インタビュー記事

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第23回 長友肇 氏

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今回は、白井孝史さんのご紹介で、リクルート メディアテクノロジーラボでゼネラルマネージャーを務める長友肇さんにお話をお聞きします。長友さんは、新卒でリクルートに入社後、IT系の部署、新規事業開発系の部署などを経験し、2006年から現職。長友さんのお話からは、ネットへの想いやものを作ることへの情熱のようなものがびんびん伝わってきました。インタビューは、新橋にあるメディアテクノロジーラボのオフィスで行いました。いろいろなアイデアの詰まったオフィスは見所満載です。

※取材日は、2008年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出会い>
川井 本日は、白井孝史さんのご紹介で、Webエンジニアの武勇伝のインタビューにお伺いさせていただきました。このコーナーは、若いエンジニア向けに「ロールモデル」のヒントを提供しようというコーナーで、技術的な話だけではなく、生い立ちや生き様もお聞きしたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
長友 こちらこそお願いします。何か照れくさい話ですね(笑)
川井 そうですね。普段あまりされていないお話をお聞きすることにもなるやもしれませんね。では、早速ですが、パソコンとの出会いからお聞きしたいと思います。
長友 PCとの出会いは結構早くて、小学校1年とかには触っていました。ただ、私は幼少はアメリカにいたので、一番最初に自分で持ったコンピュータは、パソコンというよりマイコンですけど、小学校2、3年に持ったATARI400でした。今、考えるとかなり進んでいたように思うんですけど、向こうの小学校教育で一応パソコンの授業っていうのがあったんです。プログラミングっていっても当時、何もないじゃないですか。その中でロゴプログラミングっていうのがあったんですよ。タートルグラフィックスといって、三角形の座標を入れると、その分動いて、軽くループプログラムを書いてあげると模様が綺麗に出来上がるっていうものをやっていたんです。なので最初に触れた言語はロゴっていう言語でしたね。
川井 なるほど。向こうにいたならではの原経験って感じですね。楽しかったんですか?
長友 そうですね、やっぱり楽しいですよね。自分のやったことで模様が変わるとかゲーム的なものが遊べるっていうのはすごいなあと思っていました。
川井 その後はどうなったんですか?
長友 その後、小学校4年のときに日本に帰ってきて、パソコンが欲しいなあと思っていたんです。最初は近所のお兄ちゃんの家にお邪魔して、PC80のMARKⅡとかMS-Xなんかを触らせてもらったりしましたけど、最初に自分のパソコンが持てたのはPC88MAだったと思います。次に中学3年のときにPC98を買ってという感じでパソコンを買うためにこっそりバイトをしまくっていましたね。
川井 それだけ欲しかったんですね。
長友 欲しかったですね。それからBASICマガジンを買って愛読していました。
川井 当時はゲーム以外にも、何かプログラムを書いていたんですか?
長友 将来はゲームクリエーターになりたい!というつもりでゲームしていたわけではなかったんですが、ゲームのプログラムばかり書いていましたね。一番モチーフとして分かりやすくて、人に触ってもらいやすいんですよね。友達が遊びにきたときに「ちょっと作ったのがあるから、やってみて」って言えるじゃないですか。これはやっぱり楽しいなあって思いましたね。
川井 当時は、同じようにパソコンにはまっている友達っていたんですか?
長友 パソコンど真ん中みたいにはまっている奴はいなくて、長友の家にいくとゲームができるらしい、という感じでした。そういノリが多かったですね。
