インタビュー記事

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第40回 大塚剛史 氏

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今回は、ソーシャルアプリとして大ヒットを飛ばしている「怪盗ロワイヤル」を企画開発された株式会社ディー・エヌ・エーの大塚剛司さんにお話を伺いました。大塚さんは、入社時は企画職で開発経験はなかったにも関わらず、「怪盗ロワイヤル」をたったの3ヶ月半でリリースし、大ヒットさせました。本編ではそんな大塚さんの「ものづくり」の原点と「コーディング」に対する見方などをじっくりお聞きしました。

※取材日は、2010年4月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<コンピュータとの出会い>
川井:よろしくお願いします。
大塚:こちらこそ、よろしくお願いします。
川井:いきなりなんですが、今、お幾つでしょうか?
大塚:今、30歳です。
川井:若いですね! すると、子供のころにはもうコンピュータはある程度普及していた感じでしょうか? 最初に触れたコンピュータって何だったか覚えていますでしょうか?
大塚:最初にコンピュータに触れたのは、小学校2、3年生頃だったと思います。ファミコンが最初ですね。
川井:なるほど、ファミコンでは何に夢中になったんですか?
大塚:実は、ファミコンにはあまり夢中にならなくて、スーパーマリオとかファミスタくらいですかね。実は家でゲームとかやらなくて、どちらかというと普通に外で野球とかばっかりやっている子供だったんです。
川井:すると機械とかコンピュータっていうのは、あまり意識したことはなかったんですか?
大塚:そうですね。あまり意識したことがなくて、普通の男の子っていう感じで、車とかカメラとかが好きとか、その程度でしたね。強いて言えば、物を作るのが好きだったので、ブロックで何かを組み立てていくとかには興味がありましたね。
川井:LEGOとかですか?
大塚:LEGOじゃないんです。あれって完成形が決まってるじゃないですか。そういうものではなくて自由に作れるものにはまったり、あとはミニ四駆を改造したりもしてました。改造し過ぎて、違反チェックに引っかかってレースに出られなくなったりもしました(笑)
川井:そんなことが(笑)
大塚:あとは、家の設計図を書いたりするのが好きでした。なので振り返ると、根底では物作りが好きな人間だったのかなって思います。
川井:そうだったんですね。

<ものづくりの原点>
川井:学校は普通の学校ですか?
大塚:そうですね。小中が公立の学校で、高校と大学は国立の学校ですね。
川井:差し支えなければご出身の学校は?
大塚:高校は、金沢出身で金沢大学教育学部付属高校っていう高校で、大学は東京大学の工学部です。
川井:なるほど。大学で理系に行こうとしたきっかけは何だったんですか?
大塚:高校生の時に物理学者に憧れがあって、最初は科学者になりたかったんです。物理って物の本質は何だって突き詰めていく学問なので、それには価値があるっていう思いがあって、大学も物理をやろうと思って、理系の大学に入ったんですけど、いかんせん、18歳の多感な頃に、金沢から東京へ来たので、東京へ来た瞬間にすぐその志を忘れてしまったんです(笑)
川井:(笑)
大塚:気が付いたら、もう、ひたすら遊びだすという感じになっていました(笑)
川井:よくあるパターンですね(笑)
大塚:はい(笑) それで、結局、物理学科に入らずに、土木工学科に入りました。土木っていうのは要は世の中のインフラである橋を作ったり、ダムを作ったり、都市計画をしたり。そういうところです。
川井:リアルなもの作りという感じですね。
大塚:物理ともの作りって違いますよね。僕がやりたかったのは純粋物理学で、物理工学というのは物理の技術を応用して物に落とし込むっていう世界で、僕が一番興味を持ったのは純粋物理学なんですよね。勿論実験もしますけど、基本は紙の上で進んでいくようなものです。何かを作るというより何かを解明していくってことが、最初の学問への興味でしたね。
川井:とすると数学にも興味があるんじゃないですか?
大塚:はい、数学は今でも好きですね。
川井:理系の思考ですよね?
大塚:まったくその通りですね。歴史とか社会みたいな科目は全然頭に入ってこなくて苦手でした。
川井:私も数学が好きで、「大学への数学」とか一生懸命やってましたね。
大塚:私もやってましたよ。数学オリンピックとかも出ましたけど、国内予選でコテンパンにやられてしまいました(笑)
川井:なるほど。反対に遊びって何が好きでした?
