい。東京に出てくる前の1~2年はビジネスホテル泊まり歩いて行ったり来たりしてました。
川井 そうなんですね。
永原 こっちへ来てからは、アドクリエイションは大阪が本社だったんで東京支社ということで、大阪より規模が小さくて、上も少ないので今までよりもっと好き勝手できるわけですよ(笑) それでこっちでまた好き勝手させてもらって、インターネットを広めるということで普及活動をしていました。JavaだJavaだと宣伝しまくったわけです。
川井 なるほど。
永原 色んなシステムを一から作ったり、大がかりなものを作ったりっていうのが面白かったですね。
川井 その当時はどんなシステムだったんですか?
永原 詳しくは言えないですけど、Javaで作ったのは、銀行に関わるところも保険にかかわるところもありましたね。Sさんとかは会社がお付き合いが長いので、よく仕事させてもらったりしました。大規模な仕事をさせてもらって、本当にいい機会をいただけたなと思っています。あとはTさんとかにお話いただいたり。
川井 なるほど。金融システムということはCOBOLとJavaが両方できるとは相当使い勝手がいいということですね。
永原 そうですね。両方わかるのでデータをどう流して・・・みたいな話ができるんです。でも当時はかなりハッタリですよ。そんなに中身がわかってるわけでもなく誰にも教えてもらってるわけでもなく、自分で色々調べてできるだろうってやってました。もうとにかく仕事も取らないといかんし。
川井 そうですね。
永原 お客様とも「できますか?」「当たり前じゃないですか」とかそんな感じです。客先に連れて行ってくれたSierさんの名刺も持っているわけですから「当り前ですよ、できますよ」くらいの勢いで言うわけですよ。Sierさんの部長とか真っ青でしたね(笑)
川井 (笑)
永原 いつもそんな感じで自分を崖っぷちに追い詰めながらやってました。楽しかったですよ(笑) 仕事取った後でいつも悩んでましたもん。どうやったらいいんだろうと。
川井 なるほど。残業嫌いっておっしゃっていたので、そういったものを徹夜でどうにかするとかではないですよね?
永原 それは嫌ですねぇ。どろどろするのが嫌ですね。徹底的に考えてから立ち読みしまくるとかしました。もう今日は本屋って決めたら本屋に行って。
川井 あ、そういう勉強の仕方をされて注入したものを全部つけるんですね。じゃあわからなくてむやみに悩みすぎたりっていうのはされないタイプなんですね。
永原 そうですね。走り続けはしますけど、一カ所でじっとしているのは耐えられないです。どこかにネタがあるだろう、誰かが知ってるだろうと思うんですよ。人から引き出すには飲み会しかない!とかね。

<オープンソースについて>
川井 やはりオープンソースっていう概念はそういった意味でもずっとお持ちなんですよね。
永原 はい。オープンソースという言葉はなかったですけど、近いかな。うちも今ちっちゃいながらも事業計画というのを立てるんですけれども、理念としての言葉は一つだけで「損して得取れ」です。
川井 はい。
永原 子供の頃から言われてたことです。「損して得取れ」って僕にとってみたらオープンソースなんですね。
川井 なるほど。
永原 損して得を取るんですよ。損って何?っていうとオープンソースそのものです。「出るもの出るもの全部人に提供しなさい」「誰かが困ってる時に、なんで黙ってるの。ライセンス的にコピーできるものを持っているんだからあげればいい」「それは損ではないからあげなさい」と。オープンソースはまさしくそうなんです。
川井 そうですよね。
永原 こっちが作ったオープンソースも、ライセンスが許すもの、お客さんが同意して周りの環境もOKならばどんどん転売すればいいって僕は言います。
川井 なるほど。
永原 売ればいいじゃん、と思います。仮に500万でシステムを納めたとして、「お客さんもなんで500万払うだけなの?300万で2箇所に売ったら儲け出るじゃん」って思うわけですよ。
川井 なるほど。
永原 永原さんそれでいいの?と聞かれるけど、それでもちろんいいんです。絶対にその売った先は、そのまま使わずカスタマイズするでしょ。誰に声をかけてくれるかっていったら、うちでしょ。まさか違うとこに声かけへんよね(笑)