川井 もうファミコンが出ている時代ですよね。
長友 ギリギリ出ていたと思います。ちょうど僕がパソコンを持ったのと同じくらいですよね。
川井 ファミコンが出てもそちらにのめりこんだりはしなかったんですか?
長友 作るのと遊ぶのとでは大きく違いましたね。クオリティに差があるのは百も承知で、BASICマガジンに載っているプログラムを自分で組むのが楽しかったです。
川井 小中学校時代は、パソコン以外には何かやっていたんですか?
長友 どちらかというと運動部にいてずっと水泳をやっていたんです。勉強が出来るわけでもなかったし、家遊びの1つとしてパソコンを位置づけていましたね。
川井 じゃあ、昼は部活をやって家に帰るとパソコンって感じだったんですね。
長友 そうですね。昼間だけは普通でした。家に帰ってからは普通じゃなかったですけどね(笑)
川井 そうなんですか(笑)高校に入ってからも同じような生活だったんですか?
長友 そんなに変わらなかったですね。ただ、周りの友達は、少しずつ趣味の近い人が少しずつ集まってくるようになりましたね。
川井 高校に入ると少しその辺が変わりますよね。ちなみにご出身はどちらですか?
長友 神奈川です。転勤族だったので、そんなのもあって一人遊びが好きだったのかもしれませんね。
川井 なるほど。それでアメリカにも行かれてということですね。大学はもう理系ですか?
長友 実はわたし文系なんですよ。中学校の頃は、分野は何でもいいので、プログラマになりたいって思っていたんですけど、決定的に何か欠けていたらしくてですね、どうしても数学とか物理とかがある一線から理解できなかったんです。一方もともと言語や文系の方は強かったので、それならビジネスをやろうと思って早稲田の商学部に進みました。プログラミングもいろいろやったんですけど、手慰みで動くようには書けるても、これで食っていくのはしんどいなっていうのが正直な気持ちでしたね。
川井 なるほど。そんな状況だったんですね。
長友 そのかわり大学は、当時、Web側で何かサービスをやるとかインターネットが黎明期だったんですよね。その翌年にSFCが立ち上がったんで、あっという間に話題を持っていかれちゃいましたけどね。
川井 そういう時代だったんですね。
長友 そういう状況だったので、せっかくだから何かやってみようということで、PC系サークルで簡単な学校ポータルなんかも作りましたね。学校の休講情報とかを見にいってパンチしてWebにUPしたりとか、ノート交換情報なんかを載せたりとか。まだ当時、ドメインが個人でとれるってなんなんだろうとか、Yahoo!のページなんかを見ても、これなんなんだろうって言っていましたからね。楽しい時代でした。
川井 インターネットへの取り組みはスムーズだったんですか?
長友 かなりスムーズでしたね。とはいっても92年~96年のネット黎明期にはあまり通信には触れていなかったので、それまでNIFTY-Serveとか草の根系のBBSでやっていたことが、「うわあ、こんなにリッチになったんだ」って感じで移行しました。
川井 なるほど。アルバイトなんかはしてなかったんですか?
長友 アルバイトはしていましたね。学校の近くにパソコンBTOショップができたんですよ。そこが通信販売メインで社長が一人でやっているような店だったんですけど、パーツが必要で買いにいったときにバイトを募集しているっていう話になって、入ったら、ほとんど店長同然で仕入れなんかもやらせてもらっていました。なかなか面白いバイトでしたね。社長から任せてもらっていた事も多かったので、僕が授業の時には、表に「14時~16時まで授業のため一時閉店」っていう張り紙を張って鍵をかけていて、また戻ってきて開店して、みたいなことをやっていました(笑)
川井 (笑)
長友 そんなことまでさせてくれるような店だったので、ここで商売の基本を叩き込まれたり、コアな人たちとの触れ合いがあったりしましたね。その後、お店も秋葉原に移ったんですけど、最近閉店しちゃったんですよね。結構ネットでも話題になったんで、惜しまれつつの閉店だったと思います。