大塚:いろいろやりましたけど、一番ちゃんとやったのはスキーですね。大学に入ってから本格的に始めていたんですけど、僕がやっていたのはタイムを争うようなレースみたいなのではなくて、いわゆる基礎スキーで、いかにきれいに滑るかとか技術的な部分でした。多い時は、年間で70~80日くらい山にこもっていました。
川井:それじゃあ、学校にいけないですね。
大塚:はい、当然、テストもおぼつかない位で、卒業もぎりぎりでしたね。
川井:4年で卒業出来たんですか?
大塚:一応(笑)そのあと大学院に入りました。
川井:そうはいっても大学院までいくとなると、それなりに勉強は必要ではないんですか?
大塚:それに関しては帳尻を合わせたという感じであまり語るものがないんですが、その中でも、   やっぱり何かを設計するとか模型を作るとかっていう授業は好きで、かなりはまってましたね。
川井:分かりやすいですね。
大塚:他の構造力学とか材料力学とかには興味がなくて、ほとんど授業にも出ていませんでした。本当に好きなことしかやってこなかったですね。
川井:大学院に行ったのは、好きなことができるからだったんですか? それとも就職したくなかったとかいうことだったんですか?
大塚:ちょっと反省点なんですけど、周りに流されちゃったところはありますね。理系の仲間は9割以上、当たり前のように大学院に行っていたし、僕も理系の大学に入るということを考えてから、もともと4年で卒業するイメージがなくて、ダラダラと大学院にまで行ってしまって、結局似たような生活を繰り返してしまいましたね。
川井:なるほど。大学院も東京大学ですか? 
大塚:はい。
川井:さすがに大学院では研究しないとまずいんじゃないんですか?
大塚:そこもあんまりちゃんとしていなかったですね(笑)
川井:そうなんですね。じゃあ、本当に遊びが中心の学生生活だったんですね。
大塚:なんら専門性をつけずに来てしまいました。
川井:そうした大学生活で学んだことで、今、役に立っていることってありますか?
大塚:高校生の時までは、物の本質を分からないままでいるのが意味が分からなくて、そこを追究していくこと以上に価値があるものって世の中にないんじゃないかって思っていたんです。それが社会とか見えてくるようになって、どうやったら人を楽しませられるかとか、ハッピーになるかとか、どうやったら世の中全体が面白くなるかとかって考えていくと、実業家と言われる人たちの影響力とか、過去の歴史上成し遂げてきたこととか、この時代に実業家の持つインパクトとかがいろいろ見えてきて、僕も実業家になりたいという憧れがいろんな経験を通じて芽生えてきたのが学生時代ですね。
川井:そうすると学生時代の経験を通じて、起業への興味が強くなってきたってことですね。それって、いい遊び方をしたと思いますよ(笑)
大塚:そうですかね。ただ遊んでいただけなんですけどね(笑)

<進路の決め方>
川井:大学院を卒業されて、次の道の決め方ってどうされたんですか? お聞きしているとあまり研究者になるっていう選択肢はなかったように思いますが、どういう風に進路を決めたんでしょうか?
大塚:普通、起業っていうと、いきなり起業するか、どこかの会社で学んでから起業するかって考えると思うんですけど、僕の場合は、実業家って起業家じゃなくてもいいわけなので、100%起業って決めてはいなかったんです。とにかく企業の経営とか、サービスを作っていくっていうところに早く携わりたいっていうのがあったので、就職活動をしていたときは、コンサルティングファームなどを回っていて、そこで南場のことを知ったんです。コンサルティングファームも面白そうな環境で魅力的だったんですけど、あんまり自分がそこで頑張っているイメージがどうしても湧かなくて、突き詰めて考えてみると、やっぱり自分で何かを作るとか、自分が作ったものに対して100%責任を負う立場っていうところの方が自分は同じように徹夜するにしてもいいんじゃないかなってことが分かったんです。自分が頑張ったことが120%跳ね返ってくる実業の方に最初から入ろうって思ったときに南場の名前だけは知っていたので、DeNAってどんな会社だろうって思ってみていたんですけど、会社説明会や面接の場でいろんな人と話すうちにこの会社で働くイメージが湧いたので、ここで頑張ってみようと思って決めました。
川井:なるほど。コンサルへの興味から南場さん、南場さんからDeNAってことなんですね。
大塚:そうですね。それがなかったら、DeNAには来てなかったと思いますね。
川井:入社は何年になるんですか?
大塚:2005年です。 
川井:会社としてはどういう時期だったんですか?
大塚:モバオクが伸びていくっていうタイミングでした。就職活動していたのはさらにその前の2004年ですから、まだビッターズという時代で、正直、この会社がどうなっていくかまだ分からなかったですね。
川井:eビジネスとかインターネットがどうなっていくっていうことは予測していたんですか?
