インタビュー記事

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第22回 舘野祐一 氏

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今回は、笹田耕一さんのご紹介で、株式会社はてなの舘野祐一さんにお話をお聞きしました。舘野さんは、Rubyのコミュニティを中心に広く知られる若手エンジニアで、開発経験の浅い時代から自作のアプリケーションを次々と公開し、注目を浴びています。取材は、「はてな」が京都に移転す前にすべりこみで行わせていただきました。場所は、代官山のラボエムです。今回は、株式会社ウェブキャリアの木島さんにテクニカルアドバイザーとして同席いただいています。
http://www.boheme.jp/jp/daikanyama/home/location

※取材日は、2008年2月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<パソコンとの出会いは?>
川井 今回、ご紹介いただいた笹田さんとはRubyつながりですか?
舘野 はい。笹田さんや高橋征義さんとはRuby関係で知り合って、以前から親しくさせてもらっています。増井雄一郎さんなんかもRubyつながりです。「Webエンジニア武勇伝」のインタビュー記事が出ていた方のほとんどとは何回かお会いしていますね。
川井 このコーナーは、若いエンジニアにロールモデルのヒントを提示したいと思っていて、技術だけでなく生き様にもフォーカスをあてています。ですので、親近感を持ってもらうためにも生い立ちやパソコンとの出会いなどからお聞きしていますので、よろしくお願いいたします。舘野さんの場合、パソコンとの出会いはいつくらいだったのでしょうか。
舘野 エンジニアの多くが子供の頃からパソコンに触れていたりすると思うのですが、僕が最初にパソコンに触れたのは、高校時代、家で共用のパソコンを買ったときで、それまではパソコンには触れたことがなかったんです。
川井 そうなんですか。
舘野 当時Windows95が出た頃で、僕が高校に入るのを機会に、父親が「そろそろ家もパソコンを買うか」ということで購入したんです。
川井 それまではまったく触ったことがなかったんですか。
舘野 はい。友達の家に行って、ゲームとかしているのを見ていたぐらいですね。
川井 なるほど。では、小中学生の頃ってどんなことに興味があったんですか?
舘野 あまり外では活動しなかったので、ゲームが多かったですね。
川井 ファミコンとか?
舘野 ファミコン、スーファミの時代ですね。お小遣いをあと何ヶ月分貯めたら、ゲームが買えるとかそういうことを考えながら育ちました。最初にやったのがドラクエⅢで、よく分からなかったんですけど、面白くて、そこからゲームにのめりこんでいきました。
川井 ゲーム少年だったんですか?
舘野 そこまではやりこんでいないんですけど、家に帰ってくるとゲームばっかりやっていて、親から「何時間までよ」と叱られていました。
川井 (笑)私は、そういうファミコンみたいのがなかったので、10円とか50円を握り締めてテーブルゲームの置いてある駄菓子やとかに行っていましたね。ファミコンといえば、この前のデベロッパーズサミットに出展していて、ファミコンを並べておいたら、かなり人が寄ってきていましたね。
舘野 懐かしいんでしょうね。
川井 画面なんか、今見るとかなり粗くてちゃちいんですけど、当時はそれでも楽しかったんでしょうね。
舘野 そうですね。
川井 それで、高校の頃はパソコンでゲームですか? それともゲーム以外の何かを発見したんですか?
舘野 あんまりパソコンってどんなものか分からなかったんですが、やっているうちに、パーツを買ってきて組み立ててパソコンを作ることに興味を覚えたんです。当時、「月刊ASCII DOS/V ISSUE」というのを買っていて読んでいたら、パソコンで何か作るとか文章を書くということよりも、そういう組み立てる方への興味が強くなってしまったんです。
川井 ソフトよりはハードへの興味が強かったんですね。
舘野 そうですね。ハード的な興味で、メモリをどれだけ増やすとWindowsが快適になるとか、そういうことが面白かったですね。
川井 なるほど。
舘野 高校の頃は、吹奏楽部に入っていて、当時はMIDIが全盛だったんですけど、DTM(デスクトップミュージック)ってあったじゃないですか、その時に自分で何か打ち込めば音楽が作れるんだと思って、一生懸命貯金して、SC88プロっていうミニ音源とレコンポーサーっていう作曲ソフトを買って、結構ミニポピをするなんてこともしていました。
川井 音楽と結びついて、広がったという感じですね。
舘野 そうですね。
川井 当時はまだ、プログラミングとかよりはハードウェアか趣味の音楽という興味だったんですね。その後、大学進学はどうされたんですか?