舞台をリクルートへ
川井 この頃は、どんな仕事をしようかみたいなものはあったんですか?
長友 興味があったのはプログラミングよりはネットに移っていましたね。自分でコーディングすることもあったんですが、周りに自分よりもできる連中が増えてきていて、苦手な部分は補い合いながらやればいいやっていうのがありましたね。もともと僕は、企画しながら自分でそれを作るみたいな小さなサイクルをまわすところに喜びを覚える方で、「作る」という意味合いからいけば、企画するのもコーディングするのも同じ立場かな、なんてことを当時は思っていましたね。その辺が今のキャリアステップの考え方のベースとなっているのかもしれませんね。
川井 企画とか開発とかではなくて、「作るもの」ということですね。
長友 そうですね。アウトプットへの意識が強かったですね。
川井 なるほど。当時作った面白いものとかってあるんですか?
長友 ゲームは何本か作りましたね。あと、業務アプリも何本か作りましたね。プログラムの相場とかって分からないじゃないですか。ある業務システムを組んで、バイト先に持っていったら、「これいいよ」って言って、40万円くらい払ってくれたんですよ。結構びっくりしましたね。よく考えてみると業務アプリで40万円って破格なんですけど、学生からすれば、こんなのを作って40万!みたいな感じだったんですよ。
川井 それは学生にとっては驚きでしょうね。でも当時、ホームページをちょっとつくって100万とかいう話もありましたよね。
長友 そんな時代でしたね。
川井 それで、卒業してすんなりリクルートへ?
長友 結構、紆余曲折ありましたね。パソコンショップにそのままという道もありましたし、リクルートじゃなくて物を作るという発想もあったし、一応Sierなんかも結構受けてみたりもしたんですけど、結局リクルートに入社しました。Webサービスにとても興味を持っていたので、その周辺には居たいっていう気持ちはありましたね。
川井 当時のリクルートのWebサービスっていうと、ISIZEですよね?
長友 そうですね。ちょうどISIZEをはじめるようなタイミングでしたね。そういう意味で過渡期だったし、当時、生活商材に関する情報サイトって珍しかったですし。
川井 リクルートのどういうところにひかれたんですか?
長友 簡単に言っちゃうと「ノリ」なんですけどね(笑)誤解を恐れずに言うと、わがままな人が多そうで、わがままな私が力を発揮できそうな土台のあるところだったのが一番大きいですね。やっぱり創り出す側にいたいよなって思っていたのが大きな理由です。
川井 リクルートに入られて、配属は希望通りなったんですか?
長友 配属については、ネットの近くにいたいですという希望は出していて、結果的には情報システム系の部門になりました。Web系媒体の業務システムをやっていて、ちょうど当時、Digital B-ingというサービスがリクナビNEXTというサービスに変わる瞬間だったんで、そのリニューアルとかを情シス部門サイドでやっていたんです。
川井 入ってみての印象ってどうだったんですか?
長友 恥ずかしながら、社会というか会社について何も知らずに入ったので、「ここは何をするところなのだろう」みたいな状態でした。不勉強で、情シス部門が何をするところなのか、ほとんど分かってなかったんです。リクルートって自分達でSEを抱えて開発したりしないんですね。なので、本当に何をしているのかが分からなかったんですよ。
川井 なるほど。
長友 当時、周りの先輩たちは忙しかったこともあり、新人の私は開発中の業務システムのユーザー部署に行ってユーザー業務を体験する、ということになったんですね。で、「分かりました」って行ったんです。でも受け入れ側では、「なんかプログラミングのできる奴がくるらしい」みたいな話になっていてですね、間違って伝わっているんですよ。
川井 労働力と思われていたんですね(笑)
長友 そうなんですよ。そこでシステムの相談を受けたんですよ。僕は、そもそもそこに何をするために行ったのか分からないんで、そのままそのシステムの発注を受けちゃったんです(笑)
川井 それはすごいですね(笑)
長友 まあ、比較的簡単なシステムだったんで、VBで書いて納品して、所属部署に帰ってきたんです。それで先輩に「ちゃんと作って納品してきました」って報告したら当然びっくりされて、「それ、誰がメンテナンスするんだ」とかこっぴどく怒られちゃったんですよ。「メンテナンスくらい、時間みつけてやりますよー」なんて言ったらまた怒られて。それが社会人エンジニアとしての原体験ですかね(笑)
川井 でも、それ以来、仕事ではコーディングはしていないんじゃないですか?
長友 確かに趣味以外ではしていないですね。さらに驚いたことにそのシステムって、その後4年くらいそのまま使われていたんですよ。
川井 そうなんですか。
長友 それで、4年後に連絡があって、そのシステムをリニューアルするとかで、ベンダーに説明するからということで呼ばれたんです。言われるままに作ったプログラムだったので、勿論設計書も何もなくて、いざソースを見てみると、いっぱい怪しいところに注釈文で「ここはアヤしい」とかあって、動いてなさそうな部分があったり、ベンダーの方と一緒に「これは再構築した方が早いかも…」って話になりました。まあ、新人の勘違いから産まれたシステムが4年も使われれば十分がんばったな、と思いますけどね(笑)
川井 しかし、むちゃくちゃ面白いですね(笑)