大塚:特にはなかったんですけど、ただ雰囲気としては、いろんな世の中の仕組みとかサービスなんかがインターネットの方に寄ってくるというのは明らかだろうと思ってはいました。そのスピード感とかプレーヤーがどう入ってくるのかは正直よく分からなかったんですけど、世の中、新しいものがボンボン出てくるのは明らかだということがあったのと、やっぱりそういう環境だからこそ面白い人とかすごい優秀な人とかどんどん集まって来ていて、スピード感とか切磋琢磨してやっていける雰囲気を魅力的に感じていました。なので、そういう環境に飛び込んでみるのもいいんじゃないかなというのがDeNAに就職を決めた1つの理由ですね。
川井:ネット業界の中にいると当たり前のことが、業界の外に行くとほとんどの人に認知されていないっていう格差ってありますけど、そのあたり家族の反応とかはいかがだったんでしょうか?
大塚:確かに家族とか親戚とかに自分の仕事とかビジネスモデルって説明できませんね。フランクに話しているだけじゃ分かってもらえないので、紙にきちんと書いたりしないと分からないですよね。たまに日経新聞に自分の会社の記事が載ったり、テレビで放送されたりするとちゃんとした会社なんだなっていうのがやっと認知される感じですね(笑)
川井:今でもそういう傾向があったと思いますけど、当時はもっとですよね。
大塚:そうですね。当時はインターネットっていう言葉自体は分かっていて、サービスとしてYahoo!とか楽天なんかはみんな知っている感じだったんですけど。DeNAってことでいうと、決めた当時は、「どうしてそこにいくんだ?」って周囲から例外なく言われましたね。親からだけはそういうことは言わずに「自分の信じる道なら行けばいいじゃないか」と言われました。
川井:なるほど。いい親御さんですね。実際に入社されてみて、外から見ていたイメージと中に入ってのギャップとかってありましたでしょうか?
大塚:そうですね。エンジニアの活躍ぶりが一番インパクトとして大きかったですね。もともとコンサルに興味を持ってたっていうのがあるので、新しい事業を作るって考えた時に、企画をする人とか、ビジネスモデルを作る人、フレームワークを作る人みたいな画を描く人の影響力が強くて、そういう人たちを中心に回っていると思ってたんですが、実際にふたを開けて見て中に飛び込んでみると、現場でモノ作りをしている人が中心になって、どうやったらいいものが作れるんだろうかとか、こういうものを作るためには、どういうビジネスフレームワークで行くべきなのかと、どうやって対外交渉していくべきなのかということを進めていたんです。エンジニアやエンジニア出身の人たちが中心となってモバオクとモバゲーをすごい勢いで作っていっているのを目の当たりにして、これは自分が考えていたエンジニア像とは違うなっていうのがありましたね。僕も入社した当時は企画職だったんですけど、そういうエンジニアたちの働き方を見ていて、どうなるかは分からないけどエンジニアをやるしかないなって思いました。
川井:入ってどのくらいのタイミングですか?
大塚:秋でしたから、入社して半年ちょっとですかね。
川井:世の中的には、それなりに技術力のあるエンジニアでもなかなかビジネスモデルにまで頭がいかないのが一般的だと思うんですけど、ネット業界というくくりだったからこそ、エンジニアも優秀な方が集まっていたんじゃないかと感じますけど、いかがでしょうか?
大塚:そうですね。そういった意味ではいろいろな意味で型破りな人が結構いましたね。「エンジニア35歳定年説」なんて関係ないって言って40歳過ぎても技術でどんどん突っ走ってる人がいたり、反対にエンジニアっていう枠組みを完全に取っ払ってしまって、ビジネス面まで見ていく方で突き抜ける人もいれば、とにかくサービスを作ることに関してはすばらしくユーザーの気持ちが分かるエンジニアなんかもいました。
川井:現在は役員になってらっしゃる川崎さんとか守安さんが第一線で活躍されていた時期ですよね?
大塚:まさにそうですね。彼らの活躍をみていて、こりゃ凄いなと驚きましたね。
川井:コンサルへの興味から入って企画をやりたいというところと、子供の頃からのモノづくりが好きっていう二つの線がここで結びついた感がありますよね。
大塚:そうですね。根底にはモノ作りが好きだってことがありますね。特に最近感じるのは、そういう現場に携わって、自ら手を動かしたり、頭を使っているときが一番楽しいですね。

<エンジニアの世界へ>
川井:大学時代ってプログラミングはしていなかったんですよね?
大塚:はい、ゼロです。
川井:企画書からモノを作るぞっていうフェーズで、コーディングする必要性も出てきますよね?
大塚:もちろんありますね。
川井:簡単に出来ちゃったんですか?
