インタビュー記事

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第25回 山本勇 氏

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今回は、第21回の「Webエンジニア武勇伝」に登場いただいたKlab株式会社のCTO、仙石浩明さんのご紹介で、SOHOコミュニティ SIMPLEの代表を勤められている個人事業主の山本勇さんにお話をお聞きしました。山本さんは、個人事業主として開発実務を行う傍らで、SOHOエンジニアのネットワークを広げるための組織「SIMPLE」を運営したり、積極的に技術カンファレンスに参加するなど、幅広いフィールドで活躍されています。今回はウェブキャリアの日本橋オフィスにてそんな山本さんにじっくりお話を伺いました。特に山本さんの「情報」に対する視点は非常に独創的なものがありました。

※取材日は、2008年3月です。所属や役職などは当時のまま掲載しております。

<PCとの出会い>
川井 改めましてよろしくお願いいたします。
山本 よろしくお願いいたします。
川井 まずは、生い立ちみたいなところからお聞きしていまして、古い話で恐縮ですが、コンピュータとの出会いについて教えていただけますか。
山本 小学校の頃とかは他の方も同じだと思うんですが、最初に触ったのはポケコンですね。液晶も10桁くらいしかないチープなポケコンでBASICをやって、それ以来、パソコンが趣味みたいになっていますね。
川井 ちなみにお生まれって何年でしたっけ?
山本 1972年です。
川井 なるほど、私の2つ下ですから世代的には一緒なんですね。ポケコンに触れるきっかけって何かあったんですか?
山本 なんですかね。親戚のお兄さんがなぜかそれを持っていて、親戚の家に遊びに行くたびに、何か分からないながらも、それをかちゃかちゃやっていたんです。
川井 環境的にたまたまそこにありましたみたいなことだったんですね。
山本 そうですね。あとは、当時仲良かった親友の親父さんがシャープに勤めていて、その頃まだ珍しかったMZのパソコンがなぜか家にあったりもして、それに触れていたので、コンピュータにも興味があったんです。あまりよく覚えていなんいですけど、グリーンモニターのMZの80かなんかじゃないですかね。
川井 たまたま親戚と友人にそういう環境があったんですね。BASICで何をしていたんですか?
山本 ゲームばっかりですね(笑)
川井 やっぱりゲームですか。当時はどんなゲームだったか覚えていますか?
山本 カシオの一番最初のポケコンだったんで、液晶が10桁くらいしかなくて、自分でドットが打てないようなタイプだったんですね。なのでゲームといってもタイミングゲームとか本当にチープなものですね。
川井 なるほど。雑誌なんかも読んでましたか?
山本 ええ。お決まりで、当時はベーマガですね。
川井 やっぱりそこにいきますか。
山本 それしかないですからね(笑)
川井 買っていたんですか?
山本 ええ、毎月(笑)
川井 小学生とか中学生のときですよね?
山本 そうですね。クラスに1人か2人、マイコン少年がいるじゃないですか。そのうちの1人ですね。
川井 あまりスポーツとかはしなかったんですか?
山本 子供の頃、喘息を患ってまして、親から「お前は喘息持ちだから」といわれて、自分は体が弱いんだと思いこんでいました。いつの間にか治っちゃいましたけどね。
川井 じゃあ、そういうこともあって運動というよりはインドア的な方にいっていたわけですね。
山本 そうですね。ちょうどよかったですね(笑)
川井 高校になってからもパソコンが趣味だったみたいですが、何かその他に変化はあったんですか?
山本 持っているパソコンが変わっていったくらいですかね。
川井 最初のパソコンはいつ頃に買ったんですか?
山本 ポケコンの次は、中学に入ってからX1を買いましたね。高校に入ってから、X68000っていうのを買いました。
川井 王道ですね。
山本 そうですね(笑)
川井 やっぱりゲームが中心ですか?
山本 X68000を買ったときはCGをやりたかったんですよ。当時まだレイトレーシングっていうのが出初めで、ようやくパソコンでもできるぐらいの環境になったので、友達と2人で金を出し合って、レイトレーシングのソフトを買いました。
川井 なるほど。少し変わってきていたんですね。
山本 そうですね。その時はゲームより映像っていうようにちょっと向いてきたって感じですね。
川井 その後、理系に進まれるわけですが、当時は、コンピュータを仕事にっていう気持ちはあったんですか?
山本 ええ、それはもう小学校の頃から、最後はこれを仕事にするんだろうなって思っていました。
川井 そうなんですか? でも当時ってコンピュータを仕事にするっていうのはイメージがつかなかったんでじゃないですか?