舘野 大学は東京工科大学のメディア学部というところに入って、それで初めてインターネットに触れました。当時はテレホーダイとかの時代で、一般家庭にはまだインターネットがきていなかったんですが、大学では1人1台、ノートパソコンを使うって学科で、そこで初めてインターネットにつなげていろいろな世界を知りました。
川井 インターネットに初めて触れてどうでしたか?
舘野 こんな世界があるんだなって新鮮でした。HTMLでちょっと書くだけでいろいろな人に見てもらえるんだなって今まで知らなかった可能性を感じました。
川井 情報発信ができるってことですよね。学校では、あまり遊ばずにネットの勉強とかしていたんですか?
舘野 いえ、今考えたら一体何をしていたんだろうってくらい遊んでいました。
川井 何をしていたんですか?
舘野 その頃、MMOやAOEやAOKとかインターネットで流行っていた対戦ゲームにはまっていて、今までローカルでしかできなかったのが、インターネットを通じて横に人がいないながらも世界中の人と対戦できるという世界に入っていきましたね。
川井 ゲーム廃人ですか?
舘野 そうですね。大学に行っていないときはほとんど、やっていましたし、夏休みなんかは朝から晩まで一日中ゲームをしていることが多かったですね。
川井 プチ廃人ですね(笑) ネットゲームってはまりますよね。私もGNO(ガンダムネットワークオペレーション)は未だにやっています。もう6年になりますね(笑)オフ会なんかも楽しいですよね。
舘野 その頃は自分のコミュニティではあまりオフ会はありませんでしたが、何度かは行ったことがありましたね。

プログラミングを仕事にするまで
川井 その後、どこでパソコンやネットを仕事にするきっかけがあったんですか?
舘野 大学に入って、基礎のJavaプログラミングみたいな授業を受けていたんですけど、それすらよく分からなかったんです。なのでプログラミングできる人って一部の天才みたいな人だけなのかなって当時は感じていたんですよ。それで大学の頃は、全然プログラミングなんてせずに、かわりにLinuxに興味を持ち始めたんです。ハードウェアを作っている関係上、いろいろなドライバをいれて遊んでいるのは面白かったんで、Linuxに興味を持ち始めて、WindowsユーザーからLinuxユーザーになって、それで基本的なコマンドとかを覚えました。でもプログラミングは難しいものだと思っていて、まだこのときも手をつけていなかったですね。
川井 なるほど。OSレベルでという感じですね。
舘野 Linuxのディストリビューションを入れて、Windowマネージャーを変えてというのに熱中していた頃で、全然プログラミングまでには到達していませんでした。
川井 そうすると、ハッカーの中では遅いスタートかもしれないですね。
舘野 そうですね。始めたのは遅いですね。
川井 なるほど、それほど難しいという先入観のあったプログラミングに着手するのはどんなきっかけがあったんですか?
舘野 Linuxでマシンを作ると、自宅サーバーみたいなことがやりたくなるんですよ。それで自宅サーバーを運営しだして、「RubyでtDiary(ティーダイアリー)」という日記のプログラムがありまして、当時、初めて初心者がやるんだったら、tDiary(ティーダイアリー)っていうののプラグインをRubyを使ってちょろっと書くと、すぐWebアプリケーションとしてすぐ使うことができて、初心者でも楽しく学べるんじゃないかっていう記事を見つけて、まだよく分かっていなかったんですけど、これなら出来るかもと思って始めたのがきっかけですね。それで早速のそのtDiary(ティーダイアリー)のプラグインを作ったら、その作者のただただしさんがそのプラグインを取り入れてくださったんですよ。それがすごく嬉しかったんです。今、そのプラグインの自分の書いたソースとかを見ると汚くて見れたもんじゃないんですけどね(笑)
川井 そうだったんですか。
舘野 当時は、全然分からないなりにやって、それが初めて外向けにアウトプットしたプログラムでした。そこから段々プログラムってひょっとしたら面白いんじゃないのって感覚を掴んで、どんどんのめりこんだという感じですね。
川井 最初に触れたもので何か作っちゃったってことですよね。
舘野 そうですね。よく、プログラムを学ぶためには、何か作りたいものがないと駄目みたいなことっていうじゃないですか。僕の場合は、tDiary(ティーダイアリー)のプラグインがそれになったんだと思います。なんかそういうきっかけがなかったら、未だにプログラムってよく分からないものだって思って生きてきたかもしれないですね。
川井 そういう流れで入って、そこまでのレベルに達することもあるんですね。