大塚:最初は出来ないので、頑張るしかないって僕も周りに言っているんですけど(笑)、僕の経験からすると3か月気合い入れて頑張れば出来るし、もしそこで出来なかったら、多分止めた方がいいんじゃないかって気がするんですよ。
川井:お、きましたね!

大塚:もともと僕も国語とか社会とかは出来ない人間なんですけど、いわゆる理科とか数学とかは得意な人間で、理系的な志向がベースにある人間がそれなりに頑張れば多分普通に出来るはずで、
そこが得意じゃないのに3年も5年頑張るっていうのは向き不向きがあるとは思うので、あまりすすめないですね。僕が営業を3年も5年も頑張ってもトップ営業マンになれるかっていうとそうではないと思いますからね。向いている人であれば、3ヶ月、がっと頑張れば、それなりに出来ると思います。
川井:今のくだりは、記事にしたら「はてぶ」で結構引用されそうな感じですね(笑)
大塚:(笑)
川井:大塚さんが最初に覚えたことはどんなことだったですか?
大塚:秋に南場にも「エンジニアになりたい」とは伝えていたんですが、すぐにエンジニアに転身というわけじゃなくて、希望を叶えてもらえたのは半年後の5月からでした。ちょうどゴールデンウィークがあったので、「プログラミング言語って何?」ってことすら分かっていなくて、とりあえずC言語を連休中にやってみたんです。
川井:C言語から入ったんですね。
大塚:何から入ればいいのかよく話からなったんで、C言語って聞いたことあるし、「うちでも使ってるみたいだからC言語かな」という感じで選びました。
川井:(笑)
大塚:その後、Perlを並行的にやって、携帯コンテンツ上にある本当に簡単なゲームを1週間くらいで作ってみたりしました。今やれば2~3時間で出来るようなものを当時はよく分からないなと苦労してやってましたね。そういうものを作りながら、ウェブサイトってこんな感じなのかとか、データベースやWebサーバーの勉強をしたりしていました。
川井:なるほど。
大塚:次に作ったのが、社内の案件管理ツールで、スクラッチで1カ月くらいで仕様決めから設計、開発しました。そのあと、モバオクっていう大きなサービスにいよいよ入ることになって、そこからまた修行の日々が続くって感じでしたね。
川井:覚えるときに大変な部分とか苦労したことってなかったですか?
大塚:あまりないですね。
川井:すべて独学ですか?
大塚:はい。今は幸いなことにちゃんとした研修プログラムとかがあるんですけど、当時は人も少なかったっていう事情もありまして、基本的には本読んで分からないところは先輩に聞くっていうスタンスでした。
川井:なるほど。
大塚:やっぱりエンジニアとしては独学していかないと駄目で、人から教えてもらわないと分かりませんっていうエンジニアは、スタート地点でもそうだし、ある程度一人前になったあともそうだし、トップで世界を切り開いていってるスーパーなエンジニアにとってはまさにそうで、自分で学んでいけるという能力は必要なんじゃないかなと思いますね。出来ないことが出来るようになるのって楽しいじゃないですか。だからあまり苦労には感じませんでしたね。僕もできないベレルは相当で、DeNAで活躍しているスーパーエンジニアと比べると蟻と象くらい違うんじゃないかと思っていたんですけど、そんな中でも蟻なりに歩けるようになりましたっていうレベルではあるんですけどね。
川井:でも3ヶ月っていうのはやっぱりすごいと思います。
大塚:勿論、3ヶ月ですべてってわけにはいかないんですけど、3か月くらい経ったところでモバオクのPC展開っていう比較的大きなプロジェクトにアサインされて、結構重要な部分を構築してリリースさせることができたんです。中身にはバグとかもあったんですけど、まあそれなりに成果が出せたということを考えると、エンジニアとして何かができるまでの期間っていう意味では3ヶ月くらいだったのかなと思います。
川井:ある程度いけそうだなってことが見えてくるまでが3ヶ月くらいってことですね。
大塚:そうですね。
川井:当時のソースを見て何か感じることありますか?
大塚:まあ、酷いもんですね。スパゲッティコードです。
川井:今から見るとそれはどの辺に原因があるんでしょうか?