山本 それが、当時はゲームの世界ではスタープログラマーみたいな人もいたんですよ。
川井 じゃあ、ゲームプログラマーになろうってことだったんですね。
山本 そうですね。当時はゲームプログラマー以外のことは知らなくて、将来は中村光一みたいに なりたいなって感じでした。
川井 そうなんですね。私は、仕事の種類なんて良く分からないから、満員電車に乗って、立ち食い蕎麦を食うサラリーマンに憧れていましたね(笑)
山本 私の親父は大工なんですよ。大工で自分の腕で仕事をしているじゃないですか。だから漠然と自分はサラリーマンにはならないなっていうのはありましたね。
川井 なるほど。もの造りみたいなものはDNAに根付いているのかもしれませんね。
山本 そうですね。

大学以降は
川井 選んだのは物理ですか?
山本 そうですね。理学部の物理ですね。
川井 どんな研究をされていたんですか?
山本 液晶物質に磁場をかけてどうなるかを研究していましたが、特に厳しい研究ではなかったんで、私はプログラムでグラフを書いたりしていました。
川井 当時はどういう言語を使っていたんですか?
山本 当時はC言語ですね。当時、早目に内定をもらっていて、その会社に学生の頃からアルバイトに行ってまして、そこでいきなり、98を1台と本を1冊与えられて、これでCをやれとスパルタで覚えさせられました。
川井 いまどきのインターンみたいですね。
山本 そうですね。それで覚えた知識を研究室に持っていってプログラムを書いていました。
川井 結構、簡単に覚えられちゃうものなんですか?
山本 そうですね。新しい言語でも必要であれば比較的簡単に覚えられますね。
川井 なるほど。すごいですね。会社はどんな風に決めたんですか?
山本 大企業が苦手だったんで、小企業を探していました。入ったのは地元の埼玉では技術的にはすごいなと思える会社でしたね。
川井 プログラマとして就職したんですか?
山本 その会社がハードウェア設計からソフトウェアまで一通りやる会社だったんです。どこかの研究所からこういうハードウェアを作って欲しいというオーダーがあって、その仕様を書いて、ベリログやVHDLといった言語設計が出始めた時期だったので、それでその言語を作ってLSIを設計して、周辺に乗せるチップを基盤の上に並べて、基盤を自動レイアウトして基盤を発注して作って、自分でハンダづけして、それを入れる箱も自分で板金図を書いて、それを制御するソフトウェアも自分で書いてみたいな感じでした。そこでハードウェア設計から一通り学ばせてもらったんですけど、一番興味があったのがソフトウェアだったんですよ。特にネットワークまわりというんですかね。当時はネットウェアが出始めた頃で、社内ネットワークとかいろいろいじっていたんですけども、機械と機械が通信するというのがものすごく楽しく思えたんですね。それでネットワークのソフトウェア設計の方がやりたくて、ハードウェアの方はむしろ息苦しくなっていたんです。
川井 なるほど。ハードウェアってどういう用途のものだったんですか?
山本 量販向けではなくて、研究所が1点もので何かを制御するために使うものだったんです。例えば何かのアンテナが収集したものをひたすら溜め込んで、それを解析するための装置ですとかそういうものですね。
川井 じゃあ、特注品なんですね。
山本 そうなんです。特注品なんです。
川井 技術力が高いわけですよね。
山本 それが10人くらいでやっていけるんだから技術力は高い方だと思いますね。
川井 なるほど。でもそこでソフトウェアへの興味が強いってことが分かったわけですね。

新しい展開
川井 その後のアクションはどんな感じだったんですか?
山本 2、3年はその会社にいたんですが、やっぱりいる以上、ハードウェアが嫌だというわけにはいかなくて、会社は辞めてしまいました。その後は、派遣みたいな形でルーターの設定ですとかネットワークまわりの仕事をしていたんですが、あるときに大学のヘルプデスクの仕事があったんです。そこの居心地がよくて1年、2年続けてしまったんですが、かなりの時間があったんで、LinuxとかPHPとかを覚えました。
川井 仕事以外で、ですよね?
山本 そうですね。仕事とは別で覚えました。
川井 派遣の形態を選んだのはどういう理由からだったんですか?
山本 前の会社を辞めたときは、あまりいいやめ方ができなくてだらだらしていて、なので、すぐに他の会社に社員として入るのは抵抗があったのかなという感じですかね。
川井 会社に就職するというのに抵抗があったってことですかね。
山本 そうですね。
川井 派遣自体には抵抗がなかったんですか?
山本 それはなかったですね。
川井 そうなんですね。「派遣」っていうとエンジニアにとっては抵抗があるみたいで、「僕が派遣されちゃうんですか?」みたいな人もいるんですよ。一般的に派遣会社っていうとエンジニアは集まりにくいですからね。
山本 そうなんですか。でも正社員は正社員でメリットはありますけど、派遣は派遣でメリットもありますよね。責任分担がはっきりしているとかそういうのもありますよね。私の場合は正社員の頃の責任が重すぎたっていうのがあったのかもしれませんね。
川井 ある程度、明確な範囲というものがあって、その中で自分を生かせるっていうんでしょうかね。やりたい仕事の領域が限定されているとそういう思いもありますよね。
山本 そうですね。
川井 その後はどうされたんですか?