川井 (笑)
永原 「僕はそのシステムを売れって言ってるけど、それはお宅に営業してって言ってんねんで?」というネタもバラすんです(笑)でもそれでお互いラッキーじゃんっていうことなんですよね。
川井 それは、そうですね。
永原 それがオープンソースであって、僕が昔から親父に教えられた「損して得を取る」の精神なんだなと思います。やっぱりお金はあとから付いてきますから。アドクリエイションの副社長に教えてもらった、「お金はな、さみしがりなんや」といういい言葉があるんです。
川井 ふむ。
永原 当時、全然意味わからなくて、何を言ってるんやろこの人って思ったんですけど、今やっとわかりました。お金はさみしがり屋・・・なるほどなと(笑)
川井 なるほど。そうですね。
永原 それでJavaをずっとやっていて、また業界がどんどんJavaという技術に傾いていく中で、Javaの技術が面白くなくなってきたんですけど、それをもとにした派遣が多くなってしまって。二次請け、三次請けになってくるんです。契約の形だけでごまかしてるみたいな世界もあって、僕はそれが嫌なんです。
川井 業界の悪しき構造ですよね。
永原 もう管理職にもなってるし、そういうことも理解しなければいけないとわかっています。でもそんな自分も嫌で、そんなときオープンソースに出会ってしまったんです。最初に見たのはXOOPSっていうソフトです。このインタビューを紹介してくれた天野龍司さんとの関係もそこからです。本当にいろんな機能が、なんでウン千万ってかけただろうってソフトが落ちてるんですか?って思いました。タダで落ちてるし、僕、明日からどうやって商売したらいいんだろう・・・って思いましたね(笑)
川井 なるほど(笑)
永原 もう選択肢は二つなんですよ。見なかったことにするか、飛び込むか。正直、一週間くらい悩みましたよ。もう仕事なんか手に付かへん(笑)
川井 (笑)
永原 どうしたらええんやろなとずっと考えてたんですけど、でももう仕方がない、飛び込もう!と思ってオープンソースのほうへやってきました。
川井 そうなんですね。
永原 そっから、売り物が変わったんですよ。それまではソフトウェアを売っていたような気がするんですけど、今はソフトウェアを売らないんです。「効果」を売るんです。
川井 なるほど。
永原 「欲しいものは何?」って聞くんですよ。「ソフトウェアですか?よかったらここにソフトウェアを並べてあげるから好きなの買って」と。でも、本当は買う人もソフトウェアが欲しいんじゃないんですよね。欲しいのはそのソフトウェアが実現してくれる「何か」なんですよ。
川井 はい。
永原 直接的なECなら「儲け」かもしれない、学校なら「学生が集まる」ってことかもしれないし、「情報を提供できるっていう意義」かもしれない。それを僕は売っていきたかったんです。だからオープンソースは良い武器になってくれます。その先のものを見たい!って思うようになって、オープンソースしかないって気づきました。そうしないといつまでもソフトだけを追い続けてたかも知れないです。
川井 なるほど。
永原 そんな考えはまだ、今から普及していかないといけないという部分があって、まだまだオープンソースっていうのはタダのソフトウェアのことだけだと思っている人も多いと思うんです。でもそれは違います。その裏にあるものを売りたいですね。
川井 うちの役員が元SIなんで、やっぱりシステムの発想なんですね。昔SIっていうのは業務の効率化とか人をコンピュータにやらせるのがメインだったと思うんですけど、今のWebのシステムってシステムではないですよね。やっぱり、人を集めるとか、商売するとか、むしろプロモーション的なツールだと思っているので、発想が違っていて、いい意味で会話がぶつかるんですよ(笑)
永原 (笑)
川井 今の若いエンジニアってどっちよりなのかなーっていうのはわからないんですけど。システムに興味があるのか、サービス構築に興味があるのか、これはちょっとわからないといえばわからないんですよね。
永原 そうですよね。
川井 やっぱり、サービス目的で作るWebサイトとかWebのシステムとか、出来上がってみるとお客さんが使い勝手のいいもんじゃないってことがよく起こりますよね。