インターネットへの想い
川井 リクルートのネットへの取り組みって、結構試行錯誤の連続もあって、ちょっと遅れ気味だったという印象があるんですけど、そのあたりに対して、ネットに早いうちから関わっていた長友さんは、どういう気持ちで見ていたんですか?
長友 実はその時期くらいに、異動願いを出してリクナビというサービスの企画担当になったんです。エンジニアの仕事から企画・編集というところに身を投じたんですけど、このときの想いっていうのがあって。もともと、事業のゴールは一つなので、システム側だろうが企画側だろうが何か目的を達成するために自分ができること、やりたいことがあるんだったら、立場はどっちでもいいんじゃないかなって思っていたんです。当時の企画部門メンバーはネットやITリテラシーが低いままいろんなことを進めていたんです。反対にITサイドって、ビジネスセンスとかビジネススキルっていうのがあまりなくて。でも、ゴールは同じわけだし、お互いがもっとお互いの業務のベーススキルを身につけられれば、もっとこの会社は良くなる、と思って異動したんです。なので、企画の中では自分でコーディングもできるし少しエンジニア色のある特異な存在と見られたりもしましたね。でもお客様向けの商品セミナーで喋ることもしましたし、4年間、頑張りましたね。
川井 なるほど。IT2年、企画4年になったわけですね。
長友 そのときに思ったんですけど、企画の人がプログラミングとかITリテラシーを高めていくのと、ITリテラシーのある人がビジネスセンス身につけていくのとどちらが早いのかっていうと、理系の人が企画とかをやる方が早いんじゃないかなって思ったんです。
川井 そういう話はありますよね。
長友 それを試してみたいっていうのが組織に対する思いでもあったし、自分に対する気持ちでもありましたね。