山本 アルバイトでネット系のベンチャーに入ったんですが、行ってみたらマンションの一室で、社長は当時の私と同じ年の27歳の人で、バリバリのベンチャーでしたね。
川井 何年くらいいたんですか?
山本 2年くらいですかね。
川井 結構最近の話ですよね。
山本 そうですね。当時はネットブームの時期で、社長と友人が個人でやっていたんですけど、VCから投資があって結構資金が潤沢になったみたいで、知人をいろいろ集めてやっていたんですが、最終的には楽天に買収されました。
川井 そうなんですか。その会社ではどんな仕事をされていたんですか?
山本 そこでは、PHPとORACLEですかね。もともとNTで作っていたサイトが重たいので、PHPとORACLEに変えるという仕事をやっていたんですけど、その会社にいるうちに、個人で頼めないかという依頼がきたんですよ。そうしているうちにSOHOになったって感じですかね。
川井 どういうルートから仕事の依頼が来るんですか? 個人事業主になろうって思っている方が一番不安なのが、本当に仕事がもらえるのかっていうことだと思うんですよね。なので、どういう流れでオファーが入るようになったのか教えていただけませんか?
山本 なるほど。私の場合は、最初に仕事があったので、やっていたらそのままSOHOになっちゃったっていうパターンなんですよ。
川井 開発の他には、何か並行してやっていらしたんですか?
山本 PHPカンファレンスみたいなものには出ていましたし、自分で「SIMPLE」というSOHOのコミュニティみたいなものは作ってはいましたね。
川井 人の輪を作って、仕事を回しあったりということですね。
山本 そうですね。それも目論見の1つにありましたね。SIMPLEのメンバーで当時4、5人だったんですが、毎月ミーティングと称して場所と転々としていて、ライブドアのオンザエッジの会議室を借りたときに20人くらいが集まったこともありましたね。当時はかなり活発にやっていて、仙石さんとはそこでお知り合いになりました。
川井 SIMPLE自体の設立趣旨みたいなものってどういうものだったんですか?
山本 宮原徹さん主催のオープンソース系のカンファレンスでSOHOの方と知り合って、メールでやりとりするうちに他のSOHOみたいな人の話も聞きたいよねって話になったんです。あまりSOHO同士のやりとりってないんですよ。
川井 そうなんですか。
山本 結局はどこかの企業から仕事をもらう下請け的な立場なので、下請け同士があまり接したりしないんですよ。ですから、お互いに困っていることを相談したりとか、技術情報とかを交換できる場を作りたかったんです。やっているうちにいろいろとアイデアも浮かんできたりしましたしね。私はシステムしかできなくてデザインはできないんですけど、デザインも一緒にっていう依頼があったときとか、Linuxしか分からないところにWindowsとつなげるような仕組みの依頼がきたら、断るしかないんですが、それをデザインができる人やWindowsが分かる人と一緒に、SIMPLEとして仕事を請ける仕組みができないかなって模索した時期があったんです。でもリスクが高すぎるんですよね。結局エンジニアの集まりなので、みんな手を動かしたくて、マネジメントしたい人がいないんですよ。
川井 そうですよね。
山本 結局、SIMPLEとして請けた以上は誰かがやらないといけないじゃないですか。じゃあ、誰かに頼んでその人が途中で逃げた場合、誰が責任を持つんだということとかもあって、結局、仕事がきたときにSIMPLEの人で誰か空いてる? みたいな感じでやっていますね。
川井 個人的なつきあいで、ですね?
山本 そうですね。個人的にやっていますね。
川井 こういうSOHOのコミュニティとかネットワークって今は、結構あるんですか?
山本 今は、どうなっているのか分からないですね。SIMPLEの月1回のミーティングも自然消滅してしまっている状態ですからね。土曜日の会議室が必要なので、それが難しいですね。
川井 だいたいどれくらいやられるんですか?
山本 15時~夕方までやって、そこから呑みって感じですね。
川井 ルノアールの会議室とかいいかもしれないですけどね。
山本 それも考えたんですけど、参加者から一切、お金をとらないっていう考え方だったんです。たとえ100円であれ、お金をとったら参加者としてはそれだけの価値を期待するじゃないですか。500円の価値がなければ次からきてくれないじゃないですか。そういう風にはしたくなかったんです。
川井 なるほど。それはこだわりですね。
山本 そこでプロジェクターを出して、あれこれやって、情報交換したりしていました。
川井 今は、そういう活動が下火になって、個人で動かれている状態なんですね。
山本 そうですね。SIMPLEの頃の交友関係は続いているのですが、細々とメーリングリストをやっているくらいになってしまいましたね。
川井 独立されてから、仕事の不安みたいなところもあれば、いいところもあると思うんですが、山本さんの経験の中ではどうでしょう?