永原 うん。それは思います。一般的なHPとかの仕事はあまりしませんけど、たまにHPとか頼まれることがあって、その時に「何が欲しいですか?」って聞くんです。本当はHPが欲しいんじゃないですよね。 「集客したいんですか?」「売りたいんですか?」「グループ内の整合性を合わせたいんですか?」それぞれによって提案の仕方が変わってくるんです。 で、「欲しい結果を絶対検証してくれ」と言います。とにかく「今からもし契約を受けたら、作業開始しても一か月間はありますよね。その間にぜーんぶ数字をとって、数字って何っていうのを一緒に考えましょう。」というところから企業のHPを作ります。
川井 はい。
永原 「じゃ、今日から一か月電話の件数全部数えてください。」「何件電話があって、その電話がどんな内容で問い合わせは何件ですか?」「その中からほんとに案件につながったの何件ですか?」「アクセスログはどうでしたか?」とか、ほんとに取れるだけの数字をとっておいて、売上も短期だけ2か月だけとっておいて、うちがもしHP作り直した後、3か月くらいして上がってたら余計に金頂戴って言うんです(笑)
川井 なるほど。
永原 下がってたら安い金額のままでええと言うわけです(笑)
川井 それがこの商売の肝ですよね。営業行為というか・・・。プロモーションって売上が目的とか利益目的でやってらっしゃる商売なので。
永原 そうなんですよ。そこが欲しいはずなんですよ。
川井 ですよね。
永原 一回話がおりて担当者に渡ってきた時には、なんか物作らないといけないだけで、公共工事みたいになっちゃってるんですよね。それじゃしょうもないじゃないですか。
川井 そうですね。
永原 「できたー!HPできたー!」って言って打ち上げするんじゃなくて、「できた。そのあと一ヶ月見た。目的達成した。おー、よし数字が達成したー!!やったー!じゃあみんなで飲みにいこ」っていうのが正解じゃないかと思うんです。
川井 なるほどなるほど。 いいですね。
永原 まぁ、そんなことやってるから、ちっちゃくしか商売できないんですけど(笑)
川井 いやいや(笑)でもそれを個人でやるっていうのは、勇気がいることじゃないですか?
永原 そうですね。でも前の会社とも仲良くしてもらってますしね。本当は個人事業主ではなく、いきなり会社作るつもりやったんですよ。でも嫁さんが少し病気とかして、なのでゆっくりやりたいな、と思って。
川井 なるほど。
永原 個人事業主になったのは去年の10月からなんですよ。なので、1~2年はそういうビジネスモデルを見ながら一人で遊ぼうと思っていて、その上で会社にしようかなと思っていました。
川井 なるほどね。
永原 僕は「遊んでる」って表現するんで、よく怒られるんですけど(笑)まぁ、僕の中では遊びなので楽しんでやってるんですけどね。
川井 そもそも、辞めて会社を作ろうと思った理由はなんですか?
永原 やっぱり人の会社の中では自分のやりたい事はできないんです。
川井 やっぱり最終的にはそうなりますか。
永原 「絶対こっちの方が儲かる」「この方が客が喜ぶ、この方が負荷が減る」というのがあっても、できなくなるんですよ。
川井 なるほど。
永原 僕もそうなる危険性があると思います。だから、それを回避する方法を今のうちに考えておきたいんです。絶対何があっても会社を多少大きくしたくなると思います。だけどそれをせず、その代り小さい会社をいっぱい作るんです(笑)それぞれ自分の育てた部下をどんどん社長にしていけばいいと思ってるんです。そんな事をして遊んでいければいいかなと思ってます。自分が将来にわたって食える分だけ貯めときゃいいかと(笑)
川井 ご家庭の事情でちょっとなかなかすぐには難しいという所と、サービス面ではもうちょっと視野を広げたいってことで今は準備されているという事ですね。
永原 そうですね。とはいえ今年一年で売上的にはそこそこいっていて、今も月100万ちょっとは売り上がってるので。
川井 すごいですね。
永原 まぁ、なんとか(笑)来年は2000万いきたいですね。
川井 どういう御商売が・・・社名といったら・・屋号といったら・・・カラーは何ですかね?