舘野 本当に書き始めたのは大学3年の終わりくらいからですかね。
川井 そのタイミングで、最初に作ったプラグインを公開しちゃおうって思ったのはどういう気持ちだったんですか? よく叩かれるからとか言って躊躇しちゃうじゃないですか。
舘野 あまりにも初心者過ぎて、ソースが汚いからとかは考えずに、作ってみたしアップしてみようかなと思いました。
川井 それがすぐ取り上げられることになるのはすごいですね。
舘野 それからあと、もう一つ今思い返してもすごいなと思うことが、自分でアップしたべた書きのプラグインに対してRuby界で有名な青木峰郎さんという方がOBでリファクタリングして下さって、プラスアルファの機能を付けて変更してくださったんですね。それを見て、プログラムってこんなに綺麗に書く事が出来るんだと思いました。
川井 なるほど、青木峰郎さんに添削されたような感じですね。
舘野 僕の作ったプログラムの機能を何も分かっていなかった人が、機能は一緒なんだけれどすごい分かりやすい内容で書き換えることが出来るんだという事と、自分がアウトプットしたものに対して誰かが手を加えてより良くしていくという循環の部分に運よく出会うことが出来て、よりプログラミングを学んでみようかなって思うようになりましたね。
川井 アウトプットしないとそういう事にめぐり合えませんよね、やはり行動してみたことで得られた結果だったんでしょうね。それにしても、青木峰郎さんなんてすごい人が出てきましたね。
舘野 今こそRailsが出てRubyが流行っていますが、当時はまだtDiary(ティーダイアリー)くらいしかアプリケーションはなかったのですが、今だとRuby界隈の人たちもすごい人たちがメンバーとして集まっているので、何かやるとその方たちがよく教えてくださったりしますね。
川井 当時からRubyのコミュニティに参加されていたのですか?
舘野 当時はまだでしたね、その頃はまだプログラミングを仕事にしようとかは考えていなかったものですから。
川井 大学3年の頃くらいには就職を意識し始めますよね。どんな仕事をしようなど考えていましたか?
舘野 Linuxとかを作っていくのが好きだったので、ネットワークエンジニアをしてみようと思って内定を頂いて入社したのですが、大学4年の頃にプログラミングがどんどん好きになってしまい、会社に入ってみたもののもっとプログラミングを勉強したいと思って、1ヶ月で退職してしまったんです。普通の人からみたらこんな履歴書は駄目だろみたいな感じでしたね。普通のレールから見たらすごい挫折だと思われるかもしれませんが、それでも当時はプログラミングをもっとやりたいと思っていたので、そういう決断をしたんです。
川井 辞めた会社のことはちょっとに書けないですね。。。
舘野 はい、その会社にはとても悪いことをしたなと思っていますし。
川井 ネットワーク系の企業だったのですか?
舘野 はい。
川井 大手ですか?
舘野 大手というわけではないのですが、従業員が100人~200人程の会社ですね。
川井 次も決めずに辞めちゃったのですか?
舘野 はい。そうですね。
川井 結構、度胸ありますよね。
舘野 いや、というより当時はまだよく社会というものが分かっていなかったのだと思いますよ。
川井 まだRubyの世界でやっていた感じですか?
舘野 当時は、Rubyでプログラミングをしていて、自宅サーバーで作ったアプリケーションなんかも結構使ってくれている人がいましたね。当時、初めていろんな人に注目してもらった「RSS TIMES」っていうWebアプリケーションがあったんです。当時、RSSが流行り始めていて、「RSS TIMES」っていうのは、RSSの更新時間をバーコードみたいなので線を入れて視覚的にで表示するというWebアプリケーションだったんですが、元々あった、MTの「MovableTimes」っていうアプリケーションをRubyで自分で書き直してRSSに対応しましたみたいにして公開したら、結構自分のブログとかに張ってくれる人がいて、やっぱりWebアプリケーションを作るのって面白いんだなって思ったんです。そういった体験もプログラミングの道に進むことを決めた要因の1つですね。
川井 お話を聞いていると、作ったものが結構な確率で注目されている気がするんですが、作ったけどもいまいちだったものとかってあるんですか?
舘野 あまりなかった気がしますね。どなたか有名な方が取り上げてくださってそこから広まっていますから、やっぱり運があったんだと思います。
川井 この時期にRubyでやっていたのでという前提はあると思うんですが、それにしても目のつけどころとか着想がよかったんじゃないですかね。どういうふうに発想するんですか?