山本 なし崩し的にSOHOをやっちゃっているんですけど、いい点で言えば純粋に仕事が選べるということですよね。安くても面白そうだと思ったら飛びつきますし、高くてもつまらなそうな仕事であれば、お断りするみたいな形ですね。悪い点といえば、当然不安定ですよね。どうしてもSOHOだと自分で営業して、自分で打ち合わせして、自分で開発するじゃないですか。そうすると、PHPの案件はロングスパンじゃなくて、2ヶ月、3ヶ月なんですが、2ヶ月、3ヶ月経って、よし納品して終わった、次は何をやろうかって思っても空いちゃうんですよ。それで次の1ヶ月はまた仕事を探してみたいな感じになって、収入はなくなっちゃうんですよね。
川井 なるほど。
山本 それを嫌う人は、どこかの会社と下請け的に付き合って、それを納品したら次はこれみたいに定期的に仕事を貰うっていう方もいましたね。
川井 山本さんとしては、それは嫌なんですよね?
山本 ええ、こちらの立場が弱くなりすぎてしまいますからね。切られたら終わりですしね。それよりも細々とあちこちにコミュニケーションをとってという方が好きですからね。
川井 じゃあ、事業会社みたいなところという感じですね。
山本 そうですね。中小企業がそれなりのSierさんに発注しちゃうと結構な金額いっちゃうじゃないですか。そうなると、まわりまわって、私のところに問い合わせがくるわけなんですよ。
川井 実際に年収のぶれとか大きいんですか?
山本 めちゃめちゃ大きいです。
川井 ちなみにどれくらいのぶれがあるんですか?
山本 本当にいい案件がちょこちょこ来る年とない年で倍くらいの差がつきますかね。
川井 倍になったり、半分になったりっていうことですか。
山本 はい。
川井 なるほど。これはなかなかスリリングですね。半分になったときのベースはそこそこなんですか?
山本 半分になったときのためのリスクヘッジで最低限のものが得られるように週1回どこかで仕事をしたりはしていますよ。さすがに生活できないですからね。
川井 山本さんの場合、コミュニケーションも長けているようですけど、それが苦手は人は大変ですよね。
山本 そうですね。厳しいと思いますよ。いろいろな人とお会いしましたけど、技術力はあるんだけどもコミュニケーション能力がないって方も結構いらっしゃるんですよね。やっぱり技術者でいいソフトを作る人はいるんですけど、そのソフトの良さを上手く伝えないと結局お金にならないんですよ。
川井 そうですよね。そういった意味も含めて、SOHOとか個人事業主で成功するための条件ってどういうものだと思いますか? こういう能力がないとしんどいんじゃないのっていうものってありますか?
山本 まずは、最低限のコミュニケーション能力ですよね。まあ、それは企業でエンジニアをやる上でも必要ですけどね。企業の中ではマシンルームにこもってやっていればいいっていう時代じゃないですからね。
川井 技術を極めたくて顧客志向もないし、コミュニケーションもしたくないみたいなエンジニアもいるじゃないですか。それですと個人事業主としては難しいってことですよね。
山本 そうですね。それですとどこか大手の企業の研究所にいくのがいいと思いますね。
川井 なるほど。
山本 私は、幸い人と話すのが好きなタイプですからね。
川井 そうですよね。
山本 むしろ営業をやりたいなって思っているくらいです。
川井 そうなんですか(笑)

現在、取り組んでいるテーマは
川井 今取り組まれているテーマってどういったものなんですか?
山本 いろいろなアイデアを書き溜めているんですよ。思いつきでとりあえず書いて、それを寝かしちゃうんですよね。見ていただいて何か面白いものがあれば言ってください。
川井 こんなにいっぱい溜めているんですね。ゲーセン検索サイトとか面白いですね。お、レトロゲームマニュアル検索。これもいいですね。
山本 個人的にゲームが好きなんですよ。
川井 私もです(笑)
山本 それはですね、昔のファミコンソフトとかを探すと裸で売っているじゃないですか。マニュアルがないんですよね。でもマニュアルがないとどうやってセーブするんだろうとか悩むんですよね。なので、マニュアル情報をスキャンではなく著作権には違反しないように共有できるサイトができないかなと思っていたんです。
川井 ゲーム系は面白いですよね。
山本 全然、お金になりませんけどね。
川井 ゲームの攻略ルートとかってあるじゃないですか。パックマンなら、こういう風に進んで、このタイミングでモンスターを食べるとか、あとは隠れキャラとかの情報とか、そういうのが分かるサイトみたいなのってあるんですかね? ゼビウスのここでソルが出るみたいなの、ありましたよね。
山本 同人誌みたいなものはありそうですけどね。どうなんでしょう。
川井 ゲームでいくと、あとはWindows95対応で出たゲームソフトがそれ以降のバージョンでは使えないとかいうのもあって、そういうのをなんとかできたらいいなあとか思いますね。SEGAの「Pengo」とかってそういう感じなんですよ。
山本 (笑)
川井 こうやってアイデアを常に探しているんですね。
山本 そうですね。それが実現できるかどうかって、その時の技術レベルによりますからね。例えば、この日常行動のログっていうのに興味があったことがあるんです。きっかけはブログを書いている人ってすごいなって思っていて、自分は毎日そのために時間をとったりできないなと思うんですけど、それならば、勝手にログを取ったらいいんじゃないかって思っていたんです。ただ音声データだと検索性が悪いので、これを最終的にはテキスト化するのが目的だったんです。私にマイクをつけて、普段のこういう会話もどんどんテキスト化できないかなって考えていたんです。
川井 今の技術でも可能なんですか?