リクルートでのキャリアアップ
川井 その後は、どんな仕事をされたんですか?
長友 そのあと、HR系の新規事業の立上げをやりました。8月くらいに持ち上がった話で、何かトライアルをして検証するって話になっていたんですが、翌年の3月までにやらないといけないということで、すごく慌ててプランニングしましたね。うまくまわれば50ン億規模ですねという画を書いて、そこにITを絡めたモデルにし上げて、2月にFS(フィジビリティスタディ)をやって、3月に成果をという感じでしたね。
川井 これ、あの某プロジェクトですか?
長友 よくご存知ですね
川井 私、これ、リクルートスタッフィングにいたときに関わっていまして、結構大変でした(笑)
長友 失礼いたしました。その節はご迷惑をおかけしました(笑)
川井 このプロジェクトに関わっていたのは頭の方だけですよね?
長友 まあ、実質1年はやりましたので、5年目はほとんどこの仕事に関わっていましたね。それまではITサイドからこの会社のネットっていうものを変えてみようと思ったけど、なかなか難しく。逆に今度は、商売のど真ん中に飛び込んで、この会社のネットビジネスを変えていくかに取り組んだけど、それもなかなか難しくて。で、もう一度、ITサイドに身を置いて、ネットらしいビジネスということを主語に置いたビジネスをやっていきたいと思って、役員やいろんなところに「IT提案推進型の組織」を作りませんかっていうメールとかを出したんです。プロトタイプなんかをじゃんじゃん作りながら立証して、ビジネスに繋げていく、3歩先なんていわないから、せめて足元か1歩先みたいなことをやりませんかって。
川井 なるほど。
長友 それで、当時、そのアイデアを拾ってくれたのが、現在私がいる部署の役員だったんです。発足当時は委員会活動でしかなくて、各事業部に対して提案しにいく活動をしていました。まあ、せっかくやるんで、面白くやろうって話になりまして。「提案したものが、その組織にとってどれだけの価値を持つのかをちゃんと意識すべき」って思って、予測成果を金銭換算して、例えば、自分のやったことはこういう価値があって、5,000万であるっていう計算をすることをルール化したんです。それを持って事業部長のところにいって印鑑を貰ってくるって流れにして、みんなで目標を持って、社内で営業みたいなことをしていました。
川井 面白いですね。
長友 この活動を通じて、少しずつITサイドとか、エンジニア的志向性の人たちが、本当に必要だと思うことをアウトプットとして出して、その効果を実感するというスキームを作りにいきたかったんです。
川井 私も在籍中、特に事業企画の初期の頃などは、多々あったことなのですが、リクルートグループってよくFS(フィジビリティスタディ)って言葉でやってみて検証をする文化がありますが、結果の何をどう検証するのか具体的じゃないことってありますよね。
長友 そうですね。KPIが明確じゃないとかいうのはありますね。KPIが企画サイドとITサイドでずれているのもよくあることですし。リクルートだけじゃなくて、企画とITの乖離とかがある中で、ITサイドから是非提案が欲しいと言われるケースってすごく多いと思うんです。けど、それを実現するのはすごく難しいことだと思うんですよね。文化もキャリア感も価値観も評価軸も違うし、コストセンターなのかプロフィットセンターなのかっていうだけでも違ったりしますからね。僕の当初の思いとしては、すべからくこの会社のIT部門に携わる人っていうのは、最低限、担当事業のP/Lは読めて、今、コストがどれくらいかかっていて収益がどれくらい上がっていて、カスタマーやクライアントがどれくらいいるか程度は知っているべきだと思うんですよ。反対に企画の人間は、システムにおいて、バッチってなんだとかクーロンってなんだとかそれくらいは知っておいて欲しいということも言えますね。
川井 なるほど。これって、リクルートにいる上流を担当しているエンジニアについては、必要不可欠な要素だと思うんですが、一般のIT系企業で、コーディングが好きでがりがり組んでいるプログラマなんかにしてもあてはまるという風にお考えですか?
長友 勿論、向き不向きというのもあるし、どこまでが業務かが一番大きいですけどね。僕は、コーディングが好きで、ずっとそれをやりたいというような人が悪いと言っているわけではないんです。ただ、今は企画の人が何かを思いついても、形にするには誰かの手を借りないとできないと思うんですけど、プログラマはそれができるんですよね。Webサービスで言えば、昔と違って集客なんかはGoogle頼りでいいわけだし、やろうと思えば業務システムだって自分で作れちゃうわけですよ。実際に自分が使う用に便利なツールを作ってみましたなんて人はいっぱいいるし、それがフリーウェア、シェアウェアであがっていることもいっぱいあるし、そういう時代だと思うんです。
川井 なるほど。おっしゃる通りですね。
長友 だから、ちょっと勿体ないな、というのもあって。そこに関して、自分で壁を作っているような人も多いんじゃないかと思うんです。プログラマだからとか、プログラマだけのキャリアの登り方しか見ていない人って多いなって思いますね。自分の持っている力を認識できる人は、自分で企画することをやっていっても面白いんじゃないかなって思います。
川井 たぶん、さきほどのお話ってエンジニアである前にビジネスマンだよねって話だと思うんでうけど、エンジニア専任の人もいて、そういう人たちのバランスって難しいなって思いますね。
長友 難しいですね。でも本質は変わらないって思うのは、職種名ではなくて、その人それぞれが何を得意とする何屋さんですか?っていうことかな、と。それを突き詰めると結果的にこういう職種ですよねって順番だと思うんですよね。自分が何屋かってことを意識するのって、大事なことだと思うんですよ。それはたとえば同じプログラマの仕事の中でも、自分はいかに早く動くものを作る人として存在しているんだとか、いかに正確でロスタイムの少ないものをやるのが僕の役割なんだとか、そういうのが重要だと思います。これが語り合うことができると、その中に自分で作りたい人なのかとか進路が少し見えるかなって思いますね。
川井 なるほど、分りやすいですね。