舘野 やっぱり自分がすごく欲しいなと思うものを作っていたんです。自分がすごい欲しいものは大体、他の方も欲しいと思っていることが多いので、そこを重視していましたね。
川井 なるほど。それで思い切って会社をやめてしまって、就職活動はどうされたんですか?
舘野 FindJob!とかを地道に見ていました。「プログラマーで未経験者歓迎」っていうので検索したりしていました。
川井 あまりこだわらなかったんですか?
舘野 そうですね。卒業したばかりでほとんど貯金もなくて、「早くしないと死ぬ」って思っていたので、未経験でプログラマーをやらせてもらえるところならと思って、正社員やアルバイトなんかは問わずに探しました。それでいろいろ受けて、まずはアルバイトの仕事に就きました。
川井 ちなみにどこですか?
舘野 ディノっていうWebアプリケーション開発をPHPメインでやっている会社です。
川井 ディノさんですか。ここからすぐですよね。確か、高橋征義さんのいるツインスパークとかウノウさんと一緒のビルに入っていますよね。すんなり決まったんですか?
舘野 そうですね。当時はまだRubyが少し書けるくらいで、PHPもまだまだだったんですけど、面接に行ったら、「じゃあ、明日から」って言われたんです(笑)
川井 働いてみてどうだったんですか?
舘野 当時、ディノでは画期的だった技術を持っていたんです。今だとRailsみたいに自動生成してくれたりする感じのものがありますけど、当時、SQLのスキーマを入力するだけで、Webアプリケーションの基本となる部分のPHPのソースをジェネレイトするシステムを自社で持っていて、私はそのフレームワークを勉強するところから入ったんです。ディノの高原社長とかCTOとかPHPで有名な月宮さんとかいろんな方に恵まれて、そこで教わりながら、Webアプリケーションの基本的部分をPHPで学ばせてもらいました。
川井 趣味でRailsで仕事でPHPというある意味王道みたいな感じですね。
舘野 最近、PHPが結構叩かれているじゃないですか。
川井 そうですね。すごかったですね。
舘野 自分としてはPHPがそんなに好きなわけではないんですけど、でもそれほど悪い言語とも思わないんですよね。やっぱり普通の人がプログラミングをやる上では、分かりやすくなっているんじゃないかなって思いますね。
川井 なるほど。ディノさんには何年くらいいたんですか?
舘野 アルバイトの期間を含めて2年くらいですね。
川井 大体、どういうサイトの構築が多かったんですか?
舘野 大手が多かったですね。大手のコミュニティ系サイトなんかをメインにやっていました。あと、細かいのでいうとXOOPSを使ったCMSの構築なんかもやりましたね。
川井 かなり遅くまで働いていたんですか?
舘野 いえ、定時過ぎで帰らせてもらって、家に帰ると趣味のプログラミングをしていましたね。
川井 じゃあ、もう、ずっとプログラミングって感じですね。
舘野 そうですね。
川井 合間にゲームをするくらいですか?
舘野 当時は、ゲームもほとんどしていなくて、本当にずっとプログラミングばかりしていましたね。
川井 そうなんですか。やっぱり、それって好きなんですよね。
舘野 プログラムで何かを作るってことがうまくマッチしたんでしょうね。
川井 少し遅かったとはいえ、自分の本当に好きなことに出会って、それに本気で取り組めたってことは、すごいよいことですよね。

「株式会社はてな」へ
川井 ディノさんを辞めようと思ったのは、なんかあったんですか?
舘野 もともと自分でWebアプリケーションを作るところから入っていたんですけど、ディノさんは受託という形でお客さんのものを作る感じで、最終的にやりたいのは、自分でアプリケーションを作って、いろんな人に使ってもらうことだなって思っていたんですよ。自社サービスがやりたかったんです。で、自社サービスっていったらどこなの?って言ったら、やっぱり「はてな」かなってことになったんです。
川井 なるほど。
舘野 「はてな」のCTOの伊藤直也とちょっと知り合いで、「募集していたら応募したいんですけど」みたいに相談したら内定がもらえて、転職したという感じですね。
川井 なるほど、なるほど。確かに受託だと制限がありますもんね。それに自分で何かを作って公開しちゃう舘野さんみたいな方だったら、自社サービスじゃないとつまらないかもしれませんね。
舘野 自分の作ったものをユーザーさんが楽しんでくれて、それが仕事だとすれば天職かなあと思いますね。
川井 それは、「はてな」に入ってある程度、実現していますか?