山本 IBMの技術を使えば一応できますね。海外のオープンソースでも日本語音声の自動テキストかツールあったんですけど、ちょっと精度が悪くて、活舌よくアナウンサー的に話せばいいんですけど、日常会話じゃ駄目なんですよ。それこそ息を吸う音とかまで変換しちゃうんですよ。
川井 なるほど。
山本 なので、これは保留状態です。
川井 実は、この武勇伝のコーナーのテープ起こしが大変なんですよ。日曜日に自分でやっていたりするんですけどね(笑)
山本 そうなんですか?
川井 そうなんです(笑) ちなみに山本さんは、機会があれば、アイデアをベースにサイトとかメディアとかを作ってみたいという気持ちがあるんですか?
山本 やってみたいといえばやってみたいんですが、というより、私が興味があるのは無価値な情報を集めたらどうなるかってことなんですよ。情報の価値なんですね。無価値な情報でも集めたら面白いものになるんじゃないのかというのがテーマになっている部分が多いんです。例えば、無価値な映像サイトなんかも集めてみると面白いんじゃないのかなという気がするんです。情報の価値を決めるのは誰なんだっていうことなんですよ。情報の価値を決めるのはそれにお金を払う人であって、例えば、このインタビューの音声データだって、今は私と川井さんとの間でしか価値がないものかもしれませんが、もし私が明日、大事件を起こしましたっていうことになれば、その前日の音声データですってことでものすごく価値が上がるじゃないですか。なので、今、価値がなくても数年後に価値が上がるかもしれないんですよ。例えば、私が新宿駅で写真を撮ったとするじゃないですか。単なる雑踏ですよ。でも、見る人がみたら、ここに逃走中の犯人が写っているって思うかもしれないですよね。誰が価値をつけるか分からないので、無価値な情報でも集めたら面白いことになるんじゃないかなって思うんですよね。
川井 なるほど。その発想は面白いですね。結果的に何が生まれるか分からない宝箱みたいなものかもしれませんね。このアイデアから何か作り出したものってあるんですか?
山本 アイデアを出して作ろうって思っている最中に次のアイデアを考え出してしまうのでなかなか上手くいかないんですよ(笑)
川井 それは、上手くいきませんね(笑) 最近、ラボみたいなところが増えてきていて面白いことばかり考えたりしていますよね。カヤックさんとかリクルートのメディアテクノロジーラボとかそういう面白いものばっかり作っていますよ。リクルートのなんかは、トイレで用をたしながら検索するっていうサイトで、Web2.0EXPOに出展していたんですよ。
山本 インターフェースは音声ですか?
川井 いえ、おしっこの的ですね。
山本 そういう手がありましたか(笑)それは男性なら皆、同意できますよね。
川井 カヤックさんでも年末に「超能力ラボ」というサイトで、スプーンをずっと取り続けてサイトで流すという試みをしていたんです。自称超能力者という人たちを集めて、ブラウザごしに「曲がれ、曲がれ」って念じたら本当に曲がるかっていう実験をしていたんですが、これが結構話題になっていましたね。
山本 仕掛けまったくなしの映像なんですか?
川井 そうですね。ただストリーミング技術はかなり高度なものを使ってスプーンをうつしていたっていってました。
山本 溢れる技術の無駄づかいっていいですね。そういえば昔考えていたWebサイトネタで、泥臭いWebサイトを作りたいっていうのがあったんです。当時のWebサイトとかってAmazonなんかでもそうなんですけど、何クリックで買えますとか、便利さを売りにしていたんですよ。なので、逆に便利じゃないWebサイトを作ったらどうなるんだろうって思っていたんです。朝、10時にならないと開かないとか閉店時間があったり、あと買えるにしても通常サイトみたいに買い物かごを見て決済じゃなくてちゃんとレジに並ばないといけないとか。そういうWebサイトを作ってどうなるのか分からないんですけど、作ってみたら面白いんじゃないのかなって思っていました。
川井 よくそういう発想が出てきますよね。
山本 以前、ネットで見つけた特売商品をあとで買いたいと思って、しばらくしてから戻って買おうとしたことがあったんですけど、売り切れていたんですよ。これってリアルな世界の特売ならば、私が見ている脇で誰かが買っていったりして焦るわけじゃないですか。ネットだとそれが分からないんです。なので、他の人の買い物かごの中とかが見れるとそういう状況も分かるのかなとか思ったのがきっかけですね。
川井 不便さの中に何か新しいものを見出そうっていう逆転の発想なんですね。
山本 そうですね。便利イコール幸せじゃないと思っているんですよ。不便は不便で楽しいんですよね。
川井 普通の人と違う視点や切り口で発想されている気がするんですけど、そういう発想力はどこから生まれたんですかね? それってすごい力だなと思うんですけど。
山本 心がけているのは視点ですね。常に自分以外の他の人が見たらどうなるんだろうとか考えていますね。
川井 それを常に自問自答しているってことなんですか?