メディアテクノロジーラボについて
川井 このあとにリクルートのメデジアテクノロジーラボという流れになるのですか?
長友 実はメディアテクノロジーラボは、さきほどの社内で提案する組織と、たたみラボという組織を合併させて誕生させました。残りの私のキャリアの2年はこのメディアテクノロジーラボということになります。
川井 なるほど。
長友 テーマはあんまり変わらないのですが、社内に関しては新しい技術起点でのビジネスシーズとかを発掘すること。もう1つ意識しているのは、リクルートっていう会社の持っているアセットって特殊で、外とのコラボレーションとか世の中と一緒に何かをやっていくというのをしやすいんじゃないかって思うんです。今やメディアづくりっていうのもCGM含めてどんどん広がっていくわけですから、外との連携をやっていきたいとも思っています。
川井 オープンソース開発的な発想の仕方ですよね。
長友 そうですね。この規模でデータのAPI化をやったのは、アマゾンみたいな海外のコンテンツホルダーを除く純国産の企業としてはリクルートはかなり早かったんじゃないかと思います。リクルートのAPIって2年前くらいに公開したんですけど、世の中に出ているAPIってツール系とか地図とかが多い中で、純粋なデータセットとして、飲食店情報とかアルバイト情報みたいなものを提供しますっていうのは大きな変化になったんじゃないかなって思いますね。
川井 なるほど、インパクトがあったということですね。
長友 社内から見るとアセットなので、「なんでそれをむざむざ外に出すんだっけ?」って話になりますけど、オープンソース的な発想からいけば、それって一番考えてはいけないことなんですよね。
川井 この2年間ってどういうものを積み上げてきたんですか?
長友 一番分かりやすかったのは、Mash up Award(マッシュアップアワード)っていうのをサン・マイクロシステムズと一緒にやって、1回目は、サン・マイクロシステムズ社とリクルートの2社だけでやったんですけど、1度そういうのをやると、やりたい会社が手を挙げてきて、第3回には27社が参加したイベントになりました。そういう流れの中で成長していった分りやすい事例かなと思います。
川井 それはすごいですね。
長友 外部に対しては一緒にうまくやっていきませんかっていうスタンスで、イベントに出たりとか、イベントを開催したりとか、デべローッパーズコミュニティも作ってみたりだとか、色々やってみましたね。
川井 WEB2.0EXPOに出展しているのを見たときにはびっくりしましたね。
長友 見られてしまったのは恥ずかしいですね。あれは何を出すか迷いましたね。某ネットメディアにリクルートのWEB2.0はちょっと変?と書かれてですね、嬉しかったですね(笑)
川井 (笑)
長友 リクルートのような1.0の象徴のような企業というところが、そういうものに取り組んでいるということをいかにインパクトをもって伝えるかが重要だったので。
川井 確か、小便しながら検索するみたいなのもありましたよね。
長友 ありました。あのあと社内のエライ人たち相手に発表報告したら、ものすごく怪訝な顔をされました(笑)
川井 (笑)
長友 でも、そういうものをしれっと報告できちゃうのが、この会社のノリのいいところだと思いますね。
川井 他にイベントととかって出てたりもするんですか?
長友 結構細かく出ていて、海外の講演なんかもちょくちょくいったりもしていますね。
 メディアテクノロジーラボの活動って、外からみるとわりと分かりづらくて、サービスなんかもいろいろ作って出しているんです。「演劇ライフ」みたいな演劇CGMを作っちゃったりしていますし。http://engekilife.com/
これもリクルートとCGMというものの付き合い方のトライアルだったりするんです。リクルートが思いつかなかったものがユーザーサイドから出てくるはずで、そのためのフレームワークを作れないかなって思っています。枠さえ作れば、お題はみんなが設定できるんじゃないかって思うんですよ。1つ1つの外との繋がり方のトライアルの中で、やがてそういうのを融合させていきたいなって思っていますね。思いだけで言うとちゃんと経済に乗っけたいなって思っています。
川井 なるほど。ユーザーと一緒に何かを作って、経済的効果も得られるということですね。
長友 その中でリクルートっていう会社がラボでやっているっていう意味合いが出てくるかなって思います。そこが1つのゴールですね。
川井 ちょっと話が戻ってしまいますが、リクルートの看板でWebサービスを出すときって、どうしてもリーガル的な側面が規制になることがあって、それが世の中のスピード感とずれているという結果になることが多いというお話を白井孝史さんからもお聞きしたんですが、そのあたりの課題にどう対処していくかという方針みたいなものってお考えなんでしょうか。
長友 冷静に見たときに、うちだけでなくて、いろんな企業がそのポリシーと照らし合わせたときに、許容できるリスクの範囲っていうのがあって、その裾野の話をしているんだろうなと思います。この裾野で各ポリシーが何とぶつかっているかというと、文化とぶつかっているんだと思うんです。「ネットなので」とか「Googleがあるから」というようなものとのせめぎあいだろうなと思います。こうなると実態リスクをいかに回避するか検討するリスクマネジメントを行うか、問題が起きたときに対処する方法を検討するクライシスマネジメントを行うかっていう2択だろうなって思っています。リクルートだけじゃなくて、ネットでビジネスをしたいっていう企業は遅かれ早かれ、これにぶつかるだろうなと思うんです。
川井 確かにそうでしょうね。
長友 光があるとすれば、CGMにしても生態系としてうまくまわれば、荒れないようにユーザーが抑えるとかが可能だとは思うんです。でもその時に、こちらが何を提供し、何を我慢するのかという関係性の問題だと思うんですよね。
川井 なるほど。
長友 自分たちだけでどうにかせずに、うまく周囲と実態リスクを減らす方向で関係性を築けるんであれば、いろいろな企業がもっと自由に動けると思うし、それを恐れちゃいけないんだろうなって思いますね。
ネット社会におけるリーガルと文化とのせめぎあいの中で、文化がそう変わってくることもあるし、企業が変わってくるっていうのと両方ありますが、そのためには何かやらないといけないってことですね。
川井 モバイルの世界でも、SNS的なコンテンツを一切見れないみたいな状況になりつつあって、広告モデルが成立しない危惧もありますからね。
長友 これは私見ですが、リスクマネジメントからクライシスマネジメントに変えていかないと、もう何も身動きができないだろうなって思いますね。そうしていくべくだという風に認識していますね。