舘野 そうですね。でも、いろんな人に使ってもらうようなサービスを作るって思っていたよりも難しいですね。
川井 「はてな」に入ってどれくらいになるんですか。
舘野 2006年1月の入社なので、2年くらいですね。
川井 舘野さんが自分自身でプロデュースしたサービスってどんなものがあるんですか?
舘野 「はてラボ」っていうメインじゃないところのサービスで、「はてなロクロ」とか「はてなセリフ」みたいなものをリリースして、メインの方では、「はてなダイアリー」とか「はてなフォトライフ」にプラスアルファみたいな機能を追加したりしています。
川井 そうですか。「はてな」ってどんどんよくなりますよね。本当に進化がすごいなって思ってみていますね。
舘野 ありがとうございます。
川井 「はてな」という環境で、今は、思う存分やりたい仕事ができているってことですよね。
舘野 そうですね。こういう風になってきたのは、ネットのコミュニティみたいなのが大きいと思います。ディノにいて、まだ全然、名前も売れていなかった頃、面白いことをやっている人たちを呼んで、サブテク(subtech)っていう1つのグループを作ったんですよ。そのメンバーの中に、「livedoorリーダー」を作った最速インターフェイス研究会のmalaさんとかいて、そういう人たちとチャットとかで技術的なやりとりとかをしていて、そういうのがあったから伸ばせたというのもあると思います。自分は一人で考え抜いてVMとか作っちゃうような天才肌じゃないんで、誰かといろいろ情報交換したり、誰かにコードをみてもらってアドバイスをもらうとかっていうことをコミュニティ内で行えたから育ってこれたんじゃないかなと思います。
川井 いろいろな人とコラボレーションしながら、吸収しあったり、アドバイスしあったりしてきたってことですね。他にもコミュニティ活動なんかはしているんですか?
舘野 コミュニティ活動でいうと、自分で立ち上げたのに、「Shibuya.js」というJavaScriptのカンファレンスなどを開く団体があります。今では、みんな、Ajax、Ajaxって言って、JavaScriptを使い出していますけど、当時はまだ全然だったんですよ。JavaScriptは将来性があって面白いものだけど、技術的なアウトプットがされていない状況だったので、そういうことを自分たちでできればと思って、「Shibuya.js」を立ち上げたんです。
川井 「Shibuya.pm」と何か関係があるんですか?
舘野 「Shibuya.pm」は宮川さんなんかが立ち上げたPerlの団体で、参加するとすごく面白いんですよ。なので、そういうものを目指そうってこととそれに渋谷界隈に人が多いのでというので、Shibuyaという名前をいただきました。
川井 なるほど。何人くらい参加されるんですか?
舘野 いつも100人くらいの応募をつのるんですけど、早いときだと、30分か1時間で埋まっちゃいますね。
川井 他は、Ruby関連ですか? Ruby会議とかでも講演されていましたよね。今年も講演するんですか?
舘野 Ruby会議はいつも講演していたんですけど、今年は講演の申し込み締め切りが先週の日曜日だったのをすっかり忘れていて、過ぎちゃっんですよ。でも今年は、会社も京都に移転するし、自分もそこまで余裕がないかもしれないですね。
川井 そうか。移転はいつですか?
舘野 4月からなんですが、僕は3月1日からあちらに行きます。
川井 今日の取材はぎりぎりだったんですね。でも京都が好きなんで、京都取材でもよかったですよ(笑) 京都のオフィスはどちらですか?
舘野 烏丸御池です。
川井 いいところですね。羨ましいです。今後遊びにいきます(笑)

今、取り組んでいるテーマと今後の方向性は?
川井 今、取り組んでいるテーマとかってあるんですか?
舘野 今は、インフォメーションアーキテクチャーっていうWebの情報を視覚化して表示するみたいなやつに興味が向いていて、サービスとしてはまだ形にはしていないんですけど、それに取り組んでいます。
川井 もう少し具体的に教えてもらってもいいですか?
舘野 情報をWebブラウザ上でうまいように見せるようもので、メジャーになったのに「タブクラウド(tag cloud)」とかあるじゃないですか。ああいう感じのものに興味がありますね。
川井 なるほど。ユーザーインターフェイスでもう少し使いやすいようにっていうところですかね。
舘野 はい。去年1年、ActionScript3.0を学んで、大体やりたいことはできるようになったんで、今年はどんどんアウトプットできたらなと思いますね。
川井 これは「はてな」のサービスとしてですか?