山本 はい、そうなんです。常に物事に疑問を持つようにしているんですよ。例えば、この部屋は何故この位置にあるのかとか、何故、椅子はこの色なのかとか、なんでだろうとか思うんですね。それが最適解なのか。常に自問自答していますね。
川井 常にすべてのものに疑問の目を持たれているんですね。それなら面白い発想が生まれるかもしれませんね。
山本 はい、そういう視点で見るとなかなか面白いですよ。
川井 いつもそういう風に考えていてキャパシティオーバーとかにならないんですか?
山本 記憶力が悪いんで大丈夫なんです(笑)
川井 他のものが目にはいらなくなったり、人の話が聞こえなくなったりしないんですか?
山本 そこまでは熱中しないですね。
川井 話しながら、ちょっと考えたりってことができるんですね。それって人生、倍の楽しみがありそうですね。
山本 そういう視点で見ると面白いですよ。いろいろ見つけて悩んだり、勝手に一人コンサルをやってますよ。
川井 なるほど、発想力の根源が見てきました。
山本 私が心がけているのは、情報を出し惜しみしないってことなんですよ。私のアイデアであれ、誰にでも話してしまうんです。さきほど言ったように情報自体に価値はなくて、価値をつけるのはその価値を見出した人なんですよ。例えば私がこんなものを作りたいってアイデアを誰かに話して、それを聞いた人が作ってしまって儲けても、それはそれで別に構わないんですよ。むしろ私が欲しかったものなので、作ってくれてありがとうって感じなんです。
川井 なるほど。
山本 情報って出し惜しみすると生きないんですよ。情報を出していれば、例えば私がこんなことをやっていると誰かに話しておけば、それを聞いただれかが私のところに来るかもしてないですよね。そういう風に情報が集まる人っていると思うんですよ。その人に対して情報発信すれば、勝手にその人から情報が発信されるわけですよ。私はそういう人を情報ハブって言っているんです。
川井 それって、バズマーケティングとか口こみマーケティングというような理屈に適ってますね。インフルエンサーって言ったりしますね。
山本 私はそういう人に会って、自分で情報を得ることを放棄したんですよ。例えば新聞やテレビで新しいものを見つけても、情報収集力や分析力ではこの人には敵わないなって思ったんです。だからこれはもう、その人が租借した情報をもらうだけでいいやって考えるようになりました。
川井 なるほど。
山本 最近思うのが、人間が物を選ぶ基準ってなんなんだろうなってことなんですよ。前にいた会社でビックサイトのイベントに出展したんですけど。来場者がうちの会社を選ぶのって何故なんだろうと思ったんですね。いろいろな開発をしている企業っていっぱいあるじゃないですか。その中で何故うちを選んだろうって知りたいんですよ。そのためにどうすれば選ばれる基準になれるかなっていうことを考えたんですよ。手っ取り早いのは社長が有名人ってことなんですけど、それは現実的に難しいので、考えたのが、例えば面白い会社名とか面白い社内規則があるとか、面白い特徴があればいいのかなとかだったんですね。結局、本来の技術と関係なくてもいいんですよ。話題性じゃないですか。
川井 最近、うちもイベントになるとブースにファミコンを並べていたりするんですよ。
山本 そうなんですか。それはまたなんでなんですか?
川井 単に面白いからだけなんですけどね。
山本 いいと思いますよ。食いつきありますよね?
川井 通った人がふと立ち止まって唖然としているので、そのすきに声をかけていますね(笑)
山本 それ、最高ですね(笑) いいと思いますよ。

その他の仕事について
川井 海外のメールソフトをIMPで日本語化して公開したのは、SIMPLEとしてやったんですか?
山本 これは個人としてですね。当時、Webメールってなかったんですよ。Hotmailとかはあったんですけど、自前でWebメールのサイトが欲しいってときになかったんですよ。ぷらっとホームさんが自社開発のアプリを商用で出していたんですけど、フリーで欲しくて、海外でそういうのがあったので、日本語化して公開して、そのおかげであちこちに知り合いができたり、雑誌に記事を書かせていただいたりしたんです。
川井 書籍とか雑誌というのはどんなものを書かれたんですか?