大塚:やっぱり迷いながら書いちゃうんですよね。今から考えると全体像が見えてなくて、パーツ、パーツから作っちゃうというんでしょうか、ここのモジュールは一緒だったから汎用的なもの作っておけば良かったなっていうようなことの繰り返しみたいな感じでした。あとはバグのシューティングの仕方であるとか、こういうツールを投入しておけばよかったとかいちいち非効率にやっていて時間がかかってしまうとか、ありとあらゆるところが未熟だったと思います。
川井:そういうことがあったんですね。
大塚:はい。ただ大事なのは、ちゃんとパフォーマンスが出せて、ちゃんとしたサイトとして機能を出せるかというところだと思っているので、今でも僕のソースは、ちゃんとPerlを書くことができるすごい人たちから見ればひどいソースに映るはずでけど、サービス的側面から見たら、美しいソースを書くことを追求していくよりは面白いサービスを作るということの方が大切だと思っているので、そこはバランスを取ってやっていますね。

川井:なるほど。実際、新しいモバオクのPC版がリリースされて、その次はどんな仕事をされたんですか?
大塚:モバオクってやっぱり大きなサイトで、そのあとも決済のシステムを入れたりとか、モバオクの中で機能改修をして検索の仕組みを変えたりとか、あと、日々の運用などを1年くらいやりましたね。
川井:なるほど。
大塚:モバオクっていうのは、僕の先輩のチームリーダーがいて、僕はそのOne of themのエンジニアメンバーだったんですけど、次はモバコレというファッション通販サイトを社員エンジニアとしては1人で見るというミッションが与えられたんです。モバコレっていうのは重要なビジネスですし、システムに何かあったら僕しか対応できないっていう状況だったので、最初はもうドキドキハラハラもので、やっぱり責任感の大きさを感じました。自分がシステム全体を見渡すという形でしたからね。
川井:そうですよね。しかしステップアップというか重要なミッションが課されるスピードが無茶苦茶速いですね。
大塚:そうですね(笑)
川井:そろそろ横では、モバゲーが立ち上がっていた時期ですよね?
大塚:そうですね、僕がモバオクの頃にはもう立ち上がっていて川崎がやってましたね。
川井:モバゲーにもその時から興味はあったんですか?
大塚:もちろんありましたよ。面白いサービスをやっているなあって思ってました。でもモバコレをやっているときは頭の大半をどうしたらモバコレをもっといいサービスにできるかってことに割いていたので、あまりモバゲーをやってみたいとかっていうことを考えている暇はなかったですね。
川井:なるほど。

<いよいよモバゲーへ>
川井:その後、モバゲーのプロジェクトに移るきっかけとかってあったんですか?
大塚:その後、実は新規事業を立ち上げるメンバーになって、市場調査から初めて、どういうサービスをつくるとか、どういうビジネスフレームワークでいくとかそういうことを4人くらいでやったんですけど、途中から、僕がその事業のリーダーになって進めたものの2ヶ月くらいで、事業をペンディングにしてしまったんです。一言でいうとうまくいかなかったんです。そのタイミングと「これからはソーシャルゲームだ」というタイミングがちょうど一致していたんです。
川井:なるほど。
大塚:それで社運をかけてソーシャルゲームをやろうということになって、僕もその新規事業を止めてソーシャルゲームをやることになったんです。まだ何もなかったんで、まずは何を作ろうかというところから始めました。
川井:一からゲームを企画するというところからということですか?
大塚:まさにそうですね。さっきもちょっと触れましたが、ほとんどゲームっていうものをやったことがなかったんで、ゲームって何? っていうところから始めた感じです。
川井:ちなみに、この時点でも世界を意識してっていうのはあったんですか?
大塚:勿論、ありましたね。やっぱり、本場はFacebookでパソコンの世界だったんですけど、それがモバイルの世界に来るのは、火を見るより明らかでしたからね。
川井:確かにそうですね。
大塚:なのでまずはどんなサービスがあるのかっていうのは海外も含めて見ないといけないなと思っていました。
川井:ということは、外部環境としても世界が視野に入っていて、ゆくゆくは世界に出せるものをっていうのもあったんですか?
大塚:正直、その時はそこまではなかったですね。モバゲーがアバターとか小説で盛り上がったけども、次の成長ドライブが見つからなかったっていうのもあって、いかにモバゲーでヒットさせるゲームを作るかっていうのが大事だったんです。でも僕はあまりゲームをやってなかったんで、ゲームっていうのは、そもそもどういうタイプのゲームがあるのかとか、どういうジャンルに分かれているのかとか、プレイヤーっていうのはどういう楽しさを感じているのかとか理解しなきゃいけないなって思って、PCのブラウザゲームとかダウンロード型のゲームとか、携帯系ならiPhoneやガラゲーとかPSPとかDSとか一通りどわーっとやりまくりました。
川井:(笑)
大塚:その中でざっくりと、こういう感じのゲームがあるんだなっていうのを見た上で、携帯のモバゲーっていうところで、広くユーザーに楽しんでもらえるゲームってどんなものなんだろうって考えていったという感じです。
川井:最初の企画段階では、どんな形なんですか?