永原 本当にオープンソースの開発ですね。プログラムで開発。 それだけです(笑)

<オープンソースでビジネス>
永原 もうちょっと説明するとオープンソースでも色々あって、例えばオープンソースでシステムを作っている国立情報研究所のNetCommons っていう面白いオープンソースがあります。すごく頭のいい新井教授っていう方がリーダーで、やっぱりこういうのをビジネスに使わないといけないと先の事を考えておられる方なんです。それで、このソフトが面白いなってことで我々も手をつけてみたんです。それで、ぜひ一緒にこれを使わせてくれということで、今、ひとつはこれをメインで開発を行っています。
川井 なるほど。
永原 天野さんがやっているXOOPSに近いソフトなんです。CMSと言われるやつで、HPが簡単に作れたり、サイトが簡単に作れたりするソフトなんですね。今回NetCommonsのカンファレンスで2つセッションを持たしてもらっていて、お客さんの事例をしゃべるんですけど、ひとつは、通信制の大学なんですよ。通信制の大学って孤独なイメージがあるじゃないですか。だけどそこの大学すっごく面白くて、「通信制の大学を変えたい!」「履修率が低い、卒業率が低いものを変えていきたい!」と、本当に熱い大学なんですよ。その大学が立ち上がったのが5年前です。立ち上がる当時から前の会社でシステムを担当させていただいていて一緒に仕事させてもらってたんですけど、もっとその大学を便利にできないかと思いますよね。通信制の大学なんで、学生はWebでいつでも成績が見れたほうがいい、履修登録ができたほうがいい。じゃあ、ポータルサイトと大学のシステムをつなげてしまえばいいと考えるんです。そうなると学生はそのポータルサイトで自分の成績を見たりできるじゃないですか。
川井 なるほど。
永原 また、サービスが広がっていくんですね。
川井 すばらしいですね。
永原 で、最近はOpenPNEという手嶋屋さんのSNSも使わせてもらってやっているんですね。これも、「学校でどんなことしたいですか?」ということで、せっかくの通信制、インターネットが流行ってきている時代、何か面白いことはできないか?と考えて、「じゃあ、ポータルと今のシステムつなげたらもっと面白いことができますよ。SNSは最近流行ってきてるらしいですけど導入したらいかがですか?」と提案できたんです。
川井 なるほど。
永原 オープンソースの商売では、ソースはタダです。もし永原が高いと思ったらここにあるんで勝手にダウンロードしてくださいって(笑)それじゃ商売できないので、あかんのですけど、よくそう言ってます。
川井 (笑)
永原 お客さんは、本業はソフトウェアじゃないはずなんですよ。本業じゃないのにソフトウェアの開発をしようとしても無理ですよね。やっぱり、本業を絶対すべきなんですよ。学校の教員であるなら生徒に向かって欲しいわけですよね。で、余計なシステムの時間の部分をこっち側がもっともっとはやく解消しますっていう風に仕事の分け方をしていけばいいと思います。それで、やっぱり効果を出してほしい。そんな風に仕事を分けて、学校がもっともっと盛り上がってほしい。生徒も増えてほしいし、このシステムにかけた費用なんて早く解消してほしいです。
川井 確かにそうですね。
永原 そういう風に提案も含めて、プログラム開発しながらやっていくんです。まあその中で見積もり出してお金もらってっていうのがもちろんありますが。
川井 なるほど。
永原 なのでおかげさまで結構オープンソース、いい感じですよ。
川井 すばらしいですね。
永原 営業的にもね、オープンソースってすごくいいですよ。昔は、例えばお客さん二人いらっしゃるとするじゃないですか。買うかどうかわからないんですけど提案します。提案出して見積もりを出してそれで初めて「いや実は見に来ただけです」、一方は「買うつもりでした」。二つ時間使って半分とれた。これはラッキーなほうですよね。
川井 そうですね。
永原 オープンソースはすごい楽ですよ。最初に言うんですよ。「システムのベースはありますか?なければ教えますからここにあるんで勝手に使ってください。予算がなければこれでさようなら」です(笑)。もともとお金を出さないお客様は、それで納得して僕を解放してくれる。お金を出してくれるお客様は見積りを要求してくれる。
川井 (笑)
永原 お金決めて契約で、あとはもう集中して製作(笑)どんだけ営業効率あがるんだよ、と思うくらい上がりますよ。
川井 確かに。そこは本当にうまくあの商売魂を生かされてますね(笑)
永原 がめつい傾向がありますから(笑)
川井 むやみやたらに売り込まれると抵抗感ありますけど、そういわれると「お?売り込まなくていいの?」なんてなりますね。
永原 オープンソースはみんなでがソフトウェアを作っているので、「広がる」っていうのも大事なことかなと思っていまして、我々もそれで商売をさせてもらっている以上手伝うべきところだと思うんですね。
川井 NetCommonsを選んだ理由ってあるんですか?