山本 PHPの技術本とかですね。
川井 最近も書いているんですか?
山本 いえ、最近はほとんどやっていませんね。本を出版するのって、結構時間がかかるので、効率がよくないんですよ。
川井 なるほど。直近で正社員として入社した会社があるんですよね? それはどういった心境だったんですか?
山本 それは、おつきあいのあった会社だったんですけど、うちに入って、自分の仕事をしていて構わないからということだったので、社員扱いで入ったんですよ。MySQL系で結構有名な会社ですね。
川井 それで入ってみたら自分の仕事ができなかったとか?
山本 いえ、というよりいろいろ意見の食い違いが出てきて、最終的には辞める形になりました。どうしても中に入ってみないと分からないことってありますからね。
川井 もう社員みたいな形はいいかなって感じですか?
山本 そうですね。やっぱりいろいろありますからね。
川井 そういう意味では、今後もフリーでやっていくという方向性なんですか?
山本 今後は、法人化していこうと思っています。さすがにこの年になってフリーはきついですからね。
川井 そうなんですね。どういう法人をイメージされているんですか?
山本 なかなかそれが問題で、現状維持であれば問題はないなと思っているんですが、やりたい方向がさきほどいろいろなアイデアをお見せしたとおり、あれもやりたいこれもやりたいなんですよ。
川井 ですね(笑)
山本 性格上、1つの技術を突き詰めるタイプでもないし、技術者向きではないのかなというのもありますよね。
川井 今は、PHPだけで展開しているんですか?
山本 そうですね。PHPだけでやりたいことが1通りできているので、それ以外はやっていないですね。PHPだけではできないことがあるのなら、他の技術も考えないといけないですけどね。一応、それで飯が食えてますからね。
川井 じゃあ、法人の方向性はこれからの検討課題なんですね。
山本 そうですね。
川井 小さな会社で好きなことができればという感じですかね?
山本 そんな感じですね。あと、困っている会社に技術的にでもアイデアでもなんかの形でアドバイスができればなという感じですね。
川井 なるほど。独立、SOHOを1つのステップに1つの自分の形を作りたいってことですね。
山本 そうですね。

今後の展望は?
川井 将来というか、いきつくところ山本さんは、エンジニアですか? それとも事業家? 企画家? どういったものでありたいと考えているんでしょうか?
山本 エンジニアというか、自分が使うものは自分で作れるだけの技術は持っていたいと思いますね。そういった意味では職人という気持ちもありつつ、なんらかの根っこは欲しいと思いますね。
川井 人間はやっぱりなんらかの所属意識を欲しがるものですからね。
山本 そうですね。そこはあると思いますよ。常々思うのが、日本だと技術者って社会的立場が弱いじゃないですか。前の会社で、学生向けの会社説明会とかでいろんな話とかをしたんですけど、技術者のモチベーションが低いんですよね。ここに入ればなんか教えてくれると思ってきましたみたいな学生が多いんですよ。「お前、それ違うだろ」って思いますね。
川井 そうなんですよ。本当にそういう方が多くて困っているんです。
山本 学生の面接をして、学校で何をやっているの?って聞くとCOBOLをやっていますっていうんですよ。それでなんでそれをやっているの?ってきくと、学校がやれっていったからとか資格が取りやすいからって答えるんですよね。
川井 なるほど。受動的ですよね。
山本 プログラミングが好きかって聞くと好きだとは言うんですが、じゃあ、家でどんなプログラムを書いているのかって聞くと、ないんですよ。
川井 そうなんですよね。好きなのに家でやっていないって意味が分からないですよね。
山本 今って、いい環境じゃないですか。私の子供の頃みたいに、ハードウェアを知っている人がいないなんて時代じゃなくて、コンビニでもパソコン雑誌が売っている時代なんですよ。
川井 開発環境も昔はえらい高くて買えませんでしたからね。
山本 そうなんですよ。それからするとえらく恵まれているんですけど、恵まれているがゆえになんですかね。例えば、私が子供の頃っていうのはゲームをやりたいけど、お金がないから自分で作るしかないっていうような状況があったんですよ。そうじゃなくて全部用意されてしまっていますからね。
川井 でも、本当に志が低いって感じますね。
山本 憧れの存在がいないのかもしれませんよね。そういった意味でこの武勇伝をやられているんだと思いますけどね。
川井 それはおっしゃる通りですよね。何かしらロールモデルのヒントを提供できればと思っていますね。
山本 スターエンジニアっていうかですね、エンジニアで有名な人ってそれこそ本田宗一郎まで遡らないといないんですよね。昨今のIT企業って言っても、社長は有名でもエンジニアじゃないんですよね。
川井 そうですね。ほりえもんも元々はエンジニアなんですけど、社長として有名になっちゃいましたからね。まつもとゆきひろさんにしても一般の人には知られていないですからね。