大塚:そうですね、最初の段階の企画としては、こういうゲームで面白さとしてはこうで、ゲーム構造はこんな感じで、こんなコイン課金ができますとか、企画の形としては10数行から20行程度のものを20個くらい書きました。その中で、筋がよさそうなものを中心に、2、3個深掘りをしてみて、最終的にはどれでいくかっていうのを決めた感じでしたね。
川井:最初に作ったゲームが「怪盗ロワイヤル」なんですか?
大塚:そうですね。
川井:かなり早くそこに辿り着いたんですね。
大塚:ユーザーとしてゲームで遊んでいる期間もあったんで、企画が詰まるまで2週間って感じですね。
川井:早いですよね?
大塚:企画が詰まるっていっても、勿論今から振り返ると違う形になってはいるんですけど、大枠は2週間で固まりましたね。
川井:何人くらいのチームで考えたんですか? 
大塚:最初は、僕と企画のメンバーが1人の2人で、途中から新卒で、企画とエンジニアが1人ずつ増えて全部で4人のチームですね。
川井:そこからサービスインまではどれくらいだったんですか?
大塚:4ヶ月弱くらいですね。
川井:じゃあ、合計でも半年もかかっていないんですね。
大塚:そうですね、ゼロから4ヶ月弱ですね。
川井:すごいスピード感ですね。
大塚:今だったら、もうちょっと早くできる自信はありましたけど、これでも結構もたついたんです。
川井:どのあたりでもたついたんですか?
大塚:企画書を周りの人に見せても伝わらなくて、「これうまくいかのか?」って結構言われましたね。自分ではうまくいくと思って企画を作っているんですけど、企画書では証明できなくて、上長の守安も「いいから作れ」って後押しをしてくれたので、「もう作ります」って感じで進めちゃいましたね。
川井:なるほど。
大塚:最初は企画書をバージョンアップしたりもしていたんですけど、進んでいる感じがしなかったのでそれもやめてしまいました。そこからは、絵コンテとかページ遷移図も書かずに基本的に自分の頭の中にあるものをソースに落とし込んで形にして、ユーザーとしてそれを触ってみてコードをいじくって、触ってはコードをいじくっての繰り返しです。
川井:完全にアジャイル型ですね。社内ではそれまでもアジャイル型の開発は一般的だったんですか?
大塚:そうですね、モバオクとかモバコレはそんな形で作られてきていますね。ただ、僕がその直前でやっていた新規事業っていうのは、中途半端な作り方をしてしまったんです。
川井:そうなんですか。どういう中途半端さだったんですか?
大塚:その時は絵コンテとかページ遷移図をかなりきちんと作ったんですが、そういったものが必要なサービスっていうのも当然あるとは思うんですけど、僕がそのときに作ろうとしていたサービスは、どちらかというとモバゲーに近いようなものだったんで、そういう作り方をするとユーザー目線で見たときに結果的につまらないコンテンツになってしまうんです。だからそういう作り方が、今回は最初からやめようと思っていたんです。
川井:なるほど。

<怪盗ロワイヤルの面白さ>
川井:怪盗ロワイヤルって私も結構はまっているんですけど、しかしよくできていますよね。あれだけヒットするんですから当たり前だし、なんか失礼ないい方ですけど、本当にそう思います。
大塚:ありがとうございます(笑)
川井:どういう風に企画というか作っていくんでしょうか? こういう仕組みとかこういう仕掛けがあると面白いよねっていう部分は、後から後からいろんなアイデアを追加していったりするものなのでしょうか? それとも最初からある程度見えていたものなんですか? 