舘野 「はてな」のサービスとしても個人としてもどんどん面白いものが出来たらなって思います。
川井 何かすでにリリースしたものってあるんですか?
舘野 Flashとしての「はてなロクロ」って3D空間に絵が描けるサービスなんですよ。最近は「はてなハイク」とか出していて、あれって、ブラウザ上で絵を描いてすぐに投稿できるサービスなんです。そこらへんをやっています。
川井 なるほど。
舘野 周りがまだやっていないサービスが好きで、「Shibuya.js」を立ち上げた頃もまだ周りがあまり、JavaScriptをやっていなかったっていうのがあるんですけど、最近は、JavaScriptとActionScriptの連携が自分の中で流行で、どちらもブラウザ上で表現できるんですけど、2つが連携してうまい具合に何かできるっていうのはまだまだ少なくて、そこらへんを活用していったら、うまいインターフェイスだとか面白いものが出せるんじゃないかなって思っています。ちょっとメインストリームからはずれたところの技術に興味をもちがちなんです。Rubyとかも、今はRails、Railsって言われていますけど、それ以前からすごい好きで、Railsもまだ広まっていないこ頃からコミュニティに参加していろいろものとか作って出していたんですけど、最近は流行っちゃったんで・・・みたいなのがありますね。
川井 面白いですね。
舘野 本当に天才には全然追いつけないなあと思うし、自分もこの世界に入ったのも遅いし、人とは違った視点から面白いものをつくっていける技術に注力しています。その分野ですと人が少ないから上の位置になりやすいっていうのもありますしね。
川井 高橋征義さんも同じようなことを言っていましたね。
舘野 自分がそれほどすごくなれなそうになくても、それなりに勉強すれば、特定の領域ではある程度の位置まではほとんどの人がいけると思うんですよ。それを上手く組み合わせれば、新しい価値をどんどん創造していけると思うので、是非、頑張って欲しいと思いますね。
川井 1つのものを突き詰めなくても、組み合わせて何かを生み出すことはできますよね。
舘野 自分には出来ないけど、あの人はなんであんなにすごいんだろうって、嫉妬とかもよく感じますけどね(笑)
川井 例えばどんな方に嫉妬するんですか?
舘野 プログラマーとして本当にプログラミングを追求していくと、言語を作るっていうのとOSを作るっていうのの大体2つに分かれるっていうんですよ。言語を作る方でいうとやっぱりまつもとゆきひろさんとかScheme(スキーム)を作っている川合史郎さんとかはすごいなあと思いますね。OSでいうと、元同僚のhigeponとかが、全然知らないところから1から作っちゃったりっていうのはやっぱりすごいなあと思いますね。
川井 higeponさん、来週、お会いしますよ。
舘野 そうなんですか。higeponは、天才というよりは秀才で、今でも私が一番プログラミングをやっていた頃よりももっとプログラミングをしているような集中力というか情熱の持ち主で、本当にそこは追いつけないなと思って尊敬していますね。
川井 最後になりますが、今後の方向性ってありますか?
舘野 今は、そんなに明確なビジョンがないのですが、自分が面白いと思ったものを作り続けていきたいというのはありますね。
川井 ずっと作り手でいたいということですか。
舘野 そうですね。好きなプログラムを作って、みんなに使ってもらうっていうのが面白いところなんですよ。それがいつかはできなくなるのかもしれないけど、できれば、それまではずっと突き進んで行きたいなって思いますね。
川井 じゃあ、会社とか組織とかビジネスっていうよりは、もう物を作るという方向なんですね。
舘野 はい。会社を作ってどうこうみたいなことには全然興味がわかないですね。
川井 なるほど。舘野さんのやりたいことがよくわかりました。今夜は本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
舘野 こちらこそ、ありがとうござました。

<プロフィール>
1981年茨城県生まれ。HNは「secondlife」。以前のHNの「五郎」だったが、「野口五郎の老後」というところから、「老後」→「secondlife」と命名。
東京工科大学卒業後、ネットワーク企業を経て、2003年株式会社ディノに入社。
2006年、はてな株式会社に入社し、次々にサービスを世に送り出す。
Perl ばりばり書きます!といって入社したは良いが、現在はもっぱら Ruby と JavaScript を書いている。

ディノ株式会社 http://www.dino.co.jp/
株式会社はてな http://www.hatena.ne.jp/company/

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