山本 何のために仕事をするのかって言われると、私は富か名声だと思うんですよ。富か名声のどちらかのために仕事をするとなると、技術者が最適かといわれるとそうでなくなっちゃうんですよね。富も名声も得られないじゃないですか。富か名声っていうと技術者って選択肢じゃなくなるんですよね。
川井 特に日本はそうですよね。
山本 これもなんとかしたいなって思いますね。タイで会社を立ち上げたときや、去年、ベトナムに行って向こうで話を聞いたりしたんですけど、技術者の扱いが日本とは違うんですよね。向こうでは技術者はかなり地位が高くて憧れの職業なんですよ。
川井 本当にそうなんですよね。エンジニアの地位向上っていうと格好良すぎるんですけど、まずは普通の人に理解してもらえる環境を作りたいと思っているんですよ。
山本 まったく同感ですね。少しずつ変えていかないと、エンジニアってダサいとか格好悪いとか思われたままですからね。
川井 エンジニアの思考回路って優れていると思うんですよ。精密なものが作れるし、文章を書くにしても構成がきちんとしていて、物語が緻密に組みあがっていくんですよね。元エンジニアで人気ミステリー作家の伊坂幸太郎さんの小説なんかもそうなんですけど、単に話に専門用語が登場するってことではなくて、物語自体がプログラムになっているんですよね。
山本 それ、分かります。そういう作家さんいますよね。
川井 素晴らしい才能だと思うんですよ。普通の文系の人間には到底書けないようなものが書けるんですよね。
山本 エンジニア離れから更に遡ると理系離れが原因なのかとも思うんですよね。
川井 そこまでいくと手がつけられないので、あまり考えないようにしているんですけど、数学教育の問題だと思うんです。数学を面白く教えられる先生がいないんですよね。
山本 まったくそうだと思います。
川井 なので、興味が持てずに苦手意識を持ってしまうんですよね。
山本 本当は面白いんですけどね。私、高校の頃にアイザック・アシモフっていうSF作家の科学エッセイを愛読書として読んでいたんですけど、ものすごく面白いんですよ。数学から物理から天文まで、何から何まで面白い発想で考えるんですよ。例えば数学であれば、一番大きな数ってなんなんだとか。
川井 そういうのを子供に教えられる先生っていないですよね。微分って公式だけ教えて、意味を何故教えないんだろうとか思いますね。
山本 そうですよね。あれがなんで出来たのかを教えないと単なるテクニック論だけになっちゃいますからね。微分積分にしたってニュートンが仕方なく作らざるを得なかったっていう経緯があるわけじゃないですか。それから振り返るとものすごくスーッと入ってくるんですけどね。
川井 そうですよね。でも教育というカテゴリーになるとなかなか手がつけられないので、文句や愚痴みたいになっちゃいますね。
山本 そうですね。でも少しでもコンピュータが好きという子供が増えていけば本当にいいですよね。そうすればエンジニアにとって幸せな社会になるかもしれませんよね。
川井 是非、実現したいですよね。最後はそんな愚痴みたいな話になっちゃいましたが、本日は長時間にわたり、本当にありがとうございました。
山本 こちらからこそありがとうございました。

<プロフィール>
・小学生の頃、ポケコンに触れBASICを学び、以来、中高時代もパソコンが趣味の中心となる。
・大学では理学部物理学科に入学。研究室ではプログラミング担当となる。
・卒業後、地元の小企業に入社。ハードウェア設計からソフトウェア設計まで一通り触れるうち、 ソフトウェア周り(特にネットワーク関係)に興味を持つ。退社後、ネットワーク関連の派遣として働く。大学のヘルプデスクで勤務する中でLinux、PHPを使い始める。(1998年頃) その後、ベンチャー企業での開発経験を経て、SOHOエンジニアとして独立(1999年頃)
・PHPユーザ会に参加し、毎年のPHPカンファレンスでスタッフとして協力する。
・SOHOエンジニアコミュニティ「SIMPLE」を立ち上げる。
・海外製のWebメールソフト「IMP」の日本語化を行い、公開する。
・知人に誘われ、海外製のCMSソフトである「OpenACS」の日本での普及活動を行うが、普及に至らず。
・SOHOエンジニアとして、書籍の取材依頼を受ける。それがきっかけでPHPの書籍執筆を勧められ、執筆し(2001年頃)雑誌などの記事の執筆を行う。
・知人とバンコク(タイ)で会社を立ち上げる。現地エンジニアを雇い、タイ向けのサイト構築や、オフショア開発を行う。
・某IT系企業に社員として入社。(2004年頃) 昨年退社し、再びSOHOエンジニアに戻り、現在に至る。

代表的著作に、
「PHP実践のツボ」(九天社刊)
「PHP実践のツボ セキュアプログラミング編」(九天社刊)
「まるごとPHP!〈Vol.1〉」(インプレス刊)
がある。
SOHOコミュニティ「SIMPLE」  http://simple.trustbee.com/

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