永原 国が作っているからです。
川井 そこですか。
永原 機能もいいんですよ。中身も素晴らしいなと思います。でも一番はやっぱり安心できるところが作っているところ。オープンソースっていろんなコミュニティが作ってますよね。ただ僕は勝手にダウンロードして使うのがあんまり好きじゃないのでたとえばXOOPSなら天野さんのところに契約しようよ、と声をかけてやってました。作っている人ととにかく契約したいんです。
川井 なるほどなるほど。
永原 NetCommonsは、NPO法人が立ち上がっていてそこに僕も入ってたりするのである意味契約なわけです。OpenPNEの手嶋屋さんともASP販売代理店ていう契約をしてたりします。そういうわけで、得体のしれないものを勝手に使うのは怖いのです。ビビりなんですよ。お客に提供しにくいし、本当に安心できるものだけを集めたい。NetCommonsはその中のひとつだったんですよ。
川井 なるほど。
永原 それにNetCommonsは営業しやすいんですね。NetCommonsのNPO法人にしても、色んな会社さんが入ってくると、みんな競合としてぶつかるのか?たとえば10社入ってきたら10社は競争になるのか? 僕は違うと思うんですね。世の中そんなに何もかも、「1社でやってます。うちはよそとは一切関わりません」みたいな会社はないと思うんですよ。
川井 ないですよね。
永原 たとえばヒアリングだけが得意な会社、プログラムが得意な会社、デザインが得意な会社、インフラが得意な会社、いろいろあるじゃないですか。みなさんが本当に得意なのはどこ?って聞いて回ります。聞けるのが僕のひとつのスキルかなと思っています。ずけずけと押しかけていって、「教えてくださいよ、どこが得意なんですか?本当にどこでも得意ってことはないですよね?」って聞けるわけですよ(笑)嫌がられたら「すいません、帰ります」って帰ったらええねんから。
川井 (笑)
永原 それで、もうそういうリストを作ったりしてます。
川井 パートナーリストがあるわけですね。
永原 はい。それをやりだすと本当にみんなの得意分野が見えてきて、誰と組めばいいのかが見えてくるんですね。うちは誰と組めばいいのか、こんな時は誰と組めばいいのか。そうするとみんなにそこで仕事が生まれてくる。そして市場が広がるんです。
川井 なるほど。
永原 これもずっと言ってるんですが、それでもし本当に仕事の取り合いになるんだったら、その程度の市場しかない仕事はやめてしまえと思います。もしくは自分たちで市場を広げればいいんですよ。
川井 はい。
永原 市場が埋まってたら作ればいいと思うんですね。せっかくこんなにいいソフトがあって、色んなところに使えるんですよ。NetCommonsは学校向けって思われてるところが多いんですけどそうではなく、僕はけっこう印刷業界向けに売ったりしてるんですね。すごく便利な機能があったりWeb入稿にもこのシステムがそのまま使えるじゃんっていうのがあったり。市場は営業次第で広がると僕は思っています。
川井 そうですね。
永原 ちなみに、僕は技術屋で営業じゃないですからね(笑)
川井 いやいや、営業ぽいですねぇ(笑)
永原 (笑)そういう風にみんなつながっていくんですね。そして、協業できるんですね。

<これからの展望>
川井 なるほど。ちょっと話は戻りますが、Javaの次にPHPを勉強された感じですか?