大塚:発想の順番としては、僕がいろんなジャンルのゲーム見て、どういうものがモバゲーの中でやるものとしていいかなと思ったときに、大きなコンセプトしては、ずっとやり続けないとレベルアップしないというのはちょっと辛くて、そうじゃなくて1日に2、3回、ポチポチポチとやったら前に進んでいけるとか、僕みたいに仕事をしている人間でも仕事の合間とか、トイレに行く途中の通路でポチポチポチとやれば、次にはまたできることが増えていて、継続的に楽しめるっていう枠組みにしようと思っていました。僕がみていてそれに該当するゲームっていうのがいくつかあったんですけど、単純にいうと、エネルギーみたいなものがあって、それを消化すると経験値とゲーム通貨に変わって、通貨をアイテムに変換すると自分自身が強くなって、強くなるとまたやれることが増えてくるというこのサイクルですね。あとはインターフェイスとかテーマとかとどうしようっていう話ですね。このあたりはFacebookのゲームとかを参考にもしましたね。
川井:なるほど。
大塚:ただ、それだけだと作業感だけになっちゃう部分もあるので、もう少しハラハラドキドキさせたいなっていう部分と、ソーシャル性をどうやって深めようかってことをそのタイミングで考えていました。「盗む」っていうのがあると思うんですけど、「挨拶をする」とか「殴る」とかいくつか動詞を考えていたんですけど、その中で「盗む」っていうのは面白いなって思ったんです。
川井:確かに面白いですね。
大塚;ポイントとしては、「盗む」っていう瞬間に強いソーシャル性が生まれるし、自分の子供の頃の悪戯の経験からすると「盗む」っていうのはハラハラドキドキするんですよね(笑)
川井:確かに(笑)
大塚:友達の消しゴムとかをちょっと隠してとかすごい楽しいじゃないですか(笑) かくれんぼとかも楽しいし、そういったハラハラドキドキ感にうまくいったらつなげられるだろうって思っていて、「お宝を盗む」とか「お宝をコンプリートする」っていう形になっていったという感じです。「お宝をコンプリートする」っていうのは最初からあった概念なんですけど、作りながら、それをどうはめ込んでいこうかって考えてた感じですね。
川井:お宝の数が7つというのもいいですよね。
大塚:あれはえいやという感じですけどね。最初、集めるといえば、ドラゴンボールだし、7ってのはいい数字だなと(笑) 7つのお宝はドラゴンボールからきてますね(笑)
川井:5個までいくと離れられなくなって仕事どころじゃなくなって困っています(笑)
大塚:狙い通りです(笑)
川井:私もゲームが結構好きで、ガンダムネットワークオペレーション(GNO)っていうのを7年くらいやっていたんですが、大人がやるゲームなので、1日、朝、晩の2回ログインすれば継続できるということをコンセプトに作られているというもので、それが継続できて要因だと思いますね。
大塚:まさに同じ発想ですね。そうじゃないと、ゲーマーだけにうけるゲームを作ってもそれはソーシャルゲームじゃないわけで、今までゲームをやらなかった人にもゲームをやってもらうっていうことを考えましたね。
川井:相当、主婦の方の多そうですね。
大塚:主婦は結構時間があるんで強いですね(笑)
川井:怪盗ロワイヤルは、今、絶好調だと思うんですけど、これからどうしていこうとかってあるんですか? 一旦、完成形なんですか?
大塚:一旦、完成形なんですけど、今の仕組みを壊さずに、チームで闘えるイベントを組み込んだりとか、これはできるか分かりませんけどGPSを絡めてなんかやろうとか、そういう形の発展形はありますし、ビジネス系でいいますと面白いキャラクターと絡めて何かできるかなということもあるかなとは思っています。
川井:楽しみですね。
大塚:だた、ソーシャルゲームって長い目で見ると間違いなく発展していくと思うので、いつまでの「怪盗ロワイヤル」が残っているというんじゃ健全じゃないというか、日本のソーシャルゲームはそうなったら駄目だと思っていて、その時点で新たな面白さとかもっとクオリティの高いものを生み出せるようにもっと頑張ろうっていうのが強いですね。
川井:一方、世界に撃って出ようっていうのは、着々とプランが進んでいる感じですか?
大塚:会社全体としての取り組みでいくと、北米のAurora FeintっていうiPhone向けサービスを提供する会社に出資していますし、我々自身でも英語圏向けのiPhoneサービスMiniNationを開始しました。WAP系の携帯でもIceBreaker社とやっていますし、中国でもWAPTX LTDを中心に活動の幅を広げていっています。その中のキーコンテンツとしてのソーシャルゲームは強みにできるものなので、ソーシャルゲーム×モバイルで世界をあっといわせるようなものを作っていきたいですね。
川井:ドリコムの長谷川さん(執行役員)が、この日本のソーシャルゲームの状況は幕末に似ているけど、当時と違うのは日本の方から打って出れるってことだって言っていたのが印象的だったんですよね。
大塚:そうなんですか。Cloudstarさんと一緒にやっているドリコムさんがそう言うのは面白いですね。どんなことを考えているのか聞いてみたいです。
川井:開国派というんでしょうか、それなりのプランがあるんじゃないでしょうかね。

<次なる挑戦>
大塚:僕自身は3月末までは、自らゲームを作りますっていう部署にいたんですけど、自分たちだけで作っていくと、視野は狭くなってくるし、開発の得意な分野も限られてきてしまうということもあって、4月からはオープンプラットフォームの方でDeNAの外にいるすばらしい力を持った人たちと力をあわせてまずはモバゲーを中心に面白いコンテンツを作って、早いタイミングでいろいろなパートナーの方々と世界に向けたコンテンツを作っていきたいなってことを考えています。
川井:これから活躍の場が世界にどんどん広がりますね。
大塚;はい。なので英語の勉強をしなきゃならないんですけど、英語はやっぱりPerlより難しいですね(笑)
川井:(笑)
大塚:こればっかりは3ヶ月じゃ無理だなって思いますね(笑)
川井:大塚さん個人としては、今後、どうありたいとかってあるんでしょうか?