今後の方向性と若い方へのメッセージ
川井 今後の方向性ですとか、どう生きていくみたいなのってありますか?
長友 リクルートじゃなきゃできないことと、会社ではできないけど、個人ならばできることとかをいろいろやってみたいなと思っていますね。その根っこになるのは、ネットだったりとかWebサービスだったりします。すごく器用貧乏なんですけど、コーディングもそこそこ、デザインもそこそこできたりするんですね。「そこそこ」で良いなら、自分で作れる。これはやっぱり醍醐味だよなって思いますね。小さく素早く初めて大きく育てるサービスなんかを作っていけるといろいろ楽しいなって思います。まあ、企業では企業戦略を書いたり、お金の計算をしたりということもできるし、それはそれでやりがいもあるなと思います。あまり立場にとらわれることなくできるといいですね。
川井 なるほど。では、今は2つの立場で、違う視点で面白いことができているということですね。
長友 そうですね。でも自分でやっている方はぶっちゃけ、お金にはなっていないですけどね(笑)
川井 でも、企業とは違う部分で楽しさも学べることもありますよね。
長友 そうですね。
川井 今のこの方向性はしばらく続けていこうという感じですか?
長友 働くということで言えば、会社にいても個人でやっていても同じことしか言っていないつもりなんです。まあ、それをお金にしたときにどれくらいの価値があるんだというと、それはそれで別の問題だったりもするんですけどね。これだけいろいろフリーな素材やライブラリとかも出ているので、コーディングできる人が企画やる方が、企画できる人がコーディングを覚えるよりは楽なんじゃないかなって相変わらず思ってしまいますね。そこそこまででいいんだったらですけどね(笑)
川井 おっしゃる通りですね。やはり、最終的には自分でやりたいというのはあるんですか?
長友 そうですね。独立して自分でサービスをまわしていきたいですね。ただ、会社経営をしたいというんじゃなく、今、僕はそうやって企画屋としてのゴールみたいなものを求めているのと、あとは影響力をどれだけ行使できるか、それ次第だと思いますね。独立して自分で会社をやっても、リクルートみたいな会社にしれっと行って、面白い提案ができるようなキャリアを積んでいきたいですね。そのためには、技術のことを知っていなきゃいけないし、エンジニアとうまく付き合っていかないといけないし、それまでにやってきた自分の知識なんかも生きるだろうし。
川井 なるほど、よく分かりました。最後になりますが、若いエンジニアにアドバイスをいただけないでしょうか。
長友 さっき言った「何屋ですか?」ってことを突き詰めるということかな、と思います。自分の持っている価値をシャープにするということなのかもしれませんが。あと、その先になるメッセージとしては、「みんな、なんでもできるんだぞ」ということを言いたいですね。できなくしちゃっているのは職種観とか職業観とかキャリア観とか名目のことだけかな、と思います。「いいじゃん作っちゃえば」とか、「今そのままじゃできないけど、ちょっと足すだけでできる!」というように広げていくといろんなことができると思うんです。そういうポテンシャルを持っているのがエンジニアじゃないかなって思います。
川井 なるほど。一番、難しいコアの部分をクリアしていますからね。他のことはやればやった分だけできるというのは分かりやすいメッセージですね。
長友 ITサイドに携わっている人は、そのリテラシーを埋める難しさを既にクリアしていますからね。リクルート風に言うと、それが明日につながるから、とにかくアウトプットを出せという話なんですけどね。
川井 そうですよね(笑) それがリクルートらしいと思います。
長友 最近難しいのは、FlasherというかActionScript系の人は、デザインなのかプログラマなのかというのは難しいところだと思うんですよ。もっと多様化するだろうし、そういう志向の人も増えていくでしょうから、会社の仕組みというか枠組みに対してストレスを感じる人が増えていくだろうなと思いますね。その出口が独立起業しかありませんとかベンチャーに飛び込むしかありませんっていうんならちょっと残念という感じがします。もっともっと多様化できるはずだから、個人が変わると同時に企業も変わるべきかな、と思います。
川井 なるほど、よく分かりました。そんなこんなで1時間たっぷりお話させていただきましてありがとうございました。
長友 こちらこそありがとうございました。