永原 はい。もう言語はね、僕らと同じくらいの技術やってる人はみなさんそうだと思いますけど、ある程度は見たらわかります。PHPは本も買ったことないくらいですね。Web上にマニュアルがあるし問題ないですね。こんなことができるはず、ていうのがあれば他の言語であっても一緒です。こんなこともできたんだ、って発見はありますけど。
川井 なるほど。うちは最近Railsをやってましてですね。
永原 あ、そうですよ。なんかインタビューに多いですよね。
川井 そうですね。Rubyの思想が比較的うちの会社の思想にあってるのもあって、そういった意味でかついでるところはあるんですけどね。
永原 早く国際標準をまとめてほしいですね。それで見ているだけって人もいっぱいいるだろうし、それができたらもっと大きな案件出せるじゃないですか。
川井 そうですよね。こないだRuby会議2008でやっぱり、国とか公共機関からの発注の時に国際標準がないと書けないというのがあって、それを作ってほしいという話がきているという話題は出ていましたね。
永原 そうですね。実装もいっぱいあるし期待しているんです。
川井 なるほど。
永原 ただまあ、ずぼらな技術者なんで、自分は仕様とかが整備されてからでいいやと思ってますけど(笑)
川井 なるほど(笑)
永原 いつ来んのやろとか思いながら。
川井 もう、2年くらいそんな状態になってますよね。
永原 もう確実に来るでしょう。次はRubyで行きます。
川井 そうですか。さっき言ってたTさんとかもRubyでオープンソースのSNSなんかをされていますね。NさんもけっこうRubyを使っての開発をしているとか聞いていますよ。
永原 あ、そうですか。
川井 今は直請けでお取引されてるんですか?
永原 直でできるところはやって、だめなところは一緒に仕事をしている会社を通してます。僕はドアオープナーにもなるので、会社にしても便利な存在なんです。
川井 引き合いの出方はどういう感じで来るんですか?
永原 NetCommonsのNPO法人では、各社のまとめを私が手伝わせてもらってます。ボランティアでやっているけれども、じゃあ誰がみんなとつながったの?ていうと僕がつながってることになるんですね。
川井 はい、なるほど。
永原 それで実際、案件があったら誰に相談してくるの?ていうと必然的にこっちに来ますよね。
川井 はい。
永原 だけど僕は今も案件を持っているしさばけないので、みなさんお願いしますと。
川井 ある意味HUBになっているわけですね。
永原 はい。ありがたい話ですね。
川井 いい循環ですね。そのまま会社を作ってもうまく回りそうな感じですよね。
永原 確固たるものがあればという感じですね。そのためにも僕は、市場をもっと広げないといけないかなと思っています。
川井 なるほど。今後企業という形にして、どんな会社を目指そうとされていますか?
永原 今の通りですよ。技術屋としての小さな会社ですね。20人は超えないようにしたい。超えそうならばそれは違う仕事が入っているかな、と思うんです。僕が一人で見られるのは、経験的に20人までかなと思っています。それ以上増やしたいときはおそらく違うことがしたい時なはずです。その時は、それが得意な部下を作るなりして、その人がまた違う会社を作ればいいと思っています。色々やりたいやつが僕の下にいると、きっと僕のことを「うっとうしいな」って思う事が起きると思うんです。それだったらうっとうしがられる前に、さっさと別のところでやれと。株半分よこせよという感じで会社を作ってあげればいいと思っています(笑)
川井 なるほど(笑)
永原 好きに動けるような小さい会社をいっぱい作りたいですね。できれば小さな会社のホールディングスを作ってしまいたいです。
川井 なるほど。
永原 はい。ちっちゃくていいんですよ。
川井 永原さん自身はオープンソースをテーマにしばらくやっていきたいということですね。
永原 そうですね。ひとつのことに熱中すると飽きない人間なので。24時間ビリヤードしてたりしますからね(笑)
川井 それはすごい(笑)凝り性ですね。リアルコミュニティにもけっこう顔を出されたりしますか?