大塚:もともと起業とか考えていたんで、起業する可能性もありますね。それがどのタイミングかっていうことなんですけど、今、このタイミングは、DeNAの中で世界を目指してソーシャルゲームっていうのをいろんなDeNAのメンバー以外の人達とも関わりながらできるってこと以上に面白いことは僕の選択肢にはないので、今はそこの100%集中してやっている感じですね。その先はどうなるかは正直、よく分からないですけど、最近DeNAの経験を通じてよく分かってきたことは、どんな形であれ、ものを作っていることに携わっていきたいので、そこの軸だけは崩さないでいこうって思っています。だから僕が金融のトレーダーになっているってことはなくて、なんかしら、ものを作っていっていうキャリアを歩みたいなって思っています。
川井:なるほど、よく分かりました。

<若手エンジニアに向けて>
川井:最後に若手のエンジニアにアドバイスをいただきたいんですが、一つは、これからエンジニアになろうっていう若手に対してのアドバイスを、もう一つは、エンジニアとして次のステップに向けてブレイクスルーしたいという方に対してのアドバイスをいただけたらと思います。
大塚:難しいですね。
川井:なかなか25歳以降にエンジニアになって、成功を収めているっていう人っていないと思うんですよね。なんか秘訣があるんじゃないかと思うんですが。
大塚:エンジニアが簡単ですよとはとてもいえなくて、やっぱり厳しい世界だとは思うんですよ。ただエンジニアに限らず、何か興味を持ったことにチャレンジしてみるって、多分、自分の人生を豊かにする方向であることは間違いなくって、その先に、やっぱり向いてなかったっていうことはあるとは思うんですけども、まあ、それはそれで受け入れて路線を変更していけばいいのかなとまず前提としては思っています。飛び込んでみようと思うからには、そこからはとにかく、しばらくの間、退路を立つというか、腹をくくって、3ヶ月間、必死で頑張ってみてください、駄目だったら向いてなかったと思って諦めればいいんじゃないでしょうか。
川井:分かりやすいお話ですね。後者の方については、いかがでしょうか?
大塚:いろいろ原因が違いそうですもんね。自分がやりたいことがあるんだけど、会社ではそれができないとか、やろうと思っていることはあるんだけど、まだ実現する能力がついていかないとか。
川井:やりたいこととできることとやるべきことが違うってことですよね。
大塚:やっぱりそこを整理することから始めないと見えてこないとは思いますけど、エンジニアをやっている以上は、何かものを作ることが好きだと思うんですよね。今、何かしていることがあるのであれば、自分が何のために何をしているんだっていうことがクリアになると多分、ものづくりは相当楽しくなるはずなんですよね。ただ、やっぱり自分は何も作っていないじゃんっていう結果になることもあって、それは大問題だとは思うんですよね。やっぱり物を作れる環境に身をおきかえなければならないですよねって話だと思います。反対に、自分は何かを作っているんだけど、言われえたから作っているだけだしっていう盲目的なケースも結構あると思うんですけど、そこは、なんでこれを作っているんだろうとか、自分はどういう風に作りたいと思っているんだろうということ深堀りしていくと、自分の中に持っている物づくりの本能っていうのがどんどん芽生えてきて、やっぱ、俺はこういうものを作りたい、企画者はああいってたけど、こういうサービスにしていくべきだって闘っていけば、仕事は楽しくなるし、エンジニアとしてのパワーもあがっていくんじゃないかと思います。そういう物づくりっていうところを一度見直して見るっていうのが一つ、ヒントとしてあるんじゃないかなって思います。
川井:なるほど。よく分かりました。本日は本当にありがとうございました。
大塚:こちらこそ、ありがとうございました。

<略歴>
東京大学大学院を卒業後、2005年、株式会社ディー・エヌ・エー(以下DeNA)に入社。ビッダーズ企画職、モバオクのエンジニア、モバコレのエンジニア、新規事業立ち上げなどを経験し、ソーシャルゲーム企画開発を行う。最初に企画開発を手がけた「怪盗ロワイヤル」が爆発的にヒット、2010年4月から現職。

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