<メディアテクノロジーラボについて>

私たちMTL(Media Technology Labs)は、明日のメディア・コミュニケーションを創造する実証研究機関です。
現在、インターネットの進化とBlog・SNSなど普及により、さまざまな情報が日々発信され、流通しています。しかしその情報流通はひとりひとりの生活者にとって、必ずしも適正で使いやすいものになっているとは限りません。
私たちは、このような情報が自律的に進化していくことによって、生活者にとって適切で利便性の高い情報流通が行われる豊かな情報社会を希望します。そのため、私たちMTLは、リクルートが培ったメディアの知見と、テクノロジーの観点から、新たなメディアやコミュニケーションのありかたを研究開発することを通じて、サプライサイド・コンシューマ、あるいはデベロッパー、クリエイターなど、すべての関係者と共に、そのような豊かな情報社会へ進化していくことを目指したいと考えます。
母体となったのは、リクルートでビジネスとITのコラボレーションを手掛けてきた「BIコラボレーション委員会」、リクルートメディアコミュニケーションズのR&Dユニットとして活動してきた「たたみラボ」という二つの組織。双方が研究し蓄えてきた知見と成果を共存・共進させながら、4つのテーマを中心に研究をすすめていきます。

1.リサーチ活動:
ネットメディアにおける動向や、ITの最前線を調査
2.プロトタイプ開発活動:
ツールやサービスのプロトタイプを開発し、実証実験を通じて新たなメディアやコミュニケーションの形を創造する
3.コラボレーション活動:
各種イベント・共同研究などを外部研究機関や大学・企業と共同実施
4.事業サービス改善活動:

上記の3つの活動をビジネスとしてリクルートの事業にフィードバックし、よりよい情報発信へつなげていく
これらの活動を通じて、生活者にとって適切で利便性の高い情報流通が行われる豊かな情報社会の実現に向けて、ITによる支援や新しいメディアの形を創造していきます。

住  所 〒105‐0021 東京都港区東新橋1-2-5リクルート東新橋ビル2F
アクセス JR・銀座線 新橋駅(汐留口) 徒歩 3分
  都営浅草線 新橋駅 都営大江戸線 汐留駅(2番出口) 徒歩1分

メディアテクノロジーラボ http://mtl.recruit.co.jp/
参考:たたみラボ http://www.tatamilab.jp/

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