永原 はい、行きますよ。こないだのLinux WorldはXOOPSブースに座ってました。XOOPSつながりの方々とは仲良くさせていただいてるので。
川井 なるほど。
永原 僕は特にソフトを持っているわけではないので、オープンソースに何が足りないんだろう?もっともっと流行ってもいいはずなのに、と思っていてるんですけど、やっぱりこういう営業が少ないのかなと思います。どうしても技術から入るじゃないですか。
川井 そうですね。
永原 やはり足りないのはそこかなと。だから足りないところからやろうと思っています。本当はプログラムを作っていたいんですけど、そうも言っていられないので、足りないことをやろうと思っています。
川井 ほー。これからもじゃあ夢がいっぱいある感じですね。
永原 はい。そうですね。けっこう楽しくなってきました。
川井 本当に生き生きされてますよね。
永原 はい。楽しいですよ。
川井 やはり個人でやっていてそういう方は多いですよね。
永原 たぶん好きなことができるからですよ。
川井 とてもうらやましい感じがします。
若手のエンジニアへのアドバイス
川井 では最後に、若手のエンジニアにメッセージをいただけますか?特に将来独立してやってみたいという方に向けてアドバイスいただけますでしょうか。やはり勇気がいることだと思うんですね。どうすれば成功するのかみたいなことを考えている方はけっこういらっしゃると思っているのですが。
永原 そうですね。言い出したらたくさんあるんでしょうけど、まず一番は「人のためになることをしろ」ということかな。お金は後で付いてくるんです。
川井 「損して得取れ」と。
永原 はい。やっぱりそこですね。まずは損得を考えなくていいから、いや考えないとまずいんですけど(笑)儲けだけを考えてどうこうじゃなくて、誰かの役に立つことを考えればいいと思います。世の中捨てたもんじゃないと。特に独立しようとするとやっぱり不安じゃないですか。世の中って怖いんじゃない?みんな僕にそっぽ向くんじゃないの?どうしよう?と思うかもしれないですけど、世の中はそんなに捨てたもんじゃないです。自分が誰かのために一生懸命何かをしようとさえすれば、必ず誰かが拾ってくれます。
川井 なるほど。あと、逆説的な質問をしてもいいですかね。
永原 はい。
川井 こんな人は独立しないで、会社で頑張ったほうがいいよというタイプはいますか?
永原 ああ、いますよいっぱい。そのほうが多いでしょうね。独立して頑張れよ、と言える人は1割2割ですよね。
川井 そうですか。したいという人はけっこう多いと思うのですが、出来るかどうか、向くかどうかというのは別の問題ですよね。こういう人はあぶない、向かないよというのはどういう人ですか?
永原 真面目な子は無理でしょう。ずっこいやつ、ずるいやつじゃないとだめです(笑)
川井 (笑)なるほど。商売できないってことですね。
永原 うん、根っから真面目は無理やと思うんですね。「学校の頃からずっと真面目でした」っていう子はしんどいから辞めとけと。かわいそうだからやめといたほうがいいと思ってしまいます。「僕はちょっとワルでした。すいません」って子には、「頑張れ、お前ならできる」と、そういうノリかなと思っています(笑)
川井 なるほどなるほど。ありがとうございます。しかしほんとに生き生きと話をされてますね。
永原 昔からこんなノリなんです。嫌なことがあったら、行きたいほうに行っちゃうので。
川井 武勇伝シリーズ的には、関西弁で初めて作るので面白いかもしれないです。
永原 昔は怒られたんですよ、東京来たときは。東京来たら直せって言われて。
川井 そうなんですか。
永原 すっごい反発しましたけどね。
川井 絶対味があると思いますね。
永原 「自分の言葉でしゃべらん営業が、なんで人の心を打てんのや」とか言って、人の会社の社長に食ってかかったりして(笑)
川井 (笑)
永原 そんなこともしたなぁ(笑)今も思い出すけど。
川井 (笑)今日は楽しいお話をして頂き、ありがとうございました。
永原 こちらこそ、ありがとうございました。

<プロフィール>
永原篤
◆1968年 大阪府大阪市生まれ。
◆おでん屋の息子として商売感覚を身につけつつ育つ。
◆工業高校卒業後、喫茶店の雇われマスターやマクドナルドのアルバイトマネージャを経てソフト開発会社へ入社。
◆ソフト開発会社で2回の転職を経験。
◆「永原ひつじ」としてフリープログラムや壁紙用写真の配布などでインターネットと深く関わる。
◆オープンソースで小さなことで良いから、世の中の誰かの役に立てるようにと事業立ち上げ。
◆NetCommons やOpenPNE を中心にサイトの構築や追加開発事業を継続中。
◆腰掛けのつもりで入ったコンピュータ業界からいまだ抜けられず。(^^)

<組織概要>
屋号 オープンソース・ワークショップ
http://opensource-workshop.jp/
代表 永原 篤
所在地 〒135-0062 東京都江東区東雲1-9-41-3301
事業内容 オープンソースを中心としたソフトウェアを使用し、お客様にシステムを提案・開発